Part.4 Prosopagnosia: Why don't you call the name of dearest ?(2)


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 翌朝、わたしとライムが部屋から出ると、皆は既に起きていた。わたし達が身支度を終えるのが最後だったのだ。ライムは、相変わらずわたしの片腕にくっついている。

 ルツさんはキッチンにいて、朝食を作ってくれていた。ミッキーが彼女と並んでスープの味見をしている光景は、普段の『月うさぎ』の朝と同じ平穏さだ。

 ミッキーは、にこやかに微笑んだ。


「おはよう、リサ、ライム。待っていてくれるかな、もう少しで出来るよ」

「おはよう、ミッキー」


 「おはようございます」 と丁寧に挨拶するライムに柔らかな微笑を向け、彼は作業に戻った。

 わたしはダイニングに立って周囲を見まわした。

 テーブル脇の椅子にはルネが座り、火の点いていない煙草を咥えている。わたし達に軽く片手を振った。

 皆川さんとラグは、奥のリビング・ルームに居た。ここのホーム・コンピューター(家庭内管理コンピューター)なのだろう、壁のコンソールに向かって座り、何やら相談している。例の軌道の修正を始めているのだろうか。皆の服装は、昨日と変わっていない。

 誰も逃げるつもりはないのだ。この一件を解明するまで還らない、決意を感じた。


「座って、リサ。ライムも。出来たよ。……ラグ、鷹弘」

「わあ。ミッキー、凄い」


 ライムの歓声を聞きながら、ルツさんと彼が用意してくれた食事を見たわたしは、涙が出そうになった。

 ラウル星人ラウリアン用のサンドウィッチとコーヒー、焼きたてのパンとサラダとオムレツとオニオンスープ、ボイルド・ソーセージ。この人数分の食事をさくっと作ってくれるミッキーって。

 ルツさんは控え目に微笑んだ。


「あり合わせのもので、申し訳ないのだけれど」

「腹が減っては戦が出来ないと言うからね」


 片目を閉じるミッキーの態度はいつもと同じだけれど、ルネの表情は複雑だった。皆川さんとラグは、仕事に集中している。

 ミッキーが声をかけた。


「鷹弘」

「Thanks、ミッキー。先に食べていてくれ」

「何とかなりそうか?」


 ミッキーは彼等にコーヒーを運んで行った。ラグは、じろりと横目でわたし達を顧みた。皆川さんは苦笑した。


「ああ。ここの管制コンピューターにアクセス出来そうだよ。幾つかロックがあるから、それを解かないと駄目だけれどね」


 まあ、当然と言えば当然なんでしょうね……。

 わたしとライムが頷いていると、氷より冷たいルネの声が降ってきた。


「なんで、お前がそんなことやってんだよ、鷹弘」


 皆川さんの苦笑は途端に力を失くし、ミッキーは眉を曇らせた。ラグは、わたし達から顔を背けている。

 ルネはテーブルに頬杖を突き、乱暴に続けた。


「どうして、オレ達がそんなことをしてやらなけりゃならないんだよ。さっさとあの野郎を捕まえて帰ろうぜ」

「ルネ」

「お前は黙ってろ、ライ」


 なだめようとしたライムは、ずばっと釘を刺されて黙りこんだ。ちょっと拗ねた顔が可愛い。その表情に一瞬つられかけ、ルネは舌打ちした。


「だいたい、お前等おかしいぞ。なに、すんなり仕事してんだよ。ミッキーも、食事を作ったり――」 ライムがキッと彼を睨んだので、ルネは口ごもった。「――いや、作ってくれるのは有難いが。自分の立場が判ってんのか?」


 彼は立ち上がり、ぐるっと全員を眺めた。ルツさんが項垂れる。ルネは彼女の細い肩を見下ろした。


「元はといえば、この女とキメラ野郎が仕組んだことだろうが。素直に言うことを聞いてやる義理が何処にあるんだ?」


 ミッキーが穏やかに言った。


「でも、ルネ。何とかしないと、こっちの 《REDレッド・ MOONムーン》 は月に墜落してしまう」

「ひとのいいこと言ってんじゃねえよ、ミッキー。鷹弘も、手当たり次第に同情している場合じゃないだろう。最初の目的はどうなった。……キメラ野郎は 『時空の隙間』に居るって言ったな」


