第14話 猫は自分から手を貸した

 

 レットモルの最大貿易団であるサーカス団が、国から出ない月がある。


 国の緑が最も美しく、花が咲き誇る月。花の月と呼ばれる期間、彼らは国に滞在してショーをし続ける。


 国一番の行事である「大輪祭たいりんさい」が行われるからだ。


 レットモルが最も美しくなるとされる大輪祭までの七日間は「蕾の期間」とされ、訪れる観光客も増加し、国が沸き立っていく。


 国にとっても民にとっても愛される蕾の期間と大輪祭は、レットモル最大の名物だ。


 しかし、そんな行事など取り潰してしまえと考える者もいる。


 何を隠そう、先程から眉間の皺が取れないロシュラニオンその人だ。


 彼はため息を吐き出すのを堪えて、足早に廊下を進む。


 彼の悩みの種は増加する交流。良いものだけでは到底なく、酒や異種族が絡めば悪いものだって生まれる。


 祭りが近づくことによって増える観光客に比例するように、問題も増えることがロシュラニオンは大嫌いだった。


 彼はそれを解決することも仕事である為、毎年この時期は連日忙しい。祭りでも貿易が止まることは無い為いつもの倍忙しい。毎日消えないイザコザに頭が破裂しそうな為、余計に酷い。


 正に猫の手も借りたい状態なのだ。


「ロシュラニオン様~、街で酒飲んで喧嘩してた観光客、警備騎士隊に引き渡し完了でーす!」


「あぁ」


 廊下の角から飛び出して敬礼するクラウン。ロシュラニオンはふと眉間から力を抜き、跳ね回る道化師の姿を見つめた。


「あとこれ今日の輸入品リストで、こっちは輸出品リスト! どんどん観光客が増えてて街は活気づいてるよ!!」


「そうか」


「そうです! と言うわけで俺はもう直ぐショーだから!! じゃあな坊主!!」


「クラウン」


「なんだよ!?」


 矢継ぎ早に書類を押し付けたクラウン。道化師は跳ねるのを止めること無く、その腕をロシュラニオンは掴んでいた。


 クラウンは上ずった声で「時間!」と叫んだが、影が差している王子の目を見て暴れることは出来なかった。


 ロシュラニオンは視線を微かに下に向ける。道化師は王子を見つめ、足踏みするのも止めていた。


「……いつ、ショーは終わる」


「いつも通りだよ。大体二時間、見送りなんかも含めたらもう少しかかるだろうね」


「見送り」


 徐々に王子の腕に力が入る。恐らく普通のキノならば顔が歪み、最悪骨にひびが入る力加減だ。


 それでも、道化師はキノではない。ロシュラニオンに物理的に傷つけられることなど早々なく、だからクラウンも黙っているのだ。


 ロシュラニオンの中に煙が溜まる。溜まった煙はくすぶり、目の前の道化がこれから浴びるであろう拍手や歓声を想像していた。


「帰ってくるから、ロシュラニオン様」


 その一言。


 ただ、その一言。


 それだけでロシュラニオンは良かった。


 赤い瞳から影が消えていく。クラウンはそれを見つめ、それ以上の言葉は何も零さなかった。


「……あぁ」


 ロシュラニオンは手を離し、クラウンはうやうやしく頭を下げてから踵を返す。


 王子は道化師の背中を見つめ、手元の資料に息を吐いた。


 * * *


 開演ぎりぎり、クラウンは猛スピードで国の北から南へ駆け抜けた。息を切らせることもなく。心は少しだけ焦りながら。


 それでも道化は、無事にジャグリングやイリュージョンと言った演目をやり遂げる。そこは流石の一言に尽きる部分であり、今日もサーカス団は拍手喝采で幕を下ろすことが出来ていた。


