第六十二話 《恐怖神ゾロフィリア》

「こんな、はずでは……ああ、新世界はすぐそこで……私が、ニグレイドの最後の末裔だというのに……」


 ノーツはその場に転倒して地面に手を突いた。

 息を荒げながら俺を見上げる。


「……この都市ではきっと、あなたを拘束しておくことはできない。何のためにこんなことをしでかしたのかは知りませんが……その首を、落とさせてもらいます」


 俺は《英雄剣ギルガメッシュ》を構える。

 ノーツはあまりにも危険過ぎる。

 彼は《人身贄餐サクリファイス》によってこの都市アーロブルクの人間の皆殺しを企てていたばかりか、その先にまだ何かを計画していたようであった。


「何のため、ですか……フ、フフ、フフフフ……」


 ノーツが笑う。


「この状況で、何を……」


「私がここで死に、神官としての役目を全うできないのは残念ですが……しかし、既に私の命など、些事なのですよ。《人身贄餐サクリファイス》は、更なる高階位の魔法を行使するための、魔力補充を行うための結界に、過ぎないのですから……」


 自分が死んでも構わないと、ノーツはそう言っている。

 ただの、強がり、なのか?

 いや、ノーツは、そんなことを口にするような人間だとは思えない。


「私は……貴方がここに来る前に、《人身贄餐サクリファイス》の魔力を用いて、《封神解放の儀ニルヴァーナ》を終えている。魔力の塊の様な貴方が結界の最深部に近づいて来てくれたおかげで、予定よりずっと早くに魔力が満ちました。人の愚かさとその業により封じられていたゾロフィリアは、既にこの世界に再臨している……」


 ノーツが目を見開き、口端を大きく吊り上げた。

 その表情は、憎悪と悪意に満ちていた。


 《人身贄餐サクリファイス》の目的は、都市への攻撃ではなかったのだ。

 集めた魔力を用いて《封神解放の儀ニルヴァーナ》とやらを発動し、ノーツの信仰する神、ゾロフィリアとやらの封印を解くことが目的であったらしい。


「もう、誰にも止められはしない……ゾロフィリアは今度こそ、一片の容赦もなく、この世界の全てを恐怖で染め上げるでしょう。フ、フフフ……じきに、封印から解き放たれたゾロフィリアが目を覚ます……! ああ、ああ、古来より継がれてきた、我が一族の悲願は果たされる時が来たのだ! 世界は今日を境に、その在り方を変えるであろう! そこに私の生死など、なんと小さき事……!」


 丁度その時、地下室全体が揺れ始めてきた。

 最初に俺の感じたこの広間に漂っていた不吉な気配は、ノーツのものではなかったのだ。

 他に、既にこの場所には何かがいたのだ。


「おお、おお、おおお! 来る、来る来る来る来る来る! 来る来る来る来る来る来る来る来る来る来る来る来る来る来る来る! 我らが神、ゾロフィリアが来る!」


 ノーツが大声で笑い始める。


「……ソ、ボ」


 何か、声が聞こえて来た。

 地の底から響いているかの様な、不気味なものだった。


「ア……ソ、ボ……」


 俺の背後に何かが現れた。

 俺は尻目で、そっとそれを確認した。


 巨大な緑と赤の仮面が浮かんでいた。

 仮面には何重にも螺旋の模様が入っており、左右に空虚な目がぽっかりと開けられている。


 仮面は高さ三メートル近くはあり、裏側からは仮面と同じく翡翠色の、何か植物と動物を掛け合わせたような不気味な肉塊が張り付いており、そこから何本もの触手が伸びていた。

 その触手も、植物のようでありながら、どこか人間の手足を思わせる生々しい形状をしていた。


 仮面を被る緑の臓物の塊と、そう形容するのが一番適しているだろう。


「な、なんですか、この化け物は……」


 俺は背筋が冷たくなるのを感じた。


「おお、おおおおおおお! ゾロフィリア! 我らの神! おお、なんと美しい! この目で、見ることができるとは! なんと……なんと! おお、父よ、母よ、遠き日に屈辱の中で絶えた偉大なる祖らよ! 私は、私はついに、成し遂げたのです!」


 ノーツは身体を起こして腕を組み、涙を流して異形の化け物へと祈る。

 これが、こんなグロテスクなものが、奴の信仰する神、ゾロフィリアだというのか。


 俺がノーツの異様な興奮振りと、何よりゾロフィリアという異形に呆気に取られていると、ゾロフィリアから伸びた無数の触手が俺へと襲い掛かってきた。


「ぐっ!」


 反応が、遅れた。

 俺は身体を反らしながら、《英雄剣ギルガメッシュ》を振るってゾロフィリアの触手を切断し、背後へと飛ぶ。

 だが、すぐに別の触手が俺の足を絡めとった。


「ア……ソ、ボ…………ア、ソ、ボ…………」


「うぐっ!」


 ゾロフィリアが、触手で俺の身体を振り回す。

 俺の背に、広間の壁が当たった。

 石壁を削りながらも、ゾロフィリアは俺を振り回し続ける。


「っ!」


 そのまま、広間の壁四面を一周させられた。

 俺が身体を捻って《英雄剣ギルガメッシュ》で触手を切断しようとしたとき、ゾロフィリアは俺を離して壁へと投げ付けた。

 石壁一面に罅が走り、崩壊し、土砂崩れが俺を襲って来る。


「アハハハハハハハハハハハハ! 寸前のところでしたが、これで私も助かった! おお、ゾロフィリア、偉大なる愛しき恐怖の神よ! 私は、私が生まれて来た意味は、今日このためにあったのだ! ゾロフィリアよ、愚かな人の手で歪められた世界を、在るべき姿へ導いてください! アハハハハハハハハハ!」


 ノーツの笑い声が聞こえて来る。

 俺は壁の残骸を退け、外へと這い出た。


「ア……ソ、ボ…………」


 ゾロフィリアの巨大な仮面が、すぐ目前へと迫ってきていた。


「……レベル2000前後って、ところですか」


 俺はそう呟き、思い切り《英雄剣ギルガメッシュ》を横薙ぎに振るった。

 仮面に英雄の刃が走る。

 大きな溝ができて表面が削れ、腕の様な触手が引き千切れていた。


「アアア、アアアアアアアアアアアアア!」


 ゾロフィリアが絶叫上げながら、斬撃の衝撃で上へと飛んでいった。

 天井を突き破って大穴を開ける。

 辺りに、ゾロフィリアから千切れた触手や肉塊の残骸が散らばった。


「アハハハハ、アハ…………は?」


 ノーツはゾロフィリアを追って天井を見上げ、それから呆然と口を開けながら俺を見る。


 不意を突かれて初撃をもらうことにはなったが、それだけだ。

 ゾロフィリアは俺よりも弱い。

 外見にちょっと驚かされたが、まああのくらいなら《歪界の呪鏡》でもたまに見るグロテスクさだ。

 恐怖の神とは言い難い。


「もっと強い魔物なら、《地獄の穴コキュートス》で何度か見て来ました。こんな程度で、世界の支配になんて届くわけがない。恐怖神というのは、名前負けもいいところですね」


 上の階層で、ゾロフィリアが苦し気に蠢いているのが見えた。


「ア、アゾ、アゾ、ボ……ア……」


 あれでも、都市アーロブルクの住人の人達からすれば十分すぎる程の脅威となるだろう。

 逃がせばこの都市を滅ぼしてしまいかねない。

 早くトドメを刺さなければならない。

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