第二十二話 死神VS不死者(side:ポメラ)

 ロヴィスは天井の穴を見上げながら、自身の頬に垂れた汗を親指で拭う。


「ほう……この俺にこれだけ危機感を覚えさせるとは、大した女だ」


 ロヴィスは黒の外套を纏った少女、ルナエールに不吉なものを感じていたが、しかし、まずカナタでなかったことに安堵していた。


 ロヴィスは傍らに立っていたはずの、ダミアとヨザクラへと目を向ける。

 彼らは少女の存在に気圧され、床に座り込み、肩を震わせていた。


 ロヴィスの身体も震えていた。

 だが、それはダミア達とは違い、武者震いであった。


 目前の少女は、人外のオーラを纏っていた。

 天井を破壊した魔法も、まるで正体が掴めなかった。

 ただわかることは、規模と威力が尋常ではない。

 明らかに格上の相手であった。

 ロヴィスを前にした落ち着いた様にも、風格があった。

 自身の全て、その全力をぶつけて、それでも敵う余地があるのかどうか、未知数であった。


 ポメラはカナタ絡みかもしれないと、ロヴィスはそう考え、ここを速攻で離れるつもりでいた。

 だが、目前の獲物は、逃すにはあまりに惜しかった。

 彼女こそ、自身の望んだ死闘を齎してくれる女神であると、ロヴィスにはその直感があった。


 ルナエールが上から降り、床へとふわりと降り立った。


 ロヴィスは狂気の滲み出た邪悪な笑みを浮かべていた。


「ロ、ロヴィス様……?」


 初めて見たロヴィスの表情に、ヨザクラが困惑の声を上げる。


 ロヴィスは無言で、素早く自身の大鎌を投擲した。

 大鎌は高速で回転し、円となってルナエールへ飛来していく。


 本来、戦いそのものに楽しみを求めるロヴィスは、相手を試す目的での軽い攻撃以外に、初手から全力の不意打ちを放つような真似はしない。

 先に戦闘の意思を示し、相手の準備が整ってから攻撃を仕掛けるのが常であった。

 もし相手が自身と戦えるだけの強者であれば、不意打ちで終わらせてしまえば、そんな勿体ないことはないからだ。


 だが、今回は別であった。

 どんな卑劣な手段であっても、自分のできること、使えるものをすべて使う。

 ロヴィスは本来、それが戦いであると考えていた。

 正々堂々を謳い、相手に準備の時間を与えるのは、高いレベルと恵まれた戦闘勘を持つロヴィスの全力をまともに受け止められる相手がいないための妥協であり、ハンデのようなものであった。

 しかし、目前の存在は自身の全力を受け止められるという、そういう確信がロヴィスにはあった。


 高速で飛来する大鎌を、ルナエールはあっさりと横に身体を倒して回避する。


「《短距離転移ショートゲート》!」


 ルナエールの背後の壁に、ロヴィスが現れる。

 ロヴィスは腕を振るいながら投げた大鎌を掴み、勢いを殺さず、その凶刃でルナエールの背を狙った。

 ルナエールは見もせずに、頭を下げて刃を避ける。


 再びロヴィスの姿が消えた。

 ルナエールの横に転移し、大鎌を振るった。

 だが、それもひらりと、紙一重に避けられる。


 四方八方より放たれるロヴィスの大鎌を、ルナエールは眉一つ動かすことなく対処していく。


「面白い、ならばこれはどうだ!」


 背後に跳んで一度間合いを取ろうとしたロヴィスへと、ルナエールは張り付くように距離を詰める。

 伸ばした人差し指で、ロヴィスの額を突いた。


「えっ……」


 ロヴィスの身体が軽々飛ばされ、床に激しく肩や腰を打ち付ける。

 壁に叩きつけられて止まり、呻き声を上げた。


「う、うぐ、今、何が……?」


 ルナエールが手を掲げる。

 彼女を覆っていた、厚手の黒い外套、《穢れ封じのローブ》が消える。

 白の衣に覆われた、彼女の美貌が露になる。


 それと同時に、抑えられていた冥府の穢れが立ち込めた。


 どうにか立ち上がりかけていたロヴィスは、足を止めた。

 正確には、足を止めさせられた。がくがくと膝が震え、まともに動かない。

 崩れるように、床へと座り込んだ。


 ロヴィスは《穢れ封じのローブ》のせいで、もしかしたら目前の少女は自分でも敵う相手かもしれないと、そう考えてしまったのだ。 

 遅れて理解させられた。この少女は、生物の在り方としての格が違っている、と。


 ロヴィスは身体中の体液が絞られているかのように、全身からだらだらと激しく汗を垂らした。

 指一つ動かせられない。

 重みを伴った恐怖に、身体を押さえつけられているかのような感覚であった。


 ロヴィスの歯が震え、目の奥から涙が滲み出てくる。

 辛うじて動く口で、ロヴィスはせいいっぱいの泣き言を零した。


「間違えた……」


 そうとしか言えなかった。

 ロヴィスは死闘を欲していただけであり、決して身体を縛った状態で溶岩に飛び込む派手な自殺をしたいわけではないのだ。

 しかし今回の行いは、どちらかといえば後者であった。

 今、ようやくそれに気が付いた。


 ロヴィスも自身ではどう足掻いても敵わない相手に出会ったのは、カナタが初めてだったわけではない。


 《人魔竜》の上位に立つような化け物相手ではどうしようもない。

 それにこの国にも、表には出てこないものの、抗ってはいけない絶対的な力というものが存在する。

 カナタ相手に素早く切り替えが行えたのも、そうしたものを目にした過去があったからである。


 だが、目前に浮かぶ少女は、そのどれと比べても明らかに異質であった。

 こんなものが世界にあったのだと、ロヴィスはこれまで知らなかった。

 なぜたかだか一都市の危機に、こんな化け物が唐突に現れたのか、全く理解が及ばない。

 いや、化け物という言葉では温い。

 目前の少女は、まるで世界を支配する法則の一つが具現化されたかのような、そんな圧倒的な存在であった。


 通常、レベル300越えの《人魔竜》格の人間など、一生に一度出会うかどうか、といった相手である。

 それも世界から危険視されているために、だいたいどこにいるのか把握されているものだ。

 なぜこんな、明らかにレベル2000を超えている、自然災害というのもあまりに生温い、形容しようのない化け物が何の脈絡もなくふらふらと世界を出歩いており、それに自身が立て続けに出会わなければならないのか、ロヴィスは己の底なしの不運を恨んだ。

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