『バレンタイン』がやってきた!
――そして、『バレンタインデー』当日。ちょっぴり肌寒いけれどすこぶる快晴。
ぼくは、まだ半分夢の中を彷徨っていたけれど、普通科二年C組に『カメラ』を回しました。
あっ、ユリイカ!(そうだ!)。記録を撮るには「時間」表記はかかせません。ぼくは、教室の時計に『カメラ』を向けました。
「八時十分」。登校の最盛期です。ということは、あと一、二分で千奈美ちゃんが登校してくるはずです。
次にぼくは教室全体が映るように『カメラ』を引きにしました。『主人公』が教室にやってくるその前に、数コマの情景描写をやっておくこともぼくの大事な「役割」の一つだからです。
教室は殆んど金属的な女子の悲鳴で占領されています。この日神妙な男子は、この時ばかりはそれぞれの「属性」を「キョロ充」に変えて、友だちの腕やお腹に嬉しそうに軽くパンチをしたりしていました。でもパンチをされた方も何だかとても嬉しそうです。
椅子に坐った「男子B」くんは、靴紐を結ぶ振りをして机の中を確認したりしています。というか、「確認」です。それを見つけた「女子A」さんは、
「「男子B」さあ。それ仕舞ったら」と言って、周りにいた女子の「
どうやら「男子B」くんの机には、『チョコ』が入っていたようです。もしかしたら、「女子A」さんからの『チョコ』だったのかもしれません。「男子B」くんは顔を赤くさせて、あまり嬉しくなさそうに『チョコ』を大事にリュックの中に入れました。
このような光景は、何も「男子B」くんだけではなくて、「男子A」くん、「男子C」くん、「男子D」くん、そして「水無月」くん、他にも及び、そのたびに女子の「塊」からはさっきよりも大声で黄色い悲鳴があがるのでした。
『カメラ』を再び時計に向けるよー。
「八時十二分」。
さあ。千奈美ちゃんが登校してきました。眠たそうな瞳は「デフォ」なのですが、今朝はまた一段と眠たそうです。
「おはよー」
「女子H」さんに挨拶をされても千奈美ちゃんはうわの空のようです。「おはよー……」
千奈美ちゃんの目線を『カメラ』でたどっていくと、ノッコが『チョコ』を渡していました。
「あげる。『バレンタイン』だよー」
千奈美ちゃんはそれを見たあと、今度は首を二十度ほど動かしました。
「男子諸君に告ぐ!」、さとみ様は、窓際で起立して高らかに宣誓をなされました。「『チョコ』をあげるよー! 一列になって並ぶよーに!」
「う! ……すげえ上から」、千奈美ちゃんのおでこから黒い線が何本か垂れていました。「つーかほんとに並んでるし……」
着席をされたさとみ様の傍らには、「でっかい紙袋」が用意されてあられました。
「……あいつは……まだ来るわけないか」、千奈美ちゃんは振り向いて、司馬くんの席を見てつぶやきました。「そうだ! めがねちゃんは……」
めがねちゃんは、窓際のちょこっとしたでっぱりに、ちょこんと腰掛けてお行儀よく坐っていました。
「おはよー!」と千奈美ちゃん。
返事のかわりにめがねちゃんは、こくり、とうなずきました。
「チョ、『チョコ』持ってきたよね?」、めがねちゃんはまた、こくり、とうなずきます。「わ、渡すの? あいつに……」
こくり、とうなずくめがねちゃん。
「だ、だよね」と千奈美ちゃんはため息を
「ぜんいん並んだかなー」、さとみ様は、よく通るお声でおっしゃられました。「そこー!」
『男子トレイン』が曲がっていることを注意して、もう一度ご起立になられました。どうやら頭数を数えてあられるようでした。
そこに、リュックを背負った「男子U」くんが教室に入ってきます。
さとみ様は、その「男子U」くんを睨みつけて、「指」で「並べ」とふんふん指示をお出しになられました。しかし、さとみ様は、まだ何か気に入らないようでした。
「水無月! 並べ」
「お、おれ!?」
「あたりまえだろ」
水無月くんは、頭を「ぼりぼり」掻いて最後尾に加わりました。
『男子トレイン』のせいで、他の女子たちは『チョコ』をあげられなくなりました。ノッコも例外ではなくて、諦めてさとみ様の隣にやってきました。
でもまだ、さとみ様は不服そうです。ついには腕ぐみをなされてしまいました。
『男子トレイン』は、「いつまで待てばいーんだよ」という感じでゆらゆら揺れています。そして、司馬くんが「とぼとぼ」登校してきました。
教室の時計は、「八時二十分」でした。
「司馬ー!」
一際大きなさとみ様のお声であられます。顎で、「並べ」とおおせになられました。
司馬くんは、吐息の抜けたような声にならない返事をして、『男子トレイン』の最後尾へと並びました。
「うう……めっちゃ「素直」」
千奈美ちゃんは、誰に聞かせるでもなくツッコみました。でも、めがねちゃんは、こくり、とうなずきました。
