PART-B

 アパートに着いた俺は裏の駐車場にスクーターを停めて足早に部屋へと上がった。小脇にLPの入ったトートバッグを抱えて、静かな廊下を渡る。


「ただいま」


 とは言うだけ言っておく。勿論一人暮らしだ。受け応える声はない。

 キッチンと抱き合わせになった居間に行き、窓際のソファに座った。地上3階の空気から見える車道は、特にこれと言って特筆すべきことも無い普段通りの通行量だ。

 通りを行く車は全て電気自動車だ。化石燃料ってやつはとっくの昔に底をついたらしい。だが車にはバッテリーさえ積まれていない。電力は、それぞれのドームシティに設置されたタワー型電送施設・電信(正式名称:以心電信)から供給されるからだ。

 この街で稼働するありとあらゆる電子機器は行政府・ファイアクラッカーによって支配されている。

 

 テーブルの上には、一枚の「手紙」が置かれている。ああ、今更改まる事もないな。

 そうだ。俺に「手紙」を差し出してきたの「その人」。

 アーヴィングが俺を止めた事で直接対面する事はなかったが、去り際に俺の胸ポケットにこの手紙を挿して行ったのだ。


 俺はまた、振り出しに戻ったらしい。


「ミスター、ブルースカイ。本当の空を見ることが出来ないこの街にとってはとんだ皮肉だな」


 俺は手紙を眺めていた。

 そこにはこう書いてあった。


【拝啓、ヴィンセント・マッコイ様

 そろそろ貴方もお気づきでしょう? 私が誰なのかを。

 十二年前のあの日、貴方はクラスター・ビルの直下にある「ハシエンダ」へと足を運びました。しかし、そこは何重ものプロテクトによって守られた容易に立ち入る事の出来ない「立ち入り禁止区域」だ。


 ならば、どうやって貴方がそこに到達出来たのか?

 お忘れではない筈だ。の事を。

 あの日、あの場所へ誘った私という存在を。


 私の事を、そしてこの世界の真実を欲しているのでしょう?

 ならば来たまえ。今度は二人きりだ。

 二週間後、お前の始まりの地、ハイパーボレアでお前を待っている。

 必ず来たまえ。この世界の真実を教えてやろう。


 ミスター・ブルースカイより】



「……ミスター・ブルースカイ。あいつが――」


 俺の記憶は遡る。

 それは十二年前の出来事だ。

 俺がまだ孤児施設「リンボ」にいた頃の事――。


 ピアノとサックスが奇妙な境目で溶け合う、美しくもあり不穏でもある不安定なジャズ。どこかで聞き覚えのあるメロディだった。夜になると決まって部屋からジャズが聞こえてくる。いつの間にか刷り込まれていたのかもしれない。

 コンコンとドアをノックする。「どうぞ」という声が折り返し、俺はドアを開けた。


「こんばんはヴィンセント。こんな時間に何の用かしら?」

「今朝、あんたに尋ねたこと。その答えを教えて欲しい。逃げないでくれよ、本当の事が知りたいんだ……」

「……また、その話ね。何度たずねて来ても同じよ。気持ちは変わっても事実は揺るがないは」


 背の低いロッキングチェアに座って小刻みに揺れる背中は、ベルトドライブ方式のレコードとそのスピーカーに身体を向けまま、呆れるような声音で返答した。

 施設長のオハラ。今はどこでどうしてるのだろうか――。


「だったら、俺の親がいたっていう事実も揺るぎないだろ。どんな人だったんだ、それを教えてくれよ、オハラ」


 オレンジ色の室内灯が照らす部屋にはセロニアス・モンクのブリリアント・コーナーズが浮遊している。オハラはピアニストのジャズが好きだった。


「この孤児施設にはルールがあるわ。貴方たちは過去を忘れなさい」

「……そんなの、おかしいよ。やっぱりおかしいよ、あんたも、このリンボも……! 何か隠してるんじゃないのか?! なぁ?!――」


 ヴィンセントとオハラの会話をドアの向こう側でそっと聞き入っている一人の少女がいた。年齢はヴィンセントよりも年長だ。

 ドアを叩こうとした手を止め、無言で立ち去った。


「ヴィンセント、貴方もこのジャズを聴きなさい。気持ちの揺らぎが貴方の精神を蝕んでいるのよ。落ち着いてよく考え直すこと。今の貴方にはそれが必要だわ」

「こんな不気味な曲を聴いて気持ちが休まるなんて、あんたやっぱどうかしてる……!」


 俺がそこまで言うと、オハラは徐にロッキングチェアから立ち上がった。そしてスピーカーの接続されたアンプの前まで行き、ボリュームを一気に上げた。瞬間、一瞬の静寂からそれを破壊するように不穏なサックスの旋律が響き、俺の脳天を撃ち抜いた。

