2章-10話 疑念


「嘘だよ。だって昨日まで見たことなかった」


「嘘なんて言ってないよ。ほらっ、あそこで昨日も家を建てる仕事をしていたんだよ」


 信用しない少年に、少し離れた場所の家を指差す。まだ建築中で石を積み重ねている状態の家は、ここからでもよく見えている。昨日はあの場所で仕事をしていたはずなのだ。


「ううん。絶対いなかったっ。お兄さんの居る家もずっと空き家だったはずだよ」


「クリスっ!」


「父様っ?!」


 責め立ててくる言葉で狼狽えていると、少年の背後から大きな声が飛び込んでくる。そこには精悍な顔立ちの男が立っていた。年齢は四十は超えているだろうか。逞しい身体に質の良い服を着ていて、身長は百八十を越えているだろう。


「すみません。うちの子が失礼なことを言ってしまったようで……」


「いえ、大丈夫です」


「ほら、お前も謝るんだ」

 

「僕は本当の事を言っただけだっ」


「クリスっ! 待ちなさいっ……」


 男は少年の隣に来ると頭を下げてきたが、クリスと呼ばれた少年は悪びれた様子もなく、走り去ってしまう。


「……本当にすみません。母親がいないものですから、少々甘やかしすぎてしまったようです」


「いえ、子供の言うことですから……」


 先ほどの少年の言葉が頭に残っているが、シンヤはそれを振り払うと、再度謝る男に気にしないようにと言葉を返す。


「……私はグライスト、聖都の守備部隊の長を任せられています。失礼でなければ名前をお伺いしても?」


「おれは……。シンヤと、いいます……」


「貴方がシンヤ君ですか。最近来たばかりと聞いていますが、聖都はどうですか?」


 名前を問われシンヤは数舜考えてしまう。どうしてかわからないが、自身の名前が出てこず、頭の中で答えを探してしまったのだ。不思議な感覚に囚われて地面を見つめていたが、グライストの言葉で我に返る。


「はい、まだ数日ですが皆さん良くしてくれて、とても住み心地が良いです」


「それは良かった。もし何か困ったことがあれば、いつでも私に相談してください。こう言っては何ですが、顔が利きますので」


「ありがとうございます。何かあったらお願いしますね」


「それでは私は息子を探しに行ってくるので、これで失礼します」


 気さくに笑顔を浮かべるグライストは手を上げると、クリスが走り去った方角へと歩いて行った。


「おれの名前はシンヤ……」


 グライストが見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていたシンヤは、ぽつりと声を零す。なぜかはわからないが、何かが足りないような感覚が頭の中に残っていたのだった。



  ◆     ◆     ◆



 その後もしばらくの間、街を散策していたが、何かが引っかかっている感覚は取れず、ゆっくりと廻っているうちに時間は過ぎ、自宅に帰る頃には朝食を食べるような時間では無くなっていた。


「それで、シンヤさんなにか言いたいことはありますか?」


「いや、ごめん。少し考え事をしてたんだ」


「もうっ。せっかく作った朝食が冷めた上に、昼食になっちゃったのよ」


「本当ごめん」


「大丈夫? まだここの生活にも慣れてないのに毎日仕事だったから、疲れちゃった?」


「あ、うん。そう、なのかな……」


 家に帰ると待っていたのは、心配の小言と冷めてしまった料理だった。気の無い謝罪と暗い表情を見てシーナはシンヤの肩に手を置いて心配してくる。


「おかしなことを聞くけどいいかな?」


「うん」


「おれたちはどうしてこの街に来たんだっけ?」


「……私たちがここに来たのは、住んでいた村を野盗に追われて、この街の教主様に拾われたからじゃない」


 また違和感に襲われる。シーナの話を聞くとシンヤの脳裏にその時の状況がありありと甦ってくるのだ。二人が野盗から逃げ、そして追い付かれ殺される寸前に、聖都の兵士に助けられる姿が映像として焼き付いてくるのだ。


「そう、だったな。ごめん、変なことを聞いたよ」


「本当に大丈夫? 今日は休みなんだから横になってた方がいいよ」


「そうするよ。ごめんね」


 シーナに言われるまま寝室に向かうと、靴も脱がずにベッドに倒れ込む。


 何かがおかしいのはわかっていたが、それが何なのかがわからない。記憶を辿れば、全てを鮮明に思い出せる。子供のころの記憶、結婚式、野盗に襲われた恐怖、なのにその記憶がどうしてもおかしく感じられるのだ。


 考えすぎて疲れたのか、そのまましばらく眠っていたシンヤは人の気配で目を覚ます。それはベッドに腰かけたシーナのものだった。


「眠れたみたいね」


「ああ、ありがとう。少し楽になったよ」


 窓の外は暗くなり始めていて、どうやらかなりの時間寝てしまっていたようだ。


「明日は儀式なんだから、しっかり休んでおかないと駄目だよ」


「儀式……?」


 シーナはシンヤの額に手を当ててくれる。少しひんやりとした感触が気持ち良く、そのままもうひと眠りしてしまいそうだったが、聞きなれない単語に疑問を感じて聞き返す。


「もう、本当に大丈夫なの? 教主様の儀式よ。シンヤさんは明日、儀式が済めば、ここの住人って認めてもらえるんだから。私も二日前にして頂いたでしょ」


 シーナの言葉で記憶が焼き付く。頭痛がシンヤを襲い、儀式の内容が流れ込んでくる。新しく聖都に住む住人には儀式が義務づけられ、その儀式をすると、怪我や病気にかからなくなるといったものだった。

 

「ああ、そうだったよね。……そうだった。大丈夫、少し緊張しているだけだよ」


「そう? でも無理はしちゃ駄目」


 おかしい、何もおかしくないのがおかしい。


 シンヤの中で何かが違うと叫んでいる。これは自分の人生では無い。そう思えるほどに実感がわかなかった。焼き付いてくる記憶は、まるで他人の人生をテレビで見ているかのように、ただ知っているだけのようだった。


「慣れない土地なんだから、緊張して当然よ。大丈夫、私もいるんだし、一緒に頑張りましょ」


「ありがとう。……今日は寝すぎちゃったし、少し身体を動かしに外をまわってくるよ」


「今から? もう外は暗いよ?」


「なんだか落ち着かないんだ」


「もう。……わかったわ。今度はあまり遅くならないでね」


 身体を起こしてベッドの上で考えていると、シーナがシンヤの両手を握り笑顔を浮かべる。その顔を見ていると少し気持ちが落ち着くが、それでも疑念が消えることは無い。


 眠れそうに無いシンヤは、胸中に渦巻く不安を振り払うように外へと歩き出す。



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