閑話 在りし日の思い出
明るくなる前に起床するのは、毎日の事。自然と眼が覚めてしまう。
寝間着を脱ぎ、いつもの服に着替える。ここに来てからは、この服でなくても良いのだが、彼女にとっては、このメイド服自体が大切な絆のようなものだった。
着替えをすませ、部屋を後にする。
やることは多いのだ。日が出る前にまずは洗濯を済ませ、屋敷の大まかな掃除を終わらせる。
それが終わればすぐに調理場に向かい、朝食の準備を始める。十数人分の用意は時間がかかるのだ。
下ごしらえを終わらせる頃になって、ようやく他の子達も起きてくる。
「おはようございます。セラさん、ごめんなさい。遅くなりました」
「おはよう。いいのよ。私が早く起きすぎてるだけだから」
声をかけられたセラは振り返り、朝の挨拶をすませる。
女の子が三人、セラと同じようにメイド服を着ている。いつの間にかこの屋敷での仕事は、メイド服が制服のようになってしまっていた。
別に給金が出るわけでも無いのだが、皆セラを真似ているのだ。
「それじゃあ、ここは任せても良いかしら? 私は少し外に出てくるから」
「はいっ!」
「任せてください」
「いってらっしゃいませ」
元気の良い返事を聞いて、セラは屋敷の外へと向かう。いずれもメイドとしての経験が浅い三人だが、よく頑張ってくれている。
一人で全てをこなすには少々屋敷が広すぎる為、彼女らが手伝うようになってからは、ずいぶんと時間に余裕が出るようになっていた。
外は日が登り切り、日差しも強くなってきていて、セラは玄関の扉を開けると、その明るさに目を細める。
「ようっ!」
眩しさに手をかざしていると、大柄な男がセラに声をかけてくる。全身を毛で覆われた狼の獣人ロニキスだ。
「なにかご用でしょうか?」
「冷てぇなぁ。もうちょい愛想良くしてもいいんじゃねぇか?」
感情の伝わらない声で用件を聞くセラだったが、そんな態度が気に入らないのか、ロニキスは呆れたように問いを返す。
「いえ、駄犬に対する態度はこれくらいで良いかと」
「もしかして、まだ怒ってんのかよっ」
「怒る? いえいえ、どこぞの犬が、訓練と称して水浴びをする女性を覗こうしたとか、シンヤ様を連れ回して一部の畑をダメしたとか、家屋を破壊したとか、……他にもいろいろと苦情が来ていますが、私が怒っても仕方がないことですから……」
「はははっ! めちゃめちゃ怒ってるなぁっ」
最近、村の人達からの苦情が多くなっているのは事実で、そのほとんどに、目の前の狼人と屋敷の居候が関わっているのだ。
皮肉を交えた話もロニキスは気にした様子もなく、犬歯を見せて大きく笑う。
「はぁ。……それで? なにか用があるのではないのですか?」
セラは諦めたようにため息をつくと、改めて問いかける。
「おぉ、そうそう、シンヤはもう起きてるか? せっかく早く訓練場に行ったのにまだ来てなくてな! 迎えに来てやったんだよ」
「シンヤ様でしたら、明け方には外に出られましたから、今ごろはまだ自主訓練をなさって、森の中を走り回っているのではないですか?」
朝早くから訓練に出るシンヤだったが、昼近く迄ロニキスが来ないので、早朝から昼前迄はだいたい一人で森の中にいると聞いていた。
「せっかく来てやったのにいねえのかよ」
「相変わらず自分本位な犬ですね。貴方が普段遅いからでしょうに……」
「だははははっ。その通りなんだけどよっ」
悪びれることなく、頭をかいて大笑いするロニキスを見て、シンヤが可哀そうになってくる。
「はぁ。紹介した私が言うのもなんですが、シンヤ様には、申し訳ない事をしたかもしれませんね」
「なんだって?」
「いえ、なんでもありません。それよりも暇でしたら少し手伝ってください」
「まぁ、別に構わねえけどよ」
今からシンヤを追って、森に入ってくるように言ったところで、広い森では合流するのに時間がかかる上、どうせ目の前の狼人は、めんどくさがって行かないだろう。
「では、付き合ってもらいましょうか」
「んで? どこいくんだよ」
「少し森に入ってお肉を調達するのと、帰りに畑の方に寄って食材を分けてもらいます。相当な量になるので、荷物持ちがいると助かりますからね」
屋敷の人数が増えたのだ。食料の在庫を調整する側としては、出来るだけ早めに調達しておきたかった。
「うげっ! そういうのはシンヤにでもまかせりゃいいだろ」
「シンヤ様は今、とても頑張っていらっしゃいます。どこかの暇そうな犬と違うのですよ」
「お前いい加減犬扱いは止めろって……」
