第9話 新しい疑問

 月曜日。末樹は紺の手帳を持って休み時間に紺の席へ訪れた。

「糸村、これ」

 末樹が手帳を差し出すと、紺の顔が青ざめていった。相当驚いたようで、開いた口が塞がらないようだった。

「これ、忘れただろ?武史さんから」

 末樹は固まってしまった紺に疑問を感じながら、武史から預かった旨を伝えた。

「…見たか?」

 ようやく声を発した紺は、小さく消え入るような掠れた声で言った。

「ん?」

 聞き取れなかった末樹は、手帳を差し出したまま聞き返した。

「手帳の中…見たのか?」

 紺は動揺しつつも鋭い眼光で末樹を見上げた。

「ううん?見てないよ?」

 末樹は何が何だか分からないままそう答えた。

「そっか…悪い……ありがとう」

 紺はほっとしたようにそう零すと、手帳を受け取った。

「…どういたしまして。あ!ところでさ」

 末樹は居心地の悪そうな紺の空気を飛ばすために手を叩いて話題を変えた。

「そのステッカー、使ってくれてたんだな」

 末樹は机に手を置き、軽く身を乗り出した。紺のことをニヤニヤと見ながら、末樹は手帳を指差した。

「映画のステッカー、それ俺があげたやつだろ」

「え?…ああ」

 紺は手帳を裏返し、貼ってあるステッカーを見た。

「別にいいだろ。気に入ってるんだよ」

 ぶっきらぼうに言う紺に、末樹はにっこり笑った。

「別に責めてないよ。気に入ってるようなら良かった」

「……」

 嬉しそうに笑う末樹を見て、紺は黙った。

「大事にしてくれてるんだな」

「そうだな…」

 末樹の言葉に紺は面倒そうにそう答えた。よく考えてみると、紺は随分長い間この手帳を愛用している。いつの間にか持っていたが、末樹の記憶では一年生の冬くらいから持っている気がする。

「あ、そうだ末樹。俺今日お昼用事あるんだわ」

「用事?」

 紺は手帳を鞄にしまい、再び顔を上げた。

「そう。面談」

「そっか。分かった。了解」

 末樹は紺の机から離れた。休み時間が終わり、チャイムが鳴ると、末樹は自席へと戻って行った。紺はその姿を横目で追いながら、安堵のため息をついた。


 昼の時間、末樹は昼ご飯を食べるために食堂へ向かった。いつもの賑わいを見せる食堂で、末樹は定番の学生定食を手に、大きなガラス窓の近くの席に座った。昼ご飯は大体いつも紺と食べている末樹だが、紺が居ない時は黙々と味わって食べている。

