第27話 深切の告白

 冬休みが明けると、既にすべてのカリキュラムを終えた三年生の授業は既に自習ばかりになっていたため、末樹は登校してもずっと自習室にいることが多くなった。

 他のクラスメイトも自由登校状態になっていたため、紺と会う機会も減ってしまっていた。末樹は、そのことが少し心細かったが、卒業を前にした寂しさのようなものだろうと解釈していた。

 そもそも末樹は、受験直前の今の時期に、紺の邪魔をしてはいけないという使命感を感じていた。

 末樹にとっても貴重な時期であることは当然ではあったが、それよりもまず、紺の貴重な時間を割くことはしたくなかった。

 気が付くと、他の学年は午後の授業が始まり、校舎が静まり返った。

「お昼…」

 昼ご飯を食べていなかった末樹は、自習室を後にし、買ってきたパンを食べようと場所を探した。自習室は飲食禁止だ。

 取り敢えず自分の教室へ向かった末樹だったが、中に入ろうとした時、紺の姿が見えた。年明け、始業の時に一度会ったきりだった。

 末樹は、扉の傍でしばらく紺を見ていた。参考書に目を通している紺は、凛々しい瞳を若干強張らせて、集中しているようだった。

 久しぶりに見る紺の姿に、末樹は嬉しさと同時に寂寥を感じた。

 以前のように、もっと紺の近くで笑い合いたい。そんな心の奥底の願いが、うずいているようだった。しかし末樹はそんな自分の望みに気づかないまま、その場を後にした。


 「末樹先輩!」

 放課後、莉々が自習室までやってきた。

「お久しぶりです!…あ、お勉強の邪魔ですか?」

 莉々は末樹の隣に座ると、ばつが悪そうな顔をした。

「ううん。大丈夫」

 末樹がそう言って笑うと、莉々も笑顔を返した。

「先輩、この後時間あります?」

「うん」

「やった。じゃあ散歩でもしましょうよ」

 莉々は勢いよく立ち上がると、にっこりと笑って末樹の顔を覗いた。

「…そうだね」

 立ち上がる末樹を視線で追い、莉々は得意げに笑った。

「先輩、受験もう目の前ですね」

 自習室を出ると、莉々は複雑な表情をした。

「長いようで早かったかな」

 末樹はこれまでの学校生活を思い返してそう呟いた。

「受験は大成功して欲しいんですけど、寂しいなぁ」

「そう言ってもらえて嬉しいよ」

「もっと、もっと早く末樹先輩にも会えてたら良かったのにな」

「俺もそう思うけど、ずっと出会えないよりもましだよ」

 寂しそうな顔をする莉々に、末樹は微笑みかけた。

「出会えれば、その先もあるし」

「…そうですね。これで終わりとか、決めちゃったら駄目ですよね」

 莉々は末樹を見上げて頷いた。

「卒業しても、先輩はずっと私の大事な先輩ですから」

「ありがとう」

 末樹は照れくさそうに笑った。二人は、そのまま屋上の庭園まで来た。寒さのせいか、他の生徒は見当たらなかった。

「…あのね、末樹先輩」

 庭園に着くと、莉々は意味深な表情を浮かべて、庭園を見回す末樹を見た。

「何?」

 末樹が振り返って莉々を見ると、莉々は何かを決心した眼差しで末樹を見ていた。

「?」

 末樹は思わず首を傾げた。

「私、紺先輩の好きな人、知っています。…末樹先輩」

「え?」

 莉々はぐっと拳を握って目に力を入れていた。何かを堪えているようだった。

「紺先輩は、末樹先輩のことが好きなんですよね…?」

「莉々ちゃん、知ってたの?」

 末樹は目を丸くして莉々の顔を見た。莉々は、力を入れていた拳を緩めて、にっこり笑ったままゆっくりと頷いた。

「なんだぁ…」

 末樹はほっとして、肩の荷が下りていくようだった。

「この前、紺先輩に教えてもらいました。私に対して、不誠実だって…」

 莉々は眉を下げ、情けなく笑った。

「紺先輩、どこまでも誠実なんですね」

「…うん」

 末樹は、友人である紺のことが少し誇らしかった。自分は、自分自身にある胸の突っかかりのせいで莉々に話せなかったのに、紺は正直に莉々本人に話した。

「最初は、少し驚いたけど…」

 莉々は身体の後ろに手を回し、腰の位置で両手をぎゅっと繋いだ。

「でも、不思議と何も思わなかったの。紺先輩が末樹先輩のこと好きだって聞いても、あぁ、そうだよね、としか思えなくて、すぐに納得出来ちゃった」

「…糸村のこと、好きだから?」

「はい。そうだと思います。私、結局のところ、紺先輩っていう人そのものが好きだったから、紺先輩が誰を好きでも、それは紺先輩であることに変わらないんです」

 莉々はスッキリとした顔で笑った。

「それに、紺先輩の気持ちもわかるし」

「え?」

 莉々がボソッと言った言葉がよく聞こえず、末樹は首を傾げて聞き直そうとした。

「えへへ、なんでもないです」

 莉々はくしゃっと笑って誤魔化した。