「もう少し役に立つようでしたら、止めてさしあげます。……さぁ、行きましょう」
いつまでも玄関で話こんでいるわけにもいかないので、ロニキスを促し屋敷をでる。
森に行くとは言っても、魔物を狩りに行くわけでは無い。動物を狩りに行くのだ。一頭でも狩れたらそれで戻ろうと思っていたのだが、思いがけずロニキスが付いてきてくれた。
今日の内に狩れるだけ狩ってこようと、セラは気合を入れるのだった。
◆ ◆ ◆
結果だけを見れば大豊作である。
森の入り口に停めておいた荷車に、獲物をいっぱいになるまで詰め込んだのだ。魔法で冷凍保存すれば、それこそ何ヵ月も狩りに行かなくて済むだろう。
「お前、狩りすぎだろ」
「何かいいました?」
「いや、森の動物を狩り尽くすかと思ったぞ」
「ちゃんと選別しました。それに貴方が先行して結界の外迄行ってしまうのが悪いんです。結界の中だけで済ますつもりでしたのに……」
鼻の利くロニキスが獲物を見つけ、セラが狩り取っていく、それを繰り返すうちに興が乗ってきたのか、気づいたら荷車がいっぱいになっていたのだ。没頭していた自分に恥ずかしくなったのか、セラはロニキスから顔を背ける。
「あれはしょうがねえって。獲物が結界の外迄逃げやがるから。って、まあいいじゃねえか、結果大猟だったんだからよ」
「そうですね。……思いのほか遅くなってしまいました」
空はもう赤くなり始めていて、ほぼ一日狩りに没頭していたようだった。さすがに戻らないと、屋敷の後輩達が困ってしまう。
「結局シンヤもいなかったし、あいつちゃんとやってんだろうな」
「間違いなく貴方よりは真面目ですから安心してください」
実際ロニキスの見ていないところでもシンヤは、しっかりと自主訓練に励んでいた。
森に来る前に、ロニキスを借りると、訓練場に伝えておいたので、今日も暗くなるまで一人で頑張ることだろう。
「可愛くねえ奴、そんなんだから男の一人もできねえんだよ。もう少し愛想良くできねえのかよ」
「そんなに私から愛想をもらいたいのですか?」
「……すまねえ。やっぱなんか違ったわ。……お前はそのまんまの方がいいわな」
「……ふふっ」
「……っ」
微笑みを浮かべたセラを見て、ロニキスは言葉を失う。普段はあまり見せない彼女の笑顔に、一瞬見惚れてしまったのだ。
「……そうやって、笑ってる方が可愛いけどな」
「……あら? 口説いてるのですか?」
「ばかっ、ちげえ。……先に行ってるぞ」
つい口から出てしまった言葉を隠すように、獲物でいっぱいの荷車を引くロニキスは、早足に先を進んで行ってしまった。
その顔は夕日に当てられてセラからは良く見えなかったが、目の前の景色と同じくらい赤くなっていただろう。
「そうだ。……ほらっ」
「どうしたんですか? これ」
少し先で振り返ったロニキスは、懐から何かを取り出してセラに放り投げる。弧を描き落ちてくるそれは、彼女の掌にすっぽりと収まった。
「この間鍛冶師の爺に頼んで、試しに作ってもらったんだが、思ったよりも出来がよくてな。……お前にやるわ」
「……仕方ないから貰っておいてあげます」
それは飾り気の無い腕輪。シンプルな銀色の腕輪はぴったりとその腕に嵌り、セラの為に作ったことがすぐにわかるものだった。
セラが受け取るのを確認すると、ロニキスはまた早足に歩き出してしまう。
「素直じゃないんですから……」
先を行ってしまったロニキスを見て、セラは微笑む。きっと自分の顔も、この夕焼けと同じくらい、赤くなってしまっているだろうと思いながら、ゆっくりと彼を追いかけるのだった。
◆ ◆ ◆
「ほんと駄目な犬……」
森の中、木の幹に背を預けるメイドは一人呟く。
森の外では、村を失いながらも生き残れた喜びと、リュートの話により人々の歓声が起こっていた。
セラは手首に収まっている腕輪に触れ、それを受け取った時の事を思い起こす。
後から知ったのだが、この腕輪には魔力が込められていて、ある程度だが悪意をはじく力がある魔具なのだという。
「こんなものより私は貴方が居てくれれば、それでよかったのに……」
在りし日の幸せな記憶、それが鮮烈に焼き付いている。思い出せば思い出すほどセラの胸を焼き、それは涙となって零れ出す。
「うあぁぁぁぁぁっ」
森の外の歓声できっとセラの声は掻き消える。我慢しきれない嗚咽が、涙が、止めどなく溢れ、その心を締め付け続けるのだった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます