第14話 末樹の詮索

 周りのどんな音も遮って、自分の思考だけが今、世界の全てだった。末樹はヘッドホンを付け、音楽も流さず、集中して目の前の試験課題に取り組んでいた。

 11月に入り、一層受験の色が濃くなってきた。志望校に向け、模試の判定は問題なかったが、どこまでも気が抜けない。

 勉強に関しては、末樹の焦点はいつも定まっていた。それ故に、自習室に誰かが入ってきたことに気づけないでいた。

「先輩!」

 ヘッドホンの左側が浮き、末樹の耳に久しぶりに音が入ってきた。

「わっ!?」

 末樹はその音に驚いてのけ反った。

「わ、ごめんなさい、先輩…」

 左を見ると、莉々が手を合わせて謝っていた。

「莉々ちゃん…どうしたの…」

 末樹は薄い声を発した。

「部活が終わって歩いてたんですけど、先輩いるかなー?って来てみたんです。そしたら…いたので…つい」

 莉々はヘッドホンを外す末樹に弁明した。

「いやこっちこそごめん。驚きすぎた…」

 末樹はほっとした様子で弱々しく笑った。

「先輩ずっと勉強してたんですか?」

 莉々は隣の席に座ると、机に開かれたノートや参考書を見た。

「うん。…もうこんな時間か」

 疲れた様子の末樹を、莉々はじっと見た。

「そりゃこんな硬い文章ばっかり見てたんじゃ疲れますよ」

 莉々は参考書を手に取るとページをめくった。

「ははは。もう俺は勉強が趣味だからね」

「いくら趣味でも…」

 莉々は眉をひそめた。

「あっ!」

 そして何かを思いついたように参考書を閉じた。

「?」

「ここで息抜きです!莉々クイズ!」

 莉々は人差し指を立ててにっこり笑った。

「んっ?」

 末樹は口元は笑ったまま首を傾げた。

「私の部活は何でしょうか?」

 莉々はお構いなく続けた。

「…演劇部?」

 末樹は莉々のペースに流されながらも答えた。

「演劇部での私の役割は?」

「えっとー…」

「大道具兼演者でした!」

「そうだったんだ…」

「では次!私が苦手な科目は?」

「それは化学だったよね」

「正解!じゃあ次はー…紺先輩の好きな人は誰でしょうか?」

「えっと…それは…ごめん、まだ分からなくて…」

 末樹は頭を抱えた。何故か、武史の顔が浮かんでくる。

「ああああそんな顔しないでください」

 莉々は慌てて末樹の前で手を振った。

「本当は私が一人で突き止めなくちゃいけないんですから」

「…でも大変でしょ?」

「…そうですね」

「糸村ってほんと、いいやつなんだけど、何考えてるか分からない時があるからね」

 末樹は参ったような顔をして笑った。

「ですね」

 莉々はくすくすと笑った。

「でも先輩って、部活ではいっつも真剣で、的確な指示をしてくれるんです。舞台に対して情熱的で、みんなのことを尊重してくれる。私も、何度も助けられました」

「糸村の部活での姿は知らないけど、なんか想像できるなぁ…」

「それに紺先輩格好いいなって…」

「なるほど?」

「単純に私のタイプだったんです」

 莉々は恥ずかしそうに笑った。

「…やっぱり、糸村のことまだ好き?」

 末樹は莉々の表情を探るように聞いた。

「そうですね…。だからこそ、紺先輩の好きな人のことを知りたいんです。そうしたら、私もまた前に進めます」

 莉々は末樹の目を真っ直ぐ見て自虐的に笑った。

「諦めが悪くて…嫌になりますよね」

「そんなことないって、切り替えは大事だよ」

 末樹は莉々を励ますように笑うと、もう一度時計を見た。

「もう暗くなってきたから、一緒に帰ろうか」

「え?いいんですか?」

「莉々ちゃん電車だよね。駅まで送るよ」

 末樹は机の上を片付け始めた。

「ありがとうございます!あ!鞄取ってきますね!」

 莉々は嬉しそうに立ち上がると急いで教室に向かった。末樹は鞄に荷物をしまうと、ゆっくり立ち上がった。莉々のクイズのおかげで、すっかり気分転換が出来たようだった。

 鞄を取ってきた莉々と落ち合い、末樹は莉々を駅まで送った。道中、莉々は紺の部活での様子を話してくれた。

 莉々のその表情を見て、末樹はなんとか力になりたいが、一体どうなるだろうかと考えていた。

 莉々を送った帰り道、末樹の目の前を横切った人物がいた。顔を上げると、武史の働くアイスクリーム店に入っていく紺の姿が見えた。

 末樹は慌てて姿勢を低くして店の中を覗こうとした。中には、武史と親しげに話している紺の姿があった。その手には、あのクリスマスカラーの手帳を持っていた。

―なんなんだ…?糸村のやつ、もしかして…―

 末樹は、怪訝な表情をしたまましばらく店内を見ていた。


 朝の支度を終え、いつものように登校していると、前方に紺の姿が見えた。相変わらずズボンのポケットに手を入れ、悠然と歩いている。

 末樹は、すぐには声をかけず、しばらくその姿を見ていた。考え事をしながら見続けていたため、だんだんと睨みつけるような形になってきた。すると、武史と親しそうにしていた紺の姿が脳裏に浮かんできた。