 ルネの瞳が鋭く光った。ぺろりと緋い舌を出して唇を舐める。


「引きずり出してやってもいいんだぜ」

《そいつはやめておけ、ラウル星人》


「きゃっ」


 ……心臓に悪いんだから、もう。


 突然、あの男性か女性か判らない声が頭に響いて、ライムは小さく悲鳴をあげた。ミッキーが息を呑む。皆川さんが顔を上げ、ラグもようやくこちらを向いた。ルツさんは項垂れたままだ。

 ライムは不安そうに辺りを見回した。

 ルネはテレパシーを使わず、にやりと嗤った。


「出やがったな」

《お前やVENAなら、オレを引きずり出すことは簡単だ。だが、無理に空間の壁を越えれば、オレの身体は裂ける。オレが死ねば、お前達は元の時空へ帰れない》


「出て来なさいよ」


 史織の言葉についてルネが考えていると、今度はライムが言った。彼女はわたしの腕をしっかりと掴んでいる。

 一同が――ラグも、彼女に注目した。

 彼女は青い滝のような髪を揺らして一歩前へすすみ出ると、天井の一角を見詰めて言った。地球色の瞳が強い意志に煌めいている。


「出て来てよ、史織。ねえ。……アナタ、あたしに『教えてやる』って言ったわよね。あたしが何かって」


 わたしは、凛とした彼女の横顔を見上げた。自分に似ているはずの彼女の、見た事のない表情に息を呑む。

 彼女の澄んだ声は、次第に力を帯びた。


「あたしはここに居るわ。アナタが呼んだのでしょう? 姿を見せたらどうなの。何の恨みがあって、こんなことをするの」

《……恨み、だって?》


 史織がふいに応え、ライムは黙った。ミッキーの眼が細くなる。

 《声》 は、ゆっくりと、舐めるように繰り返した。


《恨みか。グレーヴス、あんたもそう言ったな。オレは、あんたが話しやすい場所を提供してやったつもりだが――逆恨み。そうかもしれないな》


 わたしは、そろそろと息を継いだ。《声》 の微妙な変化に気づいたのだ。他の皆も分かっただろう。

 嗤った……そう、確かに聴こえたのだ。表情は見えず、笑声が聞こえたわけでもないけれど。空虚で、悲痛で、自虐的な嘲笑。千本の針のような憎悪を含んだそれを、聴きとった。


 やばい。


 唐突に、わたしは思った。これは、この状況は、やばい。良くない、絶対に。その不安は、時限発火装置に似て――


 自らをも切り裂く呪詛をこめ、史織は言った。


《殺しても殺し足りない恨み、絶対に晴れない呪い。それがお前だよ、VENA。お前も倫道教授も、自分がそんなに恨まれていると知らずにいたとは、おめでたい話だよな。オレも真織も、レナもルツも、呪われている。千五百年前から続いている古老の呪いだ。そうだよな? グレーヴス》

「…………」

《オレ達は逃げられなかった。古老から逃げられるはずがない。呪っているのは、あんたなんだから、グレーヴス。あんた達が、オレを創ったんだ》


 ――爆発した。


 音も光もない爆弾が部屋の中央で炸裂し、わたし達の言葉と感情を一瞬で蒸発させた。絶望という影を焼きつけて……。


「え……?」

 ライムが呟く。


 ルネが鋭く舌打ちをする。皆川さんは痛ましげに眉を曇らせ、ルツさんは瞑目し、ミッキーは逆に大きく眼を瞠った。そして、ラグはコンソールに突っ伏し、額がごんと鈍い音をたてた。

