"Fall" in love 2

 一月中旬。冬休みが明けて、数日経った日の昼休みだった。


「オガワから返信、来た?」

「んー、まだ。アサハラには?」

「アイツがお前よりあたしに先に送る訳ないだろ」


 二リットルペットボトルの水をワイルドにがぶ飲みしながら、アサハラが言う。冬だってのにそんなのを学校に持ってきているのは変じゃないのと思っていたら、膝の上のフジワラから「ねぇ。飲みすぎ」なんて咎められていた。それお前のじゃないのかよ。

 昨日の放課後から体調が悪かったオガワは今日、学校に来なかった。

 アサハラたちと昼休みを過ごしているのは、そのためだ。別に一人でも良いのに、昼休みになるなりうぇいうぇいと意味不明な鳴き声を放ちながら寄ってきた。

 インフルエンザにかかってしまった生徒が校内に何人かいるみたいで、オガワもそうなんじゃないかと、わたしも含めたクラスのみんなが多分、疑ってる。心配だし、もしかしてわたしもそうなんじゃないかという不安が心の中で小さく主張する。


「もしアイツがインフルだったら、オオタキも感染してんじゃね?」

「たしかに、四六時中くっついてるもんね」

「なー」


 お前らが言えたことか。

 口にしかけて、でも普段の自分とオガワを振り返ればそれはごもっとも過ぎる指摘で。言い返したところで「お前が言うな」と笑われるのが関の山だと思ったから、何も言わずに携帯を確認した。相変わらず既読もついていなくて、また心配になる。

 いつも通り、周囲に目も呉れないでいちゃつく二人を見ていると、わたしとオガワも他の人からこんな風に見えてるのかしら、って思う。もうちょっと控えるべきなのかな、って気持ちになる。

 ……仲が良いにしても、このインフル流行りかけの時期に同じペットボトルで回し飲みなんかするのは、どうなんだろう。わたしなんかよりも、よっぽど心配だ。

 なんて思っていると、ポケットに入れていた携帯がブルブルッと震動する。


『いんふるじゃなかった』


 たった今届いた、平仮名だけのメッセージが画面に表示される。オガワはいつもわりとラインに平仮名を多用する。変換が面倒だから、って理由らしい。少し遡ってみても『うん』『おー』『わかったよ』と温度の控えめなやり取りが続いていて、やたらと長い通話時間の履歴の方が多いように見える。というのは、今はどうでもよくて。


『それならよかった ゆっくり休んでね』


 急いで入力して、送信。

 程なくして『ありがとう だいすき』と返ってくる。九文字、必要以上に時間をかけて読み込んで、ぐぬぬとなる。口を押さえて机なんかバンバン叩きたくなる。ンンンンンン……。わたしも、すき……。と食いしばった歯の奥で圧し殺すように思う。

