第11話 それぞれの距離感

 末樹が莉々に対して一層の気遣いをするようになってから数日が経った頃、莉々が校舎裏にいる末樹を見つけ出しやってきた。

「読書ですか?先輩」

 莉々は末樹の隣に座ると、末樹が開いている本を覗き込んできた。

「うわ、英文だ。先輩、これ読んでるんですか?」

「そうだよ。英文に慣れるためにね」

 末樹は初めて校舎裏まで訪ねてきた莉々を意外に思いながら、本を閉じた。

「あ」

「?」

 莉々は末樹が閉じた本の表紙を見て声を出した。

「すみません。なんでもないんです」

「そう…?」

 末樹は眉をひそめながらも言及はしなかった。

「ところで、どうしたの?」

「ふふふ」

「こんなところまで来るなんて、何かあった?」

 末樹は莉々の表情を伺った。莉々は不安そうな末樹を見て楽しそうに笑った。

「何かあったのは先輩ですよね?」

「え?」

 末樹はドキッとした。

「私と紺先輩のこと、バレちゃいましたよね?」

 莉々はくしゃっとした笑顔を末樹に向けた。

「え…」

 末樹はどう答えたら良いのか言葉が出ず、眉を下げた。

「もう、先輩は嘘が下手だなぁ…」

 莉々はくすくす笑った。

「私、確かに紺先輩に振られましたけど、…そんな気を遣わないでください」

「…ごめん」

 末樹は視線を下げた。

「謝るのもだめです!」

 莉々は俯く末樹の顔を覗き込むようにして見ると、指でバツの印を作った。

「…あの、なんて言ったら良いのか分からなくて……」

 末樹は正直にそう言った。自分を情けなく思う末樹の表情が、莉々の表情にも移った。

「もう、先輩は気にしなくていいのに…。…もとはと言えば私が豊嶋先輩に近づいたんですから」

 莉々は末樹に申し訳なさそうに言った。

「でもなんで俺に?」

「…それは」

 莉々は末樹から顔をそむけた。

「…先輩が、紺先輩と仲良いの知っていたので」

「やっぱり知ってたんだね」

「はい。…だから」

 莉々は一息置いてからそう続けた。

「あぁー、良かった…!」

 末樹は安堵の息を吐いて脱力した。莉々は末樹のそんな様子に驚き、丸い目で末樹の顔を見た。

「長須さんのこと、俺まだあんまり知らないから、どうして俺に相談なんかって思ってたんだけど、糸村に繋がるならなんか納得した。長須さんのこと、ちょっと怖くなっちゃってたけど、そうはっきり言ってくれると、俺も助かる」

