オガワの日記Ex
オガワの日記 番外編:夏
7/14
告白やら何やらを済ませてから、泊まると言って何の準備もしていなかったオオタキが「着替えとか取りに行かせて」と言い出したので、電車でオオタキハウスまで赴くこととなった。
「車、出そうか?」
「いいよ、別に」
「つれねー娘だこと。熱中症には気を付けなさいね」
「はいはい」
「そうだ。リコちゃんだけでも乗ってく?」
「そういうの、いいってば。行ってきます」
「いってらっしゃい」
家を出る直前に母さんとそんなやり取りをして、外を歩き出してからすぐに車を頼まなかったのを後悔した。輪郭のはっきりした雲の端から、ギラギラと強い光が溢れて空気を焼いている。
今日、こんなに暑かったんだ。なんとなくで母さんの提案は断ってしまったけど、これはオオタキに悪いことをしちゃったかもな。
そう思って、歩きながら「ごめん、車で行けば良かったね」と一言謝ると、オオタキがううん、と首を横に振って。
「二人の方が、いいから」
髪を耳にかけながら、横目にちらりと覗くように私を見て、すぐに逸らしてしまう。いじいじと長い髪の毛先を弄りつつ、きっと暑さ以外の理由で頬を赤く染めている。
……こんな炎天下の中で、そんなアツアツなことを言うのは、ちょっと勘弁してほしい。私を殺す気か? 熱中症になっちゃうでしょ。思わず頭を押さえてハァーと大きな息を吐きそうになり、オオタキの目の前でそんなキモイことをする訳にはいかない、とどうにか抑える。
「と、ところでさ。ゆかりさん。優しいよね」
そうして黙っていると、オオタキが話題を変えるみたいに笑顔を作って言う。ゆかりさんというのは、私の母さんの下の名前だ。
母さんもそうなのだけど、いつの間に下の名前で呼び合う仲になってたんだろうか、この二人は。
でも確かに、他人の親のことってなんて呼ぶか悩むよね。オオタキに関しては、もう私と結婚するのが確定しているわけだから、お義母さんって呼んでもいいと思うけど。
しかし。
そんなに、優しいだろうか、あの人。
普段の振舞いを思い出して、うーん、となる。
「……そうかなぁ」
「そうだよ」
「オオタキが、かわいいからじゃないの?」
思ったことをそのまま口にしたら、図らずとも、さっきの仕返しみたいになってしまった。しばらく返事が無かったので、恥ずかしがっているのかしらと思って隣を歩くオオタキを一瞥すると、ばちーん、と目が合った。硝子玉みたいに綺麗な瞳が私を見つめていて、くらっと眩みそうになる。
この子はもっと、自身の魅力を自覚した方が良いんじゃないかしらと思う。世界のためにも、人の多い場所ではサングラスなんかでその綺麗な目から放たれる光線を防ぐべきなんじゃないだろうか。朝の電車で何人殺してるんだろうか。
「……前見て歩きなよ、危ないよ」
「ご、ごめん」
「謝んなくてもいいけど」
照れ隠し交じりにそう言って、オオタキから目を逸らす。逸らすとすぐに、隣から「オガワも、かわいいよ」と細い声で聞こえてくる。
「……だからさぁ」
「な、なに」
「あんまりね。かわいいこと言わないでくださいよ、オオタキさん」
付き合えて、浮かれてたのかな。私なんかと? と疑問が募り、そういうことを考えるのはよそうと決めたばかりじゃないかと思い出す。
浮かれているのは、私もおんなじことだろうから。
何とも言えない空気になってしまいそうな気がしたから、おどけてオオタキの髪をわしわしとちょっとだけ乱暴に撫でる。細い髪は指に吸い付くみたいに馴染んで、太陽の光を吸って熱くなっていた。
「てか、ナツメって呼ぶんじゃなかったの?」
「いや、はずいし、なれないし……いきなりは、むり」
「そっか」
「その内。その内、ね」
「ん。楽しみにしてるよ」
それから駅で切符を買い、オオタキは定期を使って改札を抜けて。こんな時間だからか電車はガラガラで、オオタキは「朝も帰りもすごいんだよ。座れたことないかもってくらい」なんて言っていた。
オオタキの家は、県庁所在地にある。きっとマジの都会に比べたら鼻で笑っちゃうくらいではあるんだろうけど、私からすればもう、めっちゃ都会だ。建物の背が高いし、緑は少ないし、人は多いし。あと駅が大きくて構内にお店がたくさん併設されてるのもちょっとすごいと思う。
「歩いて十五分くらいだけど、どうする? バス、使う?」
「どっちでもいいよ。任せる」
「じゃあ、歩こうか」
駅のロータリーを抜けて、広い道路に出る。駅の南口側には線路に沿うようにして川があり、それと交差するような形で橋が敷かれている。
橋を渡り切るとすぐに右へ曲がり、川沿いの遊歩道を少し歩くと間もなく、オオタキ宅に到着した。
これなら、次からは一人でも行くことができそうな気がする。
