第7話 後輩の攻防

「えぇっ!?」

 末樹の間抜けな声が廊下に響いた。

「先輩、そんな顔しなくても…」

 末樹の大袈裟すぎるほどに驚いた顔に、玖馬は困ったような顔をした。

「あ、ごめん」

 末樹は周りをキョロキョロと見回した。

「そんなに意外だったですか?」

 玖馬の申し訳なさそうな声に、末樹は首を横に振った。

「いや、そんなことはないよ…。でもびっくりして」

「意外だったんじゃないスか」

「そりゃ驚きはするよ」

 末樹はため息を吐いた。來樹の疑惑から解放された翌日、末樹は玖馬に呼び出されて來樹と玖馬が舞台に行くことになったことを知った。

―俺のもやもやはなんだったんだよ…-

 末樹は心の中でそう呟き、脱力した。

「…?どうかしたんですか?」

 玖馬はそんな末樹を不思議そうに見た。

「ううん。なんでもない。…で?報告してくれたのはいいんだけど、俺はどうすればいい?」

 末樹は腕を組んで壁にもたれた。

「來樹さんとこういうふうに出かけるの初めてなんで…あの、何か気を付けることとかあれば知りたいっす」

 玖馬はそわそわした様子でそう答えた。

「…デートか」

「はっ!?でぇと!?先輩、な、なに言ってるんすか。そんなチャラついた言葉、先輩らしくないっす!!」

 末樹がぽつりと言った言葉に、玖馬は顔を赤くして必死に否定した。

「らしくないってなんだよ。デートじゃないか」

 末樹は冷静に答えた。

「そ、そんなことないっす!おでかけです!」

「いやデートでいいじゃん」

「だめです!なんかこう…重みが違います!」

「なんだそれ。…兄貴とデートしたくないのか?」

「したいっす!」

「じゃあいいじゃん」

「うっ…」

 玖馬は握った拳を下げた。

「ま、まぁとにかく…先輩しか、頼れないんで…末樹先輩!お願いします!」

 玖馬は顔の前で力強く手を合わせると、末樹に頼み込むようにお辞儀をした。

「…俺が役に立てるかはともかくとして、…気を付けること…?」

 末樹は明後日の方向を見た。改めて考えてみると、アドバイスは結構難しかった。

「はい、なんでもいいんで!」

 玖馬の期待に満ちたキラキラした瞳に、末樹はたじろいだ。

「そんな…気難しい人じゃないし…特に意識しないでいつも通りでいいんじゃないかな」

「それじゃよく分からないっすよ」

「無理に良く見せようとしても、力が入りすぎちゃって疲れるだろ。それは楽しくないだろ」

「でも俺、來樹さんにしたら弟の弟みたいなもんじゃないですか。それだと、なんか…」

「不満かもしれないけどさ、それはしょうがないんじゃないか?」

「うーん…」

「いきなり弟から立場を変えるのは大変じゃないかと思うけどな。それに兄貴、自分らしさを見せないわざとらしい人苦手だし」

 腑に落ちない様子の玖馬の肩を、末樹はポンッと叩いた。

「クマは変に取り繕ったり、良く見せようとしなくても十分だよ。いつも通りが一番魅力的だよ」

「……先輩がそう言うなら…」

 玖馬はちらっと上目で末樹を見ると、子犬のように目を潤ませた。

「そんな急ぐなって!クマは焦るととちりやすいんだから」

「…はい」

 玖馬は末樹に信頼した眼差しを向けると、小さく笑った。

「やっぱり先輩の言葉は背中を押される感じがするっす」

「そ、そう…?」

 玖馬の言葉に、末樹は顔をこわばらせた。

「俺、こういうアドバイスとか苦手で自信ないけどな…」

「それ言っちゃだめですよ!」

 玖馬はけたけたと笑った。

「先輩の戦闘力がゼロでも、俺は先輩を信じてます!」

「戦闘力って…」

 末樹は情けなさそうに笑った。

「へへへ。先輩ありがとうございます」

 玖馬は照れくさそうに笑うと、もう一度お辞儀をした。

「…折角だから、楽しんで来いよ」

「はい!」

 玖馬は元気良く返事をすると近くにある時計に目をやった。

「あ…ヤバい!俺、次移動教室だった…!」

 玖馬は慌てた様子でそう言うと、末樹に改めてお礼を言うとバタバタとその場を去っていった。

「……」

 残された末樹は、玖馬の背中を見送りながらも複雑な心境だった。玖馬が來樹と距離を近づけるのはなんだか嬉しかった。しかし玖馬が喜ぶ分だけ、不安も募った。

 來樹は玖馬がまさか自分に好意を向けているとは知らないだろう。もし來樹がその感情に気づいたとき、玖馬にどう対応するのか、末樹はそれを知るのが怖かった。