 しかしここは教室で、しかも目の前には変なのが二人いる。醜態をさらすわけにはいかないので、と堪える。

 思わぬアタックに悶えていると「ラブラブだねぇ」とフジワラが身を乗り出して携帯の画面を覗き込んでいた。慌ててポケットに仕舞いこむけど、意味はない。

 どうせ二人にはもう知られているんだし別にいいじゃんとは思うのだけど、それとこれとはまた、違う話だ。


「え、なに。何見たの、ユキ」

「なんかー、ラインでいちゃついててー」

「きゃー!」

「きゃーだよね」


 うざい。

 なんなんだその初心を気取った反応は。呆れながら、紙パックのストローを咥えて中身を吸う。


「ところでオオタキちゃん、どこまでやったの? オガワと」

「ぶ」


 フジワラからの思わぬ不意打ちに、いちごオレを吹き出しそうになった。


「ば、やっ、やった、って、何を」


 口元を拭いながら、知らないふりをしようとする。

 悟られないようにと動揺を隠せば隠そうとするほど、それが裏目に出てしまう。わたしの反応から全てを察してか、二人がニヤニヤしながら顔を合わせた。


「したな、こいつら」

「間違いないね」

「え、どうだった?」

「どうだったとか聞かないよ、普通」

「いやいや、気になるでしょ」

「だとしても、昼休みに大声でする話じゃないよね」

「だって、想像してみなよユキ」

「なにをよ」

「オガワとオオタキが乱れるシーン」

「だからやめなさいって」

「あのオガワがだぜ? えろいこと、すると思う?」

「あー……たしかに。オガワ、そういうのに興味とか、あんのかな」

「あいつ、欲とかなさそうだもんな」

「飲まず食わずでも生きてけそうだよね」

「さすがにそこまではいかねぇけど」


 どんなイメージだよ。と勝手に盛り上がる二人に心の中でツッコミを入れる。


「どっちがどっちだったんだろうな」

「まあ、オガワが、あっちじゃない? 普通に」

「どの普通だよ」

「でも、いやー、意外だよねぇ。普通に『何言ってんの』って呆れられると思ったのに」

「オオタキ、わかりやすすぎるよな」


 何も言い返せないで俯く。なにもしてないのに、なんだか悪いことをやらかして咎められているような心地になった。なぜだ。恥ずかしくて死にそう。

 もう、はやく帰りたい。





 一応、今から家に行くよ、とメールはしておいた。

 いつも送信から五分以内には返信が来るオガワにしては珍しく、十五分程度経った今でも返事が来ていなくて、きっと寝ているのだろうなと思った。もしくは、スマホを見る余裕も無いくらいに体調を崩しているか。

 どちらにせよ、そんな状態で家に赴いて果たして迷惑では無いかしらと懸念した。

 それを表に出さないにしても、疎ましがられてしまったら。

 及び腰になりながら、怯えが這い上がるようだった。


 そこで、もし逆の立場だったらと、考えてみる。

 理由を探して、思考を巡らせてみる。

 わたしが風邪をひいたとき、オガワが会いに来てくれたら。

 小説を書くときみたいに、有りもしない想像を脳裏に浮かべ、薄く伸ばすように拡げていく。自分の部屋にオガワを招き入れたことは一度として無くて、はっきりとしたビジョンが見えない。

 だからもしこれからそういう機会があったなら、事細かに覚えておく必要があるな。と皮算用しつつ。


 ……きっと、移したら悪いよなんて言いつつも、結局は嬉しくなってしまうだろう。

 それだけは、間違いなかった。 

 だからというのも変……変、だけど。

 オガワの返信は待たずに、家に向かうことにした。

 極めて自己中心的な考えだなと自嘲した。

 理論立てて何かするわけではなく。

 ただオガワに会いたいから、会いに行く。

 それだけだった。


 冬の町の空気は、景色の輪郭をはっきりさせるような尖ったものを孕んでいた。

 ちくちくと肌を刺すような冷たい気温が、行き場無くぶら下がるわたしの手を攻撃する。オガワと繋いでいるから気づかなかったのかな、なんて微笑ましくなって、でも痛いのは嫌なので上着のポケットに仕舞う。

 子供の遊んでいるところなんか見たことの無い公園を通り過ぎて、びゅんびゅんと走り抜ける乗用車を見下ろしながら大通りの歩道橋を渡る。少し遠くから、信号機の音とトラックの左折を知らせる声が聞こえてきた。

 いつも、二人で通る道。

 一人で歩くのは随分久し振りで、なんだか入学したばかりの寂しいやつだった頃を思い出したりした。

 イヤホンが手放せず、深くフードを被って景色を閉ざしてた頃。

 じめじめして、根暗で、いつだって日陰を選んでいて……そう、なんだか、キノコみたいな生活をしてた頃。


 …………うん。

 あんまり、考えたくない。

 なので、やめた。


 歩道橋の階段をひとつ降る度、鞄が小さく上下する。ストールの隙間から漏れ出る白い息が、冬の冷たい空気に溶けていく。気づかないうちに自然、早歩きになっていた。

 商店街、喫茶店の前を通り過ぎる。大きな窓から意図せず覗く店内には、いつも通りお客さんの姿はなかった。

 一人、カウンターで頬杖をついてぼーっと窓の外を眺めていた店員と思しき女性と目が合って、やぁ、とでも言うように手をあげてきたので、軽く会釈を返した。もう、ほとんど常連と言っても過言じゃないかもしれない。

