第一話 『薙原ハルトの受難』 その7


「―――ふわああああ!!よーく寝たわー!!」


 サイバネの調整もできるらしい優秀な社会人が、そんな言葉と共に眠りから覚めた。覚醒したくるみ先生は、おっぱいを揺らし―――いや、その寝起きの瞳を猫のように丸めた手でこすりながら、こちらへと近づいてくる。


「あの。くるみ先生……教育者として、教室で居眠りというのはどうなのでしょうか?」


「七瀬川さん。閑職に飛ばされた大人には、少しでもストレスから解放された時間が必要なのよ」


「生徒の視点からではコメントに困る言葉なのですが」


「そういう時は、聞き流すの。ああ、お父様には、私の職務態度は極めて優秀だって伝えてくれると助かるわ♡」


「……はあ。悪く言うつもりはありませんが。教師陣の評価をするのは、私以外に適切な人物がいるものでは?」


「作りかけでデザインもフワフワしている集団だからね。まあ、気にする必要はないわよ」


 ……おおざっぱ過ぎるイメージだな。三十三番高校……本当にこんな状態で機能するだろうか。いや、正直言うと。機能せずに、解体されてくれた方がありがたいのかもしれない。七瀬川がどんなモチベーションを持っているのかは理解しがたいところがあるけれど。


 少なくとも、オレの本音としては改造人間なんかと戦いたくはない。死にたくないんだよ。でも……もしも、三十三番高校が解体されたら……オレの左腕はどうなるんだろうか?自衛隊は返せって言ってくるのだろうか。そうなると、オレは片腕生活になるのか……。


 大人って。


 残酷で身勝手で、子供以上に自分たちのことしか考えていないから。試験運用のデータとか取れないサイバネ義手を、不幸なガキに無償では貸してくれないかもしれない。


 はあ、クソ。サイテーな状況だ。大人が……白川を守ってくれていたら。白川は改造人間になんてならなくて済んだ。そしたら、オレは腕をもがれなくても済んだのに……。


 理不尽だよ、こんな状況はフェアじゃない。大人のせいなんだから、オレに無償で機械仕掛けの偽物の腕一本ぐらい、寄越せばいいのに―――。


「―――ハル?どうかしたか、険しい顔をして?」


「い、いや。なんでもないよ。ちょっと考え事をしていただけだ」


「そうか。何か悩みがあれば、言うのだぞ?」


「……うん。ありがとう、七瀬川」


 美少女に健気な態度で心配されるって……すごく癒されるな。眼鏡の下にある七瀬川の青い瞳を見つめていると、それだけで少し元気になれる。


「だ、だから……あ、あまり見つめすぎるなと」


「あ。ごめん」


「……ふう。やはり!!」


「え?」


「はい?」


「君たちには釘を刺しておかなければ、AI教師しかいない教室でも何かを始めるかもしれません」


「何かって?」


「何なのですか、くるみ先生?」


「く、くるみ先生、そんな破廉恥なこと口に出来ませんっ。こんな真昼間からっ」


 ……そんな破廉恥なことを真昼間から考えないで欲しい気もする。


「こ、こほん!……みんなの青春を健全な方向に導く保健室の若くて清楚なお姉さんとして!!四限目は、保健体育ですっ!!」


「鍛錬ですか?」


「違います!!くるみ先生、そんな脚太くなるよーなこと、しません!!」


「じゃあ、何を……って。まさか……」


「そうです!思春期ならではのリピドー・センサーがさく裂している少年!!」


「そんなセンサー積んでませんよ、オレの左腕」


「本能に搭載されているのよ!!」


「……らしいぞ?」


「七瀬川……」


「う、うむ。すまない。き、君は、そういう人物ではないよな?」


「いいえ!!七瀬川さん。男はみんな性獣なのよ!!」


「せ、性獣!?」


 女子校育ちの七瀬川はおろか、オレも聞いたことのない単語だった。意味は、何となく想像がつかなくもない……おそらく、ろくでもない意味を持っているのだろう。


「英語で言えばね、セックス・モンスターってところね!!」


 ……純度100%の悪口だった。


「そういうことなので。四限目は、くるみ先生によるトクベツ性教育です!!」


「三人で、そういうの辛いんですけど!?」


「そ、そーです。さ、さすがに、この状況では辛いものがあります、くるみ先生!?」


「いえ。せめてコンドームの使い方ぐらい教えておかなくちゃ……っ。先生、知っているんです。徴兵された女子たちが、妊娠したら徴兵免除って裏技を知って……あっちこっちで徴兵免除を試みているって噂」


「噂でしょ?」


「でも。原理的に起きえることだもん!!もしも、君が発情した雄ウサギのような性欲を発揮するか―――あるいは、周囲の女子が三十三番高校からの脱出を画策して、君を使って妊娠しようとか考えたら……っ。くるみ先生、その責任を負うリスクがあるの」


 すがすがしいほどに身勝手な理由だった。


「薙原くん!!くるみ先生の人生を破壊する悪魔生徒になりたくありませんよね!?くるみ先生、そんな子じゃないって信じているからこそ……性教育の授業が必要なのです!!」


 発情した雄ウサギ並みの自制心しか持っていないらしいオレを、きっと、くるみ先生は信じてはいないのだろう。毛ほどの信頼も感じないけど。何と言うか、ここまで素直だとイヤな気持ちは湧かない。


 嘘で隠すよりも、素直な方がいいや。


 ……性獣扱いされるのは、かなり恥ずかしいけど――――。


 ―――ジリリリリリリリリリリリリリリイイイイイイイイイイッッッ!!!


 警報が鳴った。プレハブ校舎を揺さぶるんじゃないかと思うほどに、大きな音で。


「……これはっ!?」


「ハル!!避難するぞ!!くるみ先生、誘導、お願いいたします!!」


「お、オッケー!!くるみ先生についてきなさい!!」


 ……結局のところ。


 日本はどこでも同じだった。いや、東京が最多なんだよ、改造人間による襲撃の頻度は。


 サイテーだった。オレは、くるみ先生によるトクベツな性教育の授業を受ける時間も与えてもらえないんだからな。


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