29話【甘いワナ】
◇甘いワナ◇
弟を助けた後、私は地獄へ落ちるだろう。
それでも――私は――。
コンコン。
「エドガー君……いるかな?」
エドガーの部屋でもある、一階ロビーの
そのドアをノックして、リューネは息を飲む。
「――えっ!?……リューグネルト、さん?」
ホントに来た!?みたいな反応に、リューネの緊張が少しだけ
「約束通り来たよ……開けてくれる?」
別に
男に開けさせてこその、女心。
「い、今開けますっ……あの、リューグネルトさん……やっぱりロビーに――っ!!」
カチャっと部屋のドアを開けて、エドガーは自室から出ようとする。
このままではマズいと思い、別の場所への移動を
エドガーの前に現れたリューネに、目を奪われてしまう。
「……」
リューネの格好があまりにも
「あの……変、かな?」
リューネの身体は、湯上りの
「――っ!!なっ!何でそんな
思いっきり体を反転させて後ろを向き、エドガーは距離を取ろうと部屋の奥に逃げようとする。
「逃げないでっ。エドガー君っ!」
しかし、リューネは騎士学校・新三年生の成績第一位だ。
身体能力ではエドガーには負けない。背を向けるエドガーに思いっ切り抱きつき、そのままベッドに倒れこむ。
「――
自分の部屋の固いベッドにボフッ!とうつ伏せに押し倒されて、エドガーは赤面しながらテンパる。
「な!なななっ、なんで、な!んでっ!?」
「黙ってエドガー君……
そう言って、リューネはエドガーの目元に何かを巻く。
「――冷たっ!?」
「あ、ゴメンね。でも……私も恥ずかしいから……」
――
「ねぇ。コレ……なんだと思う?」
「な……何ですか?」
「私……湯上りなのよ?」
「――!!」
エドガーでも気付く。リューネは、自分の身体を拭いたタオルで、エドガーを目隠ししたのだった。
「……正解」
キュポンっと、何か
「コレね、いい香りのする
「あ、あの……何をしようとしてます……?」
緊張と不安に
「……何って」
リューネは「分かってるくせに……」と言って笑う。
そんなリューネの言葉に、エドガーは更に緊張する。
エドガーだって健全な青少年だ。期待が無かったと言えば完全な
でも、こんなこと。今までのエドガー・レオマリスの人生にはあり得ないことだ。
ローザと出会って、人生が変わり始めた。
自覚は少しずつ出始めている、が。
こんなことが簡単に
(彼女が何を考えているのかが、まるで分からないけど……これだけは言える)
エドガーは、心の中で
タオルで隠された目を見開いて、この状況を
(どうにかしないと。それに、エミリアやローザに見られたら――死ぬっ!!)
そう。エドガーが、こんな
「リューグネルトさん……話があるなら聞きますよ……だから、一旦どきましょう、ね?」
焦りと自分の未来への不安半分、リューネへの心配半分で、彼女の
「……」
「あの。リューグネルトさん……?」
彼女は無言だった。
でも
「――エドガー君……何を言ってるの……?」
キョトンとした返答がエドガーの耳に入ってきて、変な声を出す。
「はぇっ!?」
見事に
◇
エドガーは、リューネにこんな事をしている理由を聞いた。
「ま、マッサージ。ですか?」
「うん。そう」
相変わらずうつ伏せで目隠しをされているが、リューネは事情を話し始めてくれた。
「私ね。
「
「そう。マッサージとか、すっごい得意なんだから!」
声が
「
「趣味のようなものだけど」と
「女子たちには沢山してきたから慣れてるんだけどね、男の人はまだ……ちょっとね」
だから練習させてほしい。そういう事らしい。
勿論、これは真っ赤な
「な、なんだ……そうならそうと言ってくれれば……」
そう言って、エドガーは目隠しを外そうとタオルに手をかけようとしたが。
――バッシャァァァァァン!!
