第22話 特別な君に
部活終わり。
武史のアイスクリーム屋の前で、玖馬は中に入るか否かで悩んでいた。
武史に確認したいことがあったが、どうにも勇気が出ない。店の前で立ち尽くす玖馬は、中の様子を覗いた。
「あれ?」
しかし玖馬の目には、武史の姿は入ってこなかった。
「今日は休みなのかな?」
そう独り言をつぶやくと、どこかほっとした気持ちになった。
―じゃあしょうがないな!―
玖馬はもやもやを吹っ切った顔でその場を立ち去ろうとした。
「あれ?玖馬君?」
歩き出したその足を止める声がした。振り返ると、そこには來樹がいた。
暖かそうなコートを着た來樹は、玖馬の顔を見ると嬉しそうに微笑んだ。
「どうしたの?武史に会いに来た?」
「あっ、來樹さん、えっと…」
近づいてくる來樹に、玖馬は嬉しさと驚きで言葉が出なかった。
「今日、武史は休みみたいなんだよね」
「そ、そうみたいっスね…!」
「玖馬君は部活終わりだよね?あ、…お腹空いてる?」
來樹は、玖馬はアイスが食べたかったのだろうと勘違いしていた。
「アイスじゃ寒いでしょ?…玖馬君、たい焼き好きだったよね?」
來樹は玖馬の表情を伺うように見た。
「はい。好きです」
玖馬は來樹に見つめられ、どきどきしながら答えた。その瞳に、いつまでも慣れない。
「今、期間限定でたい焼き売ってるところがあるんだ。みんな美味しいって言ってて、気になってたんだけど、玖馬君もどう?おごるよ」
「えっ、食べたいです…!」
玖馬は反射的に目を輝かせて返事をした。
「じゃあ行こうか」
來樹はそう言うと歩き出した。玖馬は、その後ろに嬉しそうに続いた。
駅前まで歩いた二人は、少しだけ列に並んで、たい焼きを買った。
「すみませんおごって頂いて、…いただきます」
玖馬は、ぺこりと頭を下げると、嬉しそうにたい焼きを口に運んだ。
「…!美味い…!」
一口食べて、思わず歓喜の声が漏れた。
來樹はその様子を見て、嬉しそうに笑った。
「美味しい?良かった」
「はい!めちゃくちゃ美味しいです!え…、また買いに来ようかな…。來樹さん、ありがとうございます!」
玖馬は興奮した様子で感謝を伝えた。
「…うん、確かに美味しい」
來樹もたい焼きを一口食べ、頷いた。
「玖馬君寒くないの?」
そして、マフラーもつけずにコートも着ていない玖馬を見て、そう尋ねた。
「全然平気です!めっちゃ走ってるんで、代謝上がりまくりです!」
「ははは、いいな。俺も運動しようかな」
「來樹さんはそのままでも…いいと思いますよ?」
玖馬はコート姿の來樹を見て、照れを誤魔化しながら言った。
「はは、ありがとう」
「へへへ」
來樹の笑顔に、玖馬もつられて笑った。相変わらず、色々と思い悩むこともあるが、來樹を目の前にすると、やはりただ純粋に嬉しかった。
沈んだ心が軽くなって、暖かい光に包まれるようだった。
「來樹さんは今日大学行ってたんですか?」
他愛のない話がしたくて、玖馬は何でもないことを聞いてみた。
「うん。今日は大学行ってただけ。バイトもなかったから」
「來樹さんはやっぱり、病院とかで働くんですかね?」
「うーん。今ちょうど悩んでるところだけど、そうできたらいいかな?」
「そうなんですね!」
「玖馬君は、来年受験生だけど、もう何か決めてるの?」
「俺は…まだ全然決まってないっス…!大学受験はするつもりなんですけど、方向性とかは、まだ悩みがあるっス」
玖馬は眉をキリッとさせた。
「でも俺、こう見えて理系なので、そっち系がいいですね。機械とか、そういうの面白そうっス」
「そっか。まぁまだすぐには決めなくてもいいと思うけど、ある程度形が見えてた方が、きっと楽しいよね」