 たしか、店長さんの、娘さんの、お姉さんの方。長い髪を後ろで結っていて、背が高くて。声がハスキーな感じで、たしか。うん。そんな感じの人。二人姉妹で、妹さんの方はわたしと同い年だ。少し遠くの高校に通っているらしくて、学校で会うことは無いのだけど。


 そんなこんなで、オガワの家の目の前まで到着した。

 背の低い、一階建てのかわいい家。

 お庭で昼寝をしていたツヨシに、心の中でこんにちはと挨拶する。

 それが伝わったのかどうかよく分からないけど、のそのそ起きて伸びをしながらウゥ~~ンと静かに鳴いた。相変わらずかわいい。近寄るとワッフと小さく鳴いて、尻尾をぶんぶん振っていた。


「ナツのお見舞い?」


 インターホンを鳴らしてすぐに、ゆかりさんがそんな言葉でわたしを出迎える。

 玄関を開けて覗く身体は臙脂色のニットに包まれて、寒そうに肩を窄めていた。腰にはブラウンのブランケットをスカートみたいに巻いている。寒さに弱いのかな、と思った。

 わたしも苦手だ、とストールを噛むように位置を正すと、ゆかりさんが「くしゅん」とくしゃみをする。それから軽く鼻を啜り、肩を擦った。

 それを見てずっと玄関で立たせているのが忍びなくなり、思わず「あ、すみません」と声が漏れた。それを聞いて、気にしないでとゆかりさんが薄く笑う。美人だな、と当たり前のように思った。


「ま、とりあえず、上がりなよ。多分寝てるけど」

「おじゃまします」


 戸を潜りながらストールを外すと、屋内の暖かい空気にあてられて頬から湯気でも沸き立つような感覚を覚える。冷えて強張った肌が弛緩する。

 ゆかりさんがサンダルを脱いで丁寧に向きを揃えたその横に、ローファーを脱いで並べる。わたしのほうが足のサイズは大きかった。


「今日は冷えるね」

「そうですね」

「なのに、わざわざ来てくれて。良い友達を持ったもんだ」

「あ、いえ、通り道ですし、」


 それに、彼女だし。

 とは、言わなかった。

 歯切れ悪く言葉を締めるわたしを見つめてくる。

 少し考えるように口を噤み、目を細める。

 それから、ふぅん、となにか納得したように息を漏らして。


「ひひひ」

「え?」

「なんでもないよ」


 何でも無いらしかった。

 意地悪そうに笑ったのは、聞こえなかったことにした。 

 ヒーターの匂いに混じって、紅茶のような良い香りがする。

 そういえばゆかりさんは、コーヒーよりも紅茶が好きだったっけ。いつも漫画を読みながらおせんべいと一緒に飲んでいるイメージがある。クッキーとかじゃ無いんだ、といつも不思議に見ていたのだ。


「それじゃ、ナツ、部屋にいるから」


 そういって廊下の奥を指さしてから、「ごゆっくり~」とひらひら手を振ってリビングへ消える。そのオガワ(娘)にそっくりな背中は追わずに、反対側の廊下をそろそろ歩いた。