 膝から崩れ落ちる。何か別の物体が脳ミソの中を駆け巡る感覚に襲われ、耐え切れずに床へと倒れ込んだ。


「……うわぁ、うわぁぁあ……ッ!」


 思考が出来ない。何者かに感覚が支配されていく。オハラは一体俺に何をした?


「――ヴィンセント。眠りなさい。再び目覚める時には、いい子になるのよ」



「――……?! あぁ、なんだ。夢か……」

 

 気が付くと俺はソファに座って眠っていた。

 身体はしっとりと汗を掻いている。どうやら悪夢を見ていたようだ。


「とはいえ二週間か。長いな……」


 何はともあれ、今は待つだけだ。

 ターンテーブルにマッコイ・タイナーのフライ・ウィズ・ザ・ウィンドをセットし、再生ボタンを押し込んだ。



***



 ドーム7、ハイパーボリア。

 ここは外郭エリアの中でも特に目立たないベッドタウンだ。


 外の世界とレフトフィールドの境目に立つ壁。ベルリンの壁かイスラエルの分離壁か。いや、もうそんな物はない。あるのはレフトフィールドだけだ。

 孤児施設リンボのあったハウスフォーンという街はハイパーボリアの中でも最も外側に位置する地域だ。

 だからリンボの跡地から数分歩けば、このに辿り着く。


 ―—分離壁・シュタインザム。


 壁によって閉じ込められたこの街の境界線。

 この先に行った者はいない。レフトフィールドの外は過去の大戦によって傷つき汚染された大地が広がっているという。

 生物の住める世界じゃない。

 そう教えられている。

 だが。

 もしもダコタの話が本当なら、この壁の向こう側には一体何が広がっているんだ?


「ファイアクラッカーめ。がめついな」


 監視カメラが俺を覗き込んでいる。俺は足早にその場を去った。


 リンボは、数年前に閉鎖された。孤児の数が減り、別の施設と統合された事による。リンボは施設としての役目を果たし、今はこうして廃墟となった。


「無関心な街、ハウスフォーン。取り壊せばいいだろ、誰も使っていないなら」


 庭には錆びついた遊具が物言わずに佇んでいる。まるで一つの地球。俺が好きだった回転ジャングルジムがこちらを見つめていた。

 玄関に入った。中はカビくさい。だが、色々な記憶が蘇る。

 この施設を巣立った日のこと。

 逃げ出した日のこと。

 遊馬太郎と、出会った日のこと――。


 だが。思い出せない事があった。

 初めてリンボに来た日のことだ。


 それから――俺以外の孤児の顔だ。何故今まで疑問にも思わなかったんだ? この施設にいた筈だ。俺以外の誰かが。そいつらの名前が――。

 何も、思い出せない。


「……オハラ。やっぱあんたら……」


 玄関からリンボの中へと足を踏み入れていく。中は薄暗く、スマートフォンのライトを使って通路を照らした。

 老朽化しているようだが床が抜けたり天井が落ちていたりはしない。むしろ、あの事の空気がそのまま居残っている。

 時間が、滞っているみたいだ。


 廊下を抜けて施設長の部屋へと進んだ。

 その木製の扉は変わらず閉め切られている。ドアノブには埃が付着し、捻る俺の手に張り付いた。

 ―—ガチャ。キィ……。

 って音が鳴った。俺はオハラの部屋に足を踏み入れた。


「……ロッキングチェア。ターンテーブル。あの頃のままか」

 

 だがここへ電力は流れていない。

 テーブルを見た。そこにはいつかのレコードが置かれていた。埃を払い、手に取る。


「セロニアス・モンク、ブリリアント・コーナーズ……」


 あの日、俺はこれを聴いて意識を失った。

 いや、それすらも偽りの記憶かもしれない。だが、ただ一つ言える事は。


 この街は、何かを隠している。

 雷電ライディーン、ファイアクラッカー、アフター・サーヴィス、リンボ。何かが共通している。整列させれば、何か規則性が見えてくる。だが、それはこの街から失われている。

 それは、何だ?

