第10話 ただモノではない“お嬢様”

週中に一度玲子が、ゴミを捨てたかチェックしに慎一のマンションに寄った形跡があった。


慎一が帰って来ると、テーブルの上に“食べてくださいね”というメモと可愛い包みでクッキーが置いてあったので、玲子が立ち寄ったのがわかった。


そのクッキーは甘くて美味しく、それを持って来た玲子のことを考えると、自然と笑みがこぼれる。


「レイレイって、可愛いなぁ」


慎一の頭な中では、玲子はアイドルの“レイレイ”になっていた。


土曜日になると、慎一は意を決して、大掃除を敢行する。


都合良く、朝から晴天で、部屋の窓という窓を開け、掃除機をかけて、拭き掃除。

汚いシーツや布団カバーを捨てて新しく買ったものに取り替える。


押し入れの中も使わない物はダンボールに入れて片付ける。


当然、溜めていた壊れたビニール傘も整理の対象。


元来、慎一は片付けが苦手な方ではなかったが、一人になり気が緩み、怠っていただけだった。


日曜日。


その日も朝から気持ちの良い晴天だった。


朝8時、玲子がドアフォンを鳴らして、慎一の部屋に入って来る。


「え?

 なに?

 この荷物の山は?」


入口付近に積み上げられたゴミ袋の山を見て、玲子は目を丸くする。


雑談や新聞、ぼろぼろで着れなくなった衣服に下着、訳の分からない物など、一体どこに隠してあったのかと思えるほどの量だった。


部屋に入ると、床にまで散乱していたガンプラも棚の上に数体残っているくらいだった。


「おはよう…。

 悪い、まだ起きたて…。」


「おはようございま…?!」


ベッドの上にパジャマ姿で胡座をかき、ぼーっとした顔で座っている慎一を見て、玲子は息を呑んだ。


慎一は、昨日の深夜までガンプラの整理をしていて、玲子のドアフォンで目を覚ましたばかりだった。


玲子の方は、厳格な父親が絶対に見せたことのなかった男性の寝起き姿を始めて見たので、一瞬戸惑ったが、慎一がパジャマを着ていたので平静さを保つことが出来た。


「慎一さん、昨晩遅くまで、お片付けをしていたのですか?」


片付けをしていたのは、部屋の中を見れば想像できたが、ここまで片付けるのには、かなりの時間がかかっただろうと玲子は考えた。


「ああ、最後にガンプラを整理していたんだけど、遊びながら片付けていたので、明け方近くまでかかっちゃつたよ。」


「明け方まで…」


玲子は、小さな子供のようにガンプラを持って遊んでいる慎一の姿を想像して、つい、吹き出しそうになった。


バサッという服の音が聞こえ、玲子が慎一を見ると、慎一はパジャマの上を脱いで上半身裸だった。


「し、慎一さん、何をしているの?」


玲子は慎一の裸を見て、顔が熱くなるのを感じた。


慎一の言うことでは、最近運動不足で身体がダボついて来たと言っていたが、確かに筋肉隆々ではなかったが、それでも引き締まった体をしていた。


「え?

 着替えだよ。」


「わわわ…。

 私、これでも女性よ。

 何で女性の前で裸になって着替えるのですか?」


そう言いながらも、玲子の視線は慎一の裸の上半身に釘付けだった。


「へ?」


「い、いいから、洗面所で着替えて来てください。」


「わ、わかった。」


茹でタコのように真っ赤な顔している玲子を見て、慎一はベッドから降りて着替えの服を手に取る。


「あ、そうだ」


慎一は何を思ったか、いきなりパジャマのズボンを脱いでトランクス一枚になる。


「き、きき、へ、変態!

 何で、ズボンが脱ぐのですか?

 ち、痴漢!

 変態!」


「うわ!」


大騒ぎし始める玲子に驚き、慎一はトランクス1枚で逃げるように洗面所へ駆け込む。


「何で変態なんだよ。

 そんなこと言ったらプールに来ている男は全員が痴漢じゃないか」


「プールとここは違います!」


慎一の独り言が聞こえた玲子は、尚も噛み付いた。


「ま、全く、もう…

 でも、慎一さんは、トランクス派なんだ」


玲子は激しく動揺しながらも見るべきところは、キチンとみていた。


それから、まだ慎一は温もりが残るベッドに近づく。


「あら?

 カバーやシーツを一式取り替えたんだ。

 布団乾燥機も使って…

 感心、感心」


玲子はベッドの足元に倒れている布団乾燥機を起こし、ベッドの上の布団を綺麗に引き直す。


布団に残る慎一の温もりが妙に気持ち良かった。


(このお布団の中でなら良いかな…)


玲子の顔が再び熱くなる。


「おっ!

 ベッド直してくれてありがとう。」


着替えが終わった慎一が洗面所から出て来て声を掛ける。


慎一から"ありがとう"と言われ玲子は、何となく楽しくなる。


「慎一さん、おにぎり持って来たの。

 朝ごはん、まだでしょ?

 一緒に食べませんか?」


「え?

 本当?

