第19話 玖馬の考察
二日後、玖馬は悶々とした気持ちを抱えたまま放課後を迎えるチャイムを待ちわびていた。
本当は昨日のうちに動いておきたかったことだが、ちょうど今日、タイミングの良い情報が入った。待望のチャイムの音が鳴り響くと同時に、玖馬は勢いよく立ち上がった。
玖馬は鞄を教室に置いたまま、軽い身のこなしで教室を出て行った。その様子を、近くの席の莉々は怪訝な表情で見ていた。
―やっぱり、ここは王道の隠密作戦で行くしかない―
玖馬は廊下を迷いなく突き進むと、三年生のフロアまで突入した。
―本当は武史さんに聞くべきなんだろうけど、…まだ勇気が…。紺先輩、申し訳ないっス―
玖馬は頭の中で迷いを捨てると、紺と末樹の教室の前まで来た。今日、三年生は少し遅い時間まで学年集会を行っている。
卒業前最後の学年全体集会のようで、話題も積もっていることだろう。案の定、教室は無人だった。
玖馬は、若干の焦りを感じながらも、落ち着くために一度深呼吸をした。目指すは、紺の机だった。正確に言えば、紺の私物であったが。
昨日、玖馬は物証の裏を取るために末樹に相談をしていた。その内容はというと、紺の持っている手帳についてだった。以前、紺が何かを熱心に書いている様子が玖馬には印象的で、頭に残っていた。
末樹にその手帳について尋ねると、末樹も気にはなっているが中身は知らないとのことだった。
おまけに、前に末樹が忘れ物として渡したとき、動揺していたとの情報も得た。これは、日記なのではないかと玖馬は推理した。
玖馬が読んでいる少女漫画の主人公は、よく日記にその時の想いをしたためている。玖馬は、紺の真相に確信を得るためには、これしかないと考えていた。
本当は盗み見なんて良くはないことは重々承知しているが、今の玖馬にはこれがベストな方法だった。
―紺先輩の鞄だ…―
紺の席に近づいた玖馬は、机の横にかかっている鞄をじっと見た。躊躇っている暇などはなかった。学年集会は、いつ終わってもおかしくはない。
玖馬が恐る恐る鞄の中を見ると、お目当ての手帳はそこにしっかり入っていた。玖馬は安堵のため息を吐くと、目をぎゅっとつぶった。
―紺先輩、すみません…!!!!―
玖馬は鞄の中をそれ以上見ないように努め、手帳だけを手に取った。少し厚みのあるその手帳は、長く愛用されてきたであろう使用感があった。
玖馬はもう一度紺に向かって謝罪の念を唱えると、思い切って手帳を開いた。ぱらぱらとページをめくると、思っていた日記とは違ったが、玖馬の知りたかった答えが散りばめられていた。
「…おおぉお」
玖馬は、感心したような声を出すと、自分は今、盗み見をしているということを忘れるほど惹き込まれるように手帳の中身を見続けた。しばらくすると、遠くの方から複数人の声が聞こえてきた。
「いけねっ」
その声に、はっとした玖馬は、急いで手帳を元の鞄に戻し、教室を飛び出そうとした。
その時に、出口付近の机にぶつかり、玖馬は慌てて元に戻そうとしたが、すでに廊下の向こうから三年生の姿が見えてきたため、玖馬はそのまま教室を出て、声が聞こえる方とは反対側の方向へ、廊下を逃げるように駆けた。
「ねぇ、クマ」
「な、何っすか…!?」
正面からやってきた末樹の呼びかけに、玖馬は異様なほどに肩を上げて驚いていた。
「え?何?ごめん、そんな驚くとは」
玖馬の反応に、末樹はばつが悪そうな顔をした。
「いや、すみませんっス…なんか、ぼーっとしてて…!」
「…?」
手をばたつかせて落ち着きがない玖馬に、末樹は首を傾げた。
「で、どどうかされましたか?」
玖馬はぎこちない笑顔でそう言った。顔には少し汗をかいているようだった。
「…あの、この前のことなんだけどさ」
末樹は、様子のおかしい玖馬のことを疑問に思いながらも話を続けようとした。
「ああああこの前のことって、な、ななんですか?」
「ほらあの、糸村がちょっと様子変だった時」
「へっ!?紺先輩が!?」
「…クマ、なんなんだよ」
発する言葉全てが跳ね上がるような玖馬に、末樹は懐疑的な表情を向けた。
「なにもないですよ?」
「そんな感じじゃないんだけど。なんか前もこんなことが…」
「先輩疲れてるんっすね!気のせいっすよ!」
「絶対違う。兄貴たちと何かあったの?」
末樹は腕を組んだ。
「そっちは良好っすよ!」
「そっち、は?」
「いや、どっちも!」
玖馬は今すぐにでも末樹の前から消えたいようで、一歩一歩足を下げていた。
「は?」
末樹の不満そうな表情と声に、玖馬は耐え切れずに踵を返して駆けだした。
「先輩すみません!ちょっと急用が…!」
「…嘘だろ」
末樹は目を細めて玖馬の去って行く姿を睨みつけた。玖馬の姿が見えなくなると、末樹は教室に戻った。
ここ数日、玖馬とまともに会話が出来ていない。そもそも、顔を合わせることすら避けられている。そのため、末樹は今日も玖馬を探し回り、ようやく声をかけられたのだった。
玖馬は、莉々と紺の関係を、部活の先輩後輩であるということしか知らない。だから、先日の紺の末樹への憤りも、玖馬はよく理解していないだろう。
そのことを伝えたかったのだが、本人に避けられていたのでは話にならない。
末樹が教室に戻ると、先生に頼まれたのであろう段ボールの荷物を教壇に置く紺が目に入った。
紺とはその後、後ろめたさから一度だけ末樹が謝り、それからは何事もなかったかのように振舞っている。
末樹は教壇の前まで歩き、紺に声をかけた。
「糸村、お前さ、クマと最近話した?」
「は?クマと?」
紺はぽかんとした顔をして、運んできた段ボールを開けた。
「そう、なんか俺、クマに避けられてる気がするんだけど」
「末樹が?クマに?」
紺は段ボールの中身を確認すると、末樹の顔をまじまじと見た。
「うん。様子がずっとおかしいんだ」
末樹は真剣な表情で紺の顔を見返した。
「俺も特に話したりとかはしてないけど…」
紺は教壇から離れて窓際まで歩いて行った。末樹もそれに続いた。
「クマがお前のこと避けるか?」
「それが分かんないんだよ。この前のこともあるし、ちょっと気になって」
「…そうだよな。ほんと悪かった」
末樹の言葉に、紺の表情が陰った。
「いやいや、そうじゃない、責めてないよ」
末樹は思わず口が滑ったことを悔やみ、慌てて否定した。
「いや、俺どうかしてたし。…そうだな、それは気になるな」
紺には末樹の懸命なフォローは聞こえていないようだった。
「今日放課後クマに会ってみるか。二人で行けばクマも逃げられないだろ」
紺は末樹を振り返って決心したように言った。
「ほんと?ありがとう」
末樹は紺の提案を素直に喜んだ。三人のぎくしゃくしたような気まずい空気には、もううんざりしていた。
三人で話せるのなら、そんな憂鬱も解決するかもしれない。末樹は、それを期待していた。
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