深夜のブルワリー

時邑亜希

【A.Part】

 金曜の夜十時。世間が花金だ、飲み会だ、デートだ、オールだと陽気に楽しい週末を過ごす最中。私は相も変わらず社内で数名の同僚と一緒に残業にいそしんでいた。誰が悪いわけでもない、皆持てる力を精一杯駆使して少しでも会社の売り上げが上がる様に、しいてはこの夏の賞与が少しでも増えることを夢見て頑張っている。定時で帰ろうとすれば帰ることは可能である。ただ、この社会は皆が望んだ資本主義経済、競争社会なのだ。ライバル会社と凌ぎを削り合う現状、気を抜けばあっという間においていかれる。なら、今出来ることは今やってしまって、明日は更に新しいことをやるべきなのだ。

「城崎さん何時までやるんですか?」

 声をかけてきたのは二十代後半の後輩営業君。最近彼女が出来たとか喜んでたのに結局今まで通り残業か。はよ帰れっての。

「んーもう帰るよ。十時回るし……よし。私そろそろ帰るけどまだやる人いますー?」

 呼び掛けると皆概ね帰る様で。最長で後十五分の声。じゃあ、と皆それに合わせて片付けを始める。残業代が付かないが為にタイムカードの管理も適当だが、こうして誰かが一人ずるずると仕事をしてしまわない様に声を掛け合う文化がある。正直労働基準法何ソレ美味しいの?な状況だが、営業所内のメンタルは非常に良好で、売り上げも悪くはない。もっとも、それは日々のサービス残業がなせる業なのかもしれないのだけれど。

 結局それから二十分後、事務所の鍵を閉めて解散と相成った。仕事終わりの一杯なんてよく聞くけど、残業が当たり前の毎日ではそんなものは無く、たまにラーメンを食べに行くくらいでうちの人間は皆すぐ帰る。それにお酒を飲めない人間がほとんどだし。

 時刻は十時半を回るところ。健康の為には十時回れば食べない方がいいのだけど、空腹は誤魔化せない。誰かに連絡して飲みに行くにはちょっと遅過ぎる。帰って一人で何かつまみながらお気に入りの映画でも見て飲むのも悪くないけど、この世間が浮かれた金曜日という空気の中一人寂しく帰るのは辛いものがある。

 ほどなくして、私は最寄り駅の一つお隣の駅で降り、つい先日ランチを食べて美味しかったカフェバーの様なお店へたどり着いていた。比較的遅くまで営業していることと、一人飲みに優しい良い感じのカウンター席があることをチェックしていたのだ。一人で夜お店に入るときカウンター席の有無はマジ重要である。うっかりカウンター席の無いお店に入ってテーブルに通された日には死にたくなる。

 どうして日本の夜のお店はこれほどまで御一人様に厳しい環境に作られているのだろう。料理だって一人分で出してくれるお店なんてごく僅か。大概は二~三人用である。お店によっては一人だと食べ物の選択肢は驚くほど狭くなる。何かで読んだことがあるのだけど、これは今の日本社会が基本的にはペア、ないしはグループでの行動をスタンダードなモノとして考えてきた結果なのだという。夜に外でお酒をのむシチュエーションはデートもしくは飲ミニケーションの為に存在するものであって、夜が始まった時点で一人あぶれているボッチに対して『この社会にはお前の居場所なんて無いぞ』と思わせる為なんだとか。確かに夫婦になって最低二人の子孫を残さないことにはその民族は衰退していってしまうわけだから、この思想誘導はある意味では正しい。それに劣性遺伝子、要するに魅力もコミュ力も無い人間は百年先の豊かな国家創造にマイナスなのだし、間引くというか生存競争に敗れて当然という考え方は資本主義社会を礼賛している以上仕方がないことにも思える。もちろん例外はある。でも私はその例外ではない。

 つまるところ、私は間引かれる存在だ。

 城崎沙織、今年三十一歳。仕事は建築設備関係の営業職。絶賛シングル街道まっしぐら。世間では晩婚化が進む昨今、三十前半ならまだまだこれからなんて言われているが現実は甘くない。えぇ、行き遅れですとも。友だちは次々に結婚して、気付いたら週末飲みに行く仲間もいなくなったような憐れな女ですとも。

 席についてメニューを見るや否や生中(ドライ)とタパス三種盛りを注文する。この辺りが私が女子力が低いと言われる由縁だろう。ビール党+即決系女子である。男前とかそういう賛辞は聞き飽きた。単に好きなものを頼んでいるだけだ。

 並々に次がれた美しい琥珀色を手に一人乾杯。タパス三品もイワシ、ピクルス、フリッタータとなかなかに悪くないラインナップ。はぁ、今週もお疲れさまでした。土日はゆっくり夏服でも見に行って、月曜からまた頑張りましょう。

 一人は確かに寂しいが望んでこの状態になっているとも言える。全てが気楽だ。仕事は今のところ順調だが、この先何十年同じペースでこなせるとは思っていない。いずれ限界が訪れるのだろう。その時私はどうするのか。そんなことはその時になってみないと分からない。今は今しか過ごせないのだから。刹那主義とか、快楽主義とか罵られようとも、今を全力で楽しむのみだ。あーこのイワシうめぇ。

 ふと、店内のBGMが止まったことに気が付く。そして聞こえてくる生ピアノのゆったりとした旋律。おぉ、アップライトだけどピアノが置いてあると思ったら、生演奏が楽しめるお店だったのかここは。こんな時間だけど地下店舗故の特権。生演奏はいい。御一人様には非常に優しいイベントだ。