 末樹はへらっと笑った。

「そうですか…」

 莉々は末樹と目を合わせて肩をすくめた。そして気を取り直して両手をぐっと握り、真剣な眼差しで末樹の目をもう一度見た。

「あのっ、紺先輩の好きな人って、ご存知ですか?」

「え?」

「先輩、好きな人がいるからって…」

 莉々の目が少し潤んだように見えた。口元に力を入れ、必死で平常を保っているようだった。

「糸村に好きな人?」

 末樹は思い当たるところがなく、目を逸らして悩み出した。

「豊嶋先輩なら知っているかもって…」

 莉々は末樹から目を離して俯いた。

「すみませんこんなこと…でも、どうしても知りたくて…。諦めが悪くて、重たいですよね…」

 莉々の声から元気がなくなった。末樹は俯く莉々をじっと見つめていた。

「いいよ、大丈夫。むしろ力になれなくてごめん…。俺も糸村には世話になってるから…。好きな人、気になるよね」

 末樹は優しく微笑んだ。莉々を元気づけたいが、紺がそんなことを言っていたとは思わず、末樹自身もまだ情報が整理できていなかった。

「…先輩は、優しいですね」

 莉々は顔を上げて弱々しく微笑んだ。末樹の目を嬉しそうにじっと見て、離そうとしなかった。

「…えっと、ほら、長須さんも、探究心…!人のこと言えないよ」

 見つめられている末樹は、恥ずかしくなってきて目を逸らした。

「?」

「俺に探究心があるって言ってたけど、長須さんもなかなかなんじゃない?」

 首を傾げる莉々に、末樹は得意げに言った。

「…あ」

 莉々はその言葉の意味に気づくと、ふふふ、と笑いだした。

「確かに、そうですね」

 声を出して笑う莉々にほっとしている末樹に、莉々は少し身を乗り出して近づいた。

「あの、私のこと莉々って呼んでください」

「え?」

「私もっと先輩のこと知りたいです」

「へ?」

 莉々の提案に、末樹はぽかんとした。

「私も末樹先輩って呼びますね」

 莉々はニコッと笑って見せた。

「いいけど…、ええと…莉々ちゃん…」

 末樹に名前を呼ばれて満足げな表情をした莉々は、そのまま立ち上がった。

「じゃあ私は行きますね。読書の邪魔してすみません。…あ、紺先輩のこと、まだ探究していきますから」

「…うん?」

 末樹は去って行く莉々の姿を呆気に取られて見ていた。そして紺のことを思い出した。紺に好きな人がいる。そうなると、莉々でなくとも気になってくる。

 末樹は、ぼーっと地面を見つめた。

 連日、末樹の知らなかった紺の一面が見えてくる。学校で一番仲が良くても、紺について本当は知らないことしかないのかもしれない。

 末樹は、なんだか心にぽっかり穴が空いたように感じた。


 教室に戻ると、席に座ろうとしている紺と目が合った。もうすぐ午後の授業が始まるため、クラスメイト達は続々と教室に戻ってきていた。

 その流れに身を任せながら、末樹も席に戻った。その間、紺は何かを言いたそうに末樹を目で追っていた。

 その日全ての授業が終わり、紺が末樹の席まで来た。

「今日は予備校?」

 末樹は紺が何かを言おうとする前に口を開いた。

「あ、うん」

「そう」

「なぁ末樹、黙ってて悪かった」

 紺は鞄を持った末樹に改めてそう言った。

「何?」

「長須のこと。お前最近よく話してるみたいだし」

「知ってたの?」

「ああ。そりゃ目につくこともあるだろ」

 末樹は居心地が悪そうな顔をしている紺を見て胸がざわついた。

「ごめん。俺も…なんか」

 末樹はよく分からない感情に困惑しながら謝った。

「…?」

「糸村、お前なんで莉々ちゃんを…」

 末樹はそこまで言いかけて口を閉じた。紺は、末樹が莉々の名前を呼んだことが意外だったようで、目をぱちぱちさせた。

「…いいや」

 末樹はため息を吐くと、紺を恨めしげに見た。

「それより糸村、お前好きな子がいるって本当か?」

「は?」

「莉々ちゃんから聞いた」

「…あいつ」

 紺は末樹から視線を話して宙を見た。

「なんだよ。話してくれてもいいだろ。…いや、そんなこともないかもしれないけど、なんか…」

「なんかってなんだよ」

「友達なのに、さみしいだろ」

 末樹はむっとした顔で紺を見た。紺は末樹の発言に瞬きをぱちぱちと数回した。

「拗ねてるのか?」

 紺より身長の低い末樹を見下ろし、紺は思わず吹き出した。

「おい。それと、別に拗ねてないから」

「ごめんごめん」

 末樹に小突かれた紺は緩んだ口元を隠した。

「でも、ほら、そういう話題、末樹はあんま興味ないかなって」

「そんなこと言うなよ」

「実際興味ある?俺のそういう話」

「…あるよ」

「本当かー?」

「友達なんだから、当たり前だろ」

 末樹の少し寂しそうな口ぶりに、紺は笑顔を消した。

「…ありがとな」

「じゃあ教えてくれる?」

「それはどうかな?」

「おいおい」

 再び得意げな笑顔を見せた紺に対し、末樹に諦めの表情が浮かんできた。末樹は紺から聞き出すことは今は出来ないと、これ以上の言及を止めた。

 紺を一瞥した後、末樹は自習室に向かうために歩き出した。なんだか心の居心地が悪かった。末樹はもやもやした気持ちのまま教室を出た。紺も下校するために後に続いた。

 扉を出るとすぐに、紺は前を歩いていた末樹にぶつかった。

「?」

 突然立ち止まった末樹の後頭部を怪訝な表情で見た紺は、その向こうにえらく落ち込んでいる人物を見つけた。

「クマ?どうした?」

 末樹はいつもの明るい雰囲気とは真逆の玖馬の様子を見て、そっと近づいた。

 紺も、玖馬の今にも大雨が降りそうなほどの曇天を背負っているような姿に顔をしかめた。

「先輩…」

 玖馬は自分のことを心配そうに見つめる末樹を見ると、目を潤ませた。

「え?クマどうしたの?」

 末樹は一気に表情の緩んだ玖馬を見て、焦ったように顔を近づけた。

「聞いてくださいよー!」

「え?え?何?」

 すがるように抱きついてくる玖馬に困惑しながら、末樹は助けを求めるかのように紺の方を振り返った。呆気に取られて二人を見ていた紺は、末樹の視線に気づくと気を取り直したように二人に近づいた。

