第20話 魅惑の花は棘だらけ

 

「……スノー、この衣装なに」


「アスにクラウンの衣装は似合わないもの」


 ランスノークの部屋を訪れたクラウンは、深い青色のドレスを渡されていた。オフショルダーの襟に、足首まである裾は柔く波打つ形。マーシーと言う種族を元に作られたドレスは各国で人気のデザインであるが、クラウンは欠片も興味が無いものだ。


 ランスノークはそれを着るように強要しており、クラウンはどうやって断ろうかと遠い目になっている。


「折角のお茶会よ? 道化の衣装なんて脱いじゃいなさい!」


「いや、そのさ、スノー、私お茶を飲んだら直ぐテントに帰るから……」


 クラウンの頭の中には今頃資料を漁っているであろうロシュラニオンが浮かぶ。彼女も早く「クラウン」に戻り、彼に合流したいのが本心だ。


「そしたらまた、アスライトもいなくなってしまうでしょう?」


 しかし、ランスノークが笑顔を向けるから、クラウンは何も断れなくなってしまう。王女は他者を魅了する笑顔を浮かべるのに、道化が感じたのは肌寒さだ。


「スノー、いや、あの、私は、」


「着てくれないなら帰せないわ」


 クラウンは部屋の扉を後ろ手に開けようと試みた。


 だが、それを部屋の主たる王女が許す筈もない


 ドレスの裾を持って前蹴りをしたランスノーク。彼女の美しいヒールは、扉にソールをめり込ませていた。


 王女の足首にはナイフが入ったホルスターが存在し、クラウンは扉の取っ手をゆっくり離す。左頬を痙攣させながら、まるで降参するとでも言わん顔色で。


「……着まーす」


「よろしい」


 王女は語尾に音符でもつきそうな声色で笑い、クラウンを試着室に投げ込んだ。


 * * *


 ――ランスノーク・キアローナは才色兼備の王女である。


 王であるザルドクスに並んで今や外交業務をこなし、新天地の開拓にも精力的。あと数年で王座も変わるだろうと民にも両親にも認められたレットモル次期女王が彼女である。


 常に本を読んで勉学に励み、美しさには日に日に磨きをかけ、話せば彼女の聡明さと天真さが垣間見える「魅惑の花」


 そんな彼女が唯一、目の敵にしている者がいる。


 それがイリスサーカス団副団長――ミール・ヴェールと言う存在だ。


 ランスノークはミールを嫌っている。それはもう、正に反吐が出ると言う程に。


 始まりは踊り子がいなくなり、道化師が城に参上した日にさかのぼられる。


「……なんで? アス」


「えー? 何のことかな! 王女様!!」


 クラウンが城に参上した八年前。団長、副団長、道化は王達への謁見を済ませ、クラウンは王子の付き人となる許可を得た。


 その場に居合わせたのは王と王妃であったが、ランスノークは盗み聞きをしてしまったのだ。


 初めて見る道化師の背丈が、声が、王女の友と似すぎていたから。黒い髪になろうとも、仮面をつけようとも、誰もが「クラウン」と呼ぼうとも、ランスノークには直ぐに「アスライト」だと判断させた。


