第13話 君は知らなくていいこと

 

 ――剣を振り向き肉を断ち、悲鳴上がれど見向きもしない


 ――血飛沫浴びても微動にせず、黒の正装ひるがえ


 ――彼は戦場いくさば冷血漢れいけつかん


 ――自国の為なら鬼にも化ける、名はロシュラニオン


 ――レットモルの狂戦士ベルセルク、ロシュラニオン・キアローナ


「クラウン、無駄な歌を作るな」


 声が反響する洞窟の中央で、ロシュラニオンは血振りを行う。


 うなじを隠す程度の黒髪と赤の双眼を持つ王子は、剣を鞘へと収めていた。


 洞窟内に倒れるのは黄色い体毛に覆われた生き物達。ウルグスと呼ばれる種族であり、その場に動く者は無い。


 赤が地面を染めていき、ロシュラニオンは靴裏でそれを踏みにじった。


「えー、凄く良い出来だと思ったんだけどなー! 自画自賛しちゃうレベル!」


「いいからさっさとしろ」


 洞窟に響く底抜けに陽気な声に、王子は低い声を返す。彼は肌についた血液を拭いもしない。赤い瞳は歌を嫌悪し、視界にいれた付き人に命令は下された。


 王子の視線の先にいる存在は、今日も陽気で異彩である。その場に全く似つかわしくない程に。


 道化師は、両腕で掴んでいたウルグスの顔を見下ろした。


 笑顔の仮面をウルグスの耳元に近づけるクラウン。ロシュラニオンはその動作を見つめた。クラウンが意図的に、王子に聞こえない声量で何か問うていると知っていて。


 ロシュラニオンは剣の柄を無意識の内に握り締め、目に涙の膜を張ったウルグスの悲鳴を聞いていた。


「し、知らない、知らない、知らないからッ! ゆ、許し、ッ」


 それは命を請う声だ。


「あっそ」


 対する返答は、命を摘み取る声だった。


 道化師の両手に力が入り、黄色い種族の首が後方へ百八十度回転をする。


 骨が歪んで出した低い音は不快に肌を撫で、ウルグスは赤が流れている地面へ捨てられる。


 クラウンは両腕を脱力させ、無気力に呟いた。


「先に手を出したのはお前達だしさ」


 道化師は白い仮面をつけた頭を傾けたかと思うと、男とも女とも判断させない声で笑い始めた。


「ごめんロシュラニオン様! お待たせしちゃった!」


 クラウンは跳ねる。背中に羽根でも着いているような身軽さで。


 その姿を見て、ロシュラニオンは眉間に深い皺を刻んでいた。


 クラウンは宙で体を前方に回転させ、ロシュラニオンの目の前に着地した。


「何々? もっかいさっきの歌って欲しいって!? しっかたないなぁ! 剣を振り抜き――」


「やめろ、反吐が出る」


 白い仮面を押さえて黙らせるロシュラニオン。道化は両腕を忙しなく動かし、不満を惜しげもなく叫んでいた。


「えー! 僕なにか間違ったこと言ったかなー、全部事実に基づく作詞だよ!? ねぇ、おーうじっさま!!」


「俺の機嫌はすこぶる悪い。そこにお前の声が響けば尚の事だ」


「それお前の気分じゃねぇかふざけやがって」


「首をねられたいか?」


「やっだもう怖いからかーんべん!!」


 気分が上がったのかと思えば下げて見せ、地を這うように怒ったかと思えば曇りが晴れたように笑い飛ばす。


 感情が読めないクラウンは、嘆息するロシュラニオンなど気にも留めていない様子だ。


 ロシュラニオンは隣に立つ道化師を読み取れない。感情も考えも、何もかも。


 王子は口を結んで歩き出し、クラウンはその後に続いた。


 二人が歩いた後には血の道が出来る。黒が混ざり、鉄の匂いを放つ不快なもの。生きる物に流れるそれが作る道の、なんと生々しいことか。


 それを踏みながら洞窟を出ていった二人は、外で待っていた同胞達と合流した。


 ロシュラニオンは愛馬に跨り手綱を握る。光を宿さない赤の双眼は帰城を命じ、先頭を走り始めたのはクラウンだ。


 育て上げられたどの馬よりも速く、風を切り道を作る道化。その後を駆けていく必要最低限の人数で構成された小隊は、誰もが遅れを取らぬよう必死に手綱を握っていた。


 クラウンに続いて愛馬を走らせるロシュラニオン。彼の目は道化の背中だけを見つめ、その後ろに控える隊長は目を細めていた。


 ――戦場で黒い髪に赤い目の戦士を見たら一度止まれ。そして周囲を確認し、奇抜な道化を連れていれば戦うな。


 そんな言葉が流れるほど恐れられた二人が、この先頭を行く者達だ。


 狂戦士ベルセルク、ロシュラニオン・キアローナ


 番犬ケルベロス、クラウン


 貿易で財を成しているレットモルにおいて、貿易団と貿易路の平和は最優先事項と言っても過言ではない。


 だからこそ狂戦士ベルセルク番犬ケルベロスは、貿易を阻む者がいれば即座にほふる。


 今回の対象は、先ほど住処である洞窟を一掃されたウルグスであった。


 宝石を食べなければ生きられないウルグス達。彼らは他国の貿易路も襲うことで有名だったのだが、一度もレットモルの貿易には手を出さなかった。出せば全滅させられると本能的に分かっていたからだ。