 別に悪いことなんかしてないのに、どこか慎重な足取りになった。

 そうしてすぐにオガワの部屋のドアの前に到着し、ノブに手をかける。それを下ろす前に、あっ、ノックするべきか。と思い直して、手を離した。

 二回、折った中指の第二関節で軽くドアを小突く。こんこん。

 向こう側から返事は無かった。


「……オガワ、わたしだけど」


 今度は声を出してみた。


「オガワー……」


 だけどやっぱり、返事は無かった。

 寝てるんだろうか。

 起こさないように入って、顔だけ見て帰ろうか。

 なんて、思っていたら。


「…………オオタキ?」


 少し、いやかなり遅れて、いつもより一回り二回りくらい低いオガワの声が聞こえてきた。風邪らしく、がさついてしゃがれた声だった。それと一緒に、布団か何かの擦れる音もする。

 もしかしてあなた、起き上がるつもりなの、と不安に思ってドアを開けると案の定、布団を捲って弱々しく上半身を持ち上げるオガワの姿があった。


「起きなくて良いから!」

「うう」


 急いで駆け寄って、肩を支える。ただでさえ肉の薄いその身体は、普段に比べてより一層軽く脆弱に感じた。少し力を入れたらくしゃ、と潰れてしまうのではと冗談みたいに思うくらいだった。

 そんな頼りない上半身を、ゆっくりベッドに寝かせてあげる。その間、オガワはというと終始「うーうーぅ」と唸っていた。

 丁寧に肩まで布団を被せてあげてからベッドに腰を下ろして、身体を捻ってオガワの顔を見る。

 熱湯で茹でたカニみたいに真っ赤な顔で、今にも消え入ってしまいそうな細い息が断続的に聞こえてくる。それに合わせてかけた布団が軽く上下し、呼吸が荒れているのがよくわかった。


「大人しくしてなきゃダメでしょ、もう」

「ご、めん」


 力なく謝罪を口にする。

 何気なく、オガワの乱れた前髪を分けて陶器みたいにつるつるのおでこを出す。肌は汗で少しだけしっとりしていた。半分閉じたような、光の無い虚ろな目でこちらを見つめてくる。

 魚みたいに口をぱくぱくと開閉させて、何か言っているように見えた。カニだったり魚だったり、なんだか今日のオガワは水中仕様らしい。

 よく観察してみると、オオタキ、とわたしの名前の形に動いていた。


「お、たき」

「うん、いるよ」

「おおた、き」

「いるってば、もう」


 弱々しく、幼子みたいにわたしの名前を繰り返す。どういう意図や思いがそこに有るのかはわからなかったけど、悪い気はしなかった。

 布団の中でもぞもぞと何か動いたかと思うと、ぬっとオガワの右手が布団から生えてくる。

 ふるふると震える指先を摘まむみたいに手に取って、それから引き寄せるようにその隙間へわたしの指を滑り込ませる。

 柔く握ると、微弱な握力で握り返してきたのがわかった。

 じわ、と手のひらが湿るように熱くなる。

 やわやわにぎにぎとしていると、荒れていたオガワの息が整っていくのが分かった。

 安心? するのかな。

 するんだろう、きっと。


「甘えんぼだね、今日のオガワ」

「ん」


 繋いでいない方の手で、指摘を否定しないオガワの頭を撫でる。

 髪の感触を愉しむように、柔らかく。

 言葉はそこにはなく、子細は掴めないけど。

 なんだかとても、穏やかな気持ちだった。


 どれくらいの間、そうしてただろう。

 ふとしたとき。特に何かきっかけがあったわけで無く、髪を撫でていた手を頬に移動させた。角度を整えるように、指先でオガワの肌を撫でる。すべすべで、少し熱かった。こんなオガワ、中々見れない。


