第17話

 また、彼女を殺風景な四畳半に招待した。やっぱりベッドの下を確認してから不機嫌そうに座る彼女のツッコミ待ちを無視して、僕は彼女の向かいに腰を下ろす。

「やー、なんか申し訳ないね。冷房まで使わせてもらって」

 ツッコミは諦めたのか、彼女はローテーブルの上で手を組み合わせながら、エアコンを見上げて言った。

「いいよ、どうせ僕が使うし」

 面倒な委員会の仕事を終えてから、僕は彼女と一緒に帰宅した。その途中で、彼女が僕の家に来たいと言って、連れてきた次第だ。

「さあて、夏休みだよ!」

「知ってる」

「テンション低いなあ、もう。遊びまくらなきゃ損だよ?」

「あのさ、たまに思うんだけど」

「なに?」

「君って、ほんとに病気なんだよね?」

「そだよ?」

 事もなげに答える。どうやら、僕は現代医学に敬意を払わねばならない。僕なんかよりもずっとバイタリティに溢れている。大したものだ。

 彼女はローテーブルの上へ身を乗り出す。

「夏と言ったら海だよね!」

「うん」

「というわけで、海へ行こう」

「海?遠くない?」

 ここからだと電車に乗って二時間はかかる。行けないこともないが、わざわざ行こうとも思えない距離だ。

 だが、彼女は退く気配を見せない。

「いいじゃんか、夏休みなんだし」

「んー、まあいいか」

「あとは、夏祭りにも行きたいなぁ。花火見て、りんご飴食べてさ。それから…」

 すこぶる楽しそうな彼女に、反論する気にはなれなかった。けれど、素直に賛同するのはなんとなく癪だったので、ちょっと水を差す。

「じゃあ、とりあえず追試を終わらせないとね」

「いま言わなくてもいいじゃん、もう!」

 結局、彼女は追試を受ける羽目になった。

 本来ならば結構な科目数になるはずだが、学校側の配慮によって多少楽になったようだ。夏休みを一日返上し、一気にテストを受けるのだという。今度の数学は赤点でないことを祈るばかりだ。

「ねえ、綾辻くん」

「うん?」

「君は、どうして死にたいの?」

 あれ以来、彼女の方も、あまり積極的にその話題を持ち出そうとはしなかったし、仮に持ち出したとしても、それは冗談へと転化した。だから僕の方も、多くを語ろうとはしなかった。

 AIの予言だけを聞かせたので、僕を自殺志願者だと思っているのだろう。それは当然のことだ。

「僕は、死にたがってるわけじゃないよ。理由は、僕にもよく解らないんだ」

 そう答えて、ぽつりぽつり、僕はこれまでの経緯を話した。

「…と、まあ、そんな感じ。だから、僕は潜在的に死にたがってるのかもしれないけど、今日にも明日にも死にたいってわけじゃないんだ」

「ふうん。なんだか、ややこしいね」

 そのとおりだ。どうしようもない。

 生きている方が苦痛だと、神様に近いモノから告げられたのだ。それは、やがて夜が明けてしまうことのように、どうしようもないことだ。

「気持ちの問題はともかく、病気、か」

 すでに病に冒されている彼女は、何か感じるところがあったのか、座り直して腕を組んだ。僕も姿勢を正す。

「うん。まあ、具体的な話は、聞いてもよく解らないから憶えてないんだけど、命に関わる病気なのは間違いないみたい」

 どのみち長生きはできないのだ。死んだ方がマシだと思うような時間が、たぶん二十五歳くらいまで続いて、どうせ死んでしまう。それが、この人生のオチだった。だからAIは、僕に自殺を勧める。

 ひどい話だ。

 意図せず、暗い話になってしまった。

「…ごめん」つい謝る。

「どうして謝るの。君が悪いわけじゃないのに」

「や、その…うん」

「…ま、いまは止めよう、その話。いざとなったら、私があの世まで連れてったげるからさ」

 からり笑って、彼女は言う。冗談めかして、バカみたいに深刻なことを。

「どうして、君まで死ぬの」

「ほら、あの世でもボッチにはなりたくないから」

「もしかしてバカにしてる?」

「うん」

「深く傷ついたよ。夏休みはひきこもることにするね」

「冗談だよぅ。ほら、だから笑って。そんな顔しないで」

 そう言われて、僕は咄嗟に顔へ手を遣った。

「そんなに、ひどい顔してた?」

「まあね。思い詰めてるって感じ」

 彼女は苦笑して、こちらへ手を伸ばしてくる。そのまま人差し指で僕の額を弾いた。痛くはなかった。

「死なずに相談してって言ったのは、君でしょう?勝手に死んだら、許さないからね」

「…うん」

 とりあえず、卒業までは生きていようと思った。


 夏休み初日の、午前七時。

 既視感ならぬ既聴感満載のアラームに、僕は数十秒耐えた。画面は見ていないが判っている。昨日、アラームはオフにしたはずだから。

 ようやく鳴り止んだ、と思ったら、また鳴り始める。どうやら諦める気はないらしい。

 仕方なく起き上がり、通話に応じる。

「レイニー、グッドモーニング!」

「…何の用?」

「えー、なんか冷たいなぁ」

「君の体内時計が壊れていなければ、僕だってもっと穏やかに応じるよ」

 佐伯さんはどうしてこんなに早起きなんだろう。お弁当を自作しているらしいから、癖がついてしまっているのかもしれない。

「まあまあ、そんな怒んないでよ」

「ひとつ貸しだね。それで、何の用なの?」

「やー、追試に付き合ってほしいなあってさ」

「バカなの?」

 どうやって付き合えって言うんだ。

「だってさ、一人ぼっちじゃん?お昼とか退屈だし、お願いだよ」

 夏休みはすでに始まっているわけで、たしかに彼女は、一人ぼっちの教室でテストを受けることになるのだろう。それを想像すると、下手に文句が言えなくなってしまった。今回の追試は彼女に非があるわけではないから、尚更だ。