 大人が読んで受け入れた空気を、王女は読んでも受け入れない。


 だからクラウンの腕を掴み、首を横に振ったのだ。


「僕はクラウン、今日からなんと王子様の付き人になったんだ! 仲良くしてね!」


「……嫌だよ、意味、分かんない……アス、アスライト……何、してるの?」


さとい貴方ならば理解出来るでしょう、ランスノーク王女」


 混乱した王女に声をかけたのはミールだった。青い顔の王女の前に立ち、膝を折ることもなく、感情を読み取らせない声色で。


 クラウンとガラは瞬時に顔を見合わせ、ランスノークの顔に浮かんだ感情を確認した。


 サーカス団員の中で最もオブラートと無縁の存在。ミールの言葉を今のランスノークに聞かせてはいけない。


 そう道化師も団長も判断したが、ほんの数歩遅かった。ものの数秒、間に合わなかった。


「アスライトは死んだ」


 ミールは相手の顔色を読まない。心も考えも見ることが出来る癖に、相手の反応を考えない。


 だから彼は迷うことなく続けることができ、理解することを王女に求めたのだ。


 しかし、王女がどれだけ賢く敏かろうとも子どもは子ども。


 弟が記憶喪失となり、友の一人は体を壊して繭に籠り、弟を救った筈の友は死んだと言われ。


 ランスノークの理性を焼く事柄が余りにも多すぎた。


 多すぎた結果、ランスノークはミールに殴りかかり、従者達に止められたのだ。


「死んでない、死んでない、死んでないッ!! アスライトは死んでない! 勝手に殺すな、ふざけるなッ!!」


「ランスノーク様ッ!」


「いいや、あの子は自ら望んで死んだんだ。いない子のことでわめかないでくれ」


「やめないかミール!!」


「アスライトはそこにいる! その子はクラウンであると同時に、アスライトだ!!」


 ランスノークの新緑の瞳が、あの日ほど怒りに燃えたことはないだろう。少なくとも他者の前で。


 喚き散らす王女は拳を握り締め、自分に手を伸ばすことを躊躇ためらったクラウンに涙したのだ。


「返せよッ、返せッ!! 私の友達を、勝手に殺すなッ!」


「あぁ、君はやはり――残酷な子だ」


 ミールの細められた銀の瞳を、ランスノークが忘れた日は一度もない。


 喚き声を聞き入れられなかった少女には燃え盛る憤怒が生まれた。


 空気を読むことを望まれて、両親にも諭され、聞き訳が良いふりをして頷いて。


 それで鎮火がされる筈もない。賢い彼女はその炎を飲み込んで笑えてしまうほど大人びているだけなのだから。


 それからだった。王女が弟の稽古を見始めたのは。弟を見るのではなく、その剣先を見始めたのは。


 ロシュラニオンは自分の道だけを見ていた為気づいていないが、クラウンとリオリスは顔を見合わせる日々だった。


「ねぇねぇ王女様、なんでそんなに稽古眺めてるの?」


「殺したい相手がいるの」


「わぁお」


「テントの中の、黒い副団長さんの弱点知らない?」


「知らないなぁ! あ、一緒に花冠でも作らない!?」


「えぇ、喜んで」


 のらりくらりと質問をはぐらかすクラウンをランスノークは笑ってきた。


 笑いながら暗器に関する書物を買い、独学で培い、二十歳の誕生日にやっと両親を説得して小型ナイフ所持の許可を貰ったのだ。自己防衛や自立等と言う単語を毎年並べ続けた王女の根気勝ちと表現しても過言ではない。


 ランスノークは、ミールが嫌いなまま成長した。


 自分の友達を止めなかった大人。青い瞳を握り潰した存在。大事な友を死んだと口にした、愚か者。


 ランスノーク・キアローナは決めている。いつか必ずミール・ヴェールの目を全て潰すと。


 それが達成された時、自分の右目も潰すのだと。


 そうしなければ平等ではないから。


 弟が目覚めた時、彼女は喜んでしまった。青い友が必死に笑っていた姿を見落として「ありがとう」等と軽々しく口にした自分がいた。


 ――残酷な感謝だな


 ランスノークの記憶にこびりついているミールの言葉。


 王女はそれを否定しない。純粋さとは時に残酷であると理解しているから。


 自分を愚かだと何度もなじり、考えるだけで行動を起こさなかった自己を嫌悪し、残酷と言う言葉こそが相応しいと理解し、煮える怒りはミールと自分に向いている。


 その怒りを最も近くで見て来たのは、キアローナ姉弟の教育係――ニアであった。


 彼は姉弟を見守って来た。王子が道化に執着する姿も、笑っている王女の感情がいつも棘を孕んでいる様も。


 彼にはその直し方が分からなかった。王も王妃もそうであるように、姉弟が抱える感情が「正しくない」と言い切れる確証を持っていなかったからだ。


 微笑むランスノークはニアの歩き方を見る度に思い出す。幼く無力だった自分を庇い、足と前腕部に氷を纏わせてしまった従者。


 彼は言ったのだ。泣き出しそうだった自分に、凍り付いていく城の中で。


 ――貴方が無事なら、それでいいのです


 そんな笑顔は許しではない。その言葉は慰めにもならない。


 ランスノークは奥歯を噛んで笑い続けた。笑い続けて成長した。


 だからだろう。噛み締めた感情は、何も変わらない副団長と少し言葉を交わすだけで飛散する爆弾へと変貌していた。


 彼女はその行動をはしたないと思いはしたが、後悔はしていなかった。


「似合うわ、アスライト」


「お褒め頂き、光栄です」


 ドレスを着なければお茶会参加も退室も許されなかったクラウン。彼女は四苦八苦しながら着替えて見せ、満面の笑みのランスノークから黒いショールを貰っていた。


 クラウンが凍り付いている右肩を気にする素振りをしたのを王女は見逃さなかったのだ。道化は普段ならば絶対に着ない衣装に冷や汗をかきつつ、ランスノークと向かい合わせになるお茶の席に着いていた。


