Part.3 Visuospatial Agnosia: You don't know where you are.(4)


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 《REDレッド・ MOONムーン》 の周回軌道に 《DONドン・ SPICERスパイサー》 号を乗せたわたし達は、小型ボートでポート(宇宙港)へ降り、そこで彼女――ルツさんに迎えられた。

 ラグも一緒だ。

 ルツさんは、わたし達を自分の家へ案内してくれた。この世界の 《レッド・ムーン》 の内部がわたし達の知るものと同じかどうか興味があったのだけれど、変に怪しまれても困るので、おとなしく彼女について行った。


 ライムは、わたしの腕にしがみついている。また、不安そうな顔になっていた。

 ようやく会えたラグは、慍然ムスッと黙りこみ、全身から不機嫌オーラを放射させていた。ルネもしかり。皆川さんは、しょんぼりと項垂れている。わたしとミッキーは、ここの様子について小声で意見を交換しながら歩いた。


 ルツさんの家は居住区域の一角にあり、半自動のムーヴ・ロード(動く舗道)に乗って三十分ほど進んだ先にあった。行き交う人影はまばらだった。月のドーム都市で暮らし、地球型の街並みに慣れていたわたしは、違和感を覚えた。宇宙空間に浮かぶ人工コロニーだから、住人は少ないのだろうか。

 玄関からリビングに通されたわたし達は、楕円形のテーブルを囲んで座った。ここでも、ラグとルネと皆川さんは無言だ。

 ルツさんはわたし達の好みを訊いてくれたけれど、誰も返事をしなかったので、コーヒーを出してくれた。それと、オレンジの入ったクッキーを。椅子に座ってからも、ライムはわたしの手を握っていた。


 わたし達は、無遠慮に室内を見まわした。いっけん、ごく普通のマンションのようだ。玄関の隣に寝室とウォークイン・クローゼット、突き当りにダイニング・キッチンとリビング……他にも二、三室あるらしい。壁は白く床は淡いクリーム色の合成板でおおわれ、全体的にシンプルな内装だ。テーブルと椅子は金属製、ソファーには緑の布カバーが掛かり、青いクッションが載っている。観葉植物がある他は綺麗に片付けられていて生活感がない。ルツさん以外に人がいる気配もなかった。

 壁には窓の代わりに大型のスクリーンがあり、地球と月が映っていた。


 ルツさんは、コーヒーとクッキーをテーブルに並べて椅子に座ったものの、すぐには話し出さなかった。

 彼女の右隣に皆川さんが座り、次にミッキー、わたし、ライム、ルネの順で反時計回りに並び、彼女の左隣にラグが座っている。ラグは胸の前で腕を組み、長い脚を組んでルツさんを眺めていた。

 ルネはルツさんに背を向けて、ライムの方を向いている――いや、背を向けているのは、ラグに対してかな? ミッキーと皆川さんは、困惑した表情で、やはり彼女を見詰めていた。


 ルツさんは、本当に綺麗な女性だった。

 ライムに初めて会った時にも凄い美女だと思ったけれど、彼女の方が大人で、落ち着いた雰囲気だ。真珠色の肌に、腰にとどく射干玉ぬばたまの黒髪。繊細なつくりの顔立ちは端麗で、真っ黒な瞳は長い睫毛に縁取られ、どこか哀しげだ。ラベンダー色のワンピースを着ているのでなければ、静かに座っているそのさまは、日本人形のように観えただろう。