「ナルせんぱーい!! 僕をその豊満な体で癒しッ」


「お触り厳禁よ」


 見送りを終えて控室に雪崩れ込んだクラウンは、抱き着こうとした花形に足蹴にされる。


 ピクナルが履いているヒールのソール部分は、道化の鳩尾に埋まっていた。


「ぅぉえ……ナル先輩冗談っす、さーせん」


「分かればいいのよ」


 クラウンはむせながら後退する。ピクナルは息を吐きながら銀の髪留めを外し、弾力がある髪を撫でていた。


 彼女の体温はサーカス団内で最も低い。種族柄の特性であり、彼女が毛嫌いするのは熱だ。陽射しも嫌えば体温も嫌う。熱気を嫌えば舞台の照明の熱すら彼女は嫌いで、ガラが作り出した熱遮断性の高いドレスをいつも着ている程だ。


 そんな彼女にクラウンが抱き着けば、ピクナルは徐々に熱を籠らせて沸騰してしまう。


 それは両者ともに承知していることであり、先程のやり取りも日々のじゃれ合いにすぎない。


 今日の公演を労い合った二人は、甲高く響いた声を聞いた。


「ナルねぇ差し入れ今日もすごい!!」


「今日もナルねぇ大人気!!」


 沢山の差し入れや贈り物を抱えて来たのは、アイロスの双子。姉のフィカ・レイルと、弟のリューン・レイルだ。


 アイロスはバランス感覚が随一の種族であり、双子の担当演目は空中ブランコ。


 全身を茶色い体毛で覆われた団員達は、ピクナルの前に届け物を積み上げていった。


 渡される花形は目を細めて、息を吐いている。


 フィカとリューンの頭の上では三角形の耳が揺れており、腰から生えたしなやかな尻尾はクラウンの腕に巻き付いていた。


「あれー、ナルねぇ嫌だった―?」


「いらなかったー?」


「いいえ、嬉しいわ。ありがとう」


 美しい顔を緩めて笑ったピクナル。彼女は髪を細く伸ばして双子の頭を撫でていた。


 ピクナルは少しだけ毛先が温まれば直ぐに引き、フィカとリューンは満面の笑みを浮かべている。


 双子はそのまま控室から飛び出して行き、クラウンは平衡感覚を奪われた気分であった。


 アイロスの成長と言うのはとてつもなく遅い。子どものような見た目をしていても、フィカとリューンの年齢はサーカス団でもかなり上の方だ。双子が自分達の年齢を口にすることは決してない為、定かではないのだが。


 ベレスと同い年だと言う噂もあり、そうなればクラウンの倍以上の年齢と言う数式が出来上がる。


(見た目は少年少女なんだけど……初めて会った時からあれだしなぁ)


 クラウンは双子を見るといつも時間感覚が狂ったような気持ちになる。道化師は頭を振り、深呼吸してピクナルに向き直った。


 花形も道化師に視線を向けて、笑顔の白い仮面を見る。


 奇抜な衣装は華奢な体を隠し、かつての愛らしい踊り子は何処にもいなかった。


「アスライト。貴方、いつまで道化を演じる気?」


 ピクナルは手元に視線を移し、差し入れのリボンを一つ解く。中身に期待もしないまま。


 クラウンは声を発することは無く、花形は続けた。


「他者の生き方に口出し出来るほど、私は立派ではないけれど……それでも、貴方の生き方には口出ししたい。見ていて苦しくなってしまうから」


 クラウンは顔を控室の出入り口に向け、微動打にしない。


 ピクナルはリボンを解く手を止めて、道化師の方へ視線を投げた。


「私は好きでしてるんだよ、ナル先輩」


「アスライト」


「アスライトは殺した」


「いいえ、貴方はクラウンである前にアスライトよ」


「ピクナル先輩」


「先輩より、私は貴方の姉に戻りたい」


 ピクナルの言葉がクラウンを黙らせる。


 道化は一向に動く様子は無く、花形はリボンを解き切った。


 中身は優雅な宝石の首飾り。それをピクナルは一瞥するだけで興味を全く示さない。


 花形は透明の睫毛を揺らし、諭すように言葉を紡ぐのだ。


「どれだけ着飾り笑おうと、貴方はアスライトよ」


「あの子一人守れない奴はもういない」


 クラウンは答えて控室を出ていく。


 ピクナルは息を吐くと、手の中のリボンを見下ろした。


 ――ナルねぇ! 髪の毛結って欲しいなぁ!


