第29話 王都にて

 メニューの決め方などで四苦八苦しているユースティアを眺めつつ、シズルは背後の様子を伺う。


 シズルの『雷探査<<サーチ>>』はターゲットの位置だけでなく、雷精霊を通して盗聴も出来る優れた魔術なのだが、その隠蔽性に関しては少々怪しいものがある。


 警戒している者にこの魔術を掛ければ気付かれる恐れがあるのだ。


 これまでシズルが魔物たちを除いて『雷探査<<サーチ>>』を掛けたのは身内と、ルージュだけ。


 グレンたちは当然シズルのことなど警戒すらしていなかったし、ルージュは深遠の奥にいる自分に気付ける者がいるはずがないと油断していた。


 それに対して、件のターゲットであるエステルは、正直言って得体が知れない。


 ここで下手に『雷探査<<サーチ>>』を掛ければ気付かれてしまう可能性が高く、そのためこのような尾行をしているのだ。


「しかし、流石はミディール……全然会話が途切れる様子がないね」

「まあ女子を喜ばせることに関しては、あいつは相当なものだからな」


 決して羨ましいとは思わないが、それでも自分に出来ないことを出来る者はどんなことであれ尊敬に値する。


 単純な戦闘力はこれからだろうが、貴族としてのコミュニケーション能力も一つの強さだ。


 シズルとしても、いずれは身に付けなければならないなと思った。


「ところで、メニューは決まったの?」

「ああ! このロイヤルエスプレッソというものにしようと思うぞ!」

「……ユースティア、それはドリンクだから、決め直した方がいいんじゃないかな?」


 普段はしっかり者のユースティアが、妙にポンコツ具合を発揮するのは意外だが、同時にいつも助けてもらっている分、こういうときは助けなければという思いが強くなった。




 それから食事を終えたミディールとエステルは、店を出るとそのまま王都でデートを進めていく。


 おしゃれな洋服店だったり、雑貨が置いてある店だったり、女子が好きそうなところはきっちり網羅しているらしく、迷いがない。


 それに対してエステルも一喜一憂している様子で、見ればスキンシップも激しい。


 まるで本物の恋人同士にも見えるし、この光景をエリーが見たらミディールを殺して自分も死ぬとか言い出しそうだ。


「なるほど。これがデートというやつだな」

「ユースティア?」

「デートというものは本や他の女子たちから聞いたことはあったが、なるほど」


 なるほど、なるほど、とミディールが店を移動したり、エステルと何かをするたびにユースティアは手元に持ったメモに何かを書き込んでいる。


 よほど真剣に見ているらしく、シズルの声は聞こえていないようだ。


 目的を見失っているようにも感じるが、実際メモがあれば今後を振り返られるのでこれはこれでありかと納得する。


 しかしである。彼女の独り言を聞く限り、どうやらユースティアはジークハルトとデートをしたことがないらしい。


 彼女たちの婚約の経緯を聞いたことはないため、いつから婚約者になったのかは分からない。


 だが一度もデートをしたことがないというのは、どうなのだろうと不思議に思う。


 こういうのは周囲の人間が色々と画策して、婚約者同士が親しくなるために行動を起こすと思っていたのだが、二人に関しては違ったらしい。


 ユースティアのことは友人だと思っているが、あまり深追いをするのもあまり良くないと思う。


 親しき中にも礼儀あり、というだけでなく、あの王子に近づきすぎると政治的な何かに巻き込まれかねないからだ。


「よしシズル。もう少し二人に近づくぞ」

「えぇー」


 何やら目的が異なってきたような気もするが、今の彼女を止められる気はしなかった。


 シズルは可能な限り周囲に自分の存在を溶け込ませ、ミディールたちに近づいた瞬間、エステルが勢いよくこちらに振り返る。


「――っ!」


 その動きに反応できたのはシズルだけ。


 慌ててユースティアの腕を掴むと、そのまま抱き寄せるように壁へと押し付ける。

 