何気に、オオタキの家まで行ったのは初めてだ。二階建ての、普通のお家だった。表には小さい男の子が乗るような青い自転車が置いてあり、そういえば弟がいるって言っていたっけ。
お姉ちゃんがこんなに美少女じゃ、きっと毎日気が気じゃないだろうな。……お風呂とか、一緒に入ったりすんのかな。どうなんだろう。すんのかな。いいなぁ。ずるくない? なんで私はオオタキの妹じゃないんだろう? 姉でもいいけど。なにを書いてるんだろうか。
隣の家の表札を見ると「西垣」とあって、本当にモミジくんの家って隣だったんだなぁなんて疑いもしてなかったのに、そんなことを思ったりした。
「ホントに部屋きったないから、玄関で待ってて」
「うん。わかったよ」
鍵を開けながらそんなことを言われたので、背中を追うようにして着いて行ったら「この野郎!」と鍵を閉められた。
ねぇ。私、君の彼女なんですけど。
言うこと聞かなかったのは悪かったけどさ、七月だよ。
三十度超えてるよ。彼女を外に放置してて、いいんですかね。
ドアを背にして座り込み、二分か三分くらいか待つと、おまたせ、とリュックサックを背負ったオオタキが出てきた。
振り向くと、既に表面に汗をかいたスポーツドリンクのペットボトルを手に持っていて「冷蔵庫、これしかなかった」なんて言って手渡してきた。
これしかと言うけど、最適解だと思う。有難くいただいて、すぐに半分くらい飲んだ。汗と入れ替わるように甘く冷たい液体が喉を通って身体に入っていく。
「いつも思うんだけどさ」
「ん?」
「男の子みたいに飲むよね、オガワ」
喜ぶべきなのか、それ以外の反応を取るべきか。オオタキに、よく分からないことを指摘されてしまって、言葉に詰まった。
べこっと若干潰れたペットボトルを一瞥して、これからはもう少しお上品に飲むようにしよう、なんて決意したりした。
玄関の戸に二つある鍵をがちゃがちゃと閉めて「じゃあ、行こっか」なんて言って、来た道を戻るようにオオタキが歩き出す。
休日なのに家には誰もいないようで、聞いても良いだろうかと足踏みして、とうとう聞かず終いだった。
親の顔とか、見てみたかったような気もする。いや、こんな書き方はちょっと語弊があるというか、他に良い表現が見つからなかったというか。
ほら、ちゃんとご挨拶した方がいいかなと思ってね。いずれ、結婚するし。娘さんのことは、私が幸せにしますっつってな。
いつかそういうのも、言わなきゃいけない日が来るんだろうかと思う。オオタキの母親や父親がどんな人なのかはこれっぽっちも知らないから、反応は想像できない。私の親なら、どうだろう。
オオタキとの関係がどれくらいまで続くのかは、わからないけど。でも付き合い始めた日くらい、こういうおめでたいことを想像してしまうのも、仕方ないと思う。
「……手とか、繋いじゃう?」
二人でオオタキの最寄り駅まで歩いている時、ふいに口からそんな言葉が漏れた。いつも思うだけに留めて、口にはしなかったやつが。
言ってから、ここが外だと思い出す。こんな気温の中で手なんか繋いだら、手汗で悲惨なことになりそうだ。
それに、さすがに外で人目も憚らずイチャイチャするのは、良くない気がする。同性なわけだし。そういったことを踏まえて「ごめん、今のなし」なんて言ったら、左手がすっと何かに攫われた。
真夏の気温より熱いオオタキの右手が、私の左手を握る。細い指が、私の指の隙間を埋めるみたいに入り込んでくる。無意識、答えるようにして私もオオタキの指をぎゅっと握った。
恋人繋ぎだ。
横を見ると、オオタキがとっても恥ずかしそうに地面を見つめていた。握った手を一瞥すると、オオタキの肌の白さが際立つ。華奢で小さい手に、形の綺麗な爪、濡れるように瑞々しくて、きめ細かい肌。
手だけで、もう、かわいすぎるんですけど。私の彼女。手だけだよ。え、なんなの? 意味がわからん……。
「死ぬ」
「え?」
「幸せすぎて、死んでしまう」
「大袈裟すぎない?」
それが素直な感想だった。
「だって、あんなに強引にキスしたくせに。手ぇ繋ぐだけで、そんなんなっちゃうの?」
小馬鹿にするみたいに少し笑って、たしかにな、なんて他人事みたいに思う。
でもここは、私の部屋じゃない。休日の駅前、周りには人がたくさんいる。そんなの、ドキドキしない方がおかしいと思う。
好きが溢れて、おかしくなりそうだ。本当、幸せが過ぎて、死ぬんじゃなかろうか、今夜。
え、ていうか、今夜、ヤバくない? 付き合って最初の日の夜に一緒にいられるの、ヤバいと思うんだけど。ちょっと、ナニかしちゃうかもしれないぞ、私。まあそんな度胸なんかどこにも無いのは、明白なんだけどね。
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