Part.5 Ataxie Optique: The reason why you never touch her.(5)
5
「懐かしい話だな」
深い沈黙の湖に沈んでいたわたしは、ラグの苦い声ではっと我にかえった。部屋の白さが目に沁みる。
史織は――ひとの業を問う緑髪のスフィンクスは、うっそりと嗤った。
《オレは、一日も忘れたことはなかった》
「それで? 今さら昔話をするために、俺を呼んだわけじゃないだろう」
わたし達は全員、少し離れた処にいるラグと史織を顧みた。ラグは面白くなさそうに、コンソールに頬杖を突いている。史織は腕を組んでキッチンの壁にもたれている。
ルツさんは眼を伏せて項垂れていた。憂いを含んだ双眸は、切なくなるほど美しい。
わたしはミッキーと顔を見合わせ、それからライムを見た。彼女と隣のルネも、言葉を失っている。
皆川さんは、辛そうに眉尻を下げている。
「あたし?」
ライムが自分を指差して訊く。ほそい声は震えていた。ラグを映す海色の瞳は、今にもあふれ出しそうだ。
「あたしがしたの? ラグ。モリスを、ルツさんを、ウィルを……消したのは、あたし?」
《死んだわけじゃない》
ラグはこちらに横顔を向けている。代わりに史織が、先刻とはうってかわって神妙な口調で言った。不思議なことに、怒りも憎しみも今は感じられない。
《ウィルが集めたエネルギーと、ボイジャー号と、VENAの
「ラグが君の記憶を封印したんだよ、ライム」
絶句しているライムに、皆川さんが話した。普段通りの穏やかな口調で、大きな口には淡い微笑すら浮かんでいる。
「幼かった君は、身の危険を感じてエネルギーを跳ね返しただけだ。気にすることじゃない……。君が気に病まないよう、ラグが事故に関する記憶を封じたんだ」
当然だけど、そんなことを言われてもライムの表情は晴れなかった。みひらいた目が小刻みに揺れている。その気持ちは、痛いほど良く解った。
ミッキーの顔色も蒼白になっている。皆川さんは、静かに彼に告げた。
「《古老》 の中で一番強い
「ああ、それは解った。だが、ラグは」
わたし達はミッキーの視線を追った。そうだ。
たった独り遺された、ラグは?
ラグは頬杖を突き、脚を組んでコンピューターのモニターに身体を向けている。濃い色のサングラスと頬にかかる銀髪が、表情を判りにくくさせていた。わたし達が何を話そうとどうでもよさそうだったけれど、吐息まじりの声を聞いてこちらを向いた。
「私が
ルツさんだった。
彼女は膝の上に手を置き、それを見下ろしていた。長い睫毛が
「一つは、《古老》 達の計画が失敗して、《VENA》 とともに全員死んでしまうというもの。史織と真織も、生き残れない」
《ルツ》
史織が辛そうに呼んだ。彼の声は、直接こちらの脳に響いた。
ルツさんは、ゆっくり首を横に振った。
「私だけが生き残る。それがここ……。私は彼等を止められなかった」
「ルツ」
今度はラグが囁いた。表情は判らなかったけれど、低い声は深く胸に響いた。
ルツさんは
「もう一つは、私が彼等の邪魔をして、《VENA》 と史織たちは生き残るというもの。ただし、私はどうなるか解らない……。死ぬと思っていた」
「…………」
「貴方の 《ルツ》 は勇気があったわ。未来を信じる勇気が。離れても、生きていて欲しいと――」
言葉が途切れ、彼女は両手で顔をおおった。たおやかな手の下から嗚咽がもれる。皆川さんが慌てて彼女を慰める。
ラグは、また顔を背けてしまった。
史織は悄然と項垂れた。尻尾も床に横たわっている。
わたしはミッキーと顔を見合わせた。冴えた黒い眸を見ると、彼が同じことを考えているのが解った。
ここにも、パラドックス(矛盾)があったのね……。
《古老》 達の死を予知してしまったルツさん。放っておけば彼等が死んでしまうと分かっていることは、どんなに辛かっただろう。
ラグを救けても、二人に未来はなかったのだ。離れ離れになると承知のうえで彼を救けたもう一人のルツさんは、ここには居ない。
史織は、時空の壁を超えても本当の彼女を見つけられなかった。あんなに彼女に逢いたがっていた真織君は、もういない。
ラグも……。ここに居るのは、お互いを失って、そこで
けれども、ルツさんがラグを止めてくれなければ、今、ミッキーとライムがわたしと一緒に居ることはなかったのだ。ルネにも会えなかった。わたし達は、誰もここにいなかった。
わたしは苦いものが喉にこみ上げて来るのを感じた。
わたしなら、どうしただろう?
無限数の
ぐるぐると廻るパラドックスに翻弄され続けているように思った。それは、わたしだけではない。ラグも、ライムも、ミッキーも……ルツさんも、史織も、例外ではないのだ。
『未来なんざ、
全ては、あの夜はじまった。
もし、スティーヴンが死ぬことも、パパが死ぬことも……全ての未来が決まっていたのだとしたら?
わたし達は、皆、既に決まったレールの上を、何も知らずに歩いているのだとしたら?