來樹はそう言うと、たい焼きを食べほした。玖馬は、とっくに食べ終わっていた。
「あの、これからも、來樹さんに、相談とか…してもいいですか?」
玖馬は恐る恐る聞いた。
「全然いいよ。役に立てるといいんだけど」
「話を聞いてもらうだけでも、十分です!」
「はは。確かに誰かに話を聞いてもらうだけでも気持ちが楽になるよね」
「…來樹さんも、そういう時ありますか?」
「そりゃそうだよ」
「……伊鶴さん、とか?」
玖馬は小さな声で聞いた。心なしか、來樹が誰かを思い浮かべているように見えた。
「ん?ああ、伊鶴さんもそうだね。かなりお世話になってるな。あと武史とか」
來樹がそう言って笑うと、玖馬の表情が沈んだ。
「…そう、ですよね。二人とも、頼りになりますし」
「玖馬君?」
來樹は暗い表情の玖馬の顔を覗き込んだ。
「あっ、いや、なんか俺、最近よく人に相談されるんですけど、全然うまく返せないなって思ってて…自分の相談はどんどんして、人の優しさに頼るのに、俺は全く、そういうことできないなって、ちょっと、落ち込んでるんです」
玖馬は頑張って笑顔を作った。
「本当は、もっともっと頼れる人になりたいんだって、実感してます。…武史さんには焦るなって言われたんですけどね」
玖馬のわざとらしい笑顔に、來樹は小さく息を吐いた。
「玖馬君、武史の言う通りだよ。それに、相談されてるってことは、その人たちは少なくとも玖馬君のこと信頼してるってことだよね?どうでもいい人には、そんなことしないし。玖馬君は、例え自分が期待したような返しが出来なくとも、その相談をしっかり聞いて、その人のことをそうやって思えるってだけで、十分頼りになるんじゃないかな」
來樹は玖馬に笑いかけた。玖馬は顔を上げて、その眼差しを求めた。
その時に吐いた玖馬の息は、外気の寒さで白くなっていた。
「それに俺も、玖馬君と話してると楽しいよ」
「…!」
來樹の言葉に、玖馬は耳が赤くなった。寒さのせいということに出来ないだろうか。
「今日もね、大学で、……ちょっと疲れてたんだけど、玖馬君と話せて、元気を貰ったよ」
玖馬は嬉しさに顔が歪みそうになり、ぐっと口の中を噛んだ。
「お、俺の元気なら、いくらでもあげますから…!」
「はははは」
思わず、意味不明なことを口走ったが、來樹がそれを笑い飛ばしてくれた。
末樹は、意を決して”発信”の文字を押した。
耳に近づけると、呼び出し音が鳴っている。
出てくれるだろうか。
今まで、電話をするのにここまで緊張したことはない。
しかし、直接会話しないと駄目だと考えていた。
「出ないかな…」
呼び出し音を長いこと聞いていると、末樹は半ば諦めモードに入ってきた。
深いため息をつき、緊張で力の入っていた肩を落とした。すると。
「…末樹?」
聞き飽きていた呼び出し音が消え、電話の相手の声が聞こえてきた。
「糸村…!」
末樹は意図せず大きな声が出た。ここは自分の部屋で、他に誰もいなかったが、自分の声に驚いた末樹は、反射的に口元を手で覆った。
「悪い、今ちょうど予備校で…」
紺は電話の向こうで申し訳なさそうな声を出した。
「ごめん、そうだよね。…いま大丈夫なの?かけ直す?」
末樹はハッとして眉を下げた。
「いや大丈夫」
紺は控えめな声で答えた。今、講義中だったのだろうか。
予備校のどこかで、こっそり電話しているのかもしれない。
「でもかけ直した方が…」
「いや、今でいい。今じゃないと、もう、出れない気がする」
紺は含みを持たせた言い方をした。末樹が何故電話をしてきたのか、分かっているようだ。
「…そっか。ありがとう」
末樹はこれからの紺との会話に、覚悟の意思を持った。
