第24話 玖馬の休日
休日、玖馬は來樹に勉強を見てもらう約束を取り付け、待ち合わせ場所の玖馬のバイト先に向かった。玖馬は弾むような足取りで店内へと入っていった。
來樹はまだバイトの時間なはずだった。
「こんにちはー!」
玖馬の声に、來樹はカウンターの中でマシンの掃除をしていた手を止め、反対側の手を振った。玖馬は嬉しそうにその手に自分の手を振り返した。
「玖馬君、ごめん、もう少し待ってね」
來樹はそう言うと、再び作業を始めた。
玖馬は入り口近くの空いている席に座り、待ちきれないような表情で來樹を追っていた。
すると、來樹の同僚である女性に呼ばれ、來樹は店の奥に消えてしまった。
「…?」
玖馬は、その女性の申し訳なさそうな表情が引っかかり、首を傾げた。しばらくした後に店内に出て来た來樹は、玖馬の顔を見ると、そのまま近付いてきた。
「玖馬君ごめん」
來樹は制服のエプロンの紐を結び直しながら、ばつが悪そうな顔をしながら斜め下を見た。
「どうかしたんですか?」
玖馬が來樹の表情を伺おうとすると、來樹は眉を下げ、そのまま玖馬に頭を下げた。
「ごめん玖馬君。次のシフトの人が、急病で来れないみたいで、…代わりに出れるの俺しかいなくて…」
來樹は申し訳なさでいっぱいの声だった。
「折角来てくれたのに…。俺…」
なかなか頭を上げない來樹の肩を、玖馬は慌てて引き上げた。
「そんな謝らないでください!勉強はいつでもできますから!」
玖馬は來樹の顔を見た。玖馬に対する罪悪感で、瞳が少し潤っていた。
「ごめんね」
來樹の、責任感に押されている表情に、玖馬は胸が苦しくなった。
「次は必ず見るから」
「はい。それまでに俺、もっと勉強しておきます」
「…ありがとう、玖馬君」
來樹は微かな笑顔を見せると、玖馬の肩を叩いた。
「今度は他に何も予定入れないから」
「……はい。楽しみにしてます!」
玖馬は、來樹の言葉を噛みしめながら、明るい笑顔で頷いた。
「でもほんと申し訳ないな…。…あ、そうだ」
來樹は何かを思いついたようで、玖馬にそこでちょっと待ってて、とだけ言い残し、再びバックヤードへと引っ込んだ。
「?」
玖馬は訳が分からないままその場に座り直した。そして数分後、來樹は玖馬の元に戻り、嬉しそうな顔でこう言った。
「玖馬君、模試受けてみるって言ってたから、今日勉強する気だったでしょ?伊鶴さんに相談したら、代わりに伊鶴さんが見てくれるって」
「へ?」
玖馬は、驚きのあまり間抜けな表情で止まった。
「ほんと、俺のせいでごめん。でも伊鶴さん、俺よりもよっぽど優秀だから」
來樹の無邪気な笑顔だけが、玖馬の頭の中に情報として入ってきた。
「え?え?伊鶴さん、来るんですか?」
どうにか頭を整理して、本題に入れた。
「うん。事情を説明したら、来るって」
「伊鶴さんが…俺のために?」
玖馬は到底信じられないような表情をしていた。
「うん。近くに居たみたいで、もうすぐ着くって」
「嘘だぁ…」
「あはは。二人とも、いつの間にか仲良くなってたんだね」
來樹が玖馬の反応を面白がると、玖馬は必死に首を横に振った。
「多分、それは、気のせいです!」
「ふふ。はいはい」
來樹は和やかに笑うと、カウンターに目をやった。
「あ、ごめん、俺そろそろ…」
「すみません!なんか引き留めてしまって!」
「いや、もともと俺が…。本当ごめんね。伊鶴さんに、よろしくね」
來樹はそう言うと、軽く頭を下げてから仕事に戻った。
「…まじか」
來樹の背中を見送った後、玖馬はぽつりと声が漏れた。
玖馬がとりあえず思ったことは、伊鶴を店内に入れないということだった。
來樹と伊鶴が話している場面を、今の玖馬は見たくはなかった。
玖馬は店の外に出て、伊鶴を待つことにした。いくら得意ではないとはいえ、わざわざ来てくれる人から逃げるわけにはいかない。
玖馬は憂鬱なため息を吐いて、寒空の下で伊鶴を待った。
「あれ?クマ君何で外に?」
二十分ほど経った頃、伊鶴が現れた。
ロングコートを着た伊鶴は、店の前で鼻を赤くしている玖馬を見た。
「…長居するのも悪いので」
玖馬は店の中にちらっと目をやると、マフラーに鼻を当てた。
「寒かったんじゃないの。…じゃあ、違う店でも行くか」
伊鶴は玖馬の肩をぽんっと叩くと、どこかに向かって歩き出した。
「もともとどこで勉強するつもりだったんだ?」
「武史さんの店、とか?」
「ははは。確かに今の時期なら余裕がありそうだ。でも良かったのか?」
「何がですか?」
玖馬は伊鶴の横を歩きながら、目線だけを伊鶴に向けた。
「せっかく來樹と二人なのに、武史がいて」
「別に、武史さんは…」
「ああ、もうバレてるのか」
伊鶴は納得したような余裕のある笑みを浮かべた。
「いや、まだちゃんと聞いたわけじゃ…」
玖馬は困惑しながらも、諦めて息を吐いた。
「たぶんその通りなんですけどね…」
「いいじゃない。武史なら」
「伊鶴さんとは天と地っスよ」
玖馬は恨めしそうに伊鶴を見上げた。
「それは悪かったね」
伊鶴はくすくすと笑いながら玖馬の言葉を受け入れた。
「今日は残念だったね。そんな僕と一緒で」
「それは…いいんです。仕事ならしょうがないですし。というか、伊鶴さんなんで来てくれたんですか?」
「暇だったし」
伊鶴は玖馬の疑念に満ちた目に、あっさりと答えた。
「え?でも俺のこと…」
「前も言ったでしょ。別になんともないって」
「それもなんか寂しいっすね…」
玖馬は相変わらずの伊鶴の態度に肩透かしを食らい、肩を落とした。
「それに、クマ君が勉強したいって言うんなら、協力してあげたいなって思ってさ」
「…それは、ありがとうございます…」
「ははは、クマ君はほんといい子だなぁ」
慣れない伊鶴のペースに、玖馬は困惑しながらもついていった。たまにはこういう会話も悪くはない気がしてきた。
伊鶴が以前よく行っていたというカフェについた二人は、ドリンクを注文し、席に着いた。
「ここはフリーランスの人とか来るところで、長時間利用を前提に作られたカフェだから、大学生とか、試験前に来ることも多くて、僕も利用してたんだ」
伊鶴はきょろきょろしている玖馬に説明をした。
「なるほど。だから一人で作業してる人が多いんスね」
「そう。だから勉強するのにちょうどいいだろ」
玖馬は斜め向かいに座った伊鶴を見て、小さく頷いた。
「で、クマ君、理系らしいね?今日は何するの」
「あっ、英語っス」
玖馬は鞄から勉強道具を出しながら言った。
「英語か」
「伊鶴さん得意そうっスね」
「まぁ一応ね」
伊鶴は玖馬の撮り出したテキストをぱらぱらと見た。
「じゃ、はじめようか」
テキストを置いた伊鶴は、賢そうな、嫌味のない笑顔で玖馬に呼びかけた。
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