最終話 僕らの我儘

 その後、末樹は大学へ進学し、法律を学んだ。

 大学でも勤勉なことに変わりはなかったが、以前よりも少しだけ周りと協調して生きていけるようになった気がする。

 違う大学へと進学した紺とはめっきり会わなくなってしまったが、それでも、どこかで自分の道を進んでいるであろう紺のことを、末樹は時折思い返していた。

 紺の存在が、引き続き末樹の背中を押してくれている気がした。

 來樹の恋人となった玖馬は、頻繁に会う機会があり、末樹は相変わらず玖馬の明るさに元気を貰っていた。無邪気な笑顔は、変わることはなかった。

 大学を卒業後、末樹は検察官の道へ進み、持ち前の集中力と探究心から、着実に結果を残していき、周囲からも将来有望だと期待の目を向けられていた。

 そして高校を卒業して9年目を迎える年、末樹は担当事件の調査に向かうため、最近出来たばかりのオフィスビルへと向かった。

 そこで、自殺に見せかけた殺人事件が起こったのだった。

「しかし、何も新しいビルで殺さなくてもねぇ…」

「オーナーも入居した会社も災難ですね」

気が重そうな先輩とともに現場に着いた末樹は、苦笑いをした。

「綺麗なビルなのにな」

 バリアリールで仕切られた向こう側に入った二人は、綺麗なオフィスとそぐわない、物々しい空気の中、調査を行った。

 一通りの検証を行った後、末樹は、休憩のために建物を出ようと一階のロビーを歩いていた。そして思い出したように、來樹に電話をした。

「末樹?どうした?」

「兄貴、仕事中?」

「いいや、休憩に入るところ」

 末樹は壁の方によると、軽く寄り掛かった。

「そっか。悪いんだけど兄貴、この前福引で当てた旅行券、貰ってくれない?」

「は?いいのか?折角当たったんだろ?」

 電話の向こうで來樹は、末樹を心配するような声で言った。

「うん。俺、仕事忙しくて旅行とか行けないし。それにペアだから、勿体ないし」

 末樹は内ポケットに入っていた温泉の旅行券をそっと取り出して見た。

「…末樹、仕事しすぎじゃないのか?大丈夫か?」

 來樹は末樹の少し疲れたような声を聞いて優しく聞いた。

「大丈夫だって。兄貴たちこそ忙しくて疲れてるだろ、クマと行ってきなよ」

 末樹は明るくそう言うと、旅行券をしまった。來樹は臨床検査技師として国立の医療センターで、玖馬は航空整備士として空港で働いている。末樹は、そんな二人に身体を休めて欲しかった。

「…分かった。ありがとう。玖馬にも伝えておく」

「よろしく」

「末樹、あんまり頑張りすぎるなよ…?」

「分かってるって。それじゃ」

 末樹は電話を切ると、そのままエントランスに向かって歩き出した。すると、何やら賑やかな集団が前から歩いてきた。

 いくつかの企業が入居しているビルではあるが、曲がりなりにも最近殺人事件のあった建物に、何とも似つかわしくないその賑やかさに、末樹は思わず顔をしかめた。

 どんな人たちなのかが気になった末樹は、近づいてくるその6人ほどのグループをじっと見つめた。

「そうだ、今ちょうど次の作品のスタッフを調整してるところなんだ。お前、やってみるか?」

「あ!それいいんじゃないですか?私、結構彼の演出好きなんです」

「おいおい、大役だぞ、どうする?」

 幅広い年齢層の男女が混じったそのグループは、どうやらこのビルに入居している企業の社員たちであるようだった。服装から、みなラフな格好をしており、今回の末樹の担当する事件の企業とは関係なさそうだった。

