第18話 瞑想と迷走

 街がイルミネーションの輝きで彩を見せてきた頃、紺はその心躍るような色とりどりの輝きから逃げるように目を伏せた。

 予備校の帰り道、紺は周りの帰りを急ぐ人々とは対照的に、ゆっくりとした足取りで家に向かっていた。

 コートを着ず、ニットとマフラーで凌ぐには少し寒い外気に、これ以上冷えないように、と、冷たくなってきた手をポケットに入れた。

 同じく冷えてきた口元を首に巻いたマフラーにうずめると、その暖かさに思わずため息が出た。思ったよりも体温が下がっていたようだ。

 同時に、気が緩んだのか、今日の放課後の出来事と自分の態度が自然と思い出されてきた。できればすぐにでも忘れたいものだったが、そういう記憶こそ、そうはいかない。

 紺は、自分を恥じるかのように唇を噛んだ。自分が信じてきた答えが、ぼんやりと見えなくなってきたような気がした。


 放課後、予備校までに時間があった紺は、部活の後輩の相談を聞き終え、部室棟を出た。

 そこから正門に向かおうと歩を進めると、校舎裏側の花壇の傍に、見慣れたシルエットを見かけた気がした。

 何と無しに建物の陰から顔を覗かせると、そこには紺の見立て通り、末樹と玖馬の姿があった。

―なんでこんなところに…?―

 盗み聞きをするつもりはなかったが、紺は自分の意思に反してその場で足を止めた。よく見ると、玖馬はジャージに着替えており、部活動前のようだった。ベンチに座った末樹に、何かを興味津々に聞いているようだ。