これで、二年C組の男子が全員出そろいました。
さとみ様は、「うふふ」と満足をして、態度を一変させた表情はプリンセス然とあられて大変輝いてあられました。
「はい。あげる」
『男子トレイン』最前列の「男子S」くんは圧倒されてしまい、両手を差し出す格好で『チョコ』を受け取りました。
「ありがとうは?」
「ああうっ、ありがとぅございます」
「ふむ。よろしい」
これが、『チョコ』を受け取る際の「公式ルール」となり、二番目の「男子E」くんも三番目の「男子T」くんも四番目の「男子F」くんも、「男子S」くんを倣ってそうするのでした。
ノッコは、「こっちの方が早いや」と言わんばかりに、さとみ様から『チョコ』を受け取った男子に、
「あげる。『バレンタイン』だよー」と言って『チョコ』を渡してあられました。
さて。水無月くんの番がやってまいりました。
「はい。あげる」
水無月くんが、『チョコ』を受け取ります。――が、しかーし、問題発生、さとみ様は『チョコ』を放しません。
「両手で」とプリンセス然としたお顔のままおっしゃられました。
二人のにらみ合いに、教室じゅうが「一気」に張り詰めました。
水無月くんが、もう一方の手を『チョコ』に添えます。でも、さとみ様はまだ『チョコ』をお放しになられません。
「ありがとうは?」、プリンセスの笑顔はご健在です。でも相手の目玉を抉らんばかりに「ガンミ」してあられます。「ねえ」
「うう……」、教室じゅうの沈黙は、まるで先生に叱られた昭和の小学生のようでした。「……あ、ありが、とうございます」
水無月くんの完敗でした。しかも「秒殺」。そして、そのまま隣のノッコのところへ。
「はい。『バレンタイン』だよー」
ノッコは、「ヤンキー」を卒業したことを大変楽しんであられるようでした。
「あ、ありがとうございます……」
「水無月くん!」、ちびの小春ちゃんが「ステテテ」っとやってきました。「はいこれ。えへへ」
それは、菓子折りみたいにばかでかい『チョコ』でした。
「あう、ありが、とうございます……」
水無月くんは、背中に、「哀愁」の二文字を漂わせて席に戻っていきました。
さてはて。この一連を見ていた司馬くんは、超「ガクブル」です。なにせ、司馬くんにとって、水無月くんというのは同学年でありながら殆んど「先輩」も同然の学園きっての「スーパースター」だったからです。
司馬くんは、さとみ様のプリンセス然とした尊顔をまともに拝謁することさえできません。
「はい。あげる」
司馬くんは、勢いあまって膝におでこが付くぐらいお辞儀をしました。
「うう……めっちゃ深い……」
千奈美ちゃんの口の端が「ひくひく」しています。
「うん。深いね」とこの日はじめて、めがねちゃんはしゃべりました。
司馬くんは、両手で『チョコ』を受け取りました。
「あり#&と!ご$%&い#ます」
これを聞いたさとみ様は――、『チョコ』を放してくれません。
司馬くんは、おでこまで真っ赤にさせてもう一度お礼を述べます。でも、それはやはり「ひどい」ものでした。どもった言葉はさっきより聞き取り不能でした。
さとみ様は、やっぱり『チョコ』を放してはくれません。包み紙には皺が寄ってきました。
教室じゅうが「シン」としています。みんな、「これはいったい何のプレイなんだ……」、と思っていたかもしれません。
さとみ様は、腕ぐみをなさっていた時のような顔つきになられて何やら「お考え」のようでした。
「『一文字ずつ』言ってみよっか」とさとみ様はアルゴリズム(打開策/問題を解決する為のもっとも効率的なやり方)、をご提案なさいました。そして、こうおっしゃったのです。「『あ!』」
司馬くんは、『チョコ』を半分持ったまま固まってしまっています。
「『あ!』」、さとみ様は、プリンセスの「微笑」を戻して再びそう申されました。「『あ!』」
「復唱して」、ノッコが横からそっとささやきました。「早く」
「……あ」
「だめー! 元気よく!」、『チョコ』の包み紙が破れそうです。「『あ!』」
「あ!」
司馬くんは、赤く茹であがった顔のままそのように発声しました。
「『り!』」
「り!」
「『が!』」
「が!」
「『と!』」
「と!」
「『お!』」
「お!」
「『ございました』は、べつにいいよ」とさとみ様はおっしゃられて、『チョコ』をお放しになられました。
男子一同は、一斉に、『男子トレイン』最前列にいた「男子S」くんを睨みつけました。そして、司馬くんはノッコのもとへ。
「はい。『バレンタイン』だよー」
「あ、り、が、と、お」
「すごーい」とノッコは手を叩いて、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜びました。
司馬くんは、ノッコに丁寧に一礼をしてから、両手両足「あべこべ」になって席に戻っていきました。