 沈黙が、駆け足でわたし達の間を通り過ぎていった。


「どういう、こと?」


 わたしの声はかすれ、奇妙に耳に響いた。ライムの腕を支えながら、わたしは彼女が座りこんでしまわないのが不思議に思えた。

 だって。わたしが、そうだったもの。

 わたしはごくりと唾を飲み下し、虚空に向かって繰り返した。


「どういうことなの。史織」

「ラグ!」


 史織より先にミッキーの声が飛んだ。そうして――実に、珍しい。彼はラグの胸倉を掴んで引き起こした。ラグはされるに任せている。

 ミッキーの滑らかな声は、抑えた怒りに震えていた。


「ラグ。おれの記憶を解け」


 コンソールから剥がされたラグは、抗わなかった。長い前髪とサングラスに隠されて、表情は判らない。

 皆川さんの制止を、ミッキーは聞き入れなかった。


「おい、ミッキー」

「記憶の封印を解いてくれ、ラグ。《ウィル》 を目覚めさせてくれ」

「駄目だ」


 史織は答えない。きっと、どこかでこの様子を観ているのだろう。わたし達も、呆然と二人を見守った。

 ミッキー。


「何があったのか、おれは知っているはずだ。《ウィル》 なら判る。お前に話す気がないのなら、《ウィル》 を起してくれ。――言っておくが、」


 わたしは、彼が耐えていることに気づいた。いつも温和で冷静なミッキーが、今にも怒鳴り出しそうな感情を抑えている。それほど、必死で言ってくれていることに。


「おれは――それがウィルであろうと、自分のしたことを忘れて、のうのうとしていられる人間じゃない! 責任をとらずに暮らせるか。もしおれが、倫道教授の死に責任があるのなら」

「ああ、解っている! お前はそういう奴だ。だから、《ウィル》 は責任を取ったんだよ! 親父も、倫道教授も」

「……え?」


 ミッキーはきょとんと瞬きをした。拍子抜けしたように。

 ラグは力の抜けた彼の手を離させると、崩れるように椅子に座り、コンソールに両肘を突いて頭を抱えた。

 ルネが地を這う声で訊ねる。


「どういうことだ?」


 ラグは答えなかった。銀灰色の長髪の間から、溜め息が聞えた。

 手のやり場のなくなったミッキーは、呆然と佇んだ。わたしとライムは顔を見合わせる。ルツさんは、萎れた花のごとく項垂れている。

 しばらくして、皆川さんが、そっと相棒に声をかけた。


「ラグ。なあ、もう潮時じゃないか。いいことも悪いことも、全部明らかにしていい時期じゃないのか。これ以上隠しても、全員を傷つけるだけだろう。ライムも――《VENA》 も知りたがっている。リサちゃんには、知る権利があると思う。彼女と生きて行く限り、ミッキーは知らないじゃ済まされない」


 しんみりとした皆川さんの声は、子守唄のようだった。



「……《ウィル》 は責任を取った」


 やがて、ラグはぽつぽつ話し始めた。まだ額を抱えていて、わたし達を見ようとはしない。ミッキーは真顔に戻った。


「記憶を封じるとは、自我を消すことだ。自殺と同じ……。《ウィル》 は死んで責任を取った。親父と倫道教授も」

「待って」


 パパは月の独立過激派に殺されたんじゃなかったの? 彼等を利用したターナーとドゥエル教授に。

 ラグはかぶりを振った。


「殺される覚悟をしていたはずだ、教授は。それでも、せずにいられなかった。自分の創った生命に対して、生命以外で、どうやって罪をあがなう。そして、ミッキーと俺を残した。後事の為に」

「…………」

「教授の計画を完成させるのは、俺の役目だ。本当は、教授がそれをするはずだった。俺達 《古老》 は消えるつもりだった」

「どういうこと?」


 わからない。ライムと顔を見合わせて、わたしは繰り返した。


「ラグ。パパの罪って何? 計画って?」


 しかし、ラグは苦しそうに首を振っている。

 ライムがおそるおそる声をかけた。


「ラグ……」

「VENAプロジェクトは、失敗だからだ」


 彼の濁った声に、彼女は口を閉じた。


「最初から判っていた。《VENA》 には生殖能がないから――。そして、《古老》 も失敗だった。タイム・パラドックスだ……」


 低く唸る。ラグが混乱していることが察せられた。けれど、わたしも。


 《VENA》 には、


 みひらかれたライムの目が煌く。危険な懸命さで――ぎりぎりの緊張感で。はりさけそうな心が見えた。

 彼女の喉が震えた。


「どういう、こと……?」

「十五年、いや、もう十六年前か」


 相棒の苦悩を見かねて、皆川さんが説明してくれた。黒い瞳がわたし達を映している。


「今から十六年前。俺達は、銀河連合の統制官レギュレーターに呼び出された。俺と、ラグは」

「統制官アレックス?」


 問い返すルネに、皆川さんは答えた。


「いや。統制官クイン・グレーヴス……ラグの父親だ」





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