「――な、何の音っ!?――そう言えば、さっきも鳴りましたよね!?」
今度こそタオルを取ろうとしたエドガー。
「それは、ダ~メっ!」
リューネに、身体全体で
「ええっ!なんでっ!?」
「ふふっ。いいからいいから……♪」
そうして、リューネのマッサージは始まってしまった。
◇
一方、大浴場では。
「で……?話ってなにかしら?」
ローザは、エミリアの真っ赤になったお尻を
「ううぅ」
ふしゅぅ~と息を
「エミリア。
学ばないエミリアは、またも高温の湯船に投げられていたのだった。
先程の音は、エミリアがお尻から投げられた音だ。
「だってローザの胸がぁ!」
涙目で、ローザの胸を
「――だってじゃないわよ」
ローザからすれば、あげられるものなら差し上げたいくらいなのだ。
今日、これ程までにこの胸をコンプレックスに感じたことは無い。
「で?……話す?」
ローザは、
エミリアは「きゅ~」っと敗北し。
「うぅ……話す」
◇
エミリアによると、ローザの存在は今は隠しておきたいとの事だ。
出かける時は、この赤い髪を隠して出歩くこと。
二人は今、エミリアに合わせて
ローザは何と三回目の入浴になる。この短時間で三度も湯船に
ローザは、ちゃぱちゃぱとお湯をかき混ぜながら。
「それにしても、あの子がエドガーの妹……ね」
リエレーネにエミリアが聞いた話は、やはりローザで大正解だった。
(まさか……
先程の決意は無かったことにしたい。
「うん。私、本当に驚いたんだからっ」
初めてリエレーネにエミリアが聞いた時、本当に驚かされた。
今ローザも驚いてはいるが、ローザの中では恥ずかしさが
「でも。外に出にくくなるのは嫌ね……
「ごめん……でも、今だけだから……ふぅ」
エミリアはお湯の暑さに
「……どういうこと?」
今だけ。と言うエミリアの背に、ローザは声を掛ける。
エドガーには言っていないが、エミリアとアルベールで考えていることがある。
「うん。小さいけどさ。
実は、アルベールが【聖騎士】に成った祝いとして、アルベールは屋敷を建てることになっている。それまでは褒美の屋敷に住むらしい。
ロヴァルト家が負担して建てるその屋敷を、ローザの為に使用すればいいと考えていた。
これはアルベールが言い出した事だが、エミリアも全面的に同意した。
「屋敷なんていらないわよ……お兄さんにもそう
「えっ、なんで!?」
洗い場に移動して、髪を洗いながらもエミリアは疑問に思う。
「屋敷があった方がいいでしょ?絶対この宿にいるより自由に出来るはずだしさ」
「エドガーはどうするのよ……私、エドガーと
「――えっ、なにそれ!?聞いてないよ!」
「言ってないからね……これは“召喚”の契約効果だと思うけれど……離れれば離れる程、力が弱まるのよ」
実はこの効果は、今日の昼にも発動していたのだ。
だからエドガーは、必死にローザを探した。
「ある程度の
「は、離れ過ぎたら?」
湯船に
「――さあね。死ぬとか?」
「――そんなっ!」
限りなく、死に近い事が起きるのは確かだろう。
それが、異世界人の契約と言うものらしい。
「……結果は分からないのよ。とても試せることじゃないしね……」
少なくとも、今のローザがこの国を一人で出ることは出来ない。
ローザはエドガーから離れるつもりなどないから、意味はないが。
これはエミリアには言わない。
「――ばっ!あっっつ……くない」
二度の熱湯ダメージの反動か、
これは普通のお湯だった。
「……フフッ」
「な、なによぉ」
「いいえ。なんでもないわ……」
笑みをこぼしながら、二人は大浴場を
◇
(なんだこれ……
リューネからマッサージを受け始めて、まだそう時間は経っていない。
それなのに、
「どうかな?気持ちいいでしょう?」
「――あ。……はい」
意識も
(もう少しね……ゴメン、エドガー君)
リューネの目的の為、エドガーには眠ってもらう。
初めから、エドガーに害を加える気はない。この王都で、この少年は“不遇”な扱いを受けているらしい。
だが【リフベイン聖王国】の最南で、かなりの田舎出身のリューネは知らない。
特別に調合された
(凄いわね……精神力が)
正確には魔力に分類される
契約の《紋章》として発動しているこの《紋章》は、ローザの【消えない種火】とほぼ同等の効果を持つ。
その一。状態の変化への
しかし、常に発動している訳では無く、任意での発動を主とする。
その為、エドガーは
「……」
「眠かったら寝てもいいよ?」
「あ。ふぁい……」
意識を手放そうとした。――その時。
バッシャァァァァァン!!
