第六章 第四話「つくしさんは自信がない」

 目の前に現れた白い小さな建物を見て、私は心から安堵した。

 これぞ天の助け……。

 山道が少し広くなっているところに、偶然にもトイレがあったのだ。


 ここで一〇分の休憩となったので、すかさず駆け込む。

 そうしてようやく落ち着いた私は、トイレの出口でつくしさんとバッタリ顔を合わせた。

 つくしさんはと言うと、うつむきながらため息をついている。


「あのぉ……。大丈夫ですか?」

「し、失礼しました……っ。……恥ずかしながら、途中からトイレの事ばかり考えてて。情けないなぁって……」


 やっぱり、後ろから見えていたモジモジする動きはそうだったんだ……。

 急に親近感がわいてしまう。

 つくしさんは可愛らしくつぶらな瞳に三つ編みで、素朴な印象を受ける。

 三年生ということだけど、とても話しやすい空気感を持った人だった。


「えへへ……。実は私もトイレを我慢してました……」

「てへへ……」


 お互いに照れくさくなって、笑いあう。


「あ、私、一年生の空木うつぎましろって言います。よろしくお願いします!」

恵那山えなやまつくしです。……これでも三年生なんです……。よろしくお願いします……」


 つくしさんは名乗ったと同時に、なぜか落ち込み始めてしまった。


「あぅ? どうされたんですか?」

「私って、三年生で登山経験もそこそこあるはずなのに、なんでトイレで四苦八苦してるんだろうなって……」

「だ、誰でもそういうことはありますよぉ~」


 しかしつくしさんのため息は止まらない。


「うちのチームでこういうことするの、私ぐらいなんです……。はぁ……。一人だけ体力ないのに、またみんなの足を引っ張るところでした……」

「いやいや! 五竜ごりゅうさんは最高のチーム編成を考えたって言ってましたし、落ち込む必要はないですよぉ~」


 それはショッピングモールで宣戦布告されたときに、五竜さんが言っていた言葉だ。

 五竜さんは自信ありげに自分のチームのことを語っていた。

 あの不敵な五竜さんが「強いチームが出来た」と言っていたので、つくしさんにも相当の実力があるということなのだろう。

 しかし、つくしさんは苦笑いしながら首を横に振っている。


「そんなことないんです。私が部長だから、仕方なくメンバーに入れてるだけで……。そもそも、学年が上がったから自動的に部長になっただけですし……」


 つくしさんはどうやらネガティブ思考なところがあるようだ。


 その時、唐突に五竜さんが現れた。

 私たちを見下ろすようにヌッと出てきたので、ものすごい迫力だ。


「部長、何をしているんですか。小休止は短いので、早く戻ってきてください」


 五竜さんはそれだけ言うと、さっさと立ち去っていく。

 つくしさんは謝りながら、五竜さんの後を追いかけていった。


(いやいや。五竜さんが怖がらせてるだけだと思うなぁ……)


 私はつくしさんに同情を禁じえなかった。



 △ ▲ △ ▲ △



「ただいま~」

「ましろ~。出発前のトイレは必須だぞ~」

「えへへ……。お騒がせしました……」


 私は照れ笑いをしながら、みんなのところに戻る。

 休憩ではチームごとにひとまとまりになっていて、みんなはザックを下ろして地面に座っていた。


「そういえば梓川あずさがわさん。……さっきから静かっすね」


 美嶺みれいがほたか先輩を気にかける。

 確かに出発してから、ずっと先輩の声を聞いていない。

 珍しいと思ってほたか先輩を見ると、小さなメモ帳に文字を書いているところだった。


「え? ……あ、ごめんね。記録を書いてたから……」

「記録って、なんすか?」

山行さんこう記録書だよ~」


 そう言って、ほたか先輩はメモ帳を見せてくれた。

 そこには出発地点を出た時間や分岐を通過した時間の他に、それぞれの場所の気温や山道の状態、植物の様子などが細かく書かれている。

 今はこの休憩地点の情報を書いているところのようだった。


「すごく細かいところまで書かれてますね! ……もしかしてこれも審査されるんですか?」

「うん、そうなの~。ゴールした後に提出するんだけど、歩いてるときは危ないから、こうして小休止の時にまとめて書くんだっ」


 登山大会って歩くだけじゃないと知ってたけど、ここまでくると冒険家の探検記録を見ているようだ。

 私と美嶺は感心しながら先輩にメモ帳を返す。

 ほたか先輩はペンを握りなおして、みんなの顔を見渡した。


「あとね、休憩時のみんなの体調も記録が必要なのっ。みんなの体調を教えて~」

「アタシは元気っす」

「ボクも元気」

「私は……おトイレだけピンチでした……」

「ましろちゃんはおトイレ……」


 ほたか先輩がメモ帳に書こうとするので、私は慌てて止めた。


「あぅぅ! 冗談ですよぉ。元気モリモリです! 恥ずかしいから書かないでぇ~」

「えへへ。分かってるよぉ~」


 ほたか先輩はいたずらっぽく舌を出して、私の名前の横に『体調良好』と記した。



 トイレということで、つくしさんを思い出す。


「そういえば、さっきつくしさんとお話したんですが……、なんかすごく自信なさげなんですよ……」


 すると、千景さんが私に視線を向けた。


「つくしさん……インターハイ、初めて」

「そうだったんですか!」

「秋の新人戦や、中国大会には……出てる。でも、インターハイは初めてで、緊張してるって」


 千景さんはつくしさんに詳しいようだ。

 背が低い者同士で仲間だと言っていたことを思い出した。


「そういえば千景さんって、つくしさんと同盟を組んでるんでしたっけ? よくお話されるんですか?」

「うん。……メールで。すごく優しいし、料理の話……面白い」


 つくしさんのことを語る千景さんは、すごくうれしそうだ。

 それに、つくしさんの力が少し垣間見えた気がする。

 料理というと、登山やキャンプでの大きな楽しみだ。美味しい料理が作れるっていうのは大事な戦力に違いない。



 つくしさんが気になって、私はふと五竜さんのチームのほうに視線を送った。

 五竜さんは忙しそうにメモ帳にペンを走らせている。

 そして、時折つくしさんからお菓子をもらっては食べているようだ。

 よく見ると、つくしさんは笑いながら「あ~ん」と言い、五竜さんもそれに合わせて口を開けている。


(まるで……夫婦みたい!)


 さらには、五竜さんの口元についたチョコをつくしさんが指でぬぐい、舐めている。

 両神りょうかみ姉妹はお互いにお菓子を食べさせ合っているし、それを見る五竜さんの顔は満足そうにも見えてくる。


(……強いチームって、それってやっぱり百合パワーの強さのことなんじゃ……?)


 なんか、満足そうな五竜さんを見ていると悔しくなってきた。


 でも、私だって天使に囲まれてる!

 五竜さんが悔しくなるほど見せつけてやる!


 私の心がメラメラと燃え上がった。

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