 ピアノを弾くのは同い年、よりちょっと若いかなって感じの女子。(女はいくつになっても女子だ)緩いウェーブのかかった髪の、細い華奢なピアニスト。でも彼女の奏でる音は力強く、トンと心に響くいい音だ。生憎と私は音楽に明るくはないからこの曲名を言うことは出来ない。でも、きっとどこかで聞いたことのあるメロディ。週末の夜、楽しく飲むお酒のおつまみとしては極上のピアノソロ。あぁ、ビールが進む。

 私が二杯目のビールを注文した頃、ピアノの演奏は終わり、彼の奏者はお辞儀の後私の座るカウンターの一つ空けた隣に座した。マスターが称賛と共に賄いなのかパスタを彼女の前に置く。近くで見れば尚魅力的。この細い二の腕のどこにさっきの演奏を実現するパワーが秘められているのか。

「素敵な演奏ですね。私ここ夜は初めてなのだけどよく弾くの?」

「あ、はい。ありがとうございます。週に何度かは」

 うん、声も楽器の用に可愛らしい。

「一杯ご馳走させてもらえないかしら。日本ってあんまりチップの概念が無いからこういうとき変なナンパみたいになっちゃって困るのよね」

「あ、いえ、そんな。私お金頂いていますので」

「週末に独り飲む悲しく哀れな女に付き合うと思ってさ。マスター、彼女お酒飲むんですか?」

「彼女もお客さんと同じビール好きですよ」

 マスターがニコニコ笑いながら答える。おぉ、マジかよ。なら尚のこと飲んでもらわないと。

「乾杯しましょうよ。ビール、好きなの頼んで! というか頼みなさい!」

 強引にメニューを広げ、さぁ!とせまる。さすがに観念したのか、彼女はじゃあごちそうになります、とレーベンブロイをと口にする。

「遠慮してるでしょ?」

「え? や、そんな」

「マスター、ヒューガルデン二つ!」

 はいよ、と小気味いい返事と共にオーダが通る。ドライ×2からのキングオブホワイトビールであるところのヒューガルデンとか、もう至福コースだ。

「目線、お見通しですよ?」

「恐れ入りました」

 程なくして、キメ細かな泡の乗ったホワイトビールが二つ。素敵な演奏と、この透明な小麦色に乾杯。あぁ、生きててよかった。

「ごめんなさいね、無理に付き合わせちゃって。老人介護のつもりで寂しいオバサンの話し相手になってやってよ」

「そんな、お若い……ですよね?」

「今年三十一よ?」

「……私三十三です」

 え、マジですか。見えねー!

「失礼致しました先輩」

「あはは、若く見られてお礼を言うことはあっても怒ることはありえないです」

 えっへん、と白い泡を若干口の上に付けながらそう宣う彼女。そうですか年下ですが、えーまじかよー、何だよその肌のハリ可笑しいでしょ。

「若さの秘訣を是非」

「音楽とビール」

 なるほど、私に足りなかったのは音楽か。

「楽器始めたらアンチエイジングになるかな」

「半分冗談ですけど、あながち嘘でもないかもですよ」

「それは脳と手先を使うからってこと?」

「もちろんそれもありますけど、もっと重要なのは自分のやりたい創造的な遊びに全力で取り組む姿勢です。要は気の持ちようなんですよ。心が若ければ自然と見た目も追従してくるというか。私は……まぁ、見ての通りいい歳して定職にも就かず、結婚もせずにこんなことしてますから。欠点は社会から誉められる立場にはいないってことですけどね」

 定職に就いていない、大成功を納めているわけでもないアーティストの立場か。確かに、実家にはおいそれと帰れなくなるよね。真っ当働いているはずの私ですら、いつ結婚するんだとか、いい人はいないのかとか、縁談の話があるのだが、とかで帰りたくないのだし。

「演奏はここだけ?」

「はい。マスターが昔からのお友だちなんです。そういう縁で。非常勤の音楽教師をしてた時期もあったんですけどなかなか雇用が無くて……って、何私が愚痴ってるんでしょうね。スミマセン」

「全然、愚痴って愚痴って! 同じビール党のアラサー女子、遠慮は無用よ」

 そこからは女子二人のただの愚痴り大会。実に有意義なビアタイムとなりました。



 終電も間近の時間。女子二人ふらふらと顔を赤くしながら駅へと夜道を歩く。私は一駅先。彼女はこのまま駅を越えて南に少し行ったところだとか。

「大丈夫? けっこう飲んだみたいだけど」

「全然おっけーです。最近、こんな風に人と飲むことも少なかったので……すごく楽しかったです」

 まるでどっかの私みたいな感想。そうだよね、アラサー独り身女子。その気持ちすっごくよく分かる。

「週末、また仕事終わりに来るわ。そうしたら貴女の演奏の後、また二人で飲みましょう」

「はい、是非に!」

 ビシッと敬礼。や、酔い過ぎでしょ貴女。

「本当に大丈夫? やっぱり送るわ。ここからなら電車じゃなくても私帰れる訳だし」

「カッコいいですね」

「ありがと。逆に女子力が足りないってよく言われるけどね」

「そうですか? 私はそういうの好きですよ」

「貴女は女性でしょ?」

「……そうでしたね。うん、ホントに大丈夫ですよ。酔いを覚ましながら歩くにはちょうどいい感じです。では、ここで」

 気がつけば駅を潜る高架。えぇ、それじゃあまたねと別れを告げる。

「ばいばい」

 そう言って可愛らしい笑顔で手をふる彼女。ばいばいって、子どもの頃の挨拶じゃないか。懐かしい。でも、そう、約束もないのにまた明日すぐに会って遊ぶことを疑わない、純粋な別れの言葉。だから私も柄でもないのにこう返した。

 ばいばい、って。



A.Part End

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