先程も聞こえた水音が、また聞こえた。
「っ!!」
(さっきからなんなのっ!コレ、エミリアでしょっ!?エドガー君が起きちゃ――)
「――すぅ……すぅ」
「……ね、た?」
大きな水音にも気付かず、エドガーは眠りに落ちていた。
「よし……後はっ」
リューネは
「……な、なにこれ――どれが“魔道具”なのよ……?」
正直、この国の常人にはどれも同じゴミに見えるだろう。
そんなリューネにも、目が
木のラック、その真ん中に
「――コレって」
リューネは自然と手を伸ばし、その《石》を
「あっつぅぅぅぅいっ!!」
三度目。またまた熱湯に放り投げられたエミリア。
「エミリア……
今度は叩くだけではなく、
「だって、だってぇっ!!」
どうも
「私も欲しかったぁ……おっきなオッパイ!」
目を見開いて、
「頭、大丈夫……?」
投げられすぎておかしくなったかと思うくらい、エミリアの行動は突然だった。
「成長期でしょ……?まだ大きくなるわよ」
「――無理だよっ!だって母様も小さいもん!」
「フッ。――フフ」
日常を楽しみ初め、明るくこの世界を受け入れていくようなそんな笑顔。
――が、突然。
「――くっ!――あっ!」
「――えっ?……ローザっ!?」
今まで笑っていたローザが、突然右手を押さえて
「ローザっ!どうしたの!?大丈夫……!?」
バテていたエミリアも、ローザの苦しみ方に異常を感じ、
「だ、いじょうぶよ……でも、この痛み……」
(まさか……エドガーに何か起きた……?)
不自然な痛み、唯一“契約者”と繋がっている右手の痛みに、ローザは感付く。
「エミリア。すぐにエドガーの所に行くわよ。まずいかも知れないわ」
「え、え?」
驚くエミリアだが、彼女にも心当たりがある。
「――あっ。まさか、リュ、リューネ……!」
「……なに?あの子がどうかした?」
立ち上がり、息を
「い、いや……リューネがエドに話があるって……だから今日、来たん、だけ、ど」
「
エミリアの心当たりにローザは
お仕置きにデコピンしてあげた。
「あだっ!!――うぅ……ご、ごめん」
デコを押さえてローザに謝る。
「いいわ、とにかく行くわよエミリア」
痛みが引いたらしいローザが、脱衣所に向かう。エミリアも急いでついていった。
「う、うん、多分エドの部屋だから……」
二人は着替える
バスタオルだけを身体に巻いて、エドガーの所へ向かった。
◇
人の気配が感じられない部屋、その部屋のドアの前で、ローザ、そしてエミリアが待機する。
ローザは、
「エドっ!!」
バタンとドアを
「……」
エドガーはベッドで横になっている。が、そのエドガーを見たエミリアは。
「あ、あぁ……エド、エドォォ!!」
安らかな顔をして眠るエドガーに、大切な人が死んでいると、そう
「落ち着きなさいって……」
エミリアの後ろから来たローザが、エミリアの
「にゃ、にゃにぉ……」
「エドガーに何かあったら私にも何か異常があるわ、だからエドガーも大丈夫。寝てるだけよ」
ゆっくりと近付き、エドガーの口元に耳を近付けるローザとエミリア。
すぅ。っと聞こえ、エミリアは安心する。
「よかったぁ」
ベッドの横にへたり込むエミリア。ローザは、そのベッドの横にある
「――っ!コレね」
ベッドの横の
――ゴウッ!と、
「わっ!な、何だったの。それ?」
一瞬生まれた炎に、エミリアは驚く。
「
「それをリューネが……?」
「エドガーが自分から使うとは思えないし、まぁ、そうでしょうね」
エドガーの目元に巻かれたタオルを確認して、ローザが答える。
「私、部屋に行ってくる!ローザはエドを起こしててっ!」
「エミリアっ!ちょっと待ちなさいっ……行っても多分――」
ローザの答えを聞く前に、エミリアは
「……
「さてと。この“契約者”君を起こさないとね」
そういいつつ、誰かさんが落としていったバスタオルを拾うのだった。
◇
「リューネェェェェっ!!」
先程よりも強く。ドアを勢いよく
「リューネ!!エドに何をしたのっ!?何が目的!?一体どういう……話を……した……の?」
居ない。
「あれ……そ、そういえば」
タラーっと
「ってあれ!?た、タオルがないっ……!あれれ!?」
部屋から顔を出して
「――やっちゃった」
もし【福音のマリス】に客が入っていたら、エミリアはお嫁にいけないところだったかもしれない。
エドガーには悪いが、今日ばかりは
それでも、全裸で
エミリアは着替えを、と思ったが。
「あ……だ、脱衣所じゃん」
ガックリと
「仕方ないよね……?エドがまだ起きてませんようにっ!」
エドガーの部屋までバスタオルを取りに行く。そう決意した。
今、この宿に三人の他は誰もいないというのに、なぜ脱衣所に着替えに行くという発想が出なかったのだろうか。
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