 しかし、力試しをしたいと考える者はどの種族にも存在する。


 まさかたった数人の浅はかさで、一つの住処が壊滅させられるとも想定せずに。


 他の住処を持つウルグス達は語り継ぐ。


 ――レットモルの貿易路にだけは手を出してはいけない


 ――手を出せば、狂戦士ベルセルク番犬ケルベロスが現れてしまうから


 ――どれだけ腹が減っていても、毒を孕んだ宝石を口にはするな


 ――それは、全てを殺す猛毒だ


 砂塵を舞わせながら一直線に自国へと帰還していく小隊。


 今回の作戦でロシュラニオンとクラウン以外はほぼ剣を振るっておらず、何十と言うウルグスを潰したのは二人である。


 大地を駆けて山肌の道を進み、言葉も無いまま移動する時間。隊員達には息が詰まりそうな程の閉塞感が付き纏い、隊長の頬にも冷や汗が伝っていた。


 不意に山肌が崩れた音をクラウンの耳が拾う。


 道化は後ろに手を振り、ロシュラニオンは馬を止めた。呼吸を上げて走り続けていた馬達は足に力を込めて地面を滑り、落石に大きくいなないてしまう。


「大丈夫、落ち着きな」


 クラウンは低く通る言葉を贈る。


 その声という音は馬達の震えを落ち着かせ、跳躍したクラウンの足は落石全てを砕いていった。


 自然の悪意無き試練はクラウンにしてみれば遊び同然であり、道化師は小隊の道を塞ぐことなど許可しない。


 計五つ。身の丈程ある落石を砕いたクラウンは片足で地面を回る。


 止まっていた小隊に向かって恭しく礼をした道化師は、表情の見えない声を吐いていた。


「お待たせいたしました我が主、どうぞ」


 時には何処までも礼儀が行き届いた執事のように振る舞い。


「ね! さっきの僕の蹴り凄くなかった!?」


 かと思えば褒められることを望む子どものように跳ね回り。


「おいおい、誉め言葉くらい寄越せよ怒るぞ」


 ある時は研がれた剣のような鋭利さを発し。


「ねーえー! 私をほーめーてー!!」


 また別の時には空気を繋ぐ配慮を取る。


 クラウンは感情を表さない。本当の感情など見せはしない。


 だから道化師なのだ。


 隊員達に褒められて喜び勇んだクラウンは、再び先頭を突き進む。風のように大地を駆け抜け、いつかその勢いのまま飛び立ちそうな速さで。


 ロシュラニオンはその背中を見つめ、自国であるレットモルへと凱旋した。


「たっだいまー!!」


 門を開けた先で待っていた国民達に向かって、何処から取り出したかも分からない紙吹雪を盛大に散らしたクラウン。


 軽快且つ鮮やかな戻りに国民達には笑顔が咲き、ファンファーレを奏でるのはイリスサーカス団の粋な計らいと言うやつだ。


 ――クラウンは、イリスサーカス団でベレスと並ぶ正真正銘の道化師である。


 ナイフを投げるし綱渡りもする。時にはロマキッソと共に玉乗りやイリュージョンもするオールラウンダー。


 そんな道化師は第一王子の付き人もやっており、レットモルに滞在中、彼が国を出る時は必ず同伴する事となっている。


