第5話   カーストに祈りを


『3日目 朝』



「はい、2階の202号室ね。

 外に出るときは必ずキーをこっちに戻すんだよ。

 犬を持ち込んだら殺すよ」


早朝の5時、光はホテルへと来ていた。今まさにチェックインを行い、キーを渡された所。

エレベーターは無く、階段で2階へ上がる。すると真正面から女が歩いてくる。

すれ違ってそのツンとくる匂い、風貌からすぐにデリヘル嬢だと分かった。

あらためて光はこの場所を、人を軽蔑した。地面に捨てられたタバコを踏まないように歩き、

ようやく目的地の202号室へと辿り着いた。

中に入ると、映画で見た刑務所を再現したかのような、独房が現れる。

この年季の入ったホテルに、嘘偽りの無い内容である。

だが、光の行動は早かった。すぐに部屋の窓を開け、身を乗り出す。


「(あれが・・・監視カメラか。

 やはり壊れているな)」


監視カメラの位置・状態を確認すると、一気に体を外へ放り出した。





『3日目 昼』


ここ光邸では、みっぴーが一人、火が灯っていないテレビを見つめていた。

電気のついていない暗い部屋で一人、少し前後に体を揺すりながら。

時折、首を傾けて壁に掛けてある時計の針を見つめる。

さきほどから、そればかりを繰り返している。


「・・・寂しいなぁ。

 これは、幸せなのかなぁ?」


みっぴーは憎らしいほどの、朗らかな表情でつぶやく。

別に光を待っているわけでも、誰かと話たいわけでもない。

昨夜の慌ただしい騒動が嘘のように、この部屋は冷気で包まれている。

なぜか今日は、ポケットに入っている携帯を使用する気分にはなれなかった。




『3日目 夜』


それは突然のことだった。午後11時27分。

人々が寝静まった頃。光の部屋に、主が戻ってきたのは。

物音に反応してみっぴーは、ふいに玄関の方面へ顔を向けた。

しかし、いつもと様子が違う。音が違う。いや、足音が大きい、多いのだ。

みっぴーの視線はまだ答えが見えぬ玄関から離れられない。

リビングのドアが開く。そして次の瞬間、何かが投げ出された。


「この鬼畜が・・・!

 連れてきたぞ、おまえの餌をっ!」


その言葉を聞いた瞬間、みっぴーは全てを理解した。

この放り投げられた、上着を被せられた「何か」。まるで警察に連行される

容疑者かのように、姿を隠されているこの「何か」。

光は被せられていた上着をはぎ取る。

そこにいたのは、目隠しをされ、両手を縄跳びで縛られ、口にはテーピングをがっちりとされた

「堂本千鳥」がいた。

苦しそうに、鼻から体全体で呼吸を行う千鳥。光はそんな千鳥の姿からあえて目を反らし、

満面の笑みを浮かべるみっぴーを睨みつける。


「いーけないんだ、いけないんだっ。

 せーんせいに、言っちゃおー」


「(こんな負け組の状況に、悲観している時間すらない。

 全て浅知恵に過ぎんが、やれることはやった。

 少しでも警察の捜査を遅らせることができれば・・・少しでも・・・!)」


光は「堂本千鳥」を誘拐したのだ。光にとって幸運だったことは、この千鳥の住所が

比較的近い距離であったこと。そして、何より追跡する中で

千鳥が人目につかないような所を歩いて下校していたことが幸いだった。

「今しかない」と思った後の行動は、早かった。用意してあった縄跳びとテープ、

家から持ち出した包丁を使って、自分の車へと連行。

帰りの途中、再びホテルの窓から部屋に侵入。付け焼刃のアリバイを作成し、ホテルから出る。

だが、それも明るみに出るのは時間の問題。今、光が成すべきことは。

膝を落として、小刻みに震える千鳥に近づく。

ゆっくりと、目隠しを取り外す。


「いいか、大声を出すな。

 大声を出したら・・・分かるな?」


光の問いに、千鳥は何度も首を頷く。悲しくもないのに、涙があふれ出る。

その姿に光は目を反らし、口に巻き付けてあったテープをゆっくりと剥がす。

光の手に伝わってくる、人間の肌の体温。今ほど、それが気色悪いものに感じたことは無かった。

全てのテープを剥がし終わると、千鳥は目線を左右に動かす。


「け、けい、たい、は?」


「携帯?

 おまえの携帯か。覚えているだろう。

 車の中でおまえの両親に『友達の家に何日か泊まる』と連絡させた。

 その後に、橋から川に放り込んだ」


「な・・・何でよ」


「?」


「既読無視じゃん!!