「……おおたき?」


 目を閉じていたから、寝ているのかと思っていた。

 幼い声色にどぐ、と心臓が大きく跳ねる。


 もう数えるのも面倒なくらいには、したことだった。だけどそこに覚える憧憬や特別感みたいなものはいつまで経っても薄れなくて、慣れない。

 だから、キスが上手とか、下手とか。

 そういうことだって、まだよくわかっていない。

 座ったまま、少しだけオガワに近づく。

 布が擦れて、ベッドが軋んで音をたてた。

 風邪、移っちゃうかもな。

 思いながらも、もう、止まれなかった。

 上半身を傾けて、ゆっくり落下するように、触れあう。

 啄むような、軽いキスだった。




 例えば、ほんのちょっとだけお腹が空いているとき。

 お菓子かなにかをつまんで、とりあえずそれで我慢しようとするつもりで、飲み込んだあと。

 なぜか余計に、お腹が空いてしまったりする。

 上手く表現できているかは計り知れないけど、今のわたしは、なんかこう、そんな感じだった。




 それが訪れたのは、いきなりだった。

 自分には溜めというものが少なすぎるような気はした。その自覚はある。

 いつもきれいに整えて緩く左に流すような前髪が、汗で束になって乱れていた。

 今にも涙が溢れそうなくらいにうるうると濡れた眼は、脆弱な生気を示すようだ。そうして、弱ってるオガワを見ていると。

 いつもは見せない、脆さのような部分を、目の当たりにすると。

 身を固くするような感覚がする。喉が渇いたときと似ていて、目の下が熱くて、痛い。瞼が痙攣する。口の端の方がひくつく。

 わたしの羞恥心ってものがバキバキに打ち砕かれてしまったような、ただひとつ欲しいと望む気持ちが。執着にも独占欲にも似たそれが、自分で制御できないスピードで大きくなっていく。

 いけないと平静を装おうとして、動揺する。からからの口の中を唾で湿らせるが、それもすぐに意味の無いことと知る。

 オガワの、薄い唇を見つめる。先ほどキスをした、可愛らしいかたちをした唇を。意識すると胸が苦しくなって、眩む。吸い付いてしまいたくなる。気持ちの悪いことだけど、本当にそういう状態だった。


 恥を捨てて言うのなら、欲情していたんだと思う。


「ぅ、移るから、だめ、」


 オガワが力無く拒む。

 ついさっきも、自分で思ったこと。

 この状況で、それを懸念しないひとなんて中々いないと思う。いたとしたらそれは、よっぽどの大馬鹿者か、どすけべか。わたしはどっちなのだろうと考えて、どっちも当てはまるんだろうと思った。

 寧ろ、そうやって反抗の意思をチラつかせられると余計、わたしの嗜虐心のようなものが刺激されるような感覚だった。ぞく、と背中が震えて、お腹の奥が疼く。


 ベッドを軋ませ、今度は布団越しに馬乗りになる。

 お腹の横に膝を落とし、真上から、オガワのかわいい顔を見下ろす。

 いつも「する」とき、オガワはこんな風にわたしのことを見ていたんだ、と思う。そのまま、覆い被さるように身体を密着させる。ゆっくりと半身を下ろして、オガワの柔らかい身体をまさに全身で感じつつ、ほとんど抱き着くような状態になるとき。

 顔を近づけると、オガワの頬がさっきよりも赤くなっているような気がして。

 視界が揺れて、若干荒れているように感じる息は、スポーツドリンクの匂いがした。その息とわたしの息がぶつかり合う瞬間、意図せず、瞼を閉じる。


 オガワとわたしの唇が、さっきよりもぴったりと。

 閉じた本みたいに、自然に、重なる。

 まるで視界が融解するみたいだった。胸に何かが流れ込んでくるようだった。それを受け入れようと、身体中に行き渡らせようと、細胞のひとつひとつが乾き飢えているように、どくどくと。