 ――いいよ、おいで


 そう笑っていた花形の妹分は、もういない。


 少し目を離した隙に、勝手にいなくなってしまったのだ。


「……アスライトに、酷いのろいをかけないでよね」


(いいや、違うよナル先輩。これはのろいじゃない)


 控え室前で立ち止まっていたクラウンは、花形を思いながらテントを出ていく。


 声に出せない考えを持った道化師は、城への道を駆けていた。


(のろいなんかじゃない)


 クラウンは奥歯を噛み締め、屋台の軒先に飾られた花々を見る。


 奇抜な道化師の足は止まり、流れる群衆に取り残された。


(これは罰だよ)


 クラウンは飾られた赤い花を一瞥して再び走り出す。軽快に、まるで背中に羽でも生えたような身軽さで。


(ラニを守れなかったアスライトへの罰)


 道行く者達は道化師の身のこなしに感嘆し、時には拍手を送る者さえ存在した。


 サーカスの宣伝を声高らかに零している道化師は、それでも笑ってなどいないのに。


(あの子を笑わせてあげられない、クラウンの罰)


 クラウンは立ち止まりそうになる足を、意識して動かしている。そうしなければ動けなくなってしまいそうだから。


「あ、移動古書店じゃーん」


 クラウンは考えを直ぐに口に出す。本当に言いたいことは仕舞いこんで。


 道化は多くの資料や図鑑が並ぶテントに入り、片っ端から種族の歴史や生態に関する図鑑を掴んでいった。


「あ、ねぇねぇ店主さん。記憶を盗む種族とか会ったことなぁい?」


「記憶を? いやぁ聞かないね。記憶なんて形もねぇもの、どうやって盗めるんだ?」


「でっすよねー!」


 本を並べていた店主は道化師に驚きつつ、首をひねる。それにクラウンはオーバーリアクションを返し、両手に本を抱えていた。


「変なこと聞いてごめんなさーい!」


「いいや、にしても道化師さん、あんたそんなに図鑑を買うのかい?」


「これから選別します! 多分持ってるやつも何冊かあるから!」


 クラウンは陽気に答え、店主に手を振っておく。


 それから道化は無言で本を選び始め、自分が知らない種族が載っていることを望んでいた。


 ――八年、そうして調べてきた。


 貿易に出れば空き時間に国を駆け回って情報を集め、レットモルでも時間を見つけては城の書庫に入る。


 ロシュラニオンには何も告げず、誰にも相談せず、道化師は探し続けているからだ。


 ロシュラニオンから記憶を奪った者を。


 あの日、あの時、あの部屋を訪れた、誰かを。


「あー……記憶、記憶、ねぇのかおい」


 仮面の下で呟くクラウン。黒い髪に触った道化師は、左の視界に入った上着に気が付いた。


 頭からつま先まで真っ黒の、今の国の雰囲気には決して合わないその者に。


 クラウンは図鑑をめくり続け、隣を見もしなかった。


「副団長がテントの外に出るなんて、珍しい」


「ガラに追い出されたんだ。少しは祭りを楽しんで来いと」


「そりゃまた手厳しい」


 黒い者――ミールは嘆息しながら、アスライトが山にしている図鑑の一つを掴む。


 二人は並んで図鑑を見分し、暫し沈黙が流れていた。


「……聞かないでくれるんだ、なんで図鑑を集めてるのか」


「聞いて欲しいか?」


「いいや、聞かないで欲しいし、見ないで欲しい」


「もう見ないよ」


 クラウンは少しだけミールを見上げる。フードの奥の顔には包帯が巻かれ、心と考えを映す瞳が開かないようにされていた。


