飛ばされた部隊-5
「では、我々に全員を起こしてほしいと…そういうのかね澤村中尉」
「そうです…渋谷艦長殿」
戦艦長門の艦長室では、乗込んだ澤村と長門艦長の渋谷が言葉を交わしていた。
実はあの後、澤村たちは小発に積んであったロープや金属片を使い
高さ数十メートルの甲板までなかなか届かなかったが挑戦し続けること三十分、どうにか鉤縄を引っ掛けることに成功した。
そして小発に乗っている中で、一番体重が軽かった海軍の少尉がロープをよじ登ることになった。
当初、少尉は「自分は非力だ」といって頑なに拒んでいたが、陸軍の中にたった一人の海軍という状況では意見が通らず、泣く泣くロープを掴んでよじ登り始めた。
軽量化のため、来ている服を全て脱いで褌一丁で舷側をよじ登る姿は傍から見れば滑稽だった。
まるで海賊が忍び込もうとしているようにも見えたからだ。
しかし、やっている当人たちは至極真面目であり、最後の希望でもあったのだ。
「途中で落ちたらどうします?」
「その時は一応拾い上げてやらないとな…そしてもう一回だ」
「軍曹も鬼ですね」
……本当に最後の希望だったのだ。
十数分後、精根尽き果てた表情で少尉は甲板によじ登った。
甲板で大の字になり荒れる息を整えようとしたが、下から「早くラッタル降ろせ―!」との声がかかっては休んでもいられなかった。
よたよたと歩きながらラッタルの操作機まで向かうと、慣れない手つきで操作機を
そしてラッタルを登ってきた澤村たちから着ていた三種軍装を投げ渡されると、そのまま引きずられるようにして艦橋へと向かった。
その後、艦橋で倒れていた乗組員たちを起こすと(その中に渋谷が居た)、軽く状況を説明してから現在に至る。
今現在は、起きてきた他の乗員や、乗り込んだ分隊員たちが倒れている他の乗組員たちを起こしている真っ最中だ。
「しかし、無線で起きないとなると…君らがやったように一隻一隻回ることになるが…」
「そこですが…渋谷艦長。自分に一つ案があります」
「言ってみたまえ」
「主砲を一発撃って頂けませんか?」
「なんだと?」
澤村はどでかい衝撃でもあれば、全艦一斉に叩き起こせることが可能かもしれないと言った。
それが長門の四一センチ砲の発射であるというのだ。
「副砲ではダメか?」
「船団全てに響き渡らなければ意味がないと考えます」
「………分かった。やろうじゃないか」
しばらく目を閉じて考え込んだ後、目を開けた渋谷は笑いながら主砲発射を了承した。
そして艦長室から艦橋に上がった渋谷は、艦の状態を確認している者たちに告げた。
「艦長、乗組員は大半が目を覚ましました。今は状況の確認中です」
「うむ。では一番主砲の発射準備にかかれ。ただし発射は一発」
「何をなさるおつもりで?」
「艦隊の目を覚まさせる」
副長の問いにニヤリとした表情で渋谷が答える。
そして一緒に艦橋に来ていた澤村も渋谷の背後で苦笑いしていた。
(自分が言い出したことだが、結構無茶な要求を呑んでくれたな…)
そう思いながら、澤村は艦橋の動きを見ていた。
「諸元入力完了、目標右舷十キロ先の海上」
長門の四一センチ主砲が右舷を指向し、目標海域に向け仰角を取った。
艦内に主砲発射を告げるブザーが鳴る。
「撃ち方始め」
渋谷の号令で一番主砲がドウッと火を噴いた。
巨大な発射炎が海面まで届こうかという勢いで舌なめずりをする。
主砲を発射した瞬間、三万トンを超える長門の巨体が若干ながら左に傾いた。
そして十数秒後、目標にされていた右舷の海上にに大きな水柱が立ち上った。
「どうかな?戦艦の主砲発射というものは…?」
艦長の渋谷がニヤニヤと口角を若干上げながら後方に居た澤村に感想を聞く。
「……物凄い…というのが率直な感想ですね」
今まで聞いたことの無いような轟音に少し耳が痛くなった澤村は、それだけを言うのが精一杯だった。
それほど戦艦の主砲が発する音は聞いたものに衝撃を与える。