「豊嶋先輩」

 そんな末樹の目の前の席に、どんぶりの乗ったトレイが置かれた。

「長須さん…」

 微笑んで立っているのは莉々だった。

「ここいいですか?」

 莉々は空いている席を指差した。末樹が頷くと、莉々は末樹と向かい合う席に座った。

「今日はお一人ですか?」

 莉々は牛丼に紅しょうがを入れ始めた。

「うん、そうだよ」

「へへへ。先輩とお昼ご一緒できてうれしいです」

 莉々は紅しょうがを人並みより多く入れると、嬉しそうに笑って末樹を見た。

「いつも学食はあまり来ないんですけど、今日は来て良かったです」

「そうなの?」

「はい。部室で食べることが多いので」

 莉々はいただきます、と手を合わせると牛丼を頬張った。

「部室?長須さん部活やってるの?」

「入ってますよ。先輩は入ってないんでしたっけ?」

「うん」

「入りたい部活なかったんですか?」

「うーん…そうだね。今思えば、何か研究会とか入っても良かったかな。語学とか、理研とか、色々勉強できることこはあったしな…」

 末樹はそう言うと味噌汁を口にした。

「先輩はやっぱりそういう方面なんですね」

 莉々はくすくすと笑った。

「…またやってしまった…」

 末樹は小さな声で自省した。

「いいじゃないですか。先輩のそういうところいいと思います」

「…ありがとう」

「中学の時は何かやってたんですか?」

「中学の時は、書道部に入ってたよ」

「へぇー。なんか意外ですね」

「字が綺麗になりたくて」

「お得意の探究心ですね」

 莉々は人差し指を末樹に向けた。莉々の得意げな顔は、なんだか可愛らしかった。

「そうなるのかな…」

「先輩は玖馬君の言った通り、真面目で真っ直ぐな人ですね」

「真面目ね…」

 末樹は聞き飽きた言葉に思わず眉をひそめた。

「あっ、先輩、真面目って言われるのに嫌気がさしてますね?」

「…そんなこと」

 末樹がたじろぐと、莉々は優しく微笑んだ。

「図星ですね」

「そうかもね」

 末樹の顔が弱ったように綻ぶと、莉々は箸を置いて机に腕を置き、若干身を乗り出した。

「先輩、真面目って、最高の長所ですよ。本当に真面目な性格なんて、なかなか強靭な精神がないと得られません。先輩は真っ直ぐで、芯が強いから、だから折れないんです」

 莉々のしっかりとした、でも優しい眼差しに、末樹は胸に小さな衝撃を感じた。

「…ありがとう、長須さん」

「もっと誇ってください」

 莉々はにこーっと笑うと再び箸を手にした。

「そういえば長須さんは何の部活を…」

 末樹が気を取り直して口を開くと、莉々が突然横を見た。

「末樹先輩!」

 莉々の目線の先には玖馬がいた。とんかつ定食のトレイを持って、飼い主を見つけた犬のように満面の笑みで莉々の横の空いている席に来た。

「玖馬君…」

「よう莉々!」

 少し不満げな莉々をよそに、玖馬は末樹を見てぺこっと頭を下げた。

「玖馬君、ここで食べるの?」

「え?だめ?」

「別に…いいんじゃない…」

 莉々はそう言うとお茶を飲んだ。明らかに納得していない顔だった。

「く、クマ、今日もよく食べるな」

 末樹は玖馬の大盛りのご飯を見て空気を和まそうとそう言った。

「これでも足りないっすよ」

「…食べすぎじゃない?」

 莉々は呆れたように言った。

「今日も部活でいっぱい走るんで!エネルギー補給!」

 玖馬は莉々の言葉も気にせず明るい笑顔で返した。

「莉々も部活で体力使うんじゃないのか?それで足りるのかよ」

「玖馬君の胃袋と一緒にしないで」

「あ、そうだ」

 二人のやり取りを聞いていた末樹は、思い出したように莉々を見た。

「長須さんの部活って…?」

 そして先ほど遮られた言葉を続けた。

「あれ?末樹先輩知らないんですか?」

 何故か莉々への質問に玖馬が反応した。

「え?」

「莉々、演劇部ですよ」

 玖馬が莉々を箸で示すと、莉々はそれを払うような仕草を見せた。

「えっ!?」

 一方で末樹は莉々の部活に驚き、目を丸くして莉々を見た。莉々は玖馬に対して箸を向けられたことについて注意していた。

「長須さん、そうなの?」

「…はい」

 莉々は少し気まずそうに笑った。

「演劇部ってことは、糸村のこと知ってる?」

「はい、知ってます」

 末樹の質問に、莉々ははっきりと頷いた。

「なんだーそうだったのかー…!」

 末樹は背もたれに寄り掛かると、嬉しそうに笑った。紺は演劇部で演出などのスタッフ部門に所属していた。

「知ってるのかと思いましたよ」

 玖馬は思いの外の反応を見せた末樹にむしろ驚いていた。

「ううん。知らなかった。みんな言ってくれればいいのに。…ん?」