「それで、末樹先輩にはだいぶご迷惑をおかけしました。だから、ちゃんとこうして私の方から伝えないとって。末樹先輩、きっと私のことを考えて、悩んでしまうからって」

「そんなことないよ。むしろ気遣わせるようなことになって…ごめん」

 末樹は穏やかな表情で笑い返した。

「俺、なんか楽しかったよ。色々。こんなに心が動くのって、なんかスリリングだった」

「私は、紺先輩を好きになって、末樹先輩に会えて、本当に、良かったです」

 莉々は名残惜しそうに末樹を見た。

「先輩…」

「…」

 末樹は、莉々の瞳に吸い込まれそうになったところで、慌てて気を引き締めた。

「莉々ちゃん、俺ね、莉々ちゃんのおかげで気づけたことがたくさんあるんだけどね、やっぱり一番伝えたいのは、莉々ちゃんが本当に素敵で、強い人だってことだよ」

「強い人…?」

「莉々ちゃんのおかげで、俺は自分の気持ちに強くなれた。自信を持てるようになった。それは、莉々ちゃんの内面から伝わってくる強さと優しさに惹かれて、救われたからだよ」

「…………」

「俺、莉々ちゃんのこと、好きだったよ」

 末樹は莉々の顔をしっかりと見て、はっきりと伝えた。これは、どうしても伝えておきたかった言葉だった。

「…先輩」

 莉々はポツリとつぶやくと、口の中をぎゅっと噛んだ。こうしないと、涙が溢れてしまう。庭園に来てから、ずっと我慢していたのが無駄になってしまう。

「ありがとう、ございます…」

 やっとの思いで莉々は言葉を発した。絶対に、末樹の前で涙を見せたくはなかった。末樹は、きっと莉々の気持ちに気づいてしまうだろうから。

「お礼を言うのは俺だよ」

 末樹は肩をすくめた。その優しい微笑みに、莉々は涙をこらえるのに必死だった。本当は、その胸に飛び込みたかった。

 それでも、末樹自身もまだ気づいていないであろう本当の気持ちを、邪魔することだけはしたくなかった。

「ねぇ末樹先輩」

 莉々はぐっと自分の腕を握りしめると、想いを振り切るように顔を上げた。

「私、先輩のおかげで目指すものが見えました」

「教えてくれるの?」

「もちろんです。むしろ聞いてほしいです」

「何だろう?」

 末樹は気丈に振舞う莉々の姿に気づいているのかいないのか、その表情はずっと穏やかなものだった。その暖かい眼差しを受けて、莉々は気を引き締めて口を開いた。

「私、大学へ行って、そして、女優を目指します」

 莉々は、涙をこらえてにっこりと笑った。きっとこの経験が、いつか莉々の背中を押してくれることだろう。


 第一志望の大学の試験を翌日に控えた末樹は、一息つくためにベッドに横になった。片手に持った参考書は、使い古された様子で、表紙は大分擦れている。

 最終的に、末樹が目指すことにしたのは法学部だった。将来の職業についてはっきりとは決めることは出来ていないが、性に合っていると、そう判断したのだった。

「はぁ…」

 本を持っていない方の腕を顔の上に持っていき、閉じている目からさらに光を遮らせた。

―…糸村の試験は、まだこれからだったよな―

 ぼんやりと、そんなことを考えた。莉々への気持ちに決着をつけた末樹は、以前よりもまっさらな思考で糸村のことを考えることが出来るようになっていた。

―駄目だ。明日のことを考えないと―

 末樹は自分自身に呆れるようにため息を吐いた。

 ここのところ、少しでも気を抜くと糸村のことを考えてしまっていた。

 卒業前に、どうしてもちゃんとした形でこの課題を解いておきたい。

 そんな思いが、末樹の中で希望としてあった。

「…………」

 末樹は黙ったまま天井を見つめた。こんな風に自分の心が乱されてしまうとは、半年前は考えもしていなかった。

 玖馬から來樹の話を聞いたときも、どこか他人事として見てしまっていたのだろうか。莉々と紺の関係を知ったときも、自分からは遠い、別世界の話のように思っていたのだろうか。

 これまで、特定の人物に特別な思い入れを抱いたことはなかった。いつかは、誰かにどうしようものないくらい心惹かれてしまうこともあるのかもしれないとぼんやり思っていたが、それは末樹にとって、未だ実感のないものでもあった。

 誰かを想うのも、誰かに想われるのも、それはとても素敵なことであると同時に、当たり前ではない、おとぎ話のような幻想にも似ていた。

 末樹は、その幻想に捕らわれてしまいそうな自分に違和感を持っていた。ただ一方で、皆のようにその世界に飛び込んでしまいたくなる葛藤もあった。

 自分の望みは何か、自分は一体何を躊躇っているのか。

 いっそのこと、誰かに思い切りひっぱたかれて、目を覚まさせて欲しい。しかしそういう願望があるということは、既に末樹の中で答えは見えてきた。

 あとはその気づき始めた未熟な想いに、自分が応えられるかだけだった。


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