 末樹はハッとして顔を上げると、邪念を振り払うかのように頭を振った。

―いや、まさか武史さんじゃないよな…?―

 末樹は、それはあり得ないという顔をして自分の推理を消し去ろうとした。

―でもクマだってあり得たし…可能性は捨てきれないよな―

 断腸の思いで末樹に來樹への気持ちを話してくれた玖馬を思い返すと、末樹はどうしても自分が立てた仮説を捨てきれなかった。

―それならそれで別に、俺は応援するけどな―

 末樹は紺の背中をもう一度見た。末樹の疑念など知らないその背中は、しっかりと背筋が伸びていた。

―問題は莉々ちゃんになんて言うかだ…―

 莉々の笑顔が浮かんでくる。莉々は、もしこれが真実だった場合、どんな反応をするのだろうか。

―糸村が教えてくれるわけないよなぁ…―

 末樹はぼんやりとそう思いながらも、ここまできたらもう真実が知りたい気持ちが勝っていた。あとは、どう攻めるかが問題だった。

 昼休み。食堂でご飯を食べた末樹と紺は、しばらく他愛もないことを話していた。末樹はどこかで踏み込みたいと目論んでいたが、何をトリガーにするか決めかねていた。そこに、先日武史から渡された、紺の忘れ物であった手帳のことを思い出した。

 ずっと大事に持っているようだったが、その中身のことは知らない。手帳の中を見られたかどうかをやたら気にしていた。日記か何かだろうか。

「糸村、あの手帳ずっと持ってるよね」

 ひらめいた末樹は、思っていたよりも直球でためらいもなく聞いていた。

「は?」

 当然紺は顔をしかめた。

「あれ何?日記?」

「…だったら何だよ」

「いやー、別に…」

 見せて、とは言えなかった。いくら気を許していても、そこまでの図太さを持ち合わせてはいなかった。

「なんか糸村にしては珍しい柄だなーって思って」

 末樹は何でも良いからヒントが欲しかった。

「そうかよ」

 紺はコップに入っているお茶を飲んだ。

「この前アイス屋に忘れていたし、いつも持ち歩いてるの?」

「そうだけど?」

「大事なものなんだね」

「別に手帳くらい持ち歩いてもいいだろ」

「そうだけどさー」

「何だよ」

「…」

「…」

 沈黙が流れた。末樹は、紺の目を何か言いたげにじっと見つめていた。

「…見たいのか?」

それを察した紺は、鬱陶しそうに言った。

「えっ?いいの?」

 末樹は思わず前のめりになった。

「…………見せないよ」

 紺は末樹を呆れたように見た。

「なんだよ、そこまで気になるか?」

「気になるよ!」

「逆に絶対見せたくなくなるな」

「ええー…」

 紺は落胆する末樹を見てにやっと笑った。

「…そしたらさぁ」

 末樹は、落ち込んだ声を出した。

「武史さんに聞いてみちゃおうかな」

「はぁ!?」

 末樹の言葉に、紺は思わず上ずった声を出した。末樹は明らかに動揺する紺を訝しげに見た。

「なんでそうなるんだよ」

「店に忘れた時に武史さんが見てるかもしれないだろ」

「それはないだろ」

 紺は乾いた笑みを浮かべた。

「なんでそう言えるんだ?意図せず見ちゃうこともあるだろ」

「武史さんはそんな人じゃないだろ」

 紺はそう言って得意気に笑うと、コップを持って立ち上がった。

「末樹も不得手な詮索は止めることだな」

 紺はそう言って去って行った。その場に残った末樹は、自分が情けなくなり肩を落としていたが、諦めずにこの先の作戦を練ろうとしていた。


 食堂を後にした紺は、安堵のため息を吐いて頭を掻いた。末樹が何かを探っていることは明らかだった。

 もとから末樹は嘘が苦手だ。紺がはぐらかし続ければ詮索されることはなくなるかもしれないが、末樹がただでは諦めないことも紺は知っていた。

 もう一度ため息を吐いた紺は、気晴らしに窓の外を見た。晴天だった。眩しい太陽が目の端に入ってきた。紺は思わず目を細め、窓から目を逸らした。

「ん?」

 すると少し遠くに、玖馬がいるのが見えた。玖馬は紺のことに気づいていなかったが、こちらに向かって歩いてきている。珍しく、少し疲れているようだった。

「クマ」

 紺は目の前まで来た玖馬に声をかけた。

「?」

 玖馬は顔を上げ、紺の顔を見るなりいつもの明るい表情を呼び戻した。

「紺先輩!なんだか久しぶりっすね!」

「…そうだな」

 紺は玖馬の取り繕ったような笑顔に気付いていた。

「最近忙しそうだからな、クマは」

 しかしそのことには触れずに、優しく微笑んだ。

「そんなことないっす!先輩たちの方が、お疲れじゃないですか?」

「いや、…まぁお互い様かな?」

 最近、玖馬が一段と部活に励んでいることを紺は知っていた。陸上部に、既に推薦で進学が決まっている友人がいて、玖馬のことを褒めていたのを聞いていたのだった。それに加え、何やら啓発本などを呼んで熱心に精神論を学んでいるようだった。

「何かあったのか?」

 さり気なく聞いた紺の問いに、玖馬は一瞬ギクッとした様子を見せた。

「いや、ただ部活も全力でやりたいだけですよ!」

 玖馬はそう言って明るく笑うと、「先輩も無理をしないように!」と言ってバタバタと駆けて行った。

「…」

 紺は玖馬が駆けて行った後を、ただただ目で追っていった。


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