やがて教室は、「普段」を取り戻して騒がしくなっていきました。
「あげないの?」
めがねちゃんは、お行儀よく坐ったまま言いました。
「あ、う、うん。い、今はまだ……いいかな」
「「水無月」くんに、持ってきたんでしょ」
「あ、ああ、そそっちか。う、うん」
千奈美ちゃんは、リュックの中身を確認してから水無月くんの方を見ました。
「あとからだと、渡しづらくなるよ」
確かに、めがねちゃんの言うとおりなのでした。女子が競って『チョコ』をあげている今こそ「チャンス」なのです。水無月くんは、男子三人とおしゃべりをしていました。
「落ち着いて千奈美ちゃん」
「う、うん」
「『はいこれ』って渡してくるだけでいいんだよ」
めがねちゃんは、千奈美ちゃんの胸の内を「代弁」するかのように言いました。
「――水無月くん。はい、これ」
「女子Y」さんは、ちょこちょこっと近づいていって『チョコ』を手渡しました。
「おお! サンキュー」
「ほら。ああやって渡してくればいいんだよ」
めがねちゃんは、ちょっとだけ足を「ぶらぶら」させて言いました。
ミッションはイージーだ。『がんばれ千奈美ちゃん!』とぼくは思いました。
「ファイト」
「うう……「ファイト」とか言われると意識する……」
千奈美ちゃんは、リュックから「素敵」な包装紙に、綺麗につつまれた『チョコ』を取り出しました。
めがねちゃんは、その『チョコ』と千奈美ちゃんとを交互に見てから言いました。「ファイト」
「うぅ……」、それでも千奈美ちゃんはがんばって「とことこ」水無月くんのところへ。「……あの。はい、これ」
『両手渡し』はあんがい「様」になっています。
「お! 千奈美さんありがとう」、水無月くんは、この頃には背中の「哀愁」の二文字を振り払い、白い歯を見せて「普段」の「イケメソ」に戻っていました。「千奈美さん?」
「は、ははあい。なんでしょう?」
「これって「本命」?」
「うう……話しかけてくるなんて聞いてない」
「え!? なんか言った?」
「……あ、あの……その……ぎ、『義理』にきまってんじゃん、にゃはは……」
千奈美ちゃんはエスプリを利かせて、さとみ様の「にゃはは」を真似てみましたが、おそらくたぶん、本人が思っているほどの「クオリティ」ではなかったように思います。
「なーんだ。残念」
「ううう……」
千奈美ちゃんは真っ赤になって、めがねちゃんのもとへとご帰還しました。
「おかえり」
「ただいま……」
千奈美ちゃんは、ちょこんと窓際に腰掛けました。会話はそこで止まって「二人」は何気なく司馬くんを眺めました。
『男子トレイン』の時には気づかなかったのですが、本日の司馬くんはまた一段とご立派な「寝ぐせ」をつけていました。
「……めがねちゃん、『チョコ』渡す……」
ぜんぶを言い終わらないうちに、めがねちゃんは「スタスタ」司馬くんのもとへ。どこへ隠していたのか、めがねちゃんの手には『チョコ』が握られていました。
「おはよー司馬くん」
司馬くんは驚いて、めがねちゃんを見上げました。
「きょうは『バレンタイン』です」
めがねちゃんは、両手で、『チョコ』を差し出しました。
司馬くんは、まるで、「ここはどこ」、「わたしは誰」、といった風に教室じゅうを「きょろきょろ」見渡しました。
「いやいや。どー考えてもおまえのだろ」と千奈美ちゃんはツッコまずにはいられませんでした。
お辞儀をして、両手で、『チョコ』を受け取る司馬くん。顔を真っ赤にする、めがねちゃん。そして、二人は「何か」をしゃべっていました。
「うう……」と千奈美ちゃんは気が気ではありません。
一分ほどして、めがねちゃんは、千奈美ちゃんのもとへ帰還してきました。
「おかえり……」
「ただいま」
めがねちゃんは、窓際にお行儀よく坐りました。
「あ、あのさ……めがねちゃん、どんな『チョコ』あげたの?」
「ハート型」
「うう」
「手作り」
「ううう……」
「スパイスは『愛情』」
「くはっ……」
「これ」
しかも、めがねちゃんは『戦利品』まで手に持っていました。小さな『紙きれ』です。
「司馬くんの『ラインID』」
さらっと、「戦勝報告」をするのでした。
「なぜに『ふるふる』しない」とノッコ。
千奈美ちゃんは頭を抱えんばかりに唸って、司馬くんを睨みつけていました。
「いる?」
「あ、う、い、いらないかなー、にゃははは」
「あ、そう」
めがねちゃんは、「ぽっけ」に『紙きれ』を仕舞いました。それを見て、千奈美ちゃんはまた唸るのでした。でも今度は、とても物欲しそうな「うう……」でした。
こうして、「ショートホームルーム」を告げるチャイムは鳴るのでした。
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