Part.3 十人目の尋ね人(4)
4
いいと言うのに、わたしが荷物をまとめて安藤家の人々に挨拶をすると、一家総出で見送ってくれた。
深夜十二時。とっくに寝ていた麻美さんや、小さな子ども達まで起き出した。
「残念だわあ。明日のクリスマス・パーティーまで、居られたらいいのに」
ロビーの外へ出てきてからも、マーサさんは繰り返した。洋二さんは、ミッキーが呼んだ無人タクシーを睨んでいる。
「お前が運転していけばいいのに。ミック」
洋二さんは、名残惜しそうにわたしと握手してくれながら、ミッキーに言った。
ミッキーは困ったように微笑んだ。
「途中で寄るところがあるから、タクシーの方が停める場所に困らないんだ」
「なんか嫌だな。タクシーだと、本当に『行ってしまう』感じだ」
「洋二」
アニーさんが苦笑して、彼の脇を小突いた。
「なに、子どもみたいなことを言っているんだよ。また来てもらえばいいじゃないか……。遊びに来てくださいね、倫道さん」
「はい」
「気をつけてね、小百合さん」
「…………」
ありがとう、の言葉が出ず、わたしは深々と頭を下げた。
結局、九日間、わたしは居候させてもらった。宿泊費を払うと言っても、誰も受け付けてくれなかったのだ。ミッキーに言うと、彼は初めてちょっと不機嫌になった。
「これはおれの仕事ですよ、リサちゃん。その間にかかった費用や時間は、全ておれの責任です」
ミッキーはすぐにいつもの彼に戻ったけれど、わたしは、それ以上言わないことにした。
切ない気分に浸っているわたしに、皆は、まるで昔からの友人のように何度も別れを言ってくれた。芳美さんとイリスさんが、念を押す。
「遊びに来てね、リサちゃん」
「約束よ?」
わたしは手を振り、ルネと一緒にタクシーの後部座席に坐った。ミッキーがナヴィゲーター・シートに乗り、運転AIに指示する。
「東70丁目に行ってください。場所は、向こうで説明します」
自動運転制御のエア・タクシーが、音も無く走り出す。角を曲がる寸前にわたしが振り向くと、おばさん達は温かなロビーの光のなかに佇んでいた。
わたしは感傷的な気分で、しばらく後方を眺めていた。
ルネは窓をほそく開け、煙草の煙を外に出しながら吸っていた。その瞳はすれ違う車のライトや街灯を反射して、鮮やかなオレンジや銀色に光った。
ミッキーも黙っていた。わたしの前、シート越しに見える後ろ頭は、微動だにしない。
タクシーは道を間違えることもなく、静かにハイウェイに乗って流れた。次第に下へ下がるダウン・タウンを眺めていると、窓ガラスに映るミッキーの横顔が聴き慣れた声を発した。
「お前に未来を予知する能力がないのが恨めしいよ、ルネ」
ミッキーはこう言うと、煙草を吸うのだろう、ナヴィゲーター・シートの窓をわずかに開けた。
ルネは唇の端に煙草をはさんだまま、うっそりと嗤った。
「ミッキー。未来なんざ、
「それもそうか……」
ミッキーが煙草に火を点ける。彼がぼやきたくなる原因を、わたしは知っていた。
なぜ、わたし達が、こんな遅い時間に『月うさぎ』を後にしているのか。
ドウエル教授からの電話のあと、ミッキーは、ダイアナ・シティの
政治家さんって……わたし達一般市民が個人的に会おうとすると、とても大変な人達だったのね。
それでも。ようやく連絡がついたときには、スティーヴン・グレーヴス氏はドウエル教授から話を聞いていたらしく、ミッキーと会うことを快く承知してくれた。もっとも、超多忙な執政官の予定が空くのは深夜になってからで、ミッキーが約束できたのは、二十四日の午前一時だった。
ルネは欠伸を噛み殺した。
「この調子だと、ラグのおっさんに会うのも苦労しそうだなあ」
「一応、データを渡しておきます」
