2-3 今から時間はあるかね?
さて。
苦戦しつつもなんとかニーナ式トリモチ兵器を地面から引き剥がすことに成功して、軍本部の留置場へ犯人を運んでいったわけだが。
「大尉……」
案の定留置場の担当者からは白い目で見られた。
まあ引き剥がしたとは言っても男の手足はベットベトなわけだしな。渡した後で男を抱えた担当官がうっかりベトベトの足を床にひっつけて、そのまま「びたーんっ!」と床にキスをしたのを見た時はさすがにいたたまれなかった。いや、ホント……本当にスマン。
私にしては珍しく (?)心からの謝罪をして顎を痛そうに押さえる担当官を見送ると、せっかく本部に来たんだからとマティアスのところに顔を出すことにした。昼飯? ンなもん諦めたよ。
アイツの部屋だからつまみの一つくらいあるだろうと期待しつつ進みながら、気まぐれに本部内を改めて観察してみる。するとあちこちにシミ汚れにひび割れと、オンボロ建物の見本市状態であった。
仮にも技術では世界の最先端を行く王国の軍本部だというのに、なんとも古臭いものだ。プラグマティストが多い軍の性質上、見た目にはこだわらないというのも分からん話でもないがもうちょっとこう、なんとかならんものかね。いやまあ、ド派手な軍というのもそれはそれでドン引きだが。
「む?」
くだらないことを考え、ふと顔を上げると正面から階級章と勲章をずいぶんと付けた御人が歩いてきた。
ロマンスグレーの髪をビシッとオールバックになでつけ、いかにも叩き上げの軍人と言わんばかりのガッチリした体格と厳しい雰囲気。以前と比べれば雰囲気こそずっと柔らかくなったがその姿は見間違えるはずもない。
「リンベルグ大佐」
何か考え込むようにうつむきながら歩いていたが、私の方から声を掛けると大佐殿も気がついたようですっかり皺の増えた頬を緩めてくださった。
「シェヴェロウスキー中尉、いや、もう大尉だったな。久しぶりだな。二年ぶりくらいかね?」
「はい。ご無沙汰しております。いつ本部にお戻りになられたのですか?」
大佐殿は一応は本部付の所属だが、実務上は王国各地の国境地帯を定期的に巡回なさっている。そのせいで本部付だというのに首都で会うのはしばらくぶりだった。それも大佐殿の類まれな実力と実績、それに人格が信頼されているということの証左だが、いやはやまったく、大変なお仕事である。私ならまず間違いなくお断りだな。
「昨日の夕方にな。と言っても、あと一ヶ月もすればここを離れる事になるがね」
「そうなのですか? 忙しないですね」
「はっは! 確かにそうだな。おっと、そういえば祝いの言葉もまだだった。改めて昇進、おめでとう」
「ありがとうございます。恐縮です」
「実績を考えれば遅いくらいだが、相変わらず上の連中は頭が固いものだな」
「いえ。どうせ私も出世は望んでおりませんので。偉くなって机にかじりついてるくらいなら、まだ国境で共和主義者や帝国主義者共とじゃれてる方がマシです。その際に大佐殿の下で働けるのであれば迷う必要もありません」
「ははっ! 君も相変わらずだな」
大佐殿が豪快に笑い、私を見て目を細めた。なんだか祖父が孫を見ているような感じがしないでもないが、まあ目をかけて頂いている証拠だと思って受け入れておこう。
「しかしちょうど良かった。最後に君には挨拶しておこうと思っていたんだ」
「最後、ですか……?」
「ああ。おそらく――もう私はここに戻ってくることはないだろうからね」
大佐殿はそう寂しそうに言った。
……どういうことだ? 二年前に比べれば確かに歳を召された感はあるが、それでもまだ老け込むほどの歳でも無いし、まだまだ大佐殿を必要とされている人間も多いはずだ。まさか辞める、などという事ではないと思いたいが……
「大尉。君が都合良ければだが、今から少し時間はあるかね?」
胸ポケットから時計を取り出して確認すると、私にそんな提案をしてきた。もちろん私に異論はないし断る理由もない。
うなずくと大佐殿が踵を返し、私も後ろに付いていったのだった。
「――なるほど、そういうことでしたか」
軍本部内にある喫茶店で、コーヒー片手に大佐殿の事情を聞いて相づちを打った。
一ヶ月後に大佐殿がここを離れる、と言ったのは本部付軍人として地方へ行くのでもなく、まして軍を除隊するのでもなく補給部隊への転属と言う話だった。
かつて大佐殿の下で戦ったこともある私は、大佐殿の実力をよく知っている。一兵士としても指揮官としても非常に優秀な御方だ。そんな人間をあろうことか補給部隊に転属させるなど、ウチの上層部もいよいよボケてきたなと本気で呆れたのだが、どうやらそれは私の早とちりだったらしく、大佐殿の方から転属を願い出たのだとか。
「いい歳だからもう田舎で大人しくしとけと妻と娘から強く迫られてね。私としてはまだまだ頑張れるつもりではあったんだがね、こぞって二人から詰め寄られては敵わなかったよ」
「女性は強い。奥方と娘さん相手ではあの大佐殿も形なしですね」