 そういえば、映画の製作や配給を行っている企業も入居していた。会話からして、そこの社員だろうか。

「おい紺、どうする?」

 一人の眼鏡をかけた十歳くらい年上の男性が、末樹と同じくらいの年代の男性に、楽しそうに笑いかけた。

「ありがたいじゃないですか」

 笑いかけられたその背の高い若者は、その爽やかな目を輝かせ、目鼻立ちのはっきりとした凛々しい顔を綻ばせながら、末樹の隣を通り過ぎた。

「……糸村?」

 末樹は瞬間、その若者の顔を見て思わず声を出した。その声が聞こえたのか、背の高い若者は、通り過ぎた末樹をゆっくりと振り返った。

「…末樹?」

 眉をひそめて自分のことを見ている末樹に、紺はぽかんと口を開けた。

「末樹なのか?」

 そしてすぐに、立ち止まって末樹をしっかりと見た。末樹は、黙って頷いた。

 その顔を見ていると、あの時に置いてきた感情をふつふつと感じてくる。

 これまで過ごしてきた時間の中で、どうにか忘れてしまおうとしていた感情。

 それでも、これまで捨てることのできなかった。いつの間にか、自らで埃をかぶせてしまっていた、末樹自身も知らなかった、あの時の本心。

「紺、どうした?」

「あ、すみません。先戻っててください」

 眼鏡の男性にそう断りを入れた紺は、末樹の前まで歩いてきた。

「…久しぶりだな」

 紺は、ぎこちなく挨拶をした。

「久しぶりだね」

 末樹は、込み上げてくる懐かしさを押さえながら微笑んだ。

「変わらないな、末樹。あ、でもなんか、ちょっと逞しくなったか?」

 紺は変わらない笑顔で嬉しそうに末樹を見た。

「糸村こそ」

 末樹はほっとした表情を見せた。

「…ここで何してるんだ?」

「あ、うん。この前、このビルで事件があったでしょ?その調査に」

「調査…?え?末樹、今何してるんだ?」

 末樹の回答に、紺は首を傾げた。

「検事だよ。…まだまだだけど」

「検事?すごいな、末樹。流石だな…」

 紺は目を丸くして感心したような声を出した。

「全然、まだ凄くないよ。…糸村は?」

「俺はここの映画関連の企業で働いてるよ」

「映画、作ってるの?」

「ああ、俺も、まだまだだけどな」

「糸村こそ凄いよ。夢、叶えたんだね」

 末樹は穏やかに笑った。なんだか、久しぶりに会った気がしなかった。ただ、同時に紺がとても遠い存在にも感じた。

「いや、まだこれからだよ。…そうだ、末樹、昼これから?」

 紺は、穏やかな表情のまま黙った末樹に、ロビーに表示されている時計を指差した。

「そうだよ」

「じゃ、一緒に行こうぜ。俺、ちょうど外出から戻ってきたところだから、これから休憩なんだ」

 紺がニヤッと笑うと、末樹はその目を見て頷いた。紺を見ていると、ずっと前の高校生活の頃が、昨日のことのように思い出せた。

 末樹は、疲れた心が少しだけふやけていく感覚になった。その感覚は、とても懐かしくて愛おしかった。


「そっか。糸村、留学してたんだね」

 近くの定食屋で昼ご飯を食べながら、末樹は高校卒業後の紺の話を聞いていた。

「ああ、やっぱ本場の空気に触れてみたくて」

 紺は早々にご飯を食べ終えると、お茶を飲んだ。

「ははは。糸村の作った映画、観てみたいな」

「まだそんなメジャーにはなれないけど、色々作ってきたよ」

「へぇー」

 末樹は、活き活きとした表情の紺を見ると、つられて笑顔になった。その笑顔を見た紺は、照れ臭そうに目を逸らした。

「ごちそうさまでした」

 ようやく食べ終えた末樹は、そう言って箸を置いた。

「なぁ末樹」

「何?」

 末樹は、緩めていたネクタイをもう一度結び直しながら紺の顔を見上げた。

「…ほんと、久しぶりだな」

「なんだよ、また」

 末樹はからかうように笑うと、服装を整えながら立ち上がった。

「そろそろ戻るか」

「あ、ああ」

 紺もそれに続き、二人は店を出た。末樹は、久しぶりに会った紺と並んで歩くことに、どことない安心感を覚えていた。こんなにも居心地の良いものだっただろうかと、思わず笑みがこぼれた。

