十四の話

 尾子宿おしのじゅくには、十万石の価値の饅頭がある。

 急に蓮伍が言い出し、尾子宿に着くとすぐに菓子屋に向かったのだが。



 日が暮れる前に旅籠屋に着いて荷を下ろし、夕餉まで四人同じ部屋で一時休息とする。

「あんた、しっかりしなさいよ。本当に、饅頭のことしか頭にないんだから」

「だって」

 蓮伍は手ぶらで菓子屋を出てから、塩漬けの桜のようにしゅんとしてしまった。

「十万石でなかったんだもの。期間限定で桜模様だったんだもの」

「焼印のことでしょう。饅頭は同じでしょうに」

「いや、違う! あの饅頭の焼印は十万石でなければならない!」

「じゃあ、あれか」

 蓮伍と志蓬の夫婦のやり取りに、未明が口を挟んだ。文机に向かい、鑷子せっしを手に端布はぎれで花をつくりながら。

「その饅頭を十個とお集めると百万石になるってか」

「そういうわけでもないんだが」

 蓮伍が冷静に突っ込みを入れ、未明の手元を見ながら話を聞いていた李花は思わず吹き出した。吹き出した己に驚き、顔が熱くなってしまう。

「あの、申し訳ありません」

「悪いことじゃないよ。笑うのは、良いことだ」

 未明は鑷子を置き、顔を綻ばせる。

 でなくて、と李花は焦る。

「大切なお仕事につばを飛ばしてしまったのかもしれません」

 腰を浮かせ、未明から離れようとする李花を、未明は、おいで、と止める。

「仕事ではない。稽古のようなものだ。やっていないと腕が鈍る気がして、やらないわけにはゆかない」

 大きな仕事の後にひとり旅をするという未明。しかし、簡単な仕事道具は持ち歩いている。

 わざわざ文机を借り、どうにかして持参した糊を糊板に練って広げ、端布を折った花弁はなびらを糊板に乗せる。

 未明の美しい手から花弁が生まれる様を目の当たりにし、李花は吸い込まれるように見つめてしまった。

 花弁は、台座となる布地に円状に並べられる。

 見て、と未明は李花にささやいた。

 花弁の先にわずかに糊をつけ、その部分を内側に折り、鑷子で挟む。

 李花は、ふみゃっ、と目を丸くした。

 未明の手の中で生まれたのは、桜花だ。道中で眺めたのと同じ形の花弁の。



「蓮伍に訊きたいことがあるんだが」

 作業が終わり、未明は道具を片づけながら訊ねようとする。一度、志蓬に目をやると、志蓬が違う意味で察した。

「蓮伍の刺青いれずみのこと」

「ああ、それか。別に隠すようなことじゃねえし」

 蓮伍が言葉を継ぐ。

「がきの頃からあるんだよ。俺にら双子の弟がいるんだけど、弟も腹に同じものがある。母が言うには、父親が彫り師で、子のしるしだとかで彫られたんだと」

 子の証、と未明は口の中で言葉を転がす。まるで、苦いものを飲み込めないかのように。

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