2章-9話 記憶


「あの、少し聞いてもいいですか?」


「……はい、なにか」


 眠ってしまったクロエが落ちないように片手で支えながら、シンヤは店主に問いかけると、手が濡れていたのか布で手をふきながら、話しを聞く為にこちらに近づいてきた。


「この葡萄酒は、どこで作っているんですか?」


「この酒は教主様がおつくりになられているものを、分けて頂いているのです」


「教主様?」


 いきなり核心をつくような答えが店主から返ってきて、シンヤは少し驚きながら聞き返す。昼間他の人達に似たような質問をしたときは、曖昧な答えしか返ってこなかったからだ。


「ええ、この街は教主様がお造りになられ、食べ物も飲み物も、全てを分け隔てなく皆に配ってくださっているのです」


「それはすごいですね。じゃあここに住んでいれば食料に困ることもないんですね」


「ええ、外は危険ですが、ここは楽園です。それにこの間、永らく行方が分からなかった聖女様も見つかったとか……」


「……!? ……その、聖女様を見たことはあるんですか?」


「いえ、今は洗礼をされていて、近くお披露目があると聞いています」


 あまりにすらすらと答えが返ってくることに、シンヤは徐々に疑問を感じ始めた。どうしてこの店主は求めていた答えを、こんなにも簡単に教えてくれるのだろうかと。それと同時にシンヤの鼻に甘い花のような香りが漂ってきた。


 酔っているからだろうか? 先ほどまでは感じなかった匂いだが、今は室内全部を覆っている。


『……シンヤっ、ま……い』


「そう、なんですか……。ちなみに教主様は、普段どこにいるんです」


「教主様はいつも地下の大聖殿で皆の為に祈りを捧げてくれています」


「一度、会ってみたい、ですね。会えたりは……」


 どうにも頭が回らない。店主の声とは別にアウラがなにかいっているが頭に入ってこない。


 ただ店主に質問をしていただけのはずなのに、頭の芯は危険を訴え始めているのだが、上手くまとまらない。


「ええ、会えますよ。貴方達ならばすぐに……」


『シンヤっ! すぐにここから逃げるのじゃっ』


「……っ!」


 シンヤの脳裏にアウラの声が響き渡るが、もう遅い。立ち上がろうと身体に力を籠めるが、自由が利かない。それどころか、思考が上手くできず、瞼が重くなってきた。


「大丈夫ですよ。これは眠気を誘う花の香。身体に害はありません。お酒を飲んでいる方にのみ効き目があるものですがね……」


「……なんっ……」


 最後の言葉を紡ぐことも出来ずに、シンヤの意識は闇に飲まれ、その身体は制御を失いテーブルの上にクロエと共に倒れる。


「……いい夢を」


 店主がそう言った気がした。




  ◆    ◆     ◆




 瞼に朝日が差し、眩しさに意識が覚醒する。目を開けると明るい陽射しが顔に当たっていたことに気づき身体を起こす。少し気だるく身体と頭が重いが、もう日が昇ってしまっていることに驚きながらも、立ち上がり居間へと足を運ぶ。


「あら、もう起きたの? 今日はお休みなんだから、もう少し寝ていても良かったのに……」


「あ、ああ、さすがに眩しくて目が覚めたんだよ」


 長い髪をまとめて料理をしている彼女は、優しく微笑みながら声をかけてくれた。まだ寝ぼけているのかふらつく足取りで椅子に腰かけると、違和感を感じながらも返答した。


「なあ、おれ、昨日何してたっけ?」


「まだ寝ぼけてるの? 昨日は親方に言われて、遅くまで仕事してたじゃない」


「……ああ、そうか。あまりに遅かったからそのまま寝ちゃったんだっけ」


 徐々に記憶が甦ってくる。昨晩は今働いている親方に言われて、深夜遅くまで仕事をしていたのだ。


「今日は特に何もなかったよね? だったら少し外を歩いて来てみたら? 眠気覚ましにちょうどいいわよ」


「……そうするよ」


 女性に言われ、椅子から立ち上がると玄関に向かい扉を開く。少し散歩して戻ってくる頃には、朝食の準備も終わっているだろう。


「行ってらっしゃい」


 女性の柔らかな声に送り出され、玄関を出ると通りまで歩く。散歩にはうってつけの陽気、気持ちのいい風が頬をなぜ、未だはっきりしない頭に血が巡ってくるのを感じた。


「あら、今日はお休みなのね。シーナちゃんも喜んでいたでしょう?」


「こんにちは奥さん、休みなのに寝すぎてしまいました」


「休みの日なんだから、それくらいいいでしょ? うちの旦那なんかまだ寝てるわよ」


「旦那さんは夜、仕事なんですし、仕方がないですよ」


「貴方は奥さんのお手伝いしてあげてね」


「もちろんですよ」


 道を進んで行くと近所に住む女性に声をかけられる。この聖都での暮らし方を教えてくれた人で、よく旦那と喧嘩をしているのを目にするが、普段はとても仲が良く、見ているのも恥ずかしいくらいの夫婦だ。


 軽い挨拶をすませ女性に別れるを告げ、聖都の中を散策していく、まだここに来て数日ということもあるのだが、ここの人々は温かく迎え入れてくれ、仕事もすぐに紹介してくれた。


 やはり違和感を感じるが気のせいなのだと思い込み歩みを進める。


 寝不足のせいだろうと切り替えて、街並みを見て回ると、いろいろな人に声をかけられる。武器屋の店主、買い物中の人、子供達、平穏な光景につい頬が緩むのを感じた。


「お兄さん」


「ん? どうしたのかな?」


 大通りを歩いていると、一人の男の子が声をかけてきた。年齢は十歳くらいの短く切りそろえた髪型をしている、とても活発そうな子だ。


「お兄さんは誰? 見たことない人だよね?」


「おれは数日前にここにきたばかりなんだよ」


 男の子は先程迄、声をかけてくれた街の人とは違い。敵意ほどではないが訝し気に言葉を突きつけてきた。

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