ミッキーは、シートとドアの隙間から数枚の紙をわたしに渡した。
「スティーヴンとラグの血縁関係とか、その他人間関係の情報です。ゴシップ程度ですけれどね」
「ありがとう」
わたしは読もうとしたけれど、車内の暗さに断念した。プリンターの文字の間に、ミッキーの几帳面な筆跡で何か書き込んであるとわかる程度だった。
わたしは軽く溜息をついて、それをコートのポケットにしまった。窓に頬を押し当てる。目的地に到着するまで、少し休むことにした。
ハイウェイは街の中心を横断していく。車のライトが光の川のように観えた。冷たい夜の海の底にある、竜宮のよう。
ガラスに映るわたしの顔の向こうで、飛び立つ宇宙船の噴射光が金色の筋を引いた。光は幻のようにひろがって星屑に変わった。
もしかして、わたしは嫉妬しているのかもしれない……。気だるい気分の底で、わたしは考えた。この感情を表現するのに浮かんできた単語を、舌の上で確かめる。
わたしはミッキーがうらやましかった。『月うさぎ』の人達が早くも恋しい。あそこに帰れる彼が、うらやましい。
わたしには、誰もいない。
今まで夢中で、考えていなかった。考えたくなかった。パパの言った『グレーヴス』――ラグ・ド・グレーヴスに会えたら、わたしはどうなるのだろう?
手紙とメモリー・チップを渡せば、《VENA》とわたしのことは彼がなんとかしてくれると、パパは言っていた。でも、わたしは独りだ。
わたしが『グレーヴス』に会えば、ミッキーの仕事は終わる。ルネも月を去っていく。ラグ・ド・グレーヴスだって、夜明けには太陽系の外へ行ってしまう。
『遊びに来てね』
『約束よ?』
……もう一度、この街に来られるのだろうか。ミッキーに、ルネに、また会えるのだろうか。イリスさん、麻美ちゃん、おばさんに……。
わたしの心は重かった。夜景の美しさも、きらめく星も、憂鬱に見えてくる。
と。
「たいへん光栄な態度ではあるけどな、子猫ちゃん」
実に見事としか言いようのないタイミングで、ルネが声をかけてきた。わたしは驚いて瞬きをくりかえした。
ルネは二本目の煙草に火をつけながら、からかうようにわたしを見ていた。
「あんたの前の御仁もだ。無事カタがついてからにした方がいいんじゃないか? そういう明るい話題は、よ」
「読んだの?」
わたしは頬が火照った。上目遣いにルネを見る。
ラウル星人は肩をすくめた。
「あのな、リサ。あんたは考えていることがまんま顔に出るんだ。読んじゃいねえよ」
車内が暗くて助かった。ミッキーに気づかれたくなくて、わたしは両手で頬をおおった。
ミッキーは振りかえり、優しい声をかけてくれた。
「もう少しですよ、リサちゃん。退屈でしょうが、我慢して下さい。……どうかしましたか?」
「ううん、大丈夫」
わたしは首を振った。数日前の自分の台詞が脳内に蘇る。
同じ歳なこともあって、イリスさんとわたしはすぐに打ち解けた。仲良くサラダを盛りつけながら、イリスさんはウインクした。
『ミックには内緒よ。ずうっと前から、あたし、ミックが好きなの。ちょっと鈍くってぼうっとしているけど。そこがいいのよね』
『判るわ……素敵だものね、ミッキーって』
素敵だものね、ミッキーって……。
彼はその整った眉を曇らせて、わたしの顔を覗き込んだ――心配そうに。
「酔いましたか? 大丈夫ですか?」
「ううん、なんでもないの」
本当に、鈍い……。その鈍さと車内の暗さに、わたしは感謝した。いったい、どうしたのだろう? わたしの顔は。
くすくす笑い出したルネを、わたしは軽く睨んだ。
「なによ。ルネが変なこと言うからじゃない」
「そうだっけ?」
ミッキーは不思議そうに、わたしとルネを見比べている。わたしは敢えて彼を見ないようにした。
