第23話

 祭りへ行く前に、彼女は寄りたいところがあると言う。夜祭なので、どうせ六時か七時くらいまで時間がある。僕は彼女に言われるまま、祭り会場よりも少しだけ遠くを目指した。

 ひと月ほど前、僕らが訪れた花畑である。


 到着したのは午後六時を少し過ぎた頃だった。夏だから、陽は沈んでいなかった。花はまだ咲いているが、ほかの施設に客足をとられているのか、以前よりもカップルの数は少なかった。

「やっぱり綺麗だねえ」

「うん」

 ロマンチックと言うには少し明るすぎるけれど、これはこれで綺麗だ。一つ一つの花がはっきり見える。

「ねえ、綾辻くん」彼女はあの日のように、両手を後ろにまわして花畑を眺めていた。

「なに?」

「あらためて、訊きたいんだけど」

 首だけ捻って僕を見る。

「君の死因に、なってもいいですか?」

 それは、僕らが出会って間もない頃に、彼女が発した奇妙な問。あの時、僕はその意味が解らないでいた。

 けれど、今ならば解る。それは、実に単純な質問だったのだ。

 ── いつか死んでしまうけれど。

  君を不幸にしてしまうけれど。

   うまくいかないことは、神様から聞いているけれど。

 それでも、君の『また会おうね』になっていいですか。

 謎めいた彼女の問は、たったそれだけを意味していた。

「…うん、いいよ」

 僕が頷くと、彼女はとても幸福そうに、子供みたいに頬を緩めた。面映くなって目を逸らす。

「じゃあ、君は、自殺しちゃダメだからね!」

 せっかくの詩的な美しさをぶち壊して、彼女はずばり言い切った。死因になるって、お前が指定するのかよ。

 つい、僕は噴き出した。

「どうして?」

「君には、生きててほしいから。ちゃんと生きて、私が、私たちが幸せだったって、証明してほしいの」

「たとえ、君が先に死んでも?」

「うん。私のワガママ。独り善がり。でも、それでもいい。AIがダメって言っても、いや、ダメって言うからこそ、私は君の死因になりたい」

「…約束は、できないかもしれない」

「なんで」

「君が死んだら、生きる理由がなくなる」

 まあ、我ながらキザな台詞だ。でも嘘じゃない。また廃人みたいな生活に戻って、そのうち病死するなんて、考えただけでゾッとする。

 彼女はきょとんと押し黙って、それから、破顔一笑、楽しげに声を揺らした。

「君がそんなこと言うなんて、私、実はもう死んでる?」

「そうかもしれない。君は、たぶん死神じゃなくて天使だ。僕に蜘蛛の糸を垂らしてくれた」

 彼女は僕を不幸にすると、AIは言った。たしかに、いろんな揉め事に巻き込まれたし、けっこう痛い目に遭った。

 でもほら、結果として、僕は救われている。ヘドロの腐ったような、この退屈な人生に、生きる希望さえ見出した。

「君がその糸を放したら、僕は地獄へ真っ逆さまだ」

「それは困るなあ。天国でボッチになっちゃう」

「君には友達が沢山いるでしょう?」

「何十年も待たなきゃいけないのは辛いよ」

 なるほど、たしかに僕が適任だ。どうあがいても十年は生きられそうにないから。

「僕を、呪い殺してくれるんじゃなかったの?」

「んふふふ、そのとおりだよ。君は、私の言葉を忘れられずに、私のために天寿を全うするの」

 夕凪の夏原に、かすかな風が吹き抜ける。おもむろに、彼女はまっすぐな黒髪をかき上げた。

 なにも言えず、僕は花畑を眺めていた。彼女も、それ以上は言わなかった。


 空が群青色になり始めた頃、僕らは祭り会場へ向かった。最初に祭りを感じさせたのは、お囃子の音、それに食べ物の匂いだった。夜気を熱する人々の体温と話し声。まもなく、屋台の群れが現れて、その向こうに大きな社がぼんやりと浮かび上がる。

 こんな時代になっても、人々は神様の膝もとで騒ぎ立てる。神社の境内では盛大な焚火が行われ、古風な民族衣装を着た人々が舞を披露していた。これが名物らしく、浴衣姿の老若男女が寄って集って、遠巻きに神事を見物している。

 僕らは数分ほど舞を眺めてから、屋台をまわった。小腹が空いたのでたこ焼きを買って食べる。彼女はりんご飴をかじりながら、僕の右隣をくっつくようにして歩いていた。人が多いので、必然的にそんな形になる。

