第三章 第二十三話「縁結びのお山」

 九合目で私の前に立ちはだかった、まるで岩壁のような急な坂道。

 一歩を踏み出したはよかったけど、私の足はすぐに止まってしまった。


 ひぃぃ……。やっぱり怖いですよぉ……。

 足を前に出すたびに、剱さんとほたか先輩が下方に遠ざかっていく。

 岩の斜面はやっぱり急で、いつ滑ってしまうか不安になってくる。

 私は怖くて、進めなくなってしまった。

 学校では二階から飛び降りたり、山の中を全力疾走できたのに、なんで今はこんなに怖いんだろう。

 必死にその時の勇気を思い出そうとして考えていくうちに、気が付いてしまった。


 ……そうだ。いつも無茶するとき、頭に血が上ってたんだ。

 私の緊張癖がピークを迎えた瞬間、頭の中が真っ白になって、自分でも訳の分からない行動をしていた。

 今はそこそこ冷静さがあるせいで、怖さに勝てないのかもしれない。

 ……それが分かったところで、足が前に進むわけではないのだけど……。


 その時、千景さんが意外にも大きな声で呼びかけてくれた。


「ましろさんの靴は……自信を持ってお売りしたもの。グリップの強さを、信じて!」

「は……はい!」


 千景さんの言葉が、私の恐怖を消し去ってくれた。

 ……いつも小さな声しか出さない千景さんが、……銀色のウィッグをつけていないのに、こんなにも大きな声で励ましてくれたのだ。

 勇気が出ないはずがなかった。

 あの知識豊富な千景さんが言うのだから、絶対だ。

 私は靴の裏をしっかりと地面に押し付け、体を押し上げる。


 そしてついに、私は一人で岩場を登り切ったのだった。



 △ ▲ △ ▲ △



「あらあら~。すぐ下に出雲大社いずもたいしゃが見えるわよぉ~!」


 頂上にたどり着いた私たちは、あまちゃん先生が指し示す先を視線で追う。

 ひときわ大きくて目立つ四角い建物は歴史博物館。その向こうに見えるうっそうと茂った木々のある場所が出雲大社だ。

 お正月に初詣に行ったことのある場所が見えると、なんだか嬉しくなった。



 剱さんはというと、頂上に立っている大きな木を興味深そうに見つめている。


「へえ。御神木か……」


 しみじみとつぶやいているので、私も気になって近寄った。

 木の枝には一枚の板がぶら下がっている。


 板に書かれた文字には『この木なんの木「エノキ(榎)」』と見出しが書かれ、その下に説明文が書かれていた。

 文末には『エノキは「縁の木」とし御神木ともする』とある。


「ほんとだ。御神木なんだね。ごえんのある木だって!」

「確か、出雲大社も『縁結えんむすびの神様』だったよな。……このあたりって『縁結び』にゆかりがあるのかな」


 すると、突然背後から、鼻をすする音がした。

 びっくりして振り返ると、なぜかほたか先輩が涙ぐんでいる。


「あぅ……。どうしたんですかっ?」

「な……なんでもないの。……二人を見てたら、お姉さん、急に嬉しくなっちゃって」


 そう言って、ほたか先輩は涙をぬぐう。


「……本当に廃部寸前だったからかな。二人が入ってくれて、こんな風にお山の上に立ってるのを見るだけで、グッと来ちゃったっ」


 すると、あまちゃん先生が、涙ぐんでいる先輩の後ろから寄り添うように肩に手を置いた。


「きっと縁結びのご利益があったのよぉ~」


 そう言って微笑んでいるので、先輩を元気づけようとしてくれているのかもしれない。

 先生と先輩の様子を見ていると、私が入部する前にも色々あったことが想像できた。


「先生はお腹が減っちゃったわぁ~。確かお昼ごはんはアンパンよね?」


 すると、千景さんも、いつもの小さな牛乳パックを五本抱えてやってきた。


「牛乳も……ある。アンパンに牛乳は……最高。ふふ」


 そう言って、千景さんはとても満足そうに笑った。


「そういえば出雲のアンパンは出雲大社にルーツがあるのを知ってたかしらぁ?」


 唐突に、あまちゃん先生は授業中のようなしゃべり方をし始めた。


「ルーツって何すか、先生?」

「昔から餡子餅あんこもちを大社にお供えする風習があって、その影響もあって出雲では法事でも餡子餅を用意する習慣ができたの。……でも、法事のたびにお餅を作るのは大変でしょう? だからパンが日本に根付いた頃から、お餅の代わりにパンを使ったアンパンが親しまれるようになったらしいのよぉ~」


 そう言えば、私の家によく置いてあったアンパンも、袋になぜかハスの葉が描かれていた。

 特に気にしていなかったけど、あれも、おばあちゃんの家からもらっていた法事のパンだったのかもしれない。


「そっか。じゃあこのアンパンは縁結びの神様へのお供え物ですね!」

「そう! まさに先生が言いたかったのはそのことよ! だから、みんなで仲良く食べましょうね~」


 そう言って、先生は我先にと袋を開けて、アンパンにかぶりつくのだった。



「……よかった」


 私がパンの袋を開けようとしていると、千景さんが横で微笑んだ。


「あぅ? どうしたんですか?」

「最初はお山に興味がないって、ましろさんは言ってたので。……無理に連れてきたと思うと、申し訳なかった。……でも、なんだか楽しそう」

「……いやぁ~。実際に登ると、やっぱり疲れました。……でも、頂上ってなんか不思議ですね。景色を見てるだけで、楽しいなって思ってきます!」

「……本当に、よかった」


 そう言って、千景さんはしみじみと微笑んでくれる。

 山道でも私をよく振り返ってくれていたので、私が山を楽しめているのか心配だったのかもしれない。

 そうやって気をかけてくれることが、何よりもうれしい。


 もっともっと、縁結びのご利益があるといいな。

 私はそう思いながら頂上の縁の木エノキを見つめ、アンパンを口いっぱいに頬張った。

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