「……悪かった」
先に口を開いたのは、紺だった。
反省しているような声色で、少しだけ空気が震えていた。
「いや、謝ることじゃないよ…」
末樹はベッドに腰を掛け、床に目をやった。
「驚いただろ。…不快だったら言ってくれ」
紺は会話を続けた。電話の向こうからは、紺の声しか聞こえなかった。
「不快とか、そういうんじゃないよ。…でも俺にしては、勘が良かっただろ?」
「ああそうだな」
末樹が少しだけふざけると、紺の小さく笑う息が聞こえた。
「なぁ糸村、こんなこと、聞くのはおかしいかもしれないんだけどさ」
「何だ?」
「莉々ちゃんの告白断ったのって、…俺のせい?」
「せい、ってなんだよ。それは俺自身の問題だろ」
「……そっか。……あのさ、なんで、俺のこと…?」
「好きかって?」
末樹の言葉の続きを、紺ははっきりと言った。
「俺が好きなのはお前だよ、末樹」
初めて、紺の口から聞こえた確かな言葉だった・
「…うん」
末樹は頷くことしかできなかった。
「どうしてかって、理由なんて、いくらでも挙げられるけど…。言えるのは、そうだな…末樹自身が好きなんだよ」
紺は落ち着いた口調で続けた。なんだか、紺が何歳も年上の落ち着いた大人のようにも感じた。
「それじゃ、理由にならないような…」
「確かな理由なんているかよ?」
紺は、ふっと笑った。
「そう、そうなんだけどさ…。友達って言う関係じゃ、違うの?」
末樹は紺の気持ちが分かるようで分からないまま、困惑した表情をしていた。
「それは違うな」
紺ははっきりと答えた。
「勿論、友達としても好きだった。でも、いつの間にかそれだけじゃ足りなくなってきたんだよ。お前のことを、人間として好きなことにどちらもその変わりはない。ただ、友情とか、人間愛とか、そういうの超えて、この感情は、お前だけにしか向かないんだ。末樹」
「……糸村」
紺の告白に、末樹は胸が締め付けられた。末樹も紺のことが、一人の人間として好きだ。でも、その気持ちがどちらを向いているのか、自信がない。
こんな気持ちでは、紺の気持ちを受け止める資格などない。
それにもかかわらず、紺は、大切な、末樹にとってかけがいのない存在だ。
末樹は、紺との関係を続けたい、これまでのように紺を求める気持ちを、どこかにしまうことなどは出来そうになかった。
末樹は、痛み続ける胸に、顔を歪めた。
「まぁ困るよな、こんなこと言われてもさ」
紺は末樹の心中を察するように、微かに笑った。その声は、とても自虐的で、末樹にはそれも耐え難かった。
「とりあえず、受験も控えて大事な時期だし…」
紺が言葉を発するたびに、末樹は何かを言いたくて口を開閉していた。しかし何も言えなかった。
「俺は、この気持ちをこれまで通りしまいこむからさ、…末樹もあんま気にしないでくれよ」
「…そんなことできるかよ」
末樹は震えた声で呟いた。
「糸村の大事な気持ちだろ。自分で蔑ろにするなよ」
自分がはっきり答えられないせいだと分かりつつも、末樹は紺を責めた。
「…そうだな。でも、俺はお前とどうにかなりたいとか、そういうことは端から望んでないし…望まないよ」
紺の言葉は、本心ではないことに、末樹は気付いていた。しかし、自分には何も言う資格はないと、末樹は黙って聞いていた。
「末樹」
「なに…?」
「ありがとな」
「……」
紺はそう言うと、電話を切った。末樹は、通話が切れたスマートフォンの画面をじっと見て、悔しさで拳を握った。
自分の不甲斐なさに、末樹は情けなくなった。
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