【B.Part】

 飲み屋さんを居心地のいい自分の城にするにはどうすればよいのか? 答えは簡単、通えばいいのだ。それも集中的に通って、店員さんに顔を認識して貰えるようになればいい。そうするとまるでマイホームのように居心地がよくなる。最初の週はランチを混ぜながら意識的に三回ほど。その後は毎週金曜日夜に現れる存在として印象づければ、三十代行き後れ独身女子常連客いっちょあがりだ。

 今日も今日とて週末一人寂しくお店に顔を出す。通い初めて約四ヶ月。まだまだ新参者のお得意様だけど、「おや、今日はちょっと早いですね」なんて冗談まじりに迎え入れてくれる。そうやって席についてまずは一杯。カプレーゼとプルケッタなんかをつまみ、そろそろ二杯目というところで始まる演奏。最高のデザートだ。あぁ、なんて至福。

 お酒が目的? それともこの演奏? いいえ、人間正直が一番。白状しましょう。

「今日も素敵なピアノだったわ」

 演奏を終え、いつもの流れで私の横へやってくる彼女に称賛を。照れながらありがとうと返してくれる繰り返されたやり取り。えぇ、そうですよ。一番の目当てはこの横ではにかむ彼女、美島夕夏に会いたいからです。

「今日、来られるの少し早かったですね。私お店ついたら既に飲み始めてたし」

「えぇ。ちょっと会社の制度が変わってね。残業に対して今までのみなし残業手当ではなくて、ちゃんと残業代を支払うことになったのよ。そのせいで可能ならばさっさと帰れみたいな感じになっちゃってね」

「それっていいことなんじゃないんですか? 残業代出るんですよね?」

 不思議そうな顔で美島ちゃんが首を傾げる。まぁ、それが一般的な意見だろう。だが、今の日本社会はそうドライに割りきれることばかりではないのだ。

「パートタイマー的にサラリーマンしている人にとっては喜ばしい状況かもしれないわね。でもね、私が勤めているような小さい会社だと一社員といえどそんなに呑気なこと言ってられないのよ。残業代=人件費の増加でしょ? で、その人件費に充てる為の資金は当の私たちが持ってくる売上」

「働いた分だけお給料が増えるなら望ましいことなんじゃないですか? 弾いたら弾いた時間分だけお金もらえるなら私いつまでだって弾きますよ」

「それは美島ちゃんのピアノが上手で、弾いたらお客さんが喜んでくれるっていう成果=売上が約束されてるから成り立つ行為なのよね。もし私たちの仕事もやればやるだけ確実に成果がついてくる、売上が上がるものだったら皆必死で働くと思うのよ。会社は儲かるし、お給料も増えるし、皆うっはうは」

「うっはうは……その表現、ヤバイですよ。アラサーどころかアラフォー臭します」

「……気を付けます」

 アンチエイジングの秘訣は気の持ちよう。言葉遣いには細心の注意を……先日美島ちゃんに注意を受けたばかりだ、私の言葉遣いはどうにも歳より臭いらしい。うん、まぁ割りと自覚はしてたんだけどはっきり言われると堪えるものがある。以来気をつけてはいるのだけど、一度染み付いた習慣と言うのはなかなか消えるものではない。

「城崎さんのお仕事は時間をかけたからといってその時間分儲けが増える訳じゃないってことでいいんですよね」

「うん、そんな感じ。二時間で出来る仕事に四時間かけたからといって売上や成果が倍になる訳じゃない。前は皆何時間残業したって一律のみなし残業手当てだったから最短で最大の効率をって考えながらやってたのにね」

「今はそうじゃなくなった? あ、ビールおかわり頼みます?」

「うん。美島ちゃんどれ飲む?」

「今日軽いのがいいからハートランドですね」

「じゃあ私も。スミマセン、ハートランド二つ。……何だっけ? あ、そうだ、うん。社員の中でちょっとした軋轢が出始めててね。短い時間で効率よく成果を出せるタイプの人と、じっくりと時間をかけて成果を磨きあげる人。前はどちらも同じ評価だったんだけど、この制度になってから効率がいい人は損しちゃうのよね。世の中的な言い分としては効率よく成果が出せる人はその分追加の仕事をってことなんだろうけど、集中して短期決戦のつもりでやるからこそ時間短縮出来ているわけだし。追加で仕事出来る脳のリソースも体力も残ってなんかないのよね」

 そんなの短距離を走り終わったスプリンターに対して、早く走り終わったんだからもう一本走ってこいと言っているようなものだ。もっとも、パートタイマー意識の人からすれば「だったら長距離走ればいいだけでしょ?」って返されるわけだけど。これが資本主義か。会社の制度が自分と合わなくなったら今までの努力も貢献も全て水に流してこう言われるのだ。文句があるなら去れと。

 頭を、撫でられる。よしよしって。私、そんなに思い詰めた顔をしていたのだろうか。目が、ちょっと熱い。言葉が溢れる。

「あとね……そういう制度になっちゃうとお金が欲しいからわざと残業をする人も出てくるの。生活残業なんて言い方をするんだけど、本来は一時間で終わらせる能力がある人が三時間かけて仕事するの。でもそうすることでお給料は一時間で同じ仕事をこなした人より多くなるの。もう、ホントに悪循環」

 そう遠くない未来、うちの会社は傾くだろう。ギリギリのバランスを保ち、社員全体の高い意識を糧に成長を続けてきたが、投じられた甘い蜜によってチームワークを失い、空中分解を始めている。既に能力のある社員は転職の準備を始めている。私は、他から誘いを受けるほどの目立った能力もない。真面目と堅実が売りの地味な存在だ。それに三十を過ぎていつ結婚、出産があってもおかしくない女性ということもある。今から他の会社にというのはなかなかにハードルが高い。

「ごめん、なんか泣き言入った」

「全然。不安があるなら口にしましょう。それでその、と、友だちと話して……ですね、ビール飲んで、いい音楽聞いて、笑って、たまに泣いて、そしたら、たぶん、また明日もなんとかやってけます」

 美島ちゃんがにひひって三十三とは思えない可愛らしい笑顔で照れながらそんなことを言ってくれる。

「不安なんて私も吐いて腐るくらいありますよー。この際だからお互い色々吐き出しましょう!」

 ぐいっとハートランドを一気のみ。そして今まであんまり聞いたことの無いような威勢のいい声で。

「マスター! シメイブルー!」

 アルコール度数9%の修道院で作られたベルギービールの最高峰。その味は濃厚、でも香りはローズを思わせる華やかさを。酔いたい日にうってつけな至高のビール。

「軽いのとか何を明日を心配したお年寄りみたいなこと言ってんでしょうね」

 渡された青いラベルのボトルを手に、二つのグラスに深いルビー色の液体が注がれる。それをずいって私の手に渡してこう言うのだ。

「知ってましたか城崎さん、人生って一度しか無いんですよ? だから、楽しんだ者が正義です!」

 ビールグラス片手にドヤ顔でそう言ってくいーっとシメイブルーを空けていく。可愛いだけじゃなくてこんな一面もあるだなんて。美島ちゃん、このタイミングでそれは卑怯だよ。つられて私も一気に空ける。アルコールによって思考は澄み渡り、シンプル化が測られる。

 うん、それじゃ取りあえず今夜は後先考えずに楽しく飲みますか! 


B.Part End

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