第2話 城塞都市マテリア

 シズルにとって、脱走は手慣れたものだ。


 ホムラが脱走したことに気付いた兵士たちは、すでに対フォルブレイズ兄弟シフトに変更されている。


 ゆえに、普通なら守られるはずのない、屋敷の外壁周辺にまで兵士たちが集まっていた。


「ほら見ろ! 絶対にシズル様も脱走すると思ったんだ!」

「畜生! ホムラ様には逃げられたけど、シズル様だけは止めろ! じゃないと、あとでマールちゃんの笑顔が怖いぞ!」

「俺にとってはあれ、ご褒美だけどな」

「「ちょ、おまっ!」」


 とりあえず、最後のセリフを吐いた兵士は速攻で叩き潰す。


 ついでに、一緒にいた兵士たちも出来るだけ手加減して、軽く痺れさせるだけにした。


 そうして壁を乗り越えた先には、さらに大量の兵士たちがずらりと並んでいた。


「……ちょっと。なんで俺を取り囲むわけ? 早く追いかけないと兄上が逃げちゃうよ?」


 明らかにシズルだけは逃がさないと決意の瞳をしている兵士たちに、シズルは若干表情を引き攣らせる。


 そんな中、フォルブレイズ家の兵士長を務めている壮年の男性――ダグラスが一歩前に出てきた。


「ホムラ様にはローザリンデ様がおられます。あの方なら必ずや、バカ息子を連れて帰ってくれるはず!」

「……兄上ぇ」


 渋く角刈りにし、もじゃもじゃのヒゲに体格のいい体つき、そして全身を覆う鎧を見れば、まるでドワーフのようだと思う。もっとも、ダグラスは純粋な人間ではあるが。


 そんな彼だが、こめかみに怒りマークを浮かべ、頬をピクピクとさせてこちらを見てくる。


 どうやら相当お怒りのようだと、シズルは思わず天を仰ぐ。


 ダグラスはシズルやホムラが生まれる前からフォルブレイズ家に仕えており、これまでの二人の脱走にはほとんど付き合ってきた。


 シズルも、昔は何度もこの男に捕まったものだ。


 名目上は部下なのだが、それよりは親戚のおじさんのような感じもする。


 だから彼にバカ息子、と称されてもシズルは仕方ないと思うし、ホムラは笑い飛ばすだろう。


「さぁてシズル様? 屋敷から逃げ出さず、大人しく屋敷に戻る気は?」

「ちょっと待って欲しい。そもそも、なんで俺が逃げ出そうとしてると言い切るの?」

「その旅するのに必需品が全て詰まったような大きなリュックに、屋敷の壁から乗り越えておいてよくそんなセリフが出てきますな!」


 シズルは自分の格好を見る。さすがに誤魔化すのは無理らしい。


「……兄上にイリスが連れ去られた。俺は彼女を助けるために――』

「すでにローザリンデ様には連絡を入れました。イリス様を連れて行ったと言えば、地獄の悪魔のごとく恐ろしい形相で追いかけることでしょう。ゆえに、シズル様が不安に思うことは何もございません」

「ダグラス……兄上の命が危険だ。俺が助けに行く!」

「行かせねぇっつってんだよこのバカ息子どもぉぉぉぉぉぉ!」


 その号令とともに兵士たちが一斉にシズルに襲い掛かってくる。このシズル専用シフトは当然ながら、シズルの動きに対応するために作られたものだ。


 それゆえに、単純な戦闘力では勝てないシズルであっても、苦戦するものだった。


 ――これまでなら。


「悪いけど、俺もあれからだいぶ強くなったからね」


 シズルが脱走を繰り出していたのは、それこそフォルセティア大森林に行くより以前の話だ。


 学園に行くためにエリザベートに軟禁されていた日々、そして学園から帰ってエリザベートに軟禁されていた日々。


 その間、当然ながらシズルは脱走などしていない。それはつまり、フェンリルやジークハルトたちと戦って強くなる前のシズルしか、彼らは知らないという事だ。


 シズル専用シフトによって集められた数十人の精鋭たちを、まるでただの通行人のごとく、シズルはすり抜けていく。


 そうして驚く彼らに振り向きながら、シズルは満面の笑みを浮かべ――。

 