「誰が、顔にすぐ出るのよ」
「違ったか? あんたとミッキー、考えていることは同じに見えたんだが」
「わたしは、ラグ・ド・グレーヴスって人のことを考えていただけよ」
「へえ、そう」
相槌を打つルネの口調から、からかうような調子は消えなかった。ひょっとして、ルネは
ルネは急に真顔になった。
「そういえば、ミッキー。スティーヴン・グレーヴスとラグのことを調べたって言ってたな」
「ああ。レポートはリサちゃんに渡したが……説明しようか?」
「そうしてくれ。聴いた方が早い」
ルネは改めて腕を組んでシートにもたれかかった。すらりとした脚を組む。
ミッキーは車の前方へ視線を戻し、穏やかに話し始めた。
「スティーヴン・グレーヴスがラグ・ド・グレーヴスの従兄というのは、本当だ。ラグには、スティーヴンとその弟の二人しか肉親がいない」
「何?」
「どうも、グレーヴスってのは、ずいぶん悲運な一族らしい」
ミッキーは、わたしとルネの興味を引いたことを、ちらりと振り向いて確かめた。
「記録では、地球の十八世紀頃まで遡れる。政治家や大学教授や科学者や、
「母親は?」
大家族の長男のルネは、この問題が気になったらしい。咥え煙草の先を揺らして訊ねた。
「ラグの母親はいないのか?」
「母親は、ラグを産んだ直後に病死している」
「…………」
「それでも細々と一族が続いてきたのは、凄いと思うよ。グレーヴス一族の直系は
「クイン・グレーヴス?」
ラグの別名とか言ってたっけ? 呟くわたしに、ミッキーは丁寧に頷いてくれた。
「そう。驚いたことに、銀河連合の公式データにもその名前が載っている。『クイン・グレーヴス』以外の一族の人間にはESPはないというから、不思議な話だ……。現在能力を受け継いでいるのはラグで、その前は彼の父親だった。モリス・グレーヴスは連合軍のトループスで、
ミッキーの話を聴きながら、わたしは胸の奥がちくちくした。そうか……ラグも家族がいないんだ。切ないようなほっとしたような、不思議な気持ちだった。
ルネはほかっと煙草の煙を吐き、首を傾けた。
「それじゃあ、我らがAクラス・パイロット殿と
「ああ。地球連邦の執政官なら、おれ達よりは簡単にラグに会えるだろう。実際、年に数回は会っているらしい。ドウエル教授の彼に会えという指示も、おかしな話じゃなさそうだ」
「仲がいいなら、倫道教授とラグの関係も知っていそうだな。上手くいけば、子猫ちゃんを保護してくれるわけだ」
「上手くいくよう祈っているんだけどね」
ミッキーが囁くように応え……それから、わたし達は、何故ということもなく黙り込んだ。
わたしはルネの言葉を聞いて、自分の気持ちに気づいた。ちくちくする切なさの理由に。
ああ。わたしは、この二人と別れるのが嫌なのだ。
せっかくミッキーが、ルネが、『グレーヴス』を探し出してくれたのに。今になって、二人とずっと一緒にいたいという気持ちに気づいて、わたしは困惑した。楽しかった祭りが終わるときのような名残惜しさ。
違う。
辛かった、とても……。その感情は胸の底の方から湧き起こり、息を詰まらせたので、わたしは唇を噛んだ。
ミッキーとルネは、わたしにとって大切な友人になっていた。パパが死んでしまった寂しさを忘れていたくらいに。二人と、ずっと冗談を言ったり、ふざけたりしていたかった。
夜の街を見詰めて唇を噛んでいるわたしに、ルネもミッキーも気づかず、何も言わなかった。二人ともそれぞれ考えこんでいて、わたしを振り向くことはなかった。
ちょうど今、わたしが、そうして欲しかったように。
車はハイウェイを降り、東70丁目の角を曲がった。
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