 脱力する末樹は、何かに引っかかったようで、首を傾げた。

「それはともかく、末樹先輩!」

 そんな末樹に、玖馬は意味ありげに目配せをした。莉々は玖馬のぎこちない表情に首を傾げていたが、玖馬はおかまいなく末樹が意図に気づくのを待った。

「…あ、ああ!」

 末樹がひらめいたような声を出すと、玖馬はうんうんと激しく頷いた。

「このあと少し時間下さい!」

 玖馬がそう言うと、末樹はしっかりと頷いた。それを見た玖馬は急いでご飯を済ませた。食べ終えた後、部室へ行く莉々とは別れ、末樹と玖馬は食堂の隅の席へ移動した。

「ありがとうございます先輩」

 二人はなんとなく顔を寄せ、玖馬は小声でそう言った。

「いいって。ところで、どうだったんだよ」

 末樹もつられて小声になった。

「…昨日、來樹さんと舞台行って…もう、…もう、楽しかったです」

 玖馬の顔が緩んだ。嬉しそうなその表情を見て、末樹はほっとした。

「兄貴も舞台楽しめたって言ってた。楽屋にも行ったんだろ?」

「はい。來樹さんのご友人にも会えました。俳優さんなんで、かっこよかったですけど、…來樹さんの方が何倍もカッコよかったっす」

 玖馬は余韻を噛みしめるように言った。

「そ、それは分からないけど…、とにかく、良かった」

 末樹は少しだけ玖馬の來樹に対する評価を疑問に思いながらも玖馬の肩を叩いた。

「俺、はじめてお芝居とか見に行ったんですけど、感動して、呆気に取られてたんです。そしたら、來樹さんが楽しかった?って聞いてくれて、食い気味に返事したら、また観に行けたら行こうねって、言ってくれたんです」

 玖馬は興奮気味に早口で言った。

「そっか。また行けるといいよね」

「はい!あ、あと今度大学で学際があるから、是非来てねって。これ、俺行っていいんですよね?」

「いいと思うよ」

「じゃあ少なくともまたコーヒー屋以外でも会えるんですよね。何より今回のことで來樹さんと連絡が自然にできるようになったのが嬉しいっす!」

 玖馬はキラキラと目を輝かせた。末樹は玖馬の喜びがひしひしと伝わってきて嬉しくなった。

「あの武史さん?って方にも感謝しないとです」

「アイスの?」

「あの人のおかげで、來樹さんに少し近づけたので!」

「ははは」

 末樹はガッツポーズをする玖馬を見て笑った。ただでさえ明るい玖馬が、更に輝いているように見える。自分の兄に、人をそこまでさせる魅力があったとは。

「とにかく良かった。本当に」

 末樹がそう言うと、玖馬は改まって姿勢を正した。

「先輩のおかげです。先輩のおかげで、一人で抱え込まずにすみました。俺、一人だったらどうなってたか…緊張で潰れてたかもしれません。…ありがとうございます」

「なんだよ、改まって」

「へへ…本当に、感謝してます。あの時、無理やりにでも聞いてくれて、…良かった」

 玖馬の声が少しだけ震えた。

「…まったく、そこツッコむなよ」

「ひひひ」

 末樹は玖馬の揺れる心に気づかないふりをして、はぐらかした。

「なぁところでさ…」

「なんですか?」

 末樹はうーんと悩みながら腕を組んだ。

「長須さんのこと、どうして糸村は黙ってたのかな?」

「黙る?」

 玖馬は首を傾げた。

「前に長須さんが教室に来た時、糸村も顔合わせたんだけどな」

 末樹は口を尖らせた。

「二人とも、面識あるなら教えてくれればいいのに」

「なるほど。謎ですね」

 玖馬は末樹の鏡のように腕を組んだ。

「あんまり接点なかったのかな?」

「でも顔くらい知ってますよね」

「仲、あんまり良くないのかな?」

 末樹と玖馬は同時に考え込んだ。

「あんまり触れない方がいいのかな…クマどう思う?」

 末樹は困った表情で玖馬に助けを求めた。

「なんかさ、理由があるなら俺もそっとしておきたいんだよね…」

「でも先輩、紺先輩に莉々のこと黙っていられます?」

「へ?」

 玖馬は心配そうに末樹を見た。

「末樹先輩、正直な人じゃないですか…取り繕うとか、得意じゃないですよね?」

「うっ…」

「秘密を守るのとは違いますよ。これはまた」

 図星だった。

「…そうだよね」

 末樹は嘘は得意ではない。莉々のことを誤魔化し通せる気はしなかった。

「はぁ…もう聞いてみた方が早いかな」

 末樹は観念したようにため息を吐いた。

「そうですね。紺先輩なら大丈夫じゃないですかね?」

「そうかなぁ…。俺は糸村が黙っていたというだけで不安だけどな。絶対何かあるだろ」

 末樹は確信を込めて語尾を強めた。

「そうですかぁ?」

 気が重い末樹をよそに、玖馬は陽気に笑っていた。

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