 末樹が壁に身体を預けて肩を落としていると、誰かが近づいてきた。

「末樹、何やってるんだ?」

「糸村…」

 末樹は壁から身体を離し、不意を食らった顔で紺を見た。

「…どうしたそんな顔して」

「いや、どうもしないけど」

「そうか?」

 紺は呆れた顔をして末樹に更に近寄った。

「ほら、また顔色悪いぞ」

 紺は前かがみになり、末樹の顔を覗き込むようにして真っ直ぐ目を見てきた。目の前にきた紺のその瞳を、末樹は正面から見つめ返す形になった。ここまで近くで見たことがなかったが、改めて見ると紺のまつ毛が長いことに気づいた。

「…大丈夫だって」

 末樹は笑顔を作ると、目を伏せて少し顔を離した。

「次自習だったっけ…?行こうか」

 末樹の言葉に、紺はしばらく黙っていた。

「末樹、お前あんまり抱え込むなよ」

 紺はしばらくの間の後、言葉をこぼすようにそう言った。

「うん…ありがとう」

 末樹は、ほっとしたように微笑んだ。紺の目の端に見えるどこか不安定な感情は、末樹には見えなかった。


 ある日の放課後、末樹はいつも通り自習をしてから帰ろうと、参考書などでずっしり重くなった鞄を抱えながら階段を下りていた。

「あの…」

 可愛らしい声が末樹の背後から呼びかけた。

「?」

 自分のことだろうかと自信なく振り返ると、見覚えのある女子生徒が立っていた。

「あ、あのすいません…」

 彼女は階段をいそいそと駆け降りると、末樹に近づいた。

「私のこと、わかりますか?」

 勢いあまって末樹の十センチ以内に彼女の顔があった。

「えっと…たしか、長須さんだっけ…?」

 末樹は勢いに押されながらも玖馬との会話を思い出していた。教室で泣いていた女の子。玖馬のクラスメイトで、名前は長須莉々と言っていた。茶色の長い髪を前と同じくハーフアップにして、くるくるとした毛先がふわふわと浮いていた。

「はい、そうです。長須莉々です」

「クマ…玖馬から教えてもらったよ」

 末樹が自分を覚えていたことに、莉々は嬉しそうに笑った。

「そうですか!玖馬君から…」

 そしてすぐに恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「…すみません。なんか…」

「いや、大丈夫だけど」

 末樹のことを探っていたことについて気まずそうにしている莉々に、末樹は笑いかけた。

「あの、突然で申し訳ないんですけど、豊嶋先輩にご相談があって…」

「相談?」

「はい」

 末樹が首を傾げると、莉々は控えめに頷いた。

「先輩方が今忙しいのは分かっているんですが…どうしても、心配で」

「心配?」

「はい。…あの、進路のことで」

「進路…?」

 末樹は真剣な眼差しの莉々に対して情けない声を出してしまった。

「はい…えっと、まだ受験前なのに…変かもしれないんですけど…」

 莉々はもじもじしながら言った。

「そう…だね…。俺、まだアドバイスできる立場にないような…」

 末樹は気まずそうに目を逸らした。

「いえ!そんなことは…!」

「でも…」

「あの、玖馬君に聞きました。豊嶋先輩は、頭も良くて頼りになるって…」

「そんなことは…」

 末樹は若干玖馬を恨みながらはにかんだ。

「なんでもいいんです。勉強のこととか、たまに相談に乗ってもらえたら…」

 末樹が乗り気ではない様子を見ても、莉々に引き下がる気配はなかった。

「…俺でいいのかな?」

 末樹は断り切れないことを察し、小さな声で言った。

「先輩が、いいんです!」

 莉々は力強くそう言うと、真っ直ぐな眼差しで末樹の目を見てきた。末樹が力なく笑い返すと、莉々は嬉しそうな笑顔で返してきた。そして莉々はお辞儀をすると、嵐のように去っていった。

「なんで…?」

 末樹は莉々の背中を見送りながらそう呟いた。鞄がより一層重くなったような気がした。不自然な莉々の相談に、末樹は眉をひそめた。

 たいして親しくもない知り合ったばかりの先輩に、いくらクラスメイトの先輩だからといって突然こんな大切な相談をしようと思うだろうか。いや、するのかもしれない。

 末樹は自分が重く捉えすぎかもしれないと思いつつも、玖馬に莉々のことをもっと聞いてみる必要があるかもしれないと、ぼんやり考えていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る