 うち、もう終わりだっ!!」


突然、両手で顔を覆い泣き始める千鳥。まさかの行動に慌てふためく光。

そして茫然と指をくわえて、おいおいと泣く千鳥を見つめるみっぴー。

既読無視とは、コミュニケーションツールに置いての俗語。

自分に送られたメッセージを見ると「既読」と表示され、メッセージを送った側も

自分が送ったメッセージが読まれたと確認することができる。すなわち、メッセージを読んだ、既読になったにも

関わらず返信をしないことを「既読無視」と言う。


「もうこれで、うちは終わりっ!最悪!ウンチじゃん!

 嘘よっ、嘘、嘘、嘘、嘘・・・!

 もう最低、最悪、最悪、本当に最悪!」


「お、おい!

 だから大きな声を・・・」


「アンタみたいなオッサンには分からないのよ!

 うちはスクールカースト上位なの!

 まぢ、あり得ないっ。

 これでもう、私は皆から無視される、ハブられる・・・!」


取り乱す千鳥に対して、光は唖然とする他無かった。

この緊迫した状況にも関わらず、この女が今嘆いていることは自分の命の心配ではなく、

既読無視したことによるコミュニティ制裁。

珍しく考えが一致したのか、光とみっぴーはお互いに顔を見合わせる。


「何て・・・何て、猿脳なんだ。

 みっぴー、今時の高校生は全員こうなのか?」


「みっぴー、小学生だもーん」


「おまえの頭は園児以下だろうが、この馬鹿」


しばらく泣き崩れる千鳥を途方もなく見守る。下手に刺激して、さらに大声を出されても困る。

また、こういう一種の興奮状態がある意味で一番恐ろしい状態だということも熟知していた。

今はまさに、一時的に頭に血が上っている状態。こちらがどんなに脅しても、

その怒りと、興奮で逆上しかねない。今はまず、相手を少しでも冷静にさせること。

光は黙ったまま、10分ほど静寂を守った。その間、千鳥は大分落ち着きを取り戻したかのように見えた。

再度、ソファの上から光は話しかける。


「こんな時に言うのもなんだが、たいした度胸だな。

 誘拐されたのに、スクールカーストとやらを心配するとは」


「あんたには関係ないし。

 どうしようもない、アンタ何かに!」


「どうしようもない・・・?

 スクールカーストなんぞ猿語を使用する奴が、この俺をどうしようもないだと?

 なめるなっ!!

 そもそも、たかが高校などという動物園でのカースト、序列なぞ砂遊びでしかないわ!」


「はぁ!?」


「本当の序列は、社会的地位の確立・競争は、大学から生まれるのだ!!

 動物園での序列だと?

 そんなじゃんけん以下の闘争に勝ち残って、何の意味がある!?」


「う、うざっ!

 うちの高校だって、教室だって1つの世界だし!

 その中でうちは最上位なんだし!」


「分からんのか!!

 高校は檻だ、同レベルの動物を収容する監獄!

 おまえらなど、大人達のペットだと知れっ!!」


「・・・ピー君、大きな声ー」


千鳥の発言が、光のプライドを刺激したのか。

さきほどまでの冷静な判断が全て吹き飛び、千鳥を超える大声で口論を始める。

それを静止しようとするみっぴーの声など彼方へ消え去り、

光はさらにヒートアップする。


「ま、まぢ、何言ってんの、このオッサン!

 どうせあんた、スクールカースト最下層、

 オタクとか、そっち系だったんでしょ!」


「本当に猿だな、おまえは!

 そのスクールカーストとやらの上位層になって、頂点に立って、

 何かを支配でもしているつもりなのか?

 おまえはなっ!!

 結局は誰かが作った、誰かの言葉の、スクールカーストとやらに支配されている側だ!

 しかもそれを作ったのは、おまえが最下層とするオタク共だ!」


「そ、そんなの、知ってたし」


「どうして、こうも、おまえらは馬鹿なんだっ。

 馬鹿が作った言葉にいとも簡単に、引っかかって。

 おまけに自分で、自分の首を絞めていることにも気づかないなんて。

 スクールカーストなんぞ、自分を不幸にしか・・・」


光は止まってしまった。『スクールカーストなんぞ、自分を不幸にしかしない』と口にするハズだった。

言おうとした瞬間、固まってしまった。右手の拳を、強く握りしめる。

思い出してしまったのだ。似たような言葉を、最近聞いたことがある。言ったことがある。

そしてそれは、自分が誇りにしていたものでもある。

ゆっくり、ゆっくりと、顔を、目線をみっぴーに向ける。

みっぴーはいつもと同じ、やる気のない笑みを浮かべている。


「(こいつが・・・勝ち組を、不幸の・・・)」


「どしたの、ピー君?」


「・・・おふざけは終わりだ。

 本題に入るぞ」



 深夜にも関わらず、火が灯る光の部屋。

それを、外から見つめる目線が一つ。その眼には、確実に光の部屋のみが映る。


「・・・見つけたぞ」

 

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