わたしは、ぶるっと身震いをして自分の肩を抱いた。
「あのさ」
どれくらい時間が経っただろう。全員がそれぞれの物思いに耽っていると、煙草で掠れた声がした。ルネだ。
腕組みをしたラウル星人パイロットは、いつの間にか火のついていない新しい煙草を咥え、それを噛み潰していた。表情は真剣だけれど、口調は皮肉めいていた。
「あんた達の間に浅からぬ因縁があることは解った。だが、そこで立ち止まっているわけには、いかないだろ?」
わたしはルネの精悍な横顔を見上げ、ミッキーと皆川さんも彼を振り向いた。
ラグは動かなかったけれど、史織は面を上げ、ルツさんは顔を覆っていた手を離した。
ライムは少し驚いた声で彼を呼んだ。
「ルネ」
「冷たい言い方かもしれないが」
ルネはぼさぼさの髪を掻き、舌打ちした。
「死んじまった奴等のことをいくら悔やもうが、あんた達の勝手だ。こっちは生きているんだぜ。それはどうしてくれるんだ? 生きている以上、どうあっても、生き続けることを考えなきゃならないだろうが」
わたし達は返す言葉をみつけられなかった。真っ先に反応したのはラグだ。顔を背けていた彼は、フッと嗤った。
「やっと、まともなことを言うようになったな、小僧」
ルネは肩をすくめた。
わたしは息を呑んでラグを見た。ライムも眼を瞠る。ミッキーが、居ずまいを正した。
そうだ……わたし達は生きている。《VENA》 も、ラグも、ミッキーも。史織も、ここに居る。
わたし達の世界のルツさんとモリスを犠牲にしたのなら……パパやウィルや、大勢の人々の苦しみの上に、この生があるのなら。
諦めるわけにはいかない。
生きている以上、生きることを考えなければならない。
ラグの台詞は、誰よりも彼自身がそれを諦めていないことを示していた。
何て――。
わたしは言葉を失っていた。
絶望するのは嫌だった。希望が欲しかった。信じていたかった……でも。
《ウィル》ですら、封じた記憶。途中で消えた仲間達。かけがえのない人を喪って、それでも。
ライムは小さく呟いた。震える声で。それが先刻とは違う感情を含んでいることは、明らかだった。
「ラグ」
「そうだ。諦めたわけじゃない」
ラグは振り返らなかったけれど、皆川さんが優しく微笑んで応えてくれた。
「《VENA》 の能力を封じることは出来なかったけれど、俺達は生き残った。なら、次の方法を考えなければならない」
皆川さんはミッキーを観て、眩しげに眼を細めた。
「ウィルは能力を失ったし、モリスとともに多くの仲間が異空間に消えてしまった。俺達は、最初からやり直さなければならなかった」
ミッキーは頬をひきしめ、皆川さんを見返した。
皆川さんは、わたし達一人一人を順にみて、夢みるように続けた。
「もう一度、ESPER達を集める……。時空の歪みは拡大していくわけだから、《VENA》 の能力の影響を相殺する為に必要だった」
はっと面を上げるライムに、皆川さんは頷いた。理知的な黒い双眸が頼もしい。
「そうだよ、ライム。《古老》 達は、居るだけで君の能力の影響を抑えていた。レナも史織も、皆……ずっとそうしていた。でも、モリスとウィル、二人の抜けた穴を埋めるのは大変だったから――」
皆川さんは照れ臭そうに、ちらりと白い歯を覗かせた。
「準備に五年かかった。今の状態まで持ってくるのにね」
「準備?」
問い返すわたしの声は掠れていた。ごくりと唾を飲んで、わたしはミッキーを見上げた。彼は黙って言葉を待っている。
謎を解く、次の言葉を。
わたしは、 『我関せず』といった様子のラグから皆川さんに向き直った。
「皆川さん」
「問題は、二つの組織の壁だった」
史織が腕を組みなおし、壁に寄りかかる。碧色の睫毛にけぶる黄金色の瞳が、成り行きを見守っている。
ルネとライムは真剣に皆川さんの話を聴いている。ルツさんは顔を上げなかった。
「知っての通り、《古老》 は銀河連合の人間だ。俺達も。しかし、《VENA》 は地球連邦のものだ。史織と真織と、レナも」
ライムは蒼い眼を大きく見開いた。彼女がそうすると、瞳に吸い込まれそうな気持ちになる。
皆川さんは、慎重に言葉を選んで続けた。
「《古老》 の歴史を尊重して、七年前まで連邦は協力してくれていた。その後も、倫道教授が彼等と計画を進める予定だったんだ。だが、モリスとウィルが消えてしまうと、そうはいかなくなった。……ドウエル教授とターナーは、倫道教授とは違うことを考えていたんだ」
「リサ」
ミッキーが、わたしの背中に片手を当てた。彼は、いつもそうだ。そっと、わたしを前へ押してくれる。
「うん。解ってる」
わたしは微笑んだ。
これは、わたしが言わなければならない言葉――皆がそうと知っていて、待ってくれている言葉。
「ラグ」
サングラス越しでも、彼がこちらを見たのが判った。わたしは皆川さんと彼に向き直った。
「皆川さん。パパが殺された理由を、教えて下さい」
~Part.6へ~
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