 もしかして、レイレイのお手製?」


「レイレイ?」


「嬉しいなぁ、是非、いただくよ。

 じゃあ、お茶でも入れよう。

 ポットは、良く使っているから大丈夫だし、昨日、念のため、洗ってポット洗浄中も使って綺麗にしたから大丈夫だよ。」


「さっき、レイレイって?」


慎一は冷蔵庫からミネラルウオーターを取り出し、ポットに入れて沸かす。


「カップは妹のじゃなくて、お客さん用のがあったから、洗えばいいな。」


「あ、慎一さん、私がやります。」


玲子は急いでキッチンに行く。


「いいよ。

 このカップを洗って、お茶を入れるだけだから。」


「だめです。

 それは、これから私の仕事です。」


慎一の手からカップを受け取ろうとして、玲子の手が慎一の手に触れる。


「あ…。

 ごめんなさい。」


「いや、いいんだ…」


慎一はカップを玲子に渡す。


少しの間、二人の間に気まずい空気が流れる。


(女の子の、レイレイの手って、なんて柔らかいんだろ。

 指も細くて長いし…)


(慎一さんの手って、なんて温かいのだろう。

 大きくて厚みがあって。)


思い思いの感想が二人の頭を過る。


「そうそう、何を飲む?

 おにぎりなら緑茶かな?

 でも、家には、ほうじ茶しかなかったか。」


「そ、そうですね。

 ほうじ茶のパックが…。

 あー、この前、賞味期限を1年以上経っていたので、捨てましたよ。」


「おー、そんなに経っていたのか。

 危なかった。」


「もう、何が"危なかった"ですか。

 何も見ないで使っていたのではないですか?」


「う、うん。

 色が変わってなかったから」


「ほうじ茶って、変わりようがない気がしますが…。

 近くのコンビニで何か買ってきます。」


「あ、いいよ。

 俺が行く!」


「大丈夫!

 行ってきま〜す。」


そう言いながらコートを手にして出ようとする玲子の腕を慎一は掴もうとしたが、手を引く。


玲子の華奢に見える腕を掴むと、腕が折れそうな気がしたからだったが、代わりに玲子が出て行く時に玲子から甘いような良い香りを感じた。


(女の子って、良い匂いがするんだな)


慎一の心の中は甘酸っぱい気持ちが溢れていた。


慎一は、窓際に行きマンションの下の道を見る。


しばらくすると、コートを着た玲子が出て来て、左右を見渡すと道路を渡り、少し離れたコンビニに小走りで向かって行く姿が見えた。


(そんなに急がなくても、ゆっくりでいいのに)


玲子の後ろ姿を見送りながら、そう思いつつ、自分のために一生懸命な姿を見て何気に嬉しくなっていた。


(時間がかかるなぁ。

 大丈夫かな)


10分位経っても、玲子の姿が見えないので、慎一は心配になり、コートを羽織って玲子の入ったコンビニに向かうと、店の中で困った顔して考え込んでいる玲子の姿が見えた。


「どうしたの?」


慎一はコンビニに入り、玲子の横に立って尋ねる。


「ええ…。

 ついでにお昼ご飯の材料もと、思ったのですが迷ってしまって。」


「ん?」


「お米って、魚沼のコシヒカリ以外にもあるのですね。」


「え?

 ええー!?」


「私、コシヒカリ以外、食べたこと無くて。

 それも、魚沼産という種類しか知らなかったんです。」


「お、お嬢様ボンバー」


「え?」


「ササニシキ、あきたこまち、ひとめぼれ…。

 みんな知らないの?」


「うん」


玲子は困った顔をして、頷く。


「それに、お米って安いのですね。

 いつも母がお米屋さんから買っているのは、この倍近く高いのです。」


「は、はぁ…」


「あと、お惣菜が…

 お肉とか魚とか、野菜がよくわからなくて。

 みんな調理後とか、お弁当になっていて。」


「そ、それはそうだろう。

 だって、コンビニなんだから。

 コンビニ、入ったことあるよね?」


「はい。

 でも、いつも、お菓子を買うくらいで、他の品は見てなくて…」


「買い物は?」


「食料品はいつも母が、懇意にしているお肉屋さん、魚屋さん、八百屋さん、酒屋さんにお米屋さんと、電話で注文して。

 衣料品は、デパートの外商の方に来ていただくとか、自分でデパートに見に行きます。

 何かへんですか?」


唖然とする慎一の顔を見て、玲子は気まずそうにする。


「A Perfect Ojyohsama!」


「え?

 今、なんておっしゃいましたか?」


「い、いや。

 昔、パーフェクトヒューマンて流行ったなって。」


慎一は、ムッとした顔をしている玲子に取り繕う。


「あ!

 私、それ知ってます。

 パーフェクトヒューマンて言った後にこうやって首を傾げるやつですよね。」


そう言いながら玲子は楽しそうにやって見せる。


「そうそう、それ!

 上手だね。」


「はい。

 好きで完コピしました。」


「…」


(この子、ますます変わっている。

 ただ単にお嬢様という訳でも無いし、なんだろう。

 あれを完コピだって?

 お嬢様とお笑い?

 いや、芸達者が変に混じって出来ている?

 何となくそれも面白いか。)


「慎一さん?」


押し黙っている慎一を玲子に訝しげな顔をして覗き込む。


「ん?

 何でもない。

 取り敢えず、お茶だけ買って戻ろう。

 あれ?」


玲子は緑茶のティーパックが入ったコンビニ袋を慎一に差し出すように見せる。


「買ってから悩んでたの?」


「ウィ」


「…ともかく、戻ろうね。」


「ウィ」


「…」


慎一は店内に貼ってある"ハイフリ"のポスターを見つける。


(今度は、これか)


慎一は頭を掻きながら店を出る。


「慎一さん、待ってー!」


玲子は慌てて慎一の後を追って店を出ると慎一と並んで歩きながらマンションに戻って行く。


横で楽しそうに歩く玲子を見て、慎一も楽しくなっていた。

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