「なんだよ末樹、何かおかしいか?」

 紺はそんな末樹を不審に思い、不安そうな顔をした。

「なんでもないって。…ただ、嬉しいんだよ。最近ずっと仕事で殺伐としてたのもあるけど…。糸村に会って、なんか疲れが軽くなった」

「大変なんだな」

「そうでもないよ。皆いい人だし。でも、やっぱり…」

「?」

「やっぱ糸村の隣が、一番心地いいや」

 末樹は嬉しそうに笑って紺の顔を見上げた。目が合った紺は、不意を突かれたように口元をつむった。

「……あんま勘違いさせるなよ」

 紺はため息をついて片手で頭を抱えた。

「何?」

 末樹は紺が何を言いたいのか分かっているだろうに、知らないふりをしてみせた。

「高校卒業の時のこと、忘れてないだろ」

「…糸村は?」

「俺は…、忘れられるわけないだろ。やめてくれよ」

 紺は参ったようにもう一度息を吐くと、少し顔色が悪くなった。

「……」

 末樹は紺の表情を伺うようにして見た。

「俺は、末樹ともう一度こうやって話せただけでも奇跡だと思ってるんだって」

「…ふーん」

「なんだよそれ」

「勘違いなのかな?」

 末樹は少し寂し気な眼差しで紺の瞳を一瞬みると、すぐに前を向いた。

「…え?」

 紺は思わず末樹の肩を掴んだ。

「末樹、なんだよ」

 余裕のない表情で末樹を見た紺は、その末樹の儚げな眼差しに、心臓を掴まれた気がした。

「……今更言っても、いいの?」

 今にも泣きそうなその瞳は、紺と目を合わせようとはしなかった。紺は、末樹を思わず人通りの少ない道まで引っ張っていった。

「末樹、そんな顔すんなよ。俺…、俺に、何ができる?」

 紺は末樹の両肩を掴むと、末樹に目線を合わせて少しかがんだ。

「…何って、そんなの必要ないだろ」

「必要ないって…」

「あの時、俺は糸村の気持ちに応えられなかった。それは、俺にはまだ、糸村と同じくらいの気持ちで、糸村と一緒に居られる自信がなかったから。それでいて、あの時、これまでの関係のまま糸村と一緒にいることを望むのは、俺の我儘だって思った。糸村のこと、それで尊重してるつもりだった。どっちにしろ俺の傲慢なんだけど」

 末樹は真っ直ぐ紺の目を見た。

「でもそんなの、必要なかったんだ。俺に必要なのは、糸村紺という存在そのものだったんだから」

「末樹……」

「俺、今更気付いた。いや、本当はもっと前に気づいていたのかもしれない。ただ、会えなかったから、きっと違うかもって、誤魔化してきた。でも、糸村に会って、確信した」

「確信…?」

「糸村のこと、俺はずっと好きだったんだよ」

 末樹は弱々しく笑った。仕事の疲労もあるのか、そのボロボロの精一杯の笑顔は、紺が今まで見てきた末樹の笑顔とは違った。でも、少し暗いその表情の向こうにいるのは、確かに末樹だった。

穏やかな雰囲気は変わらず、でもあの時よりも少しだけ逞しくなった、青年から大人へと成長していく末樹だった。

「今更、迷惑だよね。ごめん」

 末樹はそう言うと肩を掴む紺の手を振り払った。

「糸村も前に進んでるのにな」

 そう言って歩き出そうとする末樹の腕を、紺は思い切り掴んだ。

「糸村?」

 紺の末樹の腕を掴む手は、とても強かった。

「どうしたんだよ、糸村」

 困惑した表情をする末樹は、その手を払おうとした。

「どうしたんだよ、じゃないだろ。お前ほんと我儘だな」

「…え?」

 顔を上げた紺は、腕を掴む力の力強さとは対照的に、苦しそうな表情をしていた。

「末樹、俺はいまお前にどう見える?…俺は、ちっとも前に進んでなんかいないよ」

「…?」

「確かに、夢を叶えて、目標にどんどん近づいてる。少しずつ、考え方も変わって、成長できてるんじゃないかって、思うこともある。だけど、お前に対する気持ちだけは、いつまでたってもあの時のままなんだよ。どんなに努力したって…何も変われないんだよ」

「…糸村」

「勝手に、終わらせるなよ」

 紺は、掴んでいた末樹の腕を離した。

「糸村、俺…」

 末樹は紺の方に向き直った。

「俺、糸村の傍にいたい」

「…末樹」

「…………友情としてじゃ、ないよ?」

 末樹はそう言うと微笑んだ。その微笑みは、太陽に照らされてとても繊細に、かつ力強く見えた。

「まだ、間に合う?」

「…当たり前だろ。お前しかいないんだから。何度だって、嫌になるくらい言うよ。俺だって、我儘なんだ」

 末樹の問いに、紺は少し震えた声で答えた。末樹はその答えに、嬉しそうに笑った。

「ずっとそばにいてくれよ」

 紺は、涙を隠すように末樹を抱き寄せた。末樹は、紺の涙を察し、はにかんだ。

 紺とここで出会っていなかったら、もうこの気持ちを伝えることなどできなかっただろう。

 末樹は、仕事場に戻る道の途中、隣を並んで歩いている紺の顔をそっと見た。もう何年も求めていたその場所。

 ずっと前に見た横顔よりも、大人びて成長した紺の姿がそこにはあった。

 この場所を、もう退くつもりなどなかった。回り道をして、ようやくたどり着いたこの場所。

 あとは、隣を歩く敬愛する最愛の人と肩を並べるために、仕事にも、自分のこと自身にも全力で挑んでいくだけだ。

 探究することは、大の得意分野だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕は知らない 丹ノ水圭 @akano321

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