第21話 迷える僕ら

 翌日、教室で次の授業の準備をする玖馬に、莉々が近づいてきた。

「玖馬君」

「何?」

 莉々に話しかけられた玖馬は、意外そうな顔をしていた。

「莉々から声掛けてくるなんて、どうしたんだよ?」

 嬉しそうに笑う玖馬を、莉々はジトッとした目で見た。

「そんなの、理由は限られてるじゃない」

「ははは、そうだよな。最近は特に」

「…?なんか…」

 莉々は玖馬の顔を見て首を傾げた。

「今日は普通だね。最近特に落ち着きがなかったように見えたけど」

 莉々の言葉に、玖馬は莉々の鏡のように首を傾げた。

「なんだ莉々、よく見てくれてるんだな」

「…玖馬君くらいいつも元気な人だったら、意識しなくても目に入るでしょ」

 莉々は徐々に表情が明るくなってくる玖馬に対し、照れを隠すようにぐっと口をつむった。

「末樹先輩のことだろ?」

 紺はそんな莉々を見ながら、爽やかな表情で言った。

「うん。そう」

 莉々は特にはぐらかす素振りもなく、正直に頷いた。

「先輩にメッセージ送ったんだけど、いつもはすぐ返してくれるのに、まだ来ないの。読んでくれてはいるみたいなんだけど…」

 莉々の表情は不安そうだった。

「昨日送ったのか?」

「うん」

「ま、まぁ一日くらい待ってみろよ!先輩だって忙しいだろうし!」

 玖馬は莉々から目を逸らし、引きつったような笑顔で動揺を誤魔化そうとした。

 昨日のことが頭をよぎった。あれから、玖馬も末樹に会っていない。

「何かあったの?」

「何もないよ。なんだよ、大丈夫だって、気にすんな!」

 玖馬の大袈裟な笑顔に、莉々は訝し気な眼差しを送った。

「…まぁ、確かに、取り敢えずは、待つ…」

 莉々が元気なくそう言うと、玖馬は言い知れぬ罪悪感に包まれた。

「なぁ莉々、お前さ、末樹先輩のこと、好きなの?」

 思わず疑問が声に出てしまった。

「……そうだったら、どうなの?」

 莉々は玖馬の突然の問いかけにも狼狽えず、そう返した。

 透き通るような薄い茶色の瞳は、しっかりと玖馬を見据えていた。

「…いや、それは莉々の自由だし。ごめん」

 その目力に押された玖馬は、しゅんとして小さくなった。

「もう、玖馬君らしくないなぁ」

 莉々は軽やかに笑った。

「ごめん。意地悪して。でもね、私に末樹先輩を好きになる資格なんてないんだよ。素直に好きになれたら、良かったのにね」

 莉々は少し小声になり、玖馬の机に寄り掛かるようにして玖馬に顔を近づけ、穏やかな表情で微笑んだ。

「話聞いてくれてありがとう」

 莉々はそう言うと自席に戻った。程なくして、チャイムが鳴った。

「…資格って、なんだよ」

 玖馬は莉々の背中を見ながら、そう呟いた。


 昼休み、玖馬は、末樹に呼び出されて空き教室へ向かった。

 倉庫のようにして使われているその場所は、埃をかぶったものがたくさん並べてあり、窮屈感のある空間だった。

 紺の気持ちに末樹が気づいてから、二日後のことだった。

「あ!クマ!」

教室に入ってきた玖馬を見ると、末樹は待ちわびていたかのように声を出した。

「末樹先輩…!」

 玖馬は、末樹の顔を見ると、ほっとしたように肩を撫で下ろした。

「先輩、元気そうで良かった…」

「え?」

「何でもないっス」

「そう?」

「ところでごめんね、こんなところに呼び出しちゃって」

「いいんですよ」

 申し訳なさそうに眉を下げる末樹に、玖馬は首を横に振った。

「俺も先輩に会いたかったっスから」

「そっか。ありがとう」

 末樹はそう言って弱ったように笑った。

「あの、もしかしなくても…」

 玖馬はどぎまぎしながら聞いた。