「クマ、どうした。末樹困ってるだろ」

 紺は玖馬を末樹から優しく引きはがした。

「すみません…」

 末樹から離れた玖馬は相変わらず元気がなかった。

「…」

 玖馬は横にいる紺を意味ありげにじっと見つめた。何かを言いたそうにしている。

「…」

 紺は玖馬の眼差しを受け、頭を掻いた。

「あー、分かった。…じゃ、俺もう行くから」

「え?糸村帰っちゃうの?」

「予備校の時間だから」

 紺は末樹の名残惜しそうな眼差しを振り払い、去って行った。

「…」

 取り残された末樹は、戸惑いを隠せないまま玖馬の方に向き直った。

「クマ話してくれる?」

 紺の背中を申し訳なさそうに見送る玖馬は、末樹の言葉に跳ねるように反応した。

「先輩…。伏兵の登場っす…」

「へ?」

 玖馬の真面目なトーンとは対照的に、末樹は間抜けな声を出した。

「ふ、伏兵?」

 念のため、聞き直した。

「そうです」

 玖馬の表情は変わらなかった。

「どういうこと?」

「…來樹さんに、最近近づいてくる輩がいるんです」

「輩?」

「はい」

 玖馬は真っ直ぐに目を見つめてきた。その力強さに、末樹は飲み込まれそうだった。

「水藤って人、知ってますか?」

「水藤?」

 末樹は記憶を辿った。どこかで聞いたような名前だ。

「えっと…、誰だったかな…」

「……」

 考え込む末樹を、玖馬はじっと見つめていた。

「あ…!」

「!」

 何かを思い出した末樹は、クイズに答えるかのように手を叩いた。

「伊鶴さんだ。兄貴の先輩だろ。たしか近くに住んでたな」

「正解です!」

 末樹の回答に、玖馬は大きな声を出して末樹を指差した。

「え?なにこれ?」

 末樹は玖馬の反応に顔が引きつった。

「やっぱりご存知でしたか」

 玖馬は腕を組んで感心したように舌を巻いた。

「伊鶴さんがどうかしたの?」

「伏兵っすよ」

「え?伊鶴さんが?」

 末樹はピンと来ない顔をしていた。

「そうですよ。あの人、最近來樹さんとべったりなんですよ」

「べったり?」

「就活とか、そういう話してるみたいなんすけど、しょっちゅう連絡もしてるみたいで、來樹さんかなりあの人のこと信頼してるんです」

「まぁ、伊鶴さん社会人だし」

「そうなんですけど。…あの年上の余裕?感が悔しいっす」

「クマも会ったことあるの?」

「何回もあります。俺のこと、クマ君とか呼ぶんですよ」

 玖馬は不機嫌そうな顔をした。

「でも伊鶴さんいい人でしょ?…というか伏兵って、伊鶴さんも兄貴のこと…?」

「いや、分からないっす」

末樹が思い切って尋ねた言葉に対する玖馬の返答に、末樹は肩透かしを食らった。

「なんだよ。じゃあ気にするなよ」

「でも分からないじゃないっすか。あの人何考えてるのか分からなさ過ぎて…」

 玖馬は困ったような顔をした。まだ伊鶴に対してどう接したら良いのか分からず迷いがあるようだ。

「まぁまぁ、まだ分からないならそんな警戒するなよ」

 末樹は玖馬をなだめるように優しく微笑んだ。

「…めっちゃボディタッチしてくるんすよ。…俺にも」

 玖馬はぶつぶつと呟いた。

「でもそっか、クマ、兄貴とよく会ってるんだね」

 末樹は嬉しそうに笑った。

「…はい。コーヒー以外でも会えるようになりました」

 玖馬は照れくさそうに言った。

「やったなクマ。伊鶴さんのこともいいけど、そのことに喜ぼうよ」

 末樹は玖馬の肩にポンと手を置き嬉しそうに笑いかけた。

「はい…!そうっすね…!」

 玖馬の表情が次第に明るさを取り戻した。末樹は玖馬の笑顔を見て頷き、そのまま玖馬の肩をポンポンと叩いた。

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