第10話
昼前まで目が覚めなくて、ようやっとベッドから起き出した時には、もう正午を過ぎていた。欠伸を一つしてから、テレビを点ける。名の知れた芸能人たちが長い机を囲んで、なにやら賢そうに、盛んに意見を交わしている。画面右上の白い枠には、『AIはホントに正しい?』なんて、ポップなフォントで書かれてある。
「…でも、AIが考える幸せと、人間にとっての幸福は違っとるかもしれんよね。それ考えると、僕はどうなんかなぁ思いますけどねぇ」
言葉に訛りのある男性が大袈裟な身振りを伴いながら発したその言葉に、また違う男性が食いついた。土曜日の昼間くらい、もう少しハッピーな話をすればいいのに、みんな眉間にしわ寄せて、バカみたいだ。
バカみたいだ。
僕は床に座り込んで、そのままぼんやり画面を眺めていた。どうやら、AIによって相性が悪いとされていた男女が結婚した結果、散々な目に遭って、挙句、夫が交通事故で亡くなったという事例について議論しているらしい。事故については天運の定めるところだったのかもしれないが、子宝に恵まれないとか、暮らしで不便があったとか、そういうことはAIが正しいのではないかと思う。実際、画面の中の偉い人たちも、同じようなことを言っていた。
そんなことは、高校生にだって解る話だ。AIは人間にとって一般的といえる概念── たとえばお金は大事だとか、病気は大変だとか、そういう、誰でも同じように受け止められることについては、ほとんど予測を外さない。そしてAIは、そういった普遍的な概念に基づいて、人間同士の相性を予測したり、個人の人生を設計したりする。
だから、相性の悪い者どうしが結婚なんてすれば、少なくとも豊かな生活は望めない。けれども不思議なことに、こういう事例は珍しくない。『機械になんて言われようと、僕は君を愛している』なんてキザなセリフで有名になった映画が在るくらいだ。時に人間は、自分たちが造った神様に逆らうような真似をするのだ。そして、いま画面のなかでやっているような議論が始まる。
なんだか解らないが、AIの想定する人間と生身の人間には、多少の誤差があるという証拠だ。けれども結局、AIが概ね正しいことに違いはない。下手に逆らうと、この夫婦のようにままならない人生を歩むことになる。
それにしても、一般的に悲劇と思われるはずの自殺が、一般的に正しいと判断される僕の人生は、一体全体、どんなものなんだろう。AIが予知した悲劇なんて腐るほどありふれているが、しかし、僕は自分と同じ判定を受けた人間を、見たことも聞いたこともない。
自殺は喜劇だ。
大昔の偉い小説家が言ったそうだが、僕には未だ、その真意が理解できない。笑って認められる自殺なんてものが、この世にあるのだろうか。
思いに思いつめて、
あるいは、そんなものも存在するのだろうか。
佐伯さんのいない静かな時間は、僕自身を見つめ直させる。
そもそもの初めから、長生きできないことは知っていた。
生物学的な解析によれば、僕は若くして命に関わる病気を患い、二十代半ばで死んでしまうらしい。小さな頃には両親も教えてくれなかったけれど、小学生になってAIの使い方が解ってくると、僕は自分の運命を知ることとなった。ただ、あまり深刻には感じなかった。大人になった自分の姿すら、上手く想像できないでいたから。
だから僕の死因は、病死のはずだった。
ところが中学校入学を境に、AIは僕に自殺を勧め始めた。理由は精神的な貧弱さだと言う。僕は両親に相談し、担任の先生とも話した。システムのエラーも疑ったが、問い合わせに応じたメーカーの答は『異常なし』だった。
AIが壊れたわけではないと判ると、両親を含めた周りの大人たちは僕の精神状態を疑い始めた。何度もカウンセリングを受け、病院にも連れていかれた。
ひどく惨めな気分だった。それは、勉強ができないことよりもよほど重大な欠陥であるように思われた。
しかし、僕の脳、もとい精神に異常は認められなかった。躁鬱に近い傾向がみられるけれど、それは思春期特有の揺らぎと言える範囲だった。あくまで推測に過ぎないが、僕は生きる上での方策として、大人の教える
僕の方はというと、初めはただ、自殺という運命に怯えた。その頃になって、僕はようやく、生死という概念を正確に理解し始めていた。そして中学生にだって、死は明らかに恐ろしかった。AIに何度も同じことを訊き、その度に震え上がって、独り、枕を濡らす夜だってあった。
ようやく、僕は自身の運命を認識できたのだった。生きていくことの意味が、だんだん解らなくなった。僕の人生は生まれた時から壊れていて、僕はそんなボロ舟にしがみついているだけだったのだ。どれだけ良いように言ってみたって、僕は大人になれないままで死んでいくのだ。
とてもとても、惨めな気分だった。初めから間違っていると判っていながら、生きることしかできない、その苦痛、絶望。
暗い気持ちに打ちひしがれるうちに、半年ほどが過ぎた。
その頃、僕の心境に変化が訪れ始めた。
僕は以前にも増して内向的な性格になり、日常の雑多なことに興味をもたなくなった。『飽きた』が口癖になった。外出も面倒、それどころか何をするのも面倒で、ぼうっとしていることが多くなった。それは、そっくりそのまま現在に受け継がれている。
両親はついに諦めて、僕の行く末を静観することにしたらしい。それは愛情の欠如というより、むしろ僕を愛してくれていたからこその行動なのだと、僕は信じている。
二年、三年が経って、高校に入学しても、AIは同じことを言った。
『自殺がよろしいでしょう』
いまだに、怖いとは思う。しかし悲しいとは思わなくなっていた。AIが言うのだから、僕はたぶん、自然に自殺に至るのだろう。それは仕方の無いことなのだと思った。
ただ、不思議だった。自然に自殺に至るような人間が、こうにも普通に出来上がってしまうものなのか。不遇な家庭環境に生まれたわけでもなく、烈しいイジメや虐待を受けたわけでもなく、普通に育てられてきただけなのに。
テレビを眺めているのにも飽きて立ち上がった。ひどい空腹を感じたので、近くのコンビニまで、何か買いに行くことにする。財布をジャージのポケットにねじ込み、端末を取り上げた── と、画面が点灯している。確認してみると、メッセージが一件。
佐伯さんからだ。
午前八時過ぎに送信されたものだった。彼女はずいぶん規則正しい生活を送っているらしい。
『おはよう。起きてますか?
やっぱり、綾辻くんのことが心配です。きっと何かあったんだと思いますが、無理に問い
心臓の斜め後ろの辺りが、へんなふうに強烈に締め上げられたのが判る。
逡巡の後、僕はメッセージを無視してコンビニへ向かった。
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