 大通りの先頭を側転したり前転したり、風船を膨らませて空に投げたりと、血と土の匂いを掻き消すようにクラウンは凱旋を彩っていく。


 小隊の者達は国民達に笑顔を向けて手を振り、しかし一人だけは前を見据えるばかりだった。


 それは誰でもない、今回の功労者の一人であるロシュラニオン。


 無表情に徹して城に着いた彼は愛馬を倉へと返し、クラウンが餌とブラッシングの準備に跳ね回る。


 足に細工でもしているのではないかと錯覚させる道化師だが、純粋に、それはキノではない生き物らしい筋力によるものだ。


 ロシュラニオンはクラウンに後を任せ、父である国王に謁見した。


「今回我らの貿易路を阻んだウルグスの殲滅、完了し帰還致しました」


「よく無事に戻ってくれた」


 大らかさを混ぜ合わせた威厳を纏う王は、王子を見つめる。玉座から立ち上がった父は、顔を上げさせた息子の頬についた血を指先で拭おうとした。


 それを、ロシュラニオンは顔をずらして拒絶する。


「……おやめください、王よ。乾いていてもこれは返り血。落とさぬままに謁見した私に非があります」


「いいや、ロシュ。息子の顔一つ満足に触れてやらない親が何処にいる。落とす時間より私への報告を優先してくれたその心にも、敬意を表しよう」


 王は笑い皺を深めて、逃げようとする息子の顔を片手で支えて拭っていく。


 乾いている血はメッキが剥がれるように絨毯に落ちていったが、それを咎める者など何処にもいなかった。


「王様! 濡らした布持ってきたよ!!」


「クラウン、ありがとう」


 動こうとした従者よりも先に、クラウンが扉を開けて入り込んでくる。


 濡れた布を差し出す道化師に、王は穏やかに微笑んでいた。


 ロシュラニオンはクラウンから布を受け取り、自分の頬より先に王の指先を拭く。それから確かに父から距離を取り、自分の頬を拭っていた。


「……詳細については後日報告書を上げます」


「あぁ、急がなくていい。今はゆっくり休みなさい」


「ありがとうございます」


 王子は王と目を合わせることなく部屋を出ていく。その背に続いて王に手を振ったクラウンは、礼儀も序列も眼中にはない。


 王もそれを咎めることなく微笑んで手を振り、小隊を労う為に従者と階下へと向かったのだ。


「ロシュラニオン様~、あんなに優しい王様早々いないかんね!? ちゃんと甘えなきゃ駄目だぜ坊や!!」


 クラウンは茶化すようにロシュラニオンの背中を小突く。頬を拭き終わったロシュラニオンは、自分に礼をする従者達を一瞥して自室へ向かい、ため息を吐いていた。


「誰が坊やだ。もう十七だぞ」


「私より一歳年下じゃない。そんなの坊や同然だわ」


 しとやかな女の喋り方をするクラウンに、ロシュラニオンは苦虫を噛み潰した顔をする。「その顔面白いなお前!!」と腹を抱えて笑う道化師の態度に、心配する者はこの国にはいなかった。