 史織シオの姿は、今はない。


 いつまでも黙っていてもらちが明かないと考えたのだろう。皆川さんが控えめに切り出した。


「これ程まとまりのないパーティも、珍しいな」


 間髪をいれず、ラグとルネの声が重なった。


「一緒にするな、タカヒロ。不愉快だ」

「まとめようなんて、最初ハナから思っていない」


 困っているわたし達を後目しりめに、二人は牙をむいて威嚇し合った。


「あんた、先刻からオレに喧嘩を売ってやがるのか? おっさん」

「自惚れるな、小僧。お前のようなガキを相手に、わざわざ喧嘩を売る奴がいるか。馬鹿にしているだけだ」

「まあまあ、ラグ」


 ミッキーが止めに入ったけれど、ルネは聴いていなかった。地球色の瞳で、じろりと銀髪のライオンを睨みつける。

 ライムは、はらはらしている。


「やっぱり、あんたは二、三発殴らねえと話が通じないみたいだな」

「ルネったら」

「ほお。やってみるか、ラウル星人。言っておくが、成長段階でかかるG(重力)の強さだけで全てが決まると思うなよ」


 ラグ……もともと口が悪くて皮肉屋で、嫌味なくらいクールな人だけれど、その彼がこんなに挑発的な口を利くのは意外だった。――で、気がついた。

 ルネ、玩具オモチャにされているんだわ……。


 温和なミッキーも、流石にちょっと怒った口調になった。


「二人とも、今はそんなことをしている場合じゃないだろう。何の為に、ここに来たんだよ」


 二人は口を閉じたけれど、ルツさんに向けた視線は、かなり険悪だった。

 確かに――わたしは考えた。紺のスーツとネクタイ姿のミッキーに、軍服のアンダーウェアの皆川さん、黒のランニングと褐色のチノ・パンのルネ、濃紺のドレスシャツとブラックジーンズのラグ、ライムの緑のワンピースは絹に見え、わたしはジーンズとレモン色のTシャツだ。――意気だけでなく服装もバラバラなわたし達は、どんなに奇妙な集団に見えただろう。

 ルツさんは、そっと溜め息をついた。


史織シオはどこに居る?」

 通信でしたのと同じ問いを投げかけるラグ。声は遠雷さながら低く響いた。

「あいつを出せ。俺達は、元の時空に還る」

「無理よ……」


 ルツさんは吐息まじりに答えた。辛そうに眼を閉じ、首を傾ける。艶のある黒髪が肩をながれ落ちた。

 サングラスなしで彼女を見据えるラグの眼は、射るように鋭かった。


「今、彼はESPを使える状態ではないわ。それに、貴方達を連れて来た目的を達成するまで、出てくるつもりはないでしょう」

「脅迫か」


 表情を変えずに言うラグを、わたしは心底怖いと思った。ライムのわたしの手を握る指に、力がこもる。

 ルツさんは瞑目している。白い頬が痛々しい。わたし達をこんな境遇に陥れた人だとしても。

 ミッキーが、ラグを咎めるように眉根を寄せた。

 ラグの態度は辛辣だ。


「自分達のしていることを分かって言っているんだろうな? 異世界の人間に、時空に干渉させる意味を」

「ええ、承知しているわ。でも、貴方にしか出来ない――貴方達にしか。だから、んだのよ」


 わたしと同じことを感じたのかもしれない。ラグはわずかに口調を和らげた。


「どういうことだ?」


 ルネは頬杖を突き、火の点いていない煙草を噛んでいる。

 ラグは質問の形を変えた。


「それに、ここにはここの連中が居るだろう。何をしているんだ?」

「こちらには、《VENAヴェナ》 と 《古老チーフ》 は居ません」


 ルツさんは眼を開け、吐息まじりに囁いた。わたし達を眺め、丁寧に説明する。


「七年前、《古老》 と銀河連合軍のESPER達は、《VENA》 の能力を封じるために 《レッド・ムーン》 へ攻撃をしかけました。その結果、彼等と 《VENA》 は消滅してしまったのです。こちらでは……。《レッド・ムーン》 の半分が時空の彼方へ吹き飛んだのと同時に」


 え?


 わたしは耳を疑った。ルネが眼をみはり、ラグも――流石の彼も、毒気を抜かれた。


「何だと?」

「修復は行われましたが、ここの軌道は狂ったままです。徐々に本来の航路を外れ、いずれ月コロニーの上に墜落すると予想されています」


 わたしはライムと顔を見合わせた。彼女は、わけが判らないという表情をしている。

 ミッキーと皆川さんは、小声で相談を始めた。どんな内容かは、だいたい想像がついた。

 ラグとルネは、真顔になってルツさんを凝視みつめた。

 彼女は、わたし達の反応を見守っている。


 ラグが、横目でルネを見遣りながら、ぶつぶつと言った


「――それは、俺達パイロットの出番じゃない。必要なのは、コンピューターのシステムに通じたエンジニアだ。俺を囮にしてタカヒロをおびき出すことには成功したわけだ。こいつを置いて行くから、煮るなり焼くなり、好きにしろ」

