第5話 頼りの兄貴
來樹と女性を見かけてから数日後、末樹は足早に学校を去り、ある場所へと向かった。結局、口を滑らしそうで來樹本人に聞くことは出来なかった。余計なことを口走らないような、信頼できる相談相手。
末樹には、一人だけ心当たりがあった。
「いらっしゃいませー」
末樹がやってきたのは、駅の近くにあるアイスクリーム屋だった。個人経営をしているお店だが、味も良くて値段も手頃で飽きの来ないフレーバーが人気で、涼しくなってきたこの頃はそこまで混雑していないが、暑い時期には大繁盛している店だった。
「おっ!末樹じゃないか」
末樹が店に入ると、カウンターの奥からひょこっと顔を出す少し恰幅の良い人物がいた。
「なんだ、学校終わったのか」
嬉しそうな声で末樹を迎え入れたのは、このアイスクリーム屋でアルバイトをしている來樹の大学の友人、大堂武史だった。誰にでも明るく接してくる豪快な性格の武史は、末樹にとってもう一人の兄のような存在だった。
「はい。終わりました」
末樹は久しぶりに会った武史の顔を見ると、緊張していた心が解けていくように嬉しくなった。
「受験生頑張ってるか?」
武史がニッと歯を見せて笑うと、男らしい顔つきがすぐに取っつきやすい人当たりの良い表情に変わった。
「うん。今日はここは…暇?」
「暇とはなんだ。でも暇だ」
「ははは」
末樹は変わらない武史の姿にほっとした様子を見せ、空いているイートイン用のテーブルに鞄を置いた。
「で、今日はどうかしたのか?アイス食べてくれるのか?」
「あ、アイスも食べます。…でも」
「おっなんだ?」
意味ありげな様子の末樹に武史はワクワクしているような反応をした。
「いや、あの…武史さん、兄貴と同じ講義とか受けてますよね?」
「もちろん。受けてるよ」
「で、あの、兄貴って、大学ではどういう感じなんですか?」
「んっ?どういう感じかな?」
末樹の言葉を繰り返すように、武史は弾むように言った。腕を組み、完全に末樹の様子を楽しんでいるようだ。
「えっと…その…」
「どうした末樹、率直に聞いてごらんなさいよ」
「うー。そうですね…」
ニコニコ笑う武史を前に、末樹はまどろっこしい自分が嫌になった。
「兄貴って、今付き合ってる人とかいるんですか?」
末樹は観念したように聞いた。兄の恋愛事情をこんなに率直に聞くなんて、なんだか恥ずかしかった。
「おっなんだそんなことか」
気まずそうな末樹に対して、武史は拍子抜けしたように笑った。
「すみません。こんなことで…」
「ハハハ。気にすんな。來樹な、今はいないはずだ」
武史は大きな声で笑うとそう続けた。末樹の恥ずかしい気持ちも笑い飛ばしてくれそうだった。
「そうなんですか?」
「ああ」
「そうなんですね。はぁ」
末樹は気が抜けたようにそのまま椅子に座り込んだ。
「どうした末樹。なんかあったのか?」
空気が抜けたような末樹を、武史が微笑ましく見ていた。
「この前、見かけたんです。女性と親しげに歩くところ」
「なるほどな。たぶんそれあれだ、來樹に好意ある子だな。あいつ、あれでモテるんだ」
「そうなんですね…」
「ああ。だから前に誘われてた友達だろうな。でもどうしたんだ、そんなこと気にして」
「…俺、もしかして今すごく気持ち悪い…?」
末樹はハッとしたように武史のことを真剣な眼差しで見つめた。その神妙な面持ちに、武史は思わず吹き出した。
「いやいや、そんなことない。末樹はほんとかわいいな」
「ちょ、やめてくださいよ…」
「照れるな。でもなんか理由があるんだろ?」
「…はい」
武史には隠し事は出来ないと悟った末樹は、小さく頷いた。
「無理に言わなくていいって」
武史は頬杖をついて穏やかに言った。
「…今は、やめておきますね…」
「ああ、そうしろ」
武史はニヤッと笑うとアイスクリームの並ぶガラスケースの前に立った。
「さ、どれか食べるか?」
「あ、はい」
末樹は立ち上がり、ずらっと並ぶフレーバーの前に駆け寄った。
「おすすめ、これ店長の新作なんだ」
武史は林檎を使ったフレーバーを指差した。
「へぇ…美味しそう…これにします」
「毎度あり!」
武史は今日一番の大きな声を出すと、嬉しそうにアイスクリームをすくった。末樹は武史に話を聞いて少しほっとしていたが、同時に玖馬のことが心配になってきた。
武史によると來樹はどうやら人気があるらしい。そんな來樹に対して、玖馬の気持ちは届くのだろうか。末樹は、明るい笑顔の武史からアイスクリームを受け取りながら、誰かとこの気持ちを共有したくなった。
アイスクリーム屋を出た末樹は、小さくため息を吐くとスマートフォンを取り出した。一件のメッセージ通知が来ていた。確認すると、紺からだった。
<昼代、明日返す。あと借りてた参考書も>
今日の昼に学食で末樹が貸したお金のことだった。
「なんだよ。わざわざいいのに」
末樹はふっと笑った。そのまま少し考えると、電話の発信ボタンを押した。数秒のコールで紺が出た。
「どうした末樹」
いつもより低い声に聞こえた。
「糸村、参考書ちゃんとやったのか?」
末樹はついこの間貸したばかりの参考書について尋ねた。
「…やったよ」
「ほんとか?まだ全然いいよ」
「…でもそろそろ復習したい頃だろ」
「何言ってるんだよ」
少しだけ当たっていたが、末樹は声には出さなかった。
「で、この電話は説教してくれたのか?」
紺が笑った。微かに、疲れているように聞こえた。
「いや、そうじゃないよ」
「何だ?」
「…この前はごめん」
「は?」
「映画、あんまり集中できなかったんだ。ちょっと考え事があって。…ほんとごめん」
「……いいよ、そんなこと」
「いや、良くないと思って。糸村の大事な趣味を邪魔しちゃったかなって…」
末樹は、來樹と玖馬のことばかり考えていた自分を恥じて猛省した。
「…………そんなことない」
しばらくの間をおいて、紺が絞り出すような声で言った。
「俺、無神経だった。だから謝りたかったんだ」
「はは、末樹らしいな」
「そんならしさいらないけどな」
紺につられて末樹も笑った。
「何言ってるんだよ。大事にしろよ」
「えぇー」
「まぁとにかく、もう気にしなくていいからな。俺は楽しかったし」
「糸村ありがとう」
「…じゃあな。これから予備校だから」
「うん。じゃあ」
電話を切ると、末樹は肩の荷が下りたような気がした。最後の方の紺の声は、どこか軽やかだった。それもまた末樹にとっては有難かった。
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