第二章 第十三話「天岩戸の千景姫」

 千景ちかげさんが……テントから出てこなくなってしまった。


 山道具のお店の事件直後の月曜日。

 登山部の部室の中には三角屋根の小さな黄色いテントが張られていた。


 驚いたので中をのぞこうとすると、見張りのようにテントの前に立っていたほたか先輩に止められてしまい、説明を受けた。

 どうやら、千景さんは恥ずかしくて私たちと顔を合わせられないので、この小さなテントの中に隠れているらしい。


 部活を休む選択肢はなかったのかと気になったが、「もうすぐインターハイ予選が始まってしまう状況なので、みんなに迷惑はかけられない」……ということを言っていたと、ほたか先輩が教えてくれた。

 千景さんの声は一切聞こえないけど、たまに動く音が聞こえるので、確かにテントの中にいるらしい。

 授業には出ているらしいので、放課後になってからテントに入っていると思われる。

 しかし、私がどんなに早く部室に入っても、千景さんは誰よりも早くテントに隠れており、その姿を見ることはできなかった。


 そして……、千景さんがテントにこもりだして、ついに三日目になってしまった。



 △ ▲ △ ▲ △



「なんか、伊吹いぶきさんって可愛い人っすね」


 つるぎさんが唐突につぶやくものだから、テントが飛び上がるほどに大きく揺れた。

 姿は見えないものの、中にいる千景さんの動揺が見て取れるようだ。


「しぃーーーっ!」


 ほたか先輩が慌てて人差し指を唇に添えて「それ以上は言わないで」というようなジェスチャーを見せるが、剱さんは全く意に介していないように言葉を続ける。


「だって、すごく可愛かったじゃないっすか。いいと思いますよ。アタシはこんな風にガサツだから、うらやましいっす」

「あぅあぅあぅーっ! いいから黙ってて!」

「っていうか、うちの部のテントって、こんなに小さかったんすか? 生地はペラッペラだし、四人は寝れないすよ」


 剱さんがテントをまじまじと見つめていると、テントがゴソゴソと動き出して、中から小さくてきれいな手が出てきた。

 なにか、紙切れが握られている。

 紙には「これはツェルト」と書かれていた。


「えっとね、ツェルトっていうのは遭難とか……もしもの時のための予備用のテントのことだよ。大会では必須じゃないんだけどね、念のために持ってるんだっ。テントはもっと大きいしっかりとしたのがあるよ」


 ほたか先輩は丁寧にフォローしてくれる。

 その様子を見守りながら、私は千景さんのことがよく分からなくなってきた。

 今の姿も十分に面白いと思うのだけど、これは平気っぽい。

 千景さんが恥ずかしさを感じるツボというものがわからない。


 でも、いつまでもこのままだと四人そろってのキャンプができないのは確実だ。

 この状況を解決する方法が見つからず、私は頭を悩ませ続けていた。



 仕方ないのでトレーニングをはじめようと着替え始めた時、唐突に部室の扉が開け放たれた。


「あぅぅ……。の、のぞき?」


 部員はここに全員そろってるから、扉を開けたのは部外者に違いない。

 丸出しになってしまった下着を手で隠して扉を振り向くと、そこにはあまちゃん先生が立っていた。


「あらぁ。ごめんなさい! 大会の資料を届けに来たんだけど……、間が悪かったみたい」

「あぅー。先生、謝る前に扉を閉めてぇぇ」

「あらあら、そうねぇ」

「早くぅ」


 あまちゃん先生は天然なのか策士なのか、まったくわからない。

 ようやく扉が閉まって、体操服も着込んだ頃、先生は手に持っている書類をテーブルに広げた。

 書類は何十枚かのプリントが束ねられ、クリップでまとめられている。

 一番上の紙には『予報第一号』と書かれていた。


「これは次の県予選の詳しい開催内容が書かれてるものなのよぉ。ペーパーテストの問題もここから出るから、しっかりお勉強するのよぉ」


 なんともあっさりとした説明。

 あまちゃん先生はそれだけを言うと、さっさと部室から去ってしまった。

 つまり、これは大会の教科書ということらしい。


「そっかぁ、役割分担を決めなきゃだね……」


 ほたか先輩は冊子を見つめてつぶやいた。

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