第11話
コンビニで買ってきたサンドイッチを一人きりの部屋で齧りながら、散々、悩みに悩んだ。
「ねえ」AIに話しかける。
「何でしょう?」
「僕は、佐伯さんに連絡すべきだろうか」
AIは沈黙した。質問が複雑すぎたかもしれない。撤回しようかとも思ったが、意気地のない僕は少し待ってみることにした。
一分ほど待っていると、AIは無機質に、唐突に答えた。
「止めておいた方が良いでしょう」
「どうして?」
「佐伯陽花さんと貴方の相性は、生物学的な立場から最悪と言えます。それに、貴方は現在、彼女と不仲な状態にあります。貴方は周囲からの反感を恐れているようですし、将来的なことも考えて、この際、縁を切られた方が良いかと思います」
「…そう。ありがとう」
それが、正しいのだろう。これ以上、いたずらに彼女を振り回し、傷つけたくはない。AIの言うことは、ほとんど絶対だ。今の僕に反論することはできない。
でも、それでも。
僕は、本当にそれでいいんだろうか。
このまま佐伯さんと離れて、話さなくなって。事態が収束したとして、僕は、それで満足だろうか。そうやって独りで死んでいくのか。
それで、いいのだろうか。
サンドイッチの味は、ほとんど判らなかった。パサパサと口に貼りついて、あんまり美味しくない。窓の外は起きた時から変わらず曇っていて、今にも泣きだしそうだった。
最後のひと欠片を咀嚼して、ゆっくりと飲み込んだ。
おもむろに端末を取る。手が震えているのが判ったけれど、それがいったい何に対する恐怖の顕れなのか、僕にもよく判らなかった。
『佐伯陽花』の名前を表示して、コールする。
呼び出し音がキッチリ二回繰り返されて、途絶えた。
「もしもし!綾辻くん?」
端末越しの声は、ずいぶん慌てているようだった。
「やあ」
「よかったぁー!このまま無視されるんじゃないかと思って、心配してたんだよ」
「…最近、素っ気ない態度で、ごめんね。僕は、君に謝らないといけない」
「いいよ、そんなの。綾辻くんがワケもなく、そんなことするなんて思ってないから」
そんなに信頼されると、ちょっと困ってしまう。僕は舌の先をかるく噛んだ── そのとき、体験したことの無い不思議な感触が胸に滲んだ。
僕は、彼女に会いたいと思った。
「…テスト勉強、しない?僕んちでも、君んちでもいい。図書館でもいいから」
ああ、そうか。
僕は恐れていたんだ。
無気力で、色んなことに頓着できないのは本当のことだ。それは、僕の先天的で潜在的な怠惰の人格であり、AIの未来予知が僕に植えつけた絶望でもある。
でも、それは彼女を退けるには不十分な力で。
つまり僕は、誰かが、何かが僕にとっての特別になることで、引き返せなくなることが怖いのだ。だから、何も持っていたくなかった。気づかぬうちに、僕はAIの審判を受け入れ、いつでも死ねる状態を保とうとしていた。
ややあって、彼女は小さくささやいた。
「…ほんと?会ってくれるの?」
その自信なさげな言葉に、またしても胸が痛む。僕は確実に、彼女を苦しめている。
「もちろん。場所は、どうしようか」
「君んちがいい。今から行っていいかな?」
「いいよ」
じゃあまた、と告げて通話を終える。
それから三十分ほどして、チャイムが鳴った。
ドアをあけて、佐伯さんと目が合って、なんと言えばいいのか判らなくなってしまった。彼女も同じ気持ちなのか、数秒、何も言わなかった。
先に口をひらいたのは彼女の方だった。
「ハロー、レイニー」
思わず頬が緩む。
「ハロー、サニー」
僕は彼女を部屋へ通した。今度はベッドの下を確認せず、素直にクッションに座る。僕も、彼女と向かい合って腰を下ろした。
「あらためて、ごめんなさい。僕は、君を傷つけるような真似をした」
言いながら頭を下げた。ローテーブルに描かれた人工的な木目を見つめる。
返事を待つ時間は、一秒にも一分にも感じられた。心臓がイヤに静かだ。
「じゃあ、仲直りしよう」少し掠れた声が、静寂を破る。
「え?」
顔をあげた僕に、彼女は優しく微笑してみせた。
「仲直りだよ。この一週間のことは、お互いに忘れる。それでいいでしょう?」
「仲直り…」
そう言えば、誰かとケンカをした記憶が、あまり無い。両親に怒られることはあってもケンカは無かったし、友達とは、そもそもケンカになるような間柄ではなかった。
仲直りは友達でいたいからするものなのだと、バカな僕は今さら知ったのだった。
「そうだね。僕らは、仲直りしよう。また、友達に戻ろう」
あっ。
思い切り口を滑らせた。あれこれと弁解の手立てを考えてみるが、もう遅い。さっきまでの慈愛に満ちた優しい微笑みは何処へやら、彼女は既に、ニヤニヤ笑っている。
「それはつまり、君も私のこと、友達だと思ってくれてたってことだね?」
「や、その、いまのは、言葉の綾というやつで…」
「んふふふ、もう遅いもんね!しかと聞かせていただきました!」
僕は額へ手を遣った。これは、ひと月くらいイジられそうなネタだ。思いがけず、敵に塩を送ってしまった。
「…まあいいよ。もう、降参だ」
「やったぁ、私の勝ちぃ!」
小憎たらしい笑顔のまま、彼女はガッツポーズしてみせる。僕は半ば呆れながらそれを眺めて、けれど、嫌な気持ちにはならなかった。
そろそろ認めなければならない。今後の僕の人生にとって、多少のリスクになりうるとしても。
僕は、佐伯さんを友達だと認識している。彼女の身を案じるのも、端末越しに会いたいと思ったのも、なんだかんだ言って、彼女の奔放ぶりに振り回されてしまうのも、ぜんぶ、彼女が特別だからだ。『去るもの追わず』の座右の銘は、彼女の前では儚く砕けた。
不覚にも、僕は追いかけてしまったのだ。
彼女は姿勢を正して、からり笑う。
「じゃあ、勉強しましょうか」
「…うん」
敵わないな、と思った。
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