「ほんと、さっきは騒いでごめんなさいね」


「いや、スノーが副団長を……良く思ってないのは気づいてたし」


「良く思ってないのではないわ。嫌いなの」


「わぁお……」


 クラウンは両手を軽く上げ、これ以上話題を広げてはいけないと察する。ニアは苦笑しながら一口サイズのケーキを取り分け、ランスノークはお茶をティーカップに注いでいた。


 付き人である筈のクラウンだけ仕事が貰えない状況。青い少女は居心地の悪さを感じながらお茶を飲み、ケーキを食し、窓の外を見下ろした。


 傘を広げ、小走りに駆けている一人の青年を発見しながら。


「スノー、このお茶いただいたら退室するね」


「嫌だわ、せっかちね」


「私より君に相応しい奴が来てくれたってだけさ」


 クラウンは青い左目でニアを見上げ、執事も安堵したように息を吐いている。


 廊下に出たニアは、左胸を押さえて蹲りそうだった青年を見つけ、右足を引きずりながら駆け寄った。


「レキナリス」


「ぁ、ニアさん……すみません、急いだら、ちょっと……」


「いいえ、このような日に来てくださって感謝しかありませんよ」


 蹲った青年――レキナリスは苦笑し、ニアはハンカチで青年の冷や汗を拭っている。


 レキナリスは苦笑して、ニアの手からハンカチを借りていた。


「副団長に、テントを追い出されたので……多分、ランスノーク様に、何か、あったんだろうなって」


「あぁ……」


「レキ、無事かい?」


「あ、クラウン、だいじょ……」


 ランスノークの部屋から姿を見せたクラウン。


 青い短髪と黒い眼帯は、レキナリスも八年ぶりに見る姿である。


 流石の青年も言葉を無くし、黄金色の瞳には涙が滲んでいた。


 ドレスを纏った少女はかつての踊り子を想像させ、ロシュラニオンに妖精と言う錯覚を与えたまま成長した姿をしていたのだから。


「うわ……どうしよ……今、すっごい、胸が、いっぱいだ……」


「……今日限定仕様だよ」


「うん、うん、良いよ、良いと思う、今日限定でも、良いと思う」


 泣きながらレキナリスは笑っている。その表情から視線を逸らしたクラウンは、自分の両肩に手を乗せた王女を振り返ったのだ。


「レキ、発作?」


「ううん、大丈夫、大丈夫だから、スノー、ごめんね……はは、どうしよ、涙が、止まんないや」


 レキナリスは何度も涙を拭っているが、その雫は止まらない。


 ランスノークは青年の前に膝を着くと、ゆっくりと背中を撫でていた。


「ほんと、貴方は……そう言うところよ?」


 仕方なさそうに笑う王女の空気に棘は無い。


 レキナリスは顔を覆って頭を下げた。背中を丸めて、震えながら。


 ランスノークは青年の額を自分の肩に乗せ、穏やかに目を伏せる。


「……後は任せるよ、レキ。スノー、お茶ありがとう。君が淹れてくれるお茶がやっぱり一番美味しいよ」


 クラウンは目を伏せながら伝え、道化の衣装をニアから渡される。


 ランスノークはレキナリスの背中を叩きながら振り返り、笑いながら命令した。


「アスライト、その姿で帰って。その姿を、団員さん達にも見せてあげて」


「スノー、私は」


「命令よ。王女のお茶会を途中退席するんだから、これくらい聞きなさい」


 クラウンは道化の衣装と仮面を抱えて息を吐いてしまう。


 それから微かに肩を落とし、笑えないまま答えていた。


「かしこまりました……ランスノーク王女」


「よろしい」


 クラウンは口を結んで頭を下げ、立ち上がった王女と青年の横を通り過ぎていく。


「ニア、ケーキ美味しかった。コックさんにも言っておいて」


「えぇ、伝えておきます」


 微笑むニアに手を振り、クラウンは廊下の角を曲がる。


 レキナリスはその背を見送り、ランスノークの部屋に通された。廊下に控えることにしたニアは、扉を閉める瞬間に聞いた王女の言葉に胃が痛くなってしまったが。


「さぁ、付き合いなさいレキナリス。これから私の気が済むまで愚痴大会よ」


 扉を閉めたニアは息を吐く。これから少なくとも、二時間はレキナリスがランスノークに拘束されると思いながら。


 姉と兄。年長者と年長者。ランスノークとレキナリスの間に、二人きりの時限定で遠慮と言うものは無くなる。


 それを知っているからこそミールはレキナリスをテントから追い出した。青年の体調がそこそこ良好であったことが救いだろうが、横暴にも程がある行為に変わりないのだが。


 ニアは静かに雨粒が当たる窓を見つめ、暫くして、廊下の角から聞こえてきた足音に眉を潜めていた。


「ごめんニア、ロシュラニオン様が倒れた」


 飛び出してきたのは、青いドレスの裾をひるがえすクラウン。


 その背では青い少女と曲がり角で鉢合わせたロシュラニオンが気絶しており、ニアは額を押さえていた。


「……ほんとに、貴方達は……」


 ――――――――――――――――――――

 あとがきとお詫び


 前話にて、ニアの凍り付いている場所を上腕部と表現していましたが、よくよく調べると前腕部が正しい表現となるので訂正しております。今回の話も前腕部で書きました。申し訳ございません。


 アスライト達だけでなくランスノーク達についても書きたかった為、進みが遅いと感じられる方もおられるかもしれませんが、お許しいただきたいです。


 これからも、子ども達を見守っていただけたら幸いでございます。よろしくお願い致します。


 藍鼠


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