 正体の分からない気持ちが、わたしを満たしていく。

 辛抱堪らなくなり、噤んだ唇の隙間に舌を入れる。いつも、オガワがしてくれるのを真似するみたいに、下唇を甘噛みして、一呼吸置いてから。

 存外、抵抗なくすっと中へと入り込む。似たような手順を踏んで、閉じた歯もこじ開ける。呼吸が上手くできなくて、少しだけ息苦しくなった。

 オガワとわたしの、舌と舌が触れあう。

 力なく押し返すオガワのそれに絡みつくように、動かす。

 ぬるま湯に舌でも入れたような、ふわふわと、緩やかに茹だる熱。

 水の音と細く熱い吐息が、耳を通して脳をぐらぐら揺らす。

 激しい閃光に眩むようだった。

 くっついた唇と唇の間から漏れる息は、わたしのものか、オガワのものか。

 そんなこと、どうだってよかった。


「っは、」


 顔を離して、またオガワを見下ろす。風邪のせいか紅潮した頬と乱れた前髪が色っぽい。ちょっとだけ泣いているようにも見える潤んだ瞳には「オオタキのばか」とでも言いたげな、そんな反抗的な意思を見た気がした。


「……ばか、もう」


 ほら、思った通り。

 一度だけと思っていたはずなのに、与えられてしまうと次、その次、とどんどん求めてしまう。浅ましいやつだと自覚しながらも、もうとっくに自分で自分を押さえることなんか出来なくなっていた。

 それができていたなら、そもそもキスなんかしなかった。

 情動に任せて布団を捲ろうとしたとき、オガワが「あ、だめ」と言って拒んだ。

 なんでだろうと訝しんだけど、引っぺがしてすぐに、それがなんでなのかを理解した。


「…………」

「ち、違うのこれ、は、あ、暑くて、それで」


 裏返しになった寝間着のズボンが、布団の中でくしゃくしゃに丸まっていた。オガワがズボンを二重に穿いていたというわけでは無くて、要するにさっきまで身に纏っていたはずの衣服を脱いでそのまんまというわけで。

 つまりは、そういうことだ。

 さっき起き上がっていたのは、わたしを呼ぶためじゃなくてこれを穿くためだったのかもしれない、なんて推察をして、なに、もう、って呆れる。呆れて、それすらも愛らしくなる。

 オガワの細くて真っ白な足が、いつもより肌色成分多めで目に入ってくる。

 まだ提案すらしてないのに、そっちの準備は万端みたいだった。

 風邪のくせに、スケベなヤツめ。


「えっち」

「ちが」

「どこが違うの、パンツ丸出しで」

「ううう」


 勿論、暑いから脱いだってのはわかってる。いつだか、夏の暑い日なんかほぼ裸で寝る日が結構あるとかなんとか、言ってたような気がするし。でも。


「風邪だってのに、ずいぶん、お盛んじゃないの」

「ちがうってばぁ」

「本当かなぁ」

 

 こんなに都合の良いおもちゃを目の前に差し出されてしまったら、手を出さずにはいられなかった。いつも揶揄ってくる仕返しだとばかりに言葉を浴びせると、少し内股気味になるようにして膝を曲げた。恥ずかしがってる割に、そっちの状態の方がえっちですけど。


 水色のかわいい下着を凝視してから、今度はオガワの顔に目線を向ける。風邪のせいで元から赤かった顔色が、より一層鮮やかになっていた。両手で顔を覆ってうーうーと唸っていた。

 いつもは「して貰う側」だから、上手くやれるか正直なところ、不安はあった。そもそも体調を崩している恋人に対して、こんなことするべきじゃないと言う話だ。オガワにそれを悟られて、あとでからかわれたら恥ずかしいな、と苦笑しながら。


「好き」


 自分の気持ちを確かめるみたいに、呟く。

 頬を赤らめて逸らす目線、へにゃ、と変なかたちに歪んだ口。

 告白に対して返事は無かったけど、その表情に独りよがりな解釈をするならば。


『私も好き』というオガワの言葉が聞こえたような気がした。

 それが間違いで無ければいいな、と祈りながら。

 オガワの熱く火照った肌に、触れた。


 それから、いや、病人に何やってんのわたし、お見舞いに来たんじゃないの。って、冷静になるまで、もうちょっとの時間を要したのだった。

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