「まったくだ。だがまあ……結婚してからも戦争だったり、各地に派遣されたりしてばかりで妻にも娘にも構ってあげられなかったからな。ここらで残りの人生、家族のために費やすのも悪くはなかろうと思って、転属を願い出た次第だよ」
そう言って大佐殿はコーヒーに口をつけた。その表情は、なるほど私が知る大佐殿のそれよりもずっと穏やかではある。だが視線を落とすその瞳はどこか寂しそうでもあった。
納得はしているが、未練はある、といったところか。仕方あるまい。私よりもずっと長く戦場で生きてきた御方だからな。現場から退いて寂しいのは当然の感情だろう。
「しかしそうですか……大佐殿がいないとなると寂しくなりますね」
「何を言う。もともと私はいなかった様なものじゃないか」
「たとえお体は首都にいなくとも、本部に大佐殿が所属していらっしゃるだけでも心強いものですよ」
「あの跳ねっ返り小娘がまったく、ずいぶんと世辞が上手くなったじゃないか」
「いえいえ、本心ですよ」
「ふっ、ならばそのつもりで受け取っておこうじゃないか」
クツクツと喉を鳴らして愉快そうに笑うと、大佐殿はコーヒーを飲み干した。そして立ち上がろうとしたところで、「ああ、そうだ」と座り直した。
「長年、共に戦った君との縁がここで切れるのも惜しい。もしプロヴァンスの近くに来ることがあればぜひ訪ねてくれ。それまでにとっておきの酒を出す店を探しておこう」
「ありがとうございます。ぜひ」
「もちろん妻と娘には内緒でな。軍人とはいえ君のような若い女性とサシで飲むとなると嫉妬されるからな」
「御冗談を」
だがまあそう言って頂けるのはありがたい。それに、ご家族抜きというのはまあ……正直、個人的にも嬉しい話である。先日の話もあるしな。
二人でひとしきり笑い合ってから大佐殿は、テーブルにあったナプキンにサラサラと新居の住所を書いていった。しかも最後には「迷うなよ」のおまけメッセージ付きである。
「そういえば、集合の時に一人だけ違う場所に行ったこともあったな」
「いつの話をしてるんですか」
「三つ子の魂百まで、とも言うだろう?」
一応名誉のために言っておくが、私がまだ新兵に毛が生えたくらいの頃の話だ。しかも深い森を通過しての行軍であり、かつ魔術の使用を禁止された際の話である。同じ状況でも今は断じて迷子にはならない。たぶん。
しかしよくもまあそんな昔のことを覚えているもんだ。できることならさっさと忘れていただきたい。
「それは無理な相談というものだ。
さて、仕事中に時間を取らせてすまないな」
「いえ、久しぶりに大佐殿と会話できて有意義でした」
ナプキンを丁寧に折り畳んでポケットに仕舞う。普段だったら適当にポケットに突っ込むところだが大佐殿のメモだからな。雑に扱うわけにはいかん。
二人共立ち上がって、最後に握手をして大佐殿のご健康を祈ると大佐殿も私の無事を祈ってくださった。光栄です、と謝辞を述べて踵を返すと「大尉」と呼び止められた。
「この街で過ごしている君なら言うまでもないだろうが……最近、首都に不穏な空気が流れているのは気づいているかね?」
不穏な空気、ね。正直心当たりが多すぎるが、おそらく大佐殿が言っているのはこの街で暮らすエルフたちミスティックの不満が高まっていることだろう。
ここでミスティックについて軽く説明しておくと、ひとくくりにミスティックと言っても大きくは二つに分かれる。一つは、普段私が地下で相手している妖精やグールなど人とは大きく異なる、いわば神に近いまさに神秘的存在だ。こちらは基本的には姿を消してひっそりと暮らしている。
そしてもう一つがエルフやドワーフなど、人とは違うが人に近い存在だ。価値観も生活様式も人間に近いこの連中は普通に市民として暮らしているが、その殆どがいわゆる難民みたいなものだ。
今のところ暴力的な行動には出ちゃあいないが、その警備でウチも駆り出されることが増えている。認められた権利ではあるが、連中が暴れないよう監視せねばならんこちらとしてはまったくもってはた迷惑な話だよ。
「ええ、もちろん。大佐殿も気づかれましたか」
「さすがにな。久々に帰ってきて空気の違いに驚いたよ。
今はまだおとなしいが、政府が上手くガス抜きできなければ暴発しかねん。くれぐれも気をつけ給え」
最後の最後まで気を遣って頂いてありがたい限りだな。心構えとして胸にとどめておこうか。
改めて大佐殿に謝辞を述べて別れる。しかし……大佐殿がプロヴァンスに引っ越しか。できれば本当に大佐殿と酒を飲み交わしたいが、はて、あちら方面へ出張する用事があればいいんだが。
いつか来てほしい大佐殿との再会を願いつつ、振り返ってみる。すでに大佐殿の姿は遠く離れていて声を掛けても届きそうにない。それを少し名残惜しく感じながらも、私も本部を後にしたのだった。
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