 ドンっという音が小さく街に響くが、周囲の人たちは一瞬だけ視線を向けて、恋人たちが何かをしているのだろうとすぐに興味を失ってしまう。


「し、シズルっ! お、おま――」

「しっ! このまま動かないで!」

「う、動かないでってお前……そ、その近――」


 女子生徒の中では比較的身長の高いユースティアだが、それでもすでに成人男性に近いシズルよりも少し低い。


 顔と顔が間近になっているため彼女からすれば問題行動だろう。


 とはいえ今だけは勘弁してほしい。


 あの瞬間、エステルは間違いなくこちらの視線に気付いていた。


 これ以上近づけば確実に自分たちの尾行はバレるし、何より殺気すら混じったあの反応は、敵対行動に移りかねない。


 彼女の実力がどれほどか分からないが、周囲の被害も考えるとこんな街中で戦闘行為を行うわけにはいかないだろう。


 シズルをしても彼女を無傷で捕らえられる自信はなかった。


「こ、こんなところをローレライに見られたら私は……」


 そんなことを呟いているユースティアだが、シズルの背後から感じる視線はまだまだこちらを疑っているようだ。


 流石に誰に見られていたかまでは分かっていないようだが、少しばかり周囲を警戒している。


 しかし結局、シズルたちには気づかなかったのだろう。


 不思議そうな顔をしてから、エステルはそのままミディールの腕を組んでデートの続きをするのであった。


「……ふう、危なかった」

「……ぁ」


 シズルが焦ったように息を吐きながらユースティアから離れると、彼女は小さな声を上げた。見れば顔を真っ赤にしており、瞳の焦点もあっていない。


「ユースティア? 顔が赤いけど大丈夫?」

「ぁ、あぁ……大丈夫だ。ただちょっとだけ、休ませて欲しい……」


 壁を背もたれにして、ユースティアはそのまま膝を抱えて座り込んでしまった。


「ユースティア⁉」


 これは不味いと思ったシズルが慌てて顔を近づけると、彼女は手を伸ばしてシズルの顔を押し返す。


「大丈夫だから。お前は気にせずちょっとだけ待っててくれ。本当に大丈夫だから……」


 その声に力はないが、どうやら気分が悪いという訳ではないらしい。


 周囲も何事かとこちらを見ているが、そんな彼女が奇異の視線にさらされないようにシズルはそっと背中で隠す。


 そうして少しするとユースティアは立ち上がった。見たところ顔は赤いものの気分はだいぶ良くなったようだ。


「……ふぅ、すまなかったな」

「ううん、別にいいよ。俺こそ無理させたみたいでごめんね」

「いや、そういう訳ではないのだが……まあいい」


 ユースティアが呆れた様子でこちらを見てくるので疑問に思うが、彼女はそれ以上何も語ってくれなかった。


「とりあえず、これ以上の尾行は難しそうだな」

「うん、彼女もだいぶ警戒してるみたいだし、とりあえず打ち止めかな」


 これだけの距離を取っても気付かれそうになるということは、それだけの実力者であり、かつ何かを警戒しているということだ。


 まだ視界に映る範囲にいるとはいえ、これ以上は難しいだろう。


 多少でも収穫は得た、ということにして尾行は一旦中止の方向で話は進む――はずだった。


 しかしそれも一人の少女の登場によって流れは一気に変わることになる。


「あれ……もしかしてクランベル嬢じゃ……」

「あ、ああ……しかもあの形相、完全にミディールに気付いているな」


 肩辺りで切り揃えられた遠目でも目立つ緋色の髪の少女は、エリー・クランベル伯爵令嬢で間違いない。


 ミディールの浮気を聞いただけであれほど暴れた少女が、その浮気現場を見たときどうなるか、それは火を見るよりも明らかだ。


「不味い!」

「エリー! やめろ!」


 エリーは腰に差された護身用のナイフを抜くと、そのままミディールとエステルに向かって一目散に駆け出す。


 ユースティアが止めようと叫ぶが、かなりの距離があるため恐らく聞こえていないだろう。


「ミディィィィィルゥゥゥゥゥ!!」

「ひっ! え、エリー⁉ なんでここに⁉」

「アンタを殺して私も死んでやるぅぅぅぅ!」


 慌てた様子のミディールに向かって、エリーが叫びながらその距離を一気に詰めると、そのままナイフを突き出した。


 ユースティアも、ミディールも、そしてエリーも同じ未来を見たことだろう。


 瞬間、辺り一面を濃厚な殺気が包み込む。その発信源は、ミディールの隣で立っていたエステルだ。


 これまで学園では見せたことのない氷のような冷たい瞳でエリーを睨んだエステルは、隠していた短剣を取り出すと、並みの人間では目で追う事すら出来ないほどの速度で動き出す。


「私の邪魔をする悪い子は――」

「えっ?」


 気付いたときには懐に入られ、呆気に取られたエリーに向かって伸ばされたナイフは――


「そこまでだ」

「なっ⁉」


 遠く離れた場所にいたはずのシズルが一瞬で間に入り、エステルとエリーの腕を掴んで二人の蛮行を止めるのであった。

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