それから数分後、長門艦橋に無線室から連絡が入った。
各艦が状況について問いただす電文が矢継ぎ早に舞い込んでいるようだ。
「澤村中尉、君の案は当たりだったようだよ。各艦から現況を求める無線が入ってきているそうだ」
「そうですか。それは良かった」
「ただ、正直言って私も現在の状況では、ここがどこなのかはさっぱりわからん…。とりあえず空母に索敵機を出させるがね。艦隊には即応体制を取らせることにする」
「私は陸軍人ですので、艦隊運用に関して言えることはございません」
澤村の言葉に少し笑いながら渋谷は艦長席で、腕組みをしたまま艦橋前方の窓から外を眺めていた。
その後方で澤村も同じく直立したまま、外を眺めていた。
数分後、艦橋に一人の男が案内の水兵と一緒に入ってきた。それは自分と一緒に乗り込んだ真田だった。
真田は物珍しそうに艦橋内をキョロキョロと眺めていたが、ハッと我に返ると澤村に敬礼した。
「中尉、仕事は終わりました」
「うむ、ご苦労。主砲はどうだった?」
「心臓が潰れると思いましたよ」
「はっはっは。そうか心臓が……あ!俺たちが乗ってきた小発はどうした!?」
真田と話している最中に澤村は思い出したらしく、顔がどんどんと青ざめていく。
長門に来たときは確か左舷側から乗り込んだが、あの主砲の衝撃だ。その影響は計り知れない。
そして操縦していたのは、海軍の事などあまり知らない陸軍船舶工兵だ。
真田も今の今まで忘れていたのか、珍しく冷静さを欠き「確認してきます」の一言と一緒に艦橋を飛び出していった。
艦橋に再び残された澤村は、渋谷に主砲の事を確認する。
「艦長…主砲の衝撃というものは一体どれほどの威力を持っているのですか?」
「うむ…。聞いたところによると、大和の主砲発射実験で甲板上に動物を置いて主砲を発射したのだが…」
「だが…?」
そこまで言葉にして口ごもる渋谷に、澤村はズイと近寄って次の言葉を待つ。
「主砲の至近に配置された動物は……衝撃で潰れていたそうだ…」
「つぶ…」
「落ち着け澤村君。運貨船は左舷側に居たのだろう?そこまでの衝撃は無かったはずだ」
ここに海軍の佐官が、陸軍の尉官を宥めるという世にも不思議な現象が発生していた。
その様子に艦橋で作業していた他の士官や下士官、水兵に至るまで「気の毒に…」といった表情を浮かべていた。
やがて再び真田が艦橋に現れるまでの数分間、澤村は青い顔をしたまま立ち尽くしていた。
「澤村中尉、小発ですが…大丈夫ですか?顔が青ざめていますが」
「大丈夫だ…それより小発は?乗っていた兵は?」
「小発自体は無事でした…。操縦していた兵は少し頭痛がするくらいだと言っていました」
真田の言葉を聞いて、澤村は胸を撫で下ろした。
詳しく聞いたところ、船舶兵は何時まで経っても帰ってこない分隊をずっと待っていたが、突然に長門からブザーが鳴ったことで嫌な予感を感じて咄嗟に身を伏せたらしい。
結果として、爆風は艦体に遮られて届くことは無かったものの、衝撃は少なからず受けたらしくそれで頭痛を覚えたらしかった。
「そうか…。では、渋谷艦長。我々は乗っていた船に戻ります」
「うむ、分かった。すぐそこだが気をつけてな」
「お心遣い感謝いたします」
澤村と真田は陸軍式の敬礼で渋谷に敬礼すると、渋谷は艦長席から立ちあがり海軍式の敬礼で答えた。
その場に居た十数名の艦橋乗組員たちも渋谷に
二人はその光景に思わず面食らったが、何故か心地よさも感じつつ長門の艦橋を後にした。
「澤村中尉か…覚えておこう」
「艦長、指示を仰ぐ発光信号が各艦から来ていますが…」
「天城と隼鷹に通信せよ…"索敵機の発艦を求む"とな。他艦からの通信については"暫し待て"と伝えよ」
「了解」
副長との会話の後、艦長席に座りなおした渋谷は再び海上を眺め続けるのであった。
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