 なんだかんだ言って、僕は彼女に逆らえない。

「…何時までやるの?」

「五教科だから、五限までだね。お昼挟んで一つだけだから、お願い!このとおり!」

 どのとおりなんだよ。

 僕はため息を吐いて、自分を納得させるように小さく頷いた。

「…わかった。でも、行くのは昼でいい?」

「もちろん!ありがとう、恩に着るよ!」

「前回のツケも合わせて、礼は四倍に…」

 また切りやがった。今頃、端末の向こう側でほくそ笑んでいるのだろう。

 とてもとても、口惜しいことだけれど。

 そうやって彼女に振り回されるのを、嫌だとは思わなくなっていた。


 午前中はだらだらと過ごして、少し早めに家を出た。途中、コンビニに寄って菓子パンとカフェオレを買って、学校へ向かう。制服に着替えるのは面倒だったので、私服のままである。何となく新鮮だ。

 教室に入ると、佐伯さんはすぐに僕を見つけて、とてとて駆け寄ってきた。僕は近くの椅子に座りながら、テストの出来栄えを訊いた。彼女は「悪くないよ」と答えた。それから数十分、昼食に付き合ってから、「頑張ってね」と残して教室を後にした。

 佐伯さんが最後のテストを受けている間、僕は玄関手前のベンチに腰掛けて、持ってきた文庫本をぱらぱら捲っていた。あまり面白いとは思わなかったけれど、五十分程度ヒマをつぶすにはうってつけだった。

 そうして、二十分ほどが過ぎた頃。

「あ、綾辻!…くん」

 唐突に呼ばれて、僕は顔を上げた。そこには、半袖シャツにハーフパンツを穿いた瀬戸さんが立っていた。首にタオルをかけて、右手にはスポーツドリンクらしき青いボトルを下げているから、きっと部活終わりとか、そんなところだろう── なんて冷静に分析しながらも、僕はかなり動揺していた。

 今度はなんだ?

 しかし態度に出せるわけもなく、かと言って数日前、僕は彼女の胸倉を掴み上げたのだから、にこやかに挨拶するわけにもいかない。

 彼女の方も、口を開かなかった。へんに気まずい空気が流れる。

 どうしよう。ひとまず、謝っておくべきだろうか。

「「あ、あの!」」

 僕の声は、見事に彼女と重なった。そんな漫画みたいな、と思うけど、そんなこともあるものだ。

「あ、ごめん…」咄嗟に謝る。

「えっと、その…」

「こないだの話、だよね?」

「うん…私、綾辻くんに、酷いこと言った。ごめんなさい」

 言ってから、彼女はぺコンとこうべを垂れた。これまでの高圧的な態度からすると、まるで別人だ。

「いいよ、僕も、事情を知らなかったんだから、仕方ないよ。…その、僕の方こそ、掴みかかったりして、ごめん」

「や、そんな…え、えっと!隣、いい?」

「どうぞ」

 少し左に移動すると、彼女は拳二つぶんくらいの隙間を空けて、僕の右隣に座った。制汗剤だろうか、ふわりと青リンゴみたいな匂いがした。

「私、あのあと、陽花から聞いたんだ。綾辻くんのこと。そしたら、ほんとに付き合ってないって言うし、何もされてないどころか、仕掛けてるのは陽花の方だって…君の言ってたとおりだった」

「誤解が解けたみたいで良かったよ」

 瀬戸さんが高圧的で一方的だったのは、佐伯さんを思う気持ちがさせたことだったのだろう。それは解っている。瀬戸さんは僕なんかよりもずっと長く、佐伯さんの友達をやっているわけで、本当に大切な友人だからこそ、譲れないことだった。

「僕も、佐伯さんから聞いたよ。中学の頃のこと」

「…そっか。なら、話は早いね」

「どういうこと?」

「実は、あの子を襲った男は、未だ陽花に執着してるかもしれないんだ」

「え」

 佐伯さんは、それ以来何も無いと言っていたはずだ。

「確かなことは判らないんだけどね、高校に入学してから何度か、誰かが陽花をけまわしてるところを見たことがあるの」

「…うん」

「陽花は何もされてないみたいだったし、下手にそれを教えて、あの子を怖がらせるのも嫌で、言わなかったんだけど」

 そうか、だから余計に、瀬戸さんは敏感になっていたのか。僕はストーカーと間違えられていたらしい。

「でも、それは危ないね」

「うん。まあ、陽花はあれ以来、人気の無い道は通らなくなったし、私も、できるだけ陽花を一人にしないようにしてたんだけど…やっぱり心配」

 僕は無言で頷き、俯いた。以前、バイト帰りの彼女を交差点まで送っていったことを思い出す。あの時だって、本当は家まで送ってあげた方がよかったのか。

「綾辻くんも、できるだけ陽花を一人にしないであげて。あの子、へんなところで強がりだから、平気そうにみえるけど、ほんとは多分、男子のことも怖がってると思うし、結構寂しがり屋だから」

 寂しがり屋というのは、なんとなく頷ける。些細な道程にも、僕を呼び出したがる。今日だってそうだ。

 彼女はいつだって笑っている。

 ほんとうは、泣きたい時だってあるんだろうに。

「わかった。気をつけるよ」

「ありがと。私、もう行かなきゃ」言いながら彼女は立ち上がった。

「それじゃ、また」

「うん、またね」

 走り去る瀬戸さんの背中を見送って、僕は再び文庫本に目を落とした。

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