「ね、一個ちょうだい」

「んー、はい」爪楊枝でたこ焼きを刺して、目の前に突きつけてやると、彼女は一口に頬張った。

「おいひぃ」

「お行儀が悪いよ」

「はい、お返し」たこ焼きを飲み下した彼女は、代わりにりんご飴を差し出した。そのまま齧りとる。どこか懐かしい味がした。

「わーい、間接キスだぁ」とはしゃいで、彼女はりんご飴を食べ進める。そのボケから目を逸らして、僕もたこ焼きを頬張った。


「そろそろ花火が上がるはずだから」

 佐伯さんにそう言われて、僕らは神社の裏手へまわった。虫が多くなるからか、人は少なかった。

 十分ほど経ってから、果たして、夜空に火の花が咲く。

 どんどん、鼓膜というよりは体全体を震わせるような爆発音が、花の開ききる頃に届く。赤に緑に、どんどんどんどん、いくつも重なって咲き続ける。

「たーまやー」彼女はご機嫌に叫んだ。

「綺麗だね」

「うん。やっぱ夏はこれだね」

 火の花が開く度に、彼女の白い横顔が宵闇に浮かび上がる。それは、ひどく儚い光景だった。

「綾辻くん」

「うん?」

「後ろから、ぎゅってしてくれない?」

「また?」

「今度は後ろからだよ。ほら、早く早く」

 宵闇が羞恥心を鈍らせる。僕は言われるままに彼女の背後へ移動し、腕をまわした。彼女の手が、僕の腕にそっと添えられる。

「ねえ」

 しばらくして、花火の音にかき消されそうになりながら、彼女が呟いた。手には端末が握られている。

「なんでしょう」聞き慣れた女性の声が応える。

「私は、恋ができないんだよね?」

「はい。非常に困難です」

「もうすぐ死んじゃうんだよね?」

「はい。余命は一年から二年と推定されます」

「私は、幸せなんだよね?」

 ここまですらすらと答えていたAIが、不意に押し黙る。

 やがて、言い訳みたいに答えた。

「お答えできません」

「んふふふふふふふ」

 彼女は笑った。何かに満足したように。またあるいは、なにかを諦めたように。

 そして、高らかに宣言する。

「ざまあみろ、私は幸せだ」

 ひときわ大きな赤い花が、夜空で大きく鳴った。

 なぜだか、僕は泣きたい気持ちになって、彼女の耳元でささやく。

「ねえ、君は、ほんとに死んじゃうの?」

 突然のことに驚いたのか、束の間の沈黙があった。それから、低くて優しい声で、そっと答える。

「死んじゃうよ。きっと、君が自殺するよりも早く」

「…やっぱり、僕も死んじゃダメかな?」

「ダーメ。私だって、ホントは君を連れていきたいんだからね?」

「だったら──」

「でも、ダメなの。最初に言ったでしょう、復讐を手伝ってもらうって。ふたりぼっちの、理不尽な人生に対する復讐だよ。…いまなら、解ってくれるよね?」

 僕は頷く。

 僕と彼女の物語は、出来損ないの抵抗だ。神様が、AIが定めた出来損ないの人生に、精一杯食らいついて、そうして、二人で幸せになって、見返してやる。ただ、それだけの話だ。

 上手くいかないと判っていて、生きていくことの惨めさ。

 それを否定するために、僕らは運命に抗うのである。

「だから、ちゃんと天寿を全うしてくれないと、許さない。天国で、死因は私だって認めてあげないんだからね」

 それは困る。もはや僕は、佐伯さん以外の理由で死にたくない。すっかり復讐の片棒を担がされていたというわけだ。

「それで、どうなの?私のお願い、聞いてくれる?」

「…頑張るよ。僕の死因は君が好いから」

 彼女は噴き出した。

「へんな日本語」

「そうだね。でも、嘘じゃないよ」

 僕も笑った。

「この夏休みは、きっと毎日遊ぼうね!」

「いいね。明日はどこへ行こうか」

「えっとねぇ…」


 祭り会場を後にして、僕は今度こそ、佐伯さんを家まで送った。

「また明日」

 別れ際、彼女はやっぱりそう言って、大袈裟に手を振りながら笑ってみせた。僕も同じ言葉を返す。

 それからまっすぐ家に帰ると、時刻は十時をまわっていた。シャワーを浴びると、どっと疲れを感じて、僕はベッドに倒れ込む。

 まだ夏休みは始まったばかりだ。

 そう思うと、自然と笑みが溢れた。

 僕と彼女に残された人生が、どうか穏やかでありますように。

 どこにいるのかも判らない神様に祈りながら、僕は眠りに落ちた。

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