 道化師はそのことについて、何も言わない。言わないままミールの上着の袖を掴み、掴まれた彼は腕を一つ伸ばしておく。


 軽く道化師の頭を撫でた副団長。黒いカツラを叩くように撫でた手は直ぐに上着の中に戻り、道化師の手も離れていった。


 二人の間には再び沈黙が落ちる。そのままクラウンは何冊かの図鑑を購入し、ミールより先にテントへ戻ることにした。


「クラウン、また図鑑買ったの?」


「そうだよ~」


 クラウンは自室の本棚に図鑑を積む。テント内の居住域は簡易的ではあるがきちんと個室として分けられ、扉だって付けられているのだ。


 その扉を開けてからノックしたリオリスは、図鑑に顔を向けているクラウンを笑うのだ。


「読むのは夜にしなよ。今日は君、"ばん"も無いんだし。ロシュラニオン様が寂しがる」


「入室マナーが守れない子の言うことなんて聞きませーん」


「ありゃ、怒ってる? ごめんごめん」


「これで何回目だよ、リオ」


 クラウンは図鑑を閉じて嘆息する。


 リオリスは楽しそうに笑い、道化が本気で怒っていない事を承知していた。


「ノックはしたよ?」


「開ける前にノックするのが礼儀さ」


「ちょっとしたラッキーを狙ってね」


「変態だー」


 茶化し合い、お互いの拳を軽く当てる付き人達。クラウンはリオリスの背中を押して、共に廊下へと出た。


「あ、クラウ……ン」


「ロマ、どしたの?」


 二人の元に駆け寄るのはロマキッソ。今日も白い耳を掴んでいる玉乗りは、視線を床に向けていた。その肩は小刻みに震え、白い睫毛が揺れている。


「や、やっぱり、な、なんでもない」


「ありゃ、そう?」


 何度も首を縦に振り、ロマキッソは再び駆けていく。彼が自信無さそうに震えているのはいつものことであり、クラウンは白い後頭部に手を振っていた。


「ロマは今日も可愛いねぇ。癒しだ癒し、我らの癒し」


「だね。ロマ自身は震えてるわけだけど、どう頑張っても可愛くて笑っちゃう」


「悪い性格だ、リオ」


「そっくりそのまま返すよ、クラウン」


 お互いの肩を小突き合うクラウンとリオリス。二人は顔を見合わせると、肩を竦めて笑っていた。


「ね、俺とロマ、どっちが可愛い?」


「ロマに決まってんじゃん。俺より背が高くなったリオに可愛さなんて皆無でーす」


「それは残念」


「年々馬鹿言う頻度が上がってるよ、リオ」


「君が馬鹿を演じるからさ」


 リオリスは眉を下げて笑う。


 クラウンはそこで黙り、分かりやすく息を吐いた。


「リオリスくーん」


「俺も馬鹿を演じなきゃ、平等な気がしなくてね」


「……やっぱり、お前は馬鹿じゃなくて真面目だわ」


「馬鹿だよ、俺は酷い馬鹿だ」


 リオリスの金色の瞳が伏せられる。クラウンは口を結ぶと、リオリスの横腹を殴っていた。


 殴られた少年は「痛い痛い」と笑い、道化師は歩き出す。


 その背中を追うことはせず、リオリスは声を投げていた。


「ノックしないのは、ほんとにラッキーを狙ってるからだよー」


「ばーか。、俺は道化師だよー」


 クラウンはテントを出て、城へ向かって走り出す。


 今頃、眉間に深い皺を刻んでいる王子を想像しながら。


「……バレてたかぁ」


 リオリスは腰に手を当ててクラウンを見送る。


 彼女の黒いカツラに隠された、青い髪を思い出して。


 白い仮面を被る前の、青い左目を懐かしんで。


「……残念」

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