 正に水と油。冷気と熱気。鉾と盾。


 それほどまでに態度も何もかもが合わない二人は、それでも共にいた。


 自室に入るロシュラニオン。その前でクラウンは立ち止まり、扉の奥に行こうとはしない。


「クラウン」


 部屋の中に入ったロシュラニオンが、平坦に呼びつける。


「ここから先はパーソナルスペースだって、何回言わせんだよクソガキ」


 低い声で吐き捨てる道化師は、他者の私的なスペースを犯そうとしない。


 いや、その相手がロシュラニオンだからこそ年々拒絶を強めるのだ。


「来い」


「嫌だ」


 主のめいを叩き落す付き人。


 その押し問答もいつものことであり、強引に事を進めるのがロシュラニオンであると言うのも、いつものことなのだ。


 ロシュラニオンはクラウンの腕を掴んで部屋に引きずり込む。岩のように動こうとしない道化を動かすのは至難の業であるが、ロシュラニオンは知っていた。


「頼む」


 そう自分が一言願うだけで、道化師の足は動いてくれるのだと。


 手を震わせながら、足から力を抜いてくれるのだと。


「……ずっるい子に育っちゃってさぁ。僕はそんな子に育てた覚えありませーん」


 少年のような声でたしなめ、クラウンは腕を引かれるまま歩く。


 扉は閉められ、夕焼け色が部屋を染めた。


 ロシュラニオンはクラウンの両腕を掴み、細い肩に額を寄せる。


 彼は何も言わない。


 だから道化も口を開かない。


 二人は主と付き人である。戦場では総隊長とその右腕であるが、決して対等ではない。対等になることをクラウンが望まず、ロシュラニオンも幼いあの夜以降口にしないからだ。


 ロシュラニオンはクラウンをベッドに押し倒し、付き人の体に自分の体を乗せて動かなくなる。


「……ロシュラニオン様。疲れが取れないよ」


「……お前、ウルグスに何を聞いていた」


 クラウンの言葉を無視するロシュラニオン。王子の問いに答えない道化師は、左手を天井に向けて上げていた。


「毛並みが綺麗だねって褒めただけさ。彼にとっては最期だし」


「見え透いた嘘など求めていない」


「ロシュラニオン様には関係ないことを聞いた」


「それも嘘だろ」


「バレたか」


「答えろクラウン」


「内緒」


 クラウンは左手首を回す。それはウルグスを殺した手だ。泣いて自分の行いを懺悔した者を、許さなかった手だ。


 それはロシュラニオンの手も同じである。


 王子は強くなった。総騎士団長として国に貢献し、国を守護し、国の平和を望んでいる。


 だからこそ討伐に出るし、何度も他の命を切り落としてきた。


 その仕事が終わればロシュラニオンは大体自室で倒れる。ほぼ毎回倒れる。クラウンを巻き込んで。


 クラウンはその時間が嫌いだ。


 心を必死に取り繕う王子を、抱き締めてしまいたくなるから。頭を撫でてしまいたくなるから。背中を撫でてしまいたくなるから。


 ロシュラニオンも別段、この時間を求めているわけではない。


 道化師は決して付き人の枠を出ないと分かっているから。背中に腕は回されないと知っているから。手を握り返されないと理解しているから。


 だから王子は目を閉じる。何も得られないまま、国の為にと血を被った自分を嫌悪して。狡く付き人に縋る弱さに反吐を吐いて。


 暫くすれば王子から寝息が聞こえ、クラウンは天井だけを見つめていた。


「……君は知らなくていい。これは私の、傲慢だから」


 道化は呟き、奥歯を噛む。


 クラウンは探している。ロシュラニオンの幸せを望む裏で、探している者がいる。


 王子には告げないまま。知らせないまま。静かに、粛々と探している。


 ――余談ではあるが、眠りについたロシュラニオンは、お湯が溜められた湯船に着の身着のまま投げ入れられて、やっと目を覚ますのだ。


「ッ、クラウン!!」


「さ! 仮眠は終わりだぜ、王子様!!」

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