「ラグ。そりゃー、あんまりだろ」


 本気か冗談か判らないラグの台詞に、皆川さんが抗議する。わたしは少し肩の力を抜いた。ライムも手の力を抜く。

 ルツさんは、ぎこちなく微笑んだ……ように見えた。


「貴方に、やって欲しいのです」


 ひと呼吸置いて、彼女は繰り返した。


「ラグ・ド・グレーヴス。タイタン・コロニーの墜落を防いだ貴方なら、出来ると考えています。貴方達なら……。ここの軌道を修正し、本来の位置に戻して欲しいのです」

「…………」

「お願いです。月と 《レッド・ムーン》 を助けて下さい」


 ラグは黙っている。その眼差しから先ほどの敵意は消え、困惑している――彼女の意図を図りかねている、という感じだ。

 ルネは頬杖を解き、改めて胸の前で腕をくんで彼女を眺めた。

 皆川さんが、片手を挙げて声をかけた。


「あの、いいですか?」


 皆川さんのやわらかな物腰に安心したように、ルツさんは頷いた。


「どうぞ」

「先刻こいつが訊いたことと重なりますが、《レッド・ムーン》 は地球連邦政府の管轄でしょう? 彼等は何をしているんです? 異世界の我われを呼び寄せなくとも、こちらにだって、それくらい出来る人間はいるでしょう」


 皆川さんの隣で、ミッキーがこくこくと頷いている。

 ルツさんは残念そうに首を振った。


「地球連邦は、ここと月コロニーを見捨てるつもりです」

「何故?」

「今、月と地球は独立戦争を行っています」


 ミッキーの眉間に皺が刻まれ、ルネが忌々しげに舌打ちをした。皆川さんの細い眼がさらに細くなる。ラグは無表情だ。

 ルツさんは淡々と続けた。


「地球政府は月を脅迫しているのです。戦争を止め、独立を諦めない限り、《レッド・ムーン》 の軌道を修正しないと……。このままでは、月も 《レッド・ムーン》 も破滅です」

「そんなことになったら、地球だって、タダでは済まないだろう」


 ルネが濁った声でうめいた。わたしも思わず言った。


「そうよ。月の軌道がずれたり、潮汐力が無くなったりしたら――」


 ど、どうなるんだろう?


 ライムはますます困惑して、わたしとルネの顔を見比べた。なぜ皆が難しい顔をしているのか解らない、という様子だ。わたしは彼女に微笑んで見せたものの、安心させられる自信はなかった。

 ルツさんは、はかない苦笑を浮かべた。


「私達も、警告しているんですが……」

「あんたは、だ?」


 煙草でしわがれたルネの声は、ざらざらと耳障りに響いた。ルツさんは、静かにラウル星人を見返した。


「私?」

「そうだ。そこまで判っているってことは、科学者なんだろう? あんたも。正規の手段を取らずオレ達にさせようとするのは、何故だ?」

「私は……月のレジスタントなんです」


 突然、ルネが椅子から立ち、部屋の中をうろうろと歩き始めた。テーブルの下を覗き、天井を仰ぎ、観葉植物の脇の壁にくっついて様子を窺う。

 わたし達は驚いて彼の妙な動きを目で追いかけ、ライムが怪訝そうに呼んだ。


「どうしたの? ルネ」

「いや。盗聴器か何か、仕掛けられていないかと思って」


「今頃気づくな、小僧」


 ラグだけは彼を観ていなかった。ルツさんから視線を外さず、ぶっきらぼうに言い捨てた。ルネが唇を尖らせて動きを止める。


「盗聴も何も。先刻から、俺達は空間の障壁に囲まれている。入ったが最後出られない、時空の歪みの中だ」

「何だと?」


 ライムが、初めて、真っすぐルツさんを見た。わたしの手を握り、震える声で、はっきりと言う。


「《SHIO》 ね?」


 ルツさんは、黙って白い瞼を伏せた。


「ずいぶん厄介なことに、巻き込んでくれたな……」


 陰鬱なラグの声は、わたし達の意見を代弁していた。ルツさんは項垂れる。

 わたし達の視線が、ラグに集中する。

 彼は、ぎりっと奥歯を噛み鳴らした。





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