第六章 第三十二話「約束のときです」
この県大会での勝敗……。
その結果に、私は二つの事を賭けていた。
一つはうちの校長先生から言われていた『ムキムキマッチョになるための特訓』を受けるかどうか。
そしてもう一つは、目の前の五竜さんとの約束だ。
眼鏡を光らせながら、
「私が負けたら、五竜さんのプロデュースで作品を作って発表する……。そうですよね?」
「えっ……? ましろちゃん、そんな約束をしてたの?」
「はい。……五竜さんと出会った日に……」
ほたかさんと千景さんの負担になりたくなかったので黙っていたけど、結果が出てしまえば仕方がない。
私はがっくりと肩を落とす。
百合の作品を作ること自体は問題ないけど、それを世の中に向けて発表するのだけは耐えられない……。
世の中の人は
私にとっては『創作界』という名の戦場に打って出るのと同じことなのだ。
そんな覚悟、できてるわけがなかった。
しかし、五竜さんもさえない表情だった。
望みが叶ったはずなのに、ため息をついている。
「約束は約束です。……ですが、結果に納得いっていないのも事実……」
「どういうことだ?」
「……我がチームは大会に優勝しましたが、これはあなた方に助けられての勝利に過ぎない。リタイアしていれば二日目の体力点がゼロになり、負けていましたからね……」
そう言えば二チームの得点差はたったの二点。
松江国引高校の体力点が大幅に減っていれば、私たちの勝利は確定していた。
「……こんな借りを作った状態では、作品を作るにしても、注文しにくいではありませんか……」
やった!
この話の流れって、勝負を無効にしてくれる奴だ。
「じゃ、じゃあ、描かなくてもいい?」
「それもダメです」
ウキウキと聞いたら、一蹴されてしまった。
「約束は約束。あなたのことは、今から『ましろ先生』と呼ばせていただきます。……そうですね。わたくしにご協力いただくのは短編を一作品だけ。それをわたくしに見せていただければ、今回はそれで十分です」
「……もしかして、発表しなくてもいいってこと?」
「ええ。無理は言いません。……発表していただく約束は、次の大会に持ち越させていただきます」
「……次の大会?」
「来年のインターハイです。長く使える靴を用意し、今度こそ完全勝利してみせます。……ですので、ましろ先生も部活をやめないでくださいね」
作品を発表しなくていいと言われて安堵しながら、私は少し驚いていた。
五竜さんって、登山に対してはまったくやる気がなかった気がする。
「長く使える靴……? もしかして登山に目覚めたの?」
「目覚めたなんて、とんでもない。……まあ、案外悪くはなかったですがね」
五竜さんは目を見開いた後、少し恥ずかしそうにつくしさんを見つめる。
それは、私にとって初めて見る五竜さんの表情だった。
柔らかい表情はとてもきれいで、見入ってしまう。
もしかすると、登山を通して大切な人との絆を再確認できたのかもしれない。
私と同じように……。
「ほう。少しの間に、
突然、低い女性の声が背後から迫ってきた。
ビックリして振り向くと、そこには山のような巨体。
スーツでは隠し切れないほどに起伏にとんだ筋肉を持つ、長身の女性の姿があった。
「……っ! ……おばあ様!」
「校長! な、なんでここに?」
「天音も
そう言って、校長先生ははるか頭上からみんなを見下ろした。
私は震えるし、千景さんも私の背中に隠れて震えている。
五竜さんとの話が終わったばかりなのに、畳みかけるように次の約束が迫ってきたのだ。……ムキムキマッチョ計画に挑む約束が。
うちの学校の校長先生は
そして、こんな怖い人に見降ろされては、世界のどこに行っても逃げ場はなさそうだ。
観念……するしかないと思った。
「あぅ……。ムキムキマッチョに、なります……」
私はまたしてもガックリと肩を落とす。
しかし、校長先生の表情は意外なほどに明るかった。
「おや。結果をほめようと思っていたのに……。自分から特訓を申し出るとは、感心な子だねぇ」
その言葉の意味が分からない。
それはほたかさんも同じようだった。
