第2話 食事会

 シズルの一日はマールに起こされることから始まる、予定だった。


「……今日は抜け出したら不味いよね」


 すでに太陽が昇り始め、カーテンから漏れる光が当たり目が覚めてしまう。


  いつもならこのまま外に鍛錬をするところなのだが、城塞都市マテリアへ脱走をしたとき約束したのだ。


『このお願いを聞いてくれたら、今度から着替えるの、たまに手伝わせてあげるから!』


 そして昨日、寝る前に釘を刺されてしまったのである。今日は絶対に勝手に起きないように、と。


「……いやでも目が覚めちゃったんだから仕方ないじゃないか」


 まさか、マールが来るまでこのまま寝たふりを続けなければならないのだろうか。


 そう思っていると、控えめなノック音が聞こえてきた。


「……」


 ここで返事をしたら怒られる。そう思ってシズルは布団を綺麗にかけ直し、瞳を閉じて寝たふりをする。


 ゆっくりとこちらに近づいてくる足音。目を閉じているからわからないが、これからマールに起こされるのだろう。


 そう思って出来る限り自然体に寝たふりをしているが、ベッドの傍まで来たところで動きが止まる。


「……」

「……様の寝顔、かわいい」


 ――おかしい。今、聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。


「凄い無防備で、いつもの格好いいシズル様とも違ってていいなぁ……触っても良いかな?」

「……」


 この声を聞き間違えるはずがない。どうやらここに立っているのはマールではなくルキナらしい。


 それなら起きても問題ないはず、という思いと、このまま寝たふりをしたらどうなるのかが気になる思いがせめぎ合う。


「わぁ……ほっぺプニプニだ」


 恐る恐る、といった様子でルキナがツンツンと突いてくる。その後は髪の毛を軽く梳いたり、再びほっぺを突いたりと、結構やりたい放題してきた。


「今なら……」


 そして、なにかルキナが覚悟を決めた様子で喉を鳴らすと、彼女の気配がゆっくりと近づいてきて――唇に柔らかいなにかが触れる。


 それはまるで小鳥が啄むような、ほんのわずかな触れ合い。しかしとても柔らかく甘美なもので――。


「……ぁ」

「……ぇ?」


 さすがに驚き小さく声を上げてしまったことで、ルキナと目が合う。


「……」

「……」


 固まる二人。


「えーと……おはようルキナ」

「っ――⁉」


 とまどった様子のシズルと、徐々に白い肌を真っ赤に染め始めるルキナ。


「ご、ごめんなさいー!」


 そして彼女は部屋から一気に飛び出していってしまう


 その様子を呆然と見送るしか出来なかったシズルはというと、自分の唇をそっと触れながら――。


「不意打ちは、反則だと思う」


 目の前にあったルキナの顔を感触を思い出しながら、そう呟くのであった。




 フォルブレイズ家では基本、食事を家族総出で食べることは少ない。

 

 イリーナの体調面のこともあったり、グレンやホムラがあちこちに動き回ったりと理由は様々だが、この世界に転生してからは普通のことだったのであまり気にしたことはなかった。


 だからだろう、こうして『家族総出』で食事をすることに対する、圧倒的なプレッシャーを感じているのは。


「……」

「……」


 カチャカチャと黙り込んだ食事が続く。家長のグレンは若干気まずそうにしながらも、比較的安堵した様子を見せていた。

 

 問題なのは、正面向き合って食事をしているホムラとシズルの二人である。


 ――兄上、なにか話してくださいよ。

 ――お前が話せって。


 そんな視線だけでやり取りをするのには、理由があった。


 ホムラの隣には、ジュリエット・アストライア王女が座り、その後ろにはローザリンデがどういう理由かわからないが立っていた。

 女子二人の視線が明らかにきつく、針のむしろ状態である。


 しかしシズルはシズルで、右隣にルキナ、そして左隣にユースティアが座り、綺麗な姿勢で黙々と食事を口に運んでいる。

 二人ともシズルを睨むというようなことはないのだが、時折チラチラと視線を感じるため気まずさはあった。


 兄弟二人、いつもならそんなこと気にせずにガンガン話すところだが、今日はどうにも勝手が違っていて上手く話せそうにない。


 そんな彼らを見かねたのか、エリザベートがコホンと咳を打つ。


「今日はそれぞれの交流会を兼ねた食事だとお伝えしましたよね? それなのに、なにを黙り込んですか二人とも」


 たしかにそういう話は伝えられた。しかしシズルとしては、朝のルキナとのやりとりと、隣にユースティアが座っている気まずさの方が大きいのだ。


 とはいえ、エリザベートの言うようにいつまでも黙り込んでいては始まらない。そう思って、シズルはターゲットを兄の隣に座っているジュリエット王女に狙いを定める。


「ジュリエット王女、良ければ兄上と学園での出会いについてお話して頂けませんか?」


 にっこりと、可愛らしい笑顔を向けると兄がしまった、という目でこちらを見てきた。


 おそらく兄はどう自分に話をさせようかと考えていたのだろうが、甘いと思う。


 この場には多くの人間がいる。その中で一番話題にしやすいものを提供してあげれば――。


「そうですね。ホムラ様は学園の中でも孤高を貫いておりまして、ええ、とても凛々しくも格好いい姿でしたよ」


 ジュリエットは機嫌よく語り始めてくれる。


 それを横で聞いているホムラはなんとか止めようとするも、一度話し始めた女性を男が止められるはずもない。


 そしてこうした恋愛話は、ルキナもユースティアも年頃の女性。興味津々でジュリエットの話に夢中になる。


「フォルブレイズ家といえば王国でも名門中の名門。あらゆる貴族の子弟が関わりを持ちたいと近づき、そのすべてが一蹴されましたわ」

「おおー、さすがですね兄上」

 

 時々合いの手を入れて持ち上げるのも忘れ合い。

 ジュリエット王女みたいなタイプはきっと、自分が好きな男がすごいと思われると気分が上がるタイプだからだ。


「ところで、ジュリエット王女はそんな兄上のどこを気に入ったのですか?」


 なお、彼女の隣で凄いにらみを利かせている兄は見えてないことにする。


「実はわたくしも遠くから拝見していたのですが、なんて野蛮な人でしょうと最初は思ったものです。ですが多くの殿方に集まられていた時に助けて頂いて、それで少しずつ見る目が変わってきて、この方は一人、未来を見据えて動いているのだと確信しました」

「なるほど、慧眼ですね」


 多分学園でも好き放題してただろう兄上だが、彼女にとってそう見えたのであればそれが真実なのだ。


 エリザベートはというと、やや満足げな表情。そしてイリーナはニコニコといつも通り。グレンも面白そうに聞いている。


 これは勝った。そう確信するシズルだったが――。


「そういえばシズル様には弟がずいぶんとお世話になりましたわね。報告書は読みましたが、ユースティアの件と合わせて、もう少し詳しく聞かせて頂けたらと思うのですが如何でしょう?」


 それまで気持ちよく語っていたジュリエットの、突然の話題転換。


 シズルは両隣のプレッシャーが増したことに気付き、思わず顔が引き攣るのであった。

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