「-…で、先輩の方はどうなんですか?」

 玖馬が目を輝かせて末樹を見ている。

「どうって、何が?」

 末樹はきょとんとした顔で玖馬を見上げていた。

「何って、先輩、莉々と映画行ったらしいじゃないですか」

 玖馬は何故か照れくさそうに笑っていた。

「ああ、そうだね、この前行ってきたよ。原作の良いところを上手いこと表現してて、原作を楽しんだ身としては凄く良かったよ」

 末樹は嬉しそうに顔を緩ませた。來樹よりも幼い桃花眼の瞳が垂れた。

「先輩!そうじゃないっス…!王道の天然っぷり、流石っすね」

 玖馬は末樹の回答に脱力すると、気を取り直して末樹にずいっと近寄った。

「先輩、先輩に言わせれば、それってデートなんじゃないですか?」

「え?」

「そうですよね?」

 玖馬は確信めいたように自信満々に言い放った。

「…そういうことになるのかな…?」

 相変わらず末樹はピンと来ないような顔をしていた。

「そうっスよ!俺、莉々は先輩のこと結構気にかけてる気がするんスよね」

 玖馬は腕を組んで探偵のように考える素振りを見せた。

「…うーん、そうかな…?」

 末樹は困ったように眉を下げた。その脳裏には、きっとあの友人の姿が浮かんでいる。

「先輩、マジっすか」

 玖馬は目を大きく見開くと、末樹の隣に腰を掛けた。

「莉々が先輩を誘って行ったんですよね?女子高生が先輩を誘うなんて、ある程度の気がないとないことっすよ」

「クマ、ドラマの見すぎじゃない?」

「いや、俺は最近は少女漫画派っス」

 玖馬は真剣な眼差しで、真面目なトーンで答えた。

「そう、なんだ。…ってそうじゃなくて、莉々ちゃんは他に好きな人が居るんじゃないかな?」

「莉々に?でも、莉々、興味ない奴には全然、一緒に出掛けるとかしないタイプですけどね。俺は脈ありに賭けるっす」

「クマ、何だか楽しそうだね」

 末樹は呆れた視線を向けた。

「なんかリアル少女漫画って感じでワクワクするって感じです!」

 玖馬は目を輝かせた。

「ははは。クマが楽しそうなのは何よりだけどさ…たぶん―」

 末樹が苦笑いを浮かべると、末樹の言葉を遮るように、どこかでスマートフォンが鳴る音がした。

 紺のスマートフォンだった。建物の陰に隠れた紺は、その音に自分でも驚いていたが、冷静に通知を消した。先ほどの後輩からのお礼メッセージだった。

 玖馬と末樹はそうとは知らず、二人して首を傾げていた。

「ん?」

「先輩のですか?」

 玖馬は末樹の鞄を見た。

「いや…違う」

 末樹が不思議そうに言うと同時に、建物の陰から紺が出てきた。

「お前らこんなところで何やってるんだよ」

「糸村?糸村こそどうした?」

 末樹は少し疲れた顔をした紺を見て微かに眉をひそめた。

「ちょっと部室棟に用事があって」

 紺は二人の近くまで歩いてきた。

「そうなんだ」

「クマ、お前部活は?」

 紺は自分の登場に少し驚いている玖馬を見て言った。

「えっと、今日は自主練メインだから、ちょっと休憩っス」

「ちゃんと練習しろよ?」

「も、勿論っス」

 玖馬はいつもと少し雰囲気の違う紺の様子に違和感を覚えながら返事をした。

「糸村、なんか調子悪いの?大丈夫?」

 末樹は玖馬の気持ちを代弁するかのように尋ねた。いつもの爽やかな雰囲気はなく、少し暗い顔をして元気のない紺は、どこか余裕のないように見えた。

「別に、そういうわけじゃないけど…」

「けど、なんだよ。なんか引っかかることがあれば言ってくれよ」

 言葉を濁す紺に、末樹は食い気味で聞いた。莉々の時のことのように、紺が自分に心を開いてくれないのは、末樹にとって避けたいことだった。

「…なんかさ、お前ら最近…仲、良すぎじゃない?」

 紺はこの場の空気を出来るだけ壊さないような言葉を探りながら声を発した。

「は?」

「…」

 紺の投げかけた言葉に、末樹はぽかんとした表情をして、玖馬は口をつぐんだ。

「え?そんなこと…?」

「お前らだけじゃないよ。長須だって、いつの間に仲良くなってるんだよ」

 紺は苦虫を噛み潰したような顔をして末樹を見た。

「…あ、ごめん…俺…」

 末樹は紺の顔を見ると、眉を下げ、申し訳なさそうな表情をした。自然と、胸の奥が熱くなってきた。末樹の瞳が動揺で揺れた。

「…?」

 玖馬は末樹の表情の意味が分からず、紺と末樹を交互に見た。

「いや、末樹が謝ることじゃないよな…。悪い」

 紺は、気まずそうな末樹の反応を見て、我に返ったように反省していた。

「…」

「…」

「…」

 三人はそれぞれ何かに思いを巡らせて黙った。

―え?…何?紺先輩、もしかして…嫉妬してる?―

 玖馬は、紺の辛そうな表情を見て推理を始めた。

―嫉妬?紺先輩が?誰に…?―

 次に隣の末樹の気まずそうな顔を見ると、玖馬は推理を続けるために斜め上に目線を動かした。

―俺と末樹先輩が仲良くしてるのに嫉妬してるのか?…まぁ二人は一番の仲良しだからな。そこに俺みたいな後輩がでしゃばってきて鬱陶しいのかもしれない。來樹さんのことでずっと末樹先輩には色々と相談に乗ってもらってるし…。うーん…受験もあって大変なのに俺が付きまとってたら確かに鬱陶しいかもな。…莉々も、最近そうだし。莉々は紺先輩の後輩でもあるけど…。え?ただの予想だけど…俺と莉々に嫉妬してるんだよな?あっ、末樹先輩にばっかり頼ってるのがちょっと悔しいとか…?いや、それはないな。先輩はいい人だけど結構クールなとこもあるし、そんなこと気にするような性質でもないしな。…えー、それじゃ何だ?単純に末樹先輩が俺らとこっそり話してるのがイラつくとか?コソコソしてるから駄目なのか?…なんで?紺先輩はそんな横柄な人じゃないだろ?先輩ももっと末樹先輩と話したいのか?末樹先輩と一緒にいたいのか…?十分親しい友達同士なのに?…ん?―