「悪いけど、俺はイリスを助けに行かなきゃいけないんだ!」

「そんな風に笑いながら言っても説得力ねぇぇぇぇ!」


 そんなダグラスの叫びを背中から聞きながら、シズルは一気に駆け出した。


 本気になったシズルの速度に追い付ける者などいるはずもなく、兵士たちは諦めたようにその場に座り込むのであった。




 そうして休憩を挟みつつ、シズルは日が暮れる前に『城塞都市マテリア』に辿り着いた。


 普通に道のりを走れば、自分の速度なら追い付けるはずだと思ったのが、どうやらホムラにしてもローザリンデにしても想像以上に速く動いていたらしい。


 頭の上にヴリトラを乗せたまま街を歩くと、周囲から物珍しそうな視線を感じる。


 小さいとはいえ、龍は珍しいので仕方がないだろう。


「……うーん」

「どうしたのだシズル?」

「いや、どうしたものかなぁって」

「どうしたもこうしたも、さっさとホムラたちと合流すべきであろう?」

「そうなんだけどさ……」


 正直言えば、ホムラは目立つ。それは見た目以上に、その言動すべてが激しい炎のような男で、すぐに注目の的になるはずだ。


 そうなれば当然、ローザリンデにも見つかるのが早くなるはず。


 せっかく屋敷を抜け出してきたというのに、地獄の悪鬼のようなローザリンデと早々に遭遇するのは避けたい話だと思う。


「なんだかんだでローザリンデって、兄上に甘いよね?」

「うむ。怒っている振りして色々意識してるのがバレバレだな」

「うん、だからさ。とりあえず兄上がローザリンデにこってり絞られて、その後はなし崩しにダンジョンに同行するって流れが一番いいんじゃないかなぁって思って」


 イリスのことだけが若干心配だが、こと戦闘面に関してはホムラは優秀だ。並みの荒くれもの程度なら、百人いようと守り切ることだろう。


「ふむ……」


 ヴリトラはその言葉に考える仕草をする。そして――。


「……我も、怒られるのは……嫌だ」

「ね。そうだよね! だからさ……しばらくの間、とりあえず単独行動して、ある程度ローザリンデが落ち着いてから合流するのがいいと思うんだ」


 これまでマールやエリザベートに怒られてきた大精霊は、意外と臆病なのである。ここで怒り心頭のローザリンデと遭遇するのは、彼も嫌だったらしく提案に乗り気だ。


「うむ、そうしよう。せっかく初めての街にやってきたのだ。のんびり美味しいお菓子とか紅茶とかを探すのも悪くない」

「よーし、それじゃあ決定だね」


 そう言いながらシズルは城塞都市マテリアを見渡す。


 普段生活しているガリアと同じように堅牢な城壁に囲まれたこの街は、しかしガリア以上にピリピリとした雰囲気を醸し出している。


 普段の言動などから忘れがちになるが、フォルブレイズ家といえば王国生粋の武闘派にして、単純な領土だけを見てもトップクラスの大貴族だ。


 そして魔族領と隣接し、すでに和平が結ばれているとはいえ、戦争の最前線をずっと支えてきた王国の盾でもある。


 そんなフォルブレイズ領の本陣が城塞都市ガリアなら、ここはガリア以上に魔族と戦争をしていた時の最前線。ゆえに、その気質は依然として戦時が抜けていないままだった。


「うーむ……ずいぶんとゴツゴツとした街ではないか」

「あれ? ヴリトラはこういう雰囲気は嫌い?」

「嫌いではないが……」


 歯切れの悪い言い方だ。そう言えばヴリトラの趣味は貴族寄りというか、芸術関係や高級な紅茶などに傾倒しているのを思い出した。


 シズルとしては、このいつ喧嘩を売られるか分からないような雰囲気は、中々悪くないと思う。


 さすがに一般人はそうでないだろうが、すれ違う兵士や冒険者たちは常在戦場の雰囲気を纏っていて、血が騒ぐのだ。


 とはいえ、この街が戦場のような雰囲気かといえば、さすがにそこまでではなかった。


 街の人々を見れば笑顔で歩く親子や、恋人同士で楽しそうにしている男女も見受けられるくらいだ。


「これなら、探せば美味しい紅茶も見つけられると思うよ」

「うむ……こういう戦場でしかない物もあるというし、せっかくだからそういうのを探そうではないか!」

「はいはい。あ、でももう日が暮れそうだから、とりあえず今日の宿だけは先に取るよ。街の散策は明日にしよう」


 見上げれば、すでに太陽は城壁よりも低い位置にあり、今から街を散策しては完全に日が暮れてしまう。


 街の灯りはあるだろうが、前世のように二十四時間常にライトアップをされているほど、文明は進んでいないので当然だ。


「イリス、大丈夫かなぁ?」

「心配なら探せばいいではないか」

「……いや、でもそうしたらやっぱり不味いよね」


 自分よりも遥かに小柄な少女を思い、少しだけ物思いにふける。


 よくよく考えれば、部屋から抜け出すときに躊躇ったから、ホムラに連れ去られたのは申し訳ない気持ちになる。


 そのせいでローザリンデの怒りが限界突破していたら、ホムラの言い分も通らず強制的に連れ戻されるかもしれない。


 その時自分が近くにいたら、同じく強制連行だ。


 実力で劣っているわけではないが、今回の件はこちらに非しかないのである。


 せめて説得できる有力な事情でもあれば違ったが、この状況で本気の抵抗は人としてどうかと思う。


「いや、兄上は全力で抵抗するか……」

「あの男は中々、戦士として見どころがあるからなぁ……」


 ヴリトラと二人、あの炎のように激しい性格をした兄を思い、もう少しだけ落ち着けばいいのにと、自分のことを棚に上げて思うのであった。

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