第16話 侵略の兆し
大陸の位置づけとして、アストライア王国の最西部にあるのがフォルブレイズ領であり、そこからさらに西に行くと、かつて魔王が納めていたと言われている魔族領が存在する。
以前ヘルメスのダンジョンが生まれたとされる場所が丁度国境となるが、実質今の魔族領を統治している者がいない状況ではあってないような物ではあった。
ただし、それでもアストライア王国が魔族領を侵略しないのは、当時の勇者クレスの言葉があったからである。
――これ以上の争いは終わらせたい。
そう言ってクレスが魔族領に単独で残ることで、双方の侵略行為は今後一切禁止されることになった。
王国としても報復のために侵略行為をしたことは隠せず、荒れに荒れた魔族領を手に入れたいという気持ちはなかったので、それ以上の侵略を進める理由もない。
魔族領側は、魔王という旗印を無くしてしまい、戦う力を失ったのでこちらもこれ以上の戦争は望まない。
そうして勇者クレスという名の下に、魔王戦役は終戦したのである。
「そのはずなのに、悪い冗談みたいだ」
それから二十年以上の時が経ち、今フォルブレイズ領に向かって侵略を始めようとしている一団が確認された。
魔族領、それも魔王軍の残党と呼ばれる危険思想を持つ者たち。
そしてその先頭に立つのは、かつて王国で勇者と呼ばれた男。
城塞都市ガリアにあるフォルブレイズ邸でそれを聞いたシズルは、どう動くべきか悩んでいた。
そんな彼を、婚約者であるルキナとユースティアは不安げに見ている。
「シズル様……」
「シズル……」
「大丈夫だよ二人とも。そんな短気は起こさないからさ」
もし以前のシズルであれば、この報告を聞いた瞬間には戦場の最前線となる城塞都市マテリアに向かっていたことだろう。
父の腕を斬り落とした敵を打つため、それこそ全力でクレスを倒そうとしたに違いない。
だが先日、義母であるエリザベートに言われたのだ。
「俺の出番はあるらしいから、今は大人しとくよ」
そう言うと二人はホッとしたように息を吐く。
よっぽど信用がないなぁと思いながら、今回の騒動についてなんとなく頭を巡らせる。
「そもそも、クレス様の目的は一体なんなのでしょう……」
「うん。王宮で父上を討ったのは、今回の侵略で障害になるからだろうけど……王族であるクレス様が侵略する意味がわからないよね」
「あの方は光の大精霊の契約者だ。それこそ望めば王位に就くことも可能、というより辞退さえしなければ元々は第一継承者であったはずだから、簒奪行為をするためとは思えん……」
公爵家というのは王家との繋がりが特に深い。その縁でルキナも当然、クレスについては詳しかった。
ましてやユースティアは元々王族と婚約をしていた令嬢だ。
それゆえに王国の歴史とは縁深く、クレスについてもよく知っている。
そんな二人から見ても、今回の目的がまったく読めなかった。
「まあどっちにしても、フォルブレイズ領に敵対したんだ。だったら俺はもちろん、兄上も絶対に許さない」
「おいシズル、魔力が漏れているぞ」
「……ああ、ごめんね」
ここ最近はほとんどなかった魔力漏れ。それにより周囲一帯に軽い雷が放出されてしまう。
ルキナやユースティアなどの魔力持ちであれば問題ないようなそれも、魔力のない平民が近くにいたら軽い怪我くらいはさせてしまったかもしれない。
「まあとにかく、なにか新しい情報が入るか、義母上からの指示がない限りは今まで通りだね」
「……大人しくしていろよ?」
「信用ないなぁ」
とはいえ、これまでの行動がそうさせていることがわかっているシズルは、ただただ苦笑するのであった。
その夜、シズルはルキナの部屋へと訪れていた。
ただしその部屋にルキナはいない。代わりに、闇よりも深い漆黒の髪をした少女――闇の大精霊ルージュが月明りで照らされた部屋に立っていた。
「……で、話ってなによ。わざわざルキナまで追い出して」
「ごめんねルージュ。ただ、君に聞いておきたい事があってさ」
ふん、と鼻を鳴らして不機嫌そうな態度を取る彼女だが、それでも追い出そうとしないのは話の見当が付いているからだろう。
「あの勇者のことでしょ」
「うん……実際に戦ったことのあるルージュに聞きたいんだ」
――今の俺と勇者クレス。本気で戦ったらどっちが勝つ?
これはグレンには聞けない話。というのも、彼はシズルやホムラが友人であるクレスと戦うことを良しとしようとしないだろうから。
それに元仲間であるグレンよりも、シズルとクレスの両方と直接戦闘をしたルージュの方がわかる話だと思ったのだ。
「はっきり言って、今のアンタじゃあの勇者には勝てないでしょうね」
「……そっか」
「言いたくはないけど、それくらいあいつの実力は人間の中じゃ飛び抜けてるのよ」
「ルージュがそこまで言うくらいか」
彼女自身、満月の夜であれば自身が最強であると言う。だがそんな彼女をして、クレスは特別なのだと言い切った。
「そっかぁ……俺もだいぶ強くなったと思ったんだけどなぁ」
「十年後ならアンタにも勝機があるかもしれないけど、今のままじゃ絶対に無理ね」
「ルージュでも?」
「私なら、満月の夜なら叩き潰してやるわよ」
そうは言うが、彼女も内心でそれが出来るとは本気では思っていないだろう。
ルキナと契約したことで十全に力を発揮できるとはいえ、ルージュの本気に耐えられるだけの力が今のルキナにはまだないのだから。
「まあどっちにしても、正面から一人じゃ難しいか」
「そもそもなんでアンタが出張ることになってるのよ」
「今の俺より強い人がフォルブレイズ領にいないからだよ」
ホムラやローザリンデも強いが、それでも本気を出したシズルを止めることは出来ない。それは当然ながら、エイルたち冒険者や、アポロでさえそうだ。
だからこそ、もしクレスが出てきたら戦うのは自分の役目だとそう思っていたが、どうやらルージュの考えは違うらしい。
「はぁ……そんなんだからルキナが心配するんじゃない。アンタって本当に馬鹿なのね」
「え?」
呆れたようにため息を吐くルージュに、シズルは首をかしげる。
「一人で勝てないなら、人数集めなさいよ」
「え?」
「は? なにその顔」
「いやだって、それは卑怯じゃない?」
「卑怯? どこが?」
シズルの言葉に対してルージュは不思議そうな顔をする。
「そもそも、あいつだって昔私と殺し合いをしたとき、人数集めてきたんだから卑怯なわけないじゃない」
「あ……」
そういえば、とシズルは思い出す。
ルージュが魔王を裏で操って戦争をしていたとき、勇者クレスはグレンや他のパーティーメンバーと一緒に彼女と戦って、勝利を得た。
それは一人では闇の大精霊であるルージュに勝てないと判断したからだろう。
「あのね、命がけの戦いに卑怯もなにもないのよ。結局、勝った奴だけが正統性を訴えられるんだから」
「……そっか」
「アンタがなにを思ってるのか知らないけど、そんな甘い考えだったら……」
――死ぬわよ?
そこ言葉は、どこまでも重くシズルにのしかかるのであった。
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