 俺は重要な何かを忘れている気がする。

 このレコードを聴けば思い出せるのか?

 だが、電力のないターンテーブルは動かない。


「ジャズ。何故俺は……――」


「――いいや。レコードをトレースするのは針でなくてもいい。刻まれた溝をなぞれば微かにその音色が聞こえてくるものだ。過去、電力など必要としなくとも音楽が聴けたものだ」


 背後から低い男の声が俺に問いかけた。

 ああ、そうだ。俺はこいつに呼び出されてこんな場所まで来たのだから。


「久しぶりだね。ヴィンセント・マッコイ。遂に私の名前を知り、私の声を聞いた」

「怪人、ミスター・ブルースカイ……。やっと出やがったな、この野郎……」


 黒ずくめの怪しい仮面、風にたなびくマント。どう見ても不審者。

 俺に送られた手紙の主であり、十二年前のあの日に俺を「ハシエンダ」へと誘った存在。

 この街の転覆を目論むテロリスト。地球外生命体E.L.O.イーエルオーに加担する人類の裏切り者たち。その首領——。


「蓄音機ならばゼンマイを回せばよい。それだけでいい。――ヴィンセント・マッコイ、君はこの世界の真実を望んでいる。それは何故だね?」


 ――うっさいな。じゃあ逆に聞くけどアンタがを知りたい理由ってなに?

 

 ショーンの声が木霊する。

 今なら、その問いに答えられる。


「隠している事があるんだ。この街には、この世界には。俺はそれが知りたい。俺はそれを、知らなきゃならないんだ」

「ほう。それはどうして?」

「……俺は何者なのか。生まれてしまったのなら、その理由が知りたい。俺達はその為に生まれてきたからだ」

「世界の真実を知れば、その支離滅裂な問いかけに答えが出るというか。なるほど、それは面白い」


 ブルースカイは肩で笑うと、革靴の底を床に立てながら俺の正面へと向かって来た。翻ったマントの内側が青空を描いている。


「では、君にこの世界の真実を見せてあげよう。これが君の望んだ“真実”だ――」


 無風の室内でマントが逆立った。内側の青空が巨大なスクリーンになって俺を包み込む。ブルースカイは右手を開いて俺の眼前に翳した。


「こ、これは……ッ!?」

「恐れる事はない。さぁ、しかと見届けるのだ――」


 サイケデリックな光の穴に身体が落ちていく感覚に襲われ、脳の中に、映像が流入してくる。

 これは夢か、幻覚か――。


 気が付くと俺の感覚は消滅していた。俺は、誰だ?





 少女はドアを叩こうとした手を止め、無言でその場から立ち去った。

 少女の部屋は二階にある。

 廊下を渡り、階段を登る。自室のドアを開いてベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。

 耳を澄ませると、オハラの部屋からジャズの音色が微かに漏れていた。


「……うるさいなぁ。もう……」


 悪ぶって文句を口にした少女は翻った。仰向けになり、天井の室内灯を見つめる。その時だった、視界に黒い人影が映り込んだ。それは室内灯の明かりを遮り、逆光となってこちらを見つめている。


「っ!?」

『――ダコタ。突然驚かせてごめんね。久しぶりだね』

「サ、サイファイっ?! あなた、サイファイなの?!」

『しーっ。大声を出しちゃだめ。悪い大人に掴まってしまうから。それよりもダコタ、そのままでいいから私の話を聞いて――』


 私は頷いた。サイファイの顔は、鏡に映ったかのように私と瓜二つだった。


『——いい子だね。よしよし』


 そういって私の頭を撫でた。私は嬉しかった。


『ダコタ。あなたに教えないといけない事があるの』

「教えないと、いけないこと……?」

『そう。私とあなたは二人で一つ。あなたは私。私とあなたでダコタなの』


 イマジナリーフレンド。それは私の内側にいる存在。


『けれど、私たちにはもう一つの名前があるの。だから私はサイファイ』

「じゃあ、私の名前って……?」


 私が聞くと、サイファイは無言で私の額に手のひらを置いた。そして耳元に口を近づけて、彼女は言った。


『——目覚めなさい。“イーヴィル”』



 記憶が。

 忘れていた記憶が蘇る。


 そう、私は――。


「――イーヴィル・ウーマン」





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 TO BE CONTINUED……

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