「…………うん、糸村のことで」

 末樹の言葉に、予測していたが、玖馬は心臓が跳ねるような思いだった。

「はい…」

 ごくりと唾をのんだ。

「お互いに、普通にしてはいるんだけど、やっぱり…どうしても気まずくて」

 末樹は辛そうな表情をした。紺との友情関係が揺らいでいることに、不安を感じているようだ。

「昨日とかも、普通にしてたんだけど、糸村もちょっと気まずいみたいでさ。ちゃんと話したい気持ちはあるんだけど、お互いに…いつもみたいに一緒にいるのもなんかできなくて、なかなか…」

「…そうなんですね」

 末樹の苦しそうな声に、玖馬は胸の奥が潰されそうだった。

「せ、先輩は…。末樹先輩は、どう、なんですか…?その、紺先輩の気持ちを知って…」

 玖馬はたどたどしく声を出した。

「どうなんだろうね…、まだよく分かんないや。自分に向けられた好意は嬉しいはずなんだけど、なんか、まだ気持ちの整理がつかないというか…。糸村との関係を壊すことはしたくないけど、それが糸村にとってどういうことか分からないし…とにかく、話がしたい」

 末樹は寂しそうな顔をして玖馬に微かに笑いかけた。

「俺、別に糸村が誰を好きでも構わないし、そういうところを気にしてるんじゃないんだけど、自分の気持ちが本当に見えないんだ」

「……」

 玖馬は黙って聞いていた。

「なんでこんなに複雑なんだろ…」

 末樹の呟きに、玖馬は小さく口を開いた。

「……単純、ですよ」

「ん?」

「いえ、何でもないです。…先輩、一度ちゃんと話さないとですね。じゃないとこのまま平行線ですよ」

 玖馬は気を取り直すかのように元気良く言った。

「うん。確かにそうだね」

 末樹も若干表情に明るさを取り戻し、頷いた。

「それじゃ、まずはそこからっスね!」

 明るく振舞う玖馬だったが、本当は一刻も早く末樹の前から逃げ出したかった。

「ちゃんと話してくれるかな?」

 末樹の心配そうな表情が、玖馬の心をえぐるようだった。玖馬は、必死の思いで笑顔を取り繕った。

「大丈夫っスよ!」

 玖馬の言葉に、末樹は穏やかな笑顔で返した。まるで來樹のように。

「じゃ、俺、そろそろ行きます!午後の準備しないと!」

 玖馬はそう言うと、教室を足早に出た。

「クマ、ありがとうね!」

 その背中を、末樹の言葉が追った。玖馬は、しばらく早歩きで廊下を歩くと、階段の手すりに、うなだれるように寄り掛かった。

 末樹の表情が、脳裏にフラッシュバックする。あの表情が、どうしても來樹と被った。その度に、玖馬は胸が締め付けられた。

―來樹さんに、もし、気付かれたら…―

 動悸が激しくなってきた。玖馬は右手で顔を覆った。

―落ち着け…落ち着け…―

 玖馬は息を整えようと大きく息を吸って吐いた。少しずつ、呼吸が落ち着いてきた。

「はぁ…」

 玖馬は一度その場にしゃがみ込むと、ため息をついた。自分がきっかけとなって紺の気持ちをさらけ出してしまった。

 そのせいで、末樹と紺の関係がぎくしゃくしている。おまけに、末樹はただでさえ恋愛面に疎く、混乱していることだろう。

「俺のせいだ…」

 玖馬は深く反省をした。ただ反省をしたところで、どうすることもできない。

 それは分かっていたが、それではもどかしかった。

 しばらく考え込んだ後、玖馬は立ち上がった。

 気持ちは沈んだまま、何も最適な答えは出てこなかった。

 時折よぎる不安の中には、末樹と紺のことだけではなく自分の問題もあった。

 自分は、來樹に想いを伝えることは出来るのだろうか。

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