 そこまで考えると、玖馬は先日の武史の言葉を思い出した。

『-周りを見すぎて焦るなよ。みんなそれぞれ悩みや抱えてるものがあるもんだし。みんな弱いところは隠しちゃうから、見えないだけで、…お前だけじゃないから』

―お前だけじゃないから…―

 玖馬はハッと身体を起こした。

―…でも、そういうことだったら、武史さん…―

 同時に全身に緊張が走ったが、玖馬の頭の中はそれどころではなかった。斜め前にいる、険しい表情をした紺を見た。紺は玖馬の視線には気付いていないようだった。

 玖馬は、手に汗を握った。これは、ちゃんと確かめなければいけない。


 末樹は、一人で歩く帰り路の途中、小さく息を吐いた。陽が落ちてくると、どうにも寒さを隠せない。

 末樹は、寒さに耐え切れず、コートのポケットに手を入れて自分の歩く足元を見た。自分の靴が、交互に視界に入ってくる。

「はぁ…」

 末樹はもう一度息を吐いた。ポケットに入れた手は、未だ冷たいままだった。

―俺、無神経だなぁ…―

 ついさっきの出来事を思い返し、末樹は自省した。紺は、予備校があるからと言って、そのまま二人を残して去って行った。

 残された玖馬は何やら挙動不審になりながらも部活に戻り、末樹はそのまま帰宅することにした。

 紺の表情を思い出す度に、末樹は心臓をひっかかれるような気持ちになった。

―糸村のこと、何も考えてなかったな…。断ったとはいえ、糸村に本当に何の気持ちもなかったかなんて、分からないもんな―

 末樹は莉々と紺の関係に思いを巡らせた。

―そりゃ自分に告白してきた後輩と仲良くしてる友達なんて、あんまり気分の良いものでもないよな…―

 末樹は莉々と映画に行った時のことを思い返した。そもそも、紺が莉々にどのような返事をしたかなんてことも、ちゃんとは知らなかった。

 好きな人がいるから、と言っていたが、未だにその相手は分からない。本当にそんな人がいるのだろうか。紺のことが、よく分からなくなってきた。

莉々は、映画の時あまり紺の話はしていなかったが、部活の話は楽しそうにしてくれた。

 莉々にとって、今、紺がどのような存在になっているのかも分からないし、紺の本心すら分からない。

 それでも末樹は、いつの間にか莉々と会うことに何のためらいもなくなっていた。当然、紺は大切な友人であることに変わりはなく、莉々と紺との関係を忘れたわけではなかったが、末樹自身も、莉々と会うことが楽しくなっていた。

 友達として、良い関係を築きたいとすら思っていた。それを考える時に、紺の姿はなかった。

 末樹にとって、今や莉々は紺とは関係ない、普通の先輩後輩であり、友達だった。勿論、莉々がどう考えているかなんて聞いたことはなかったが、それは特に気にしてはいなかった。

 莉々が離れていくのであれば、寂しさはあれど、彼女がそう望むのであればそれでもよかった。でも。

―莉々ちゃんと紺の関係は、終わったわけじゃないもんな―

 そう思うと、なんだか寂しかった。その領域に、末樹は入れない。入れるとしたら、情報提供をする時だけだ。

―俺、どうしたいんだ?―

 末樹は、ふと立ち止まった。

―今、何を考えた?―

 視界に映る自分の靴は、少しだけ汚れている。凪のように穏やかな末樹の心が、少しずつざわつき出した。


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