「結果をほめる……ですか? ……あの、優勝できなかったんですが……」
「優勝が条件だと、いつ言った? アタシは『素晴らしい成果を出すように』と言っただけさ」
そう言って、校長先生は成績表の紙を見る。
「精一杯がんばってくれたことは得点からもわかる。そのうえで『助け合いの精神』までも示してくれたらしいじゃないか」
「え? え?」
ほたかさんはまだ話が飲み込めていないらしい。
校長先生はさらに話を続ける。
「……
……つまり、すでに校長先生の課題はクリアしていたということだ。
おばあさんは無事に下山できたし、五竜さんを助けることもできた。
あの時の判断が間違っていないと言われ、本当にうれしい。
私たちは感極まり、抱き合った。
「あうぅ~。やったぁーーっ!」
「ふぇぇ……。よかった。ましろちゃんと千景ちゃんがムキムキにならなくてよかったよぉ」
ほたかさんは目をぬぐっている。
「ほたか……。うれし涙?」
「あ、あの。アタシにも触れてほしいんすけど……」
「美嶺ちゃんはこのままムキムキになろっか。筋肉はなんでも解決してくれるからっ!」
ほたかさんの言葉に、この場に笑いがあふれた。
校長先生のマッチョ信仰が完全に根付いてしまってる。
ほたかさんの私好みのボディラインをムキムキにしないためにも、私のツッコミの日々が始まりそうだ。
ふと五竜さんの様子が気になって彼女のほうを見ると、私たちのにぎやかな様子をながめながら、校長先生と二人で何かを話している。
この二人は祖母と孫の関係。
圧倒的なオーラを放つ二人が、プライベートでどんな話をしているのか気になる。
私はなんとなく耳を傾けてみた。
「しかし、天音……。アタシがあげた靴を、まさか壊れるまではき潰すとはねえ~。三年は持つと思っていたが、ずいぶんと短期間に使い込んだもんだ」
そう言いながら、校長先生はテーピングが施された登山靴を見つめている。
「……おばあ様の勧めならばと、集中的にトレーニングを積んだだけですよ」
「天音は加減を知らないからねぇ。……道具をメンテナンスしないのは褒められたことではないが、今回の傷は勲章みたいなものかもしれないねぇ」
「む……。それはどういうことですか?」
「勝利以外に大切な物、分かってくれたかい?」
そう言って、私たちやつくしさんたちを見つめる。
私が話を聞いていたことがバレて、校長先生にウインクされてしまった。
校長先生は朗らかに笑うと、私たち全員に手を向ける。
「天音のまわりにこんなに多くの友人ができたなんて、アタシはうれしいよ」
「……おばあ様。まさか……そのために、わたくしに登山を勧められたのですか?」
五竜さんは意外なほどに目を丸くして驚いている。
「天音は自分の価値に気付かないどころか、勝ち続けていなければ存在意義がないと思い込んでいる節があったからねぇ。そんなんじゃ、いずれは壊れてしまうだろうさ」
そして、校長先生は私たちに向けて優しい笑みを浮かべた。
「……ひとえに天音を鍛えるのに夢中になってしまったアタシの落ち度だけど……。それを、友人たちが救ってくれたんだ。これ以上の感謝はないね」
「友人……。そうですね。……みなさん、とても大切な方々です」
校長先生と五竜さんの嬉しい一言が胸に響く。
そうだ。
私の中で五竜さんは、すでにとても親しい友達になっていた。
初めて会った時の険悪な空気が、嘘のように遠くに感じる。
友達を思う気持ちが彼女の力になっているわかり、無性に照れくさくなってしまった。
困ったな……。
百合作品を作るときも、注文がいくら無茶でも友達の頼みとあらば聞いてしまいそうだ。
この本心をしゃべってしまうと隙をつかれるので、五竜さんには黙っておこう。
そのうえでサービスしよう。
心の中に灯った新しい火を、大切に育もうと心に決めた。
「
校長先生は改まったように私たちを見つめる。
「君たちは我が校の自慢の選手だ。胸を張ってがんばりなっ!」
その豪快な
私たちは「はいっ」と大きな声で応えるのだった。
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