僕は知らない

丹ノ水圭

第1話 三人の帰り道

 豊嶋末樹とよしまみき。受験を控えた高校三年生。とは言っても、高校入学時から推薦枠を狙って日々学業に勤しんできたおかげか、この調子で行けば推薦枠での進学も十分に見込める。

 ただ、その努力の弊害だろうか。彼は、勉学以外のことに全く興味が向くこともなく高校生活を終えようとしている。

 部活にも所属せずに、時間があれば勉強をしてきた彼は、もはや趣味は勉強と言ってもいいくらいだった。

 しかし彼は特にそのことに不満もなく、むしろ有意義な高校生活に満足していた。


「末樹、おはよう。今日の英語の予習ってしてきた?」

 同級生の一人が、軽快な足取りで登校中の末樹に駆け寄ってきた。まだ少しだけ暑さが残る空気の中に、爽やかな風が吹いたようだった。

「むしろしてないのか?」

 ブレザーの制服を軽く着崩し、黒い制服のズボンに両手を入れたままの、平均身長の末樹よりもいくらか背の高いその同級生に向かって末樹は首を傾げた。

 その視線を受けた同級生は、申し訳なさそうに眉を下げた。

「自信ないからさ、後で見てくれよ」

「糸村、お前も受験生なんだからさぁ…」

「末樹はほんと真面目だな」

 末樹が心配そうに見たその同級生の名は、糸村紺いとむらこん。末樹とは一年生の時に同じクラスになったことで仲良くなった。

 成績別で分けられた二年生の時はクラスが違ったが、三年生の今、再び同じクラスとなった。

「もう夏休みも終わっただろ。お前も真面目になれよ」

「俺だっていつも真面目だろ」

 紺はニッと歯を見せて笑った。並びの良い白い歯が、太陽の光で光った気がした。

「ま、俺には末樹という大先生もいるしな」

「…やめてよ」

 末樹がむっとした顔をすると、紺はおかしそうに笑った。

「まぁいいや」

 末樹は呆れたように肩をすくめると、少し歩を早めた。

「なんだよ」

「早く行ってちゃんと予習しような」

 紺が慌てて追いかけると、末樹はそう言って笑った。


 その日も、いつも通りの変わらない学校生活を終え、末樹は帰り支度をしていた。

 賑やかな教室から窓の外を見ると、この見慣れた教室すらも特別な空間に感じる。 もうじき、毎日何の疑いもなくこの教室に集う生徒それぞれが進路に進み、たった三年間だった高校生活が幕を閉じる。

 末樹は、今のこの貴重な時間を噛みしめ、どこか清々しさを感じながら深呼吸をした。

「どうした末樹」

 そんな末樹を不思議そうに見ながら、紺が声をかけた。

「ううん」

 末樹は小さく首を振った。

「帰ろ?」

「うん」

 末樹は紺の言葉に返事をし、軽く頷いた。

「今日さ、ちょっと本屋寄りたいんだけどいい?」

 教室を出て歩き出した紺は、末樹の顔を伺うようにして尋ねた。

「いいよ。何か買うの?」

「ああ、今度映画化する小説があってさ、その原作が欲しいんだ」

「ふぅん。映画よく見るよね」

「息抜きになるし、いろいろ、学ぶこともあるしな」

「…糸村は、映画関係の仕事に興味があるの?」

「うーん。映画というか、何かを色んなプロフェッショナルと協力して作ることに興味があると言うか…まぁ、まだよく分かんないんだけどさ」

「いや、十分だよ」

 末樹は照れくさそうな紺に笑いかけた。

「あっ、そういや俺が映画見ること、特に注意しなかったな。受験生なのにーってやつ!」

 紺は話題を逸らすように少し大きな声を出した。

「そんなの、お前の趣味に文句は言えないよ」

 末樹が少し困ったように眉毛を下げた。

「…あのさ、末樹-」

「末樹先輩!!!!」

 紺が何かを言いかけた時、二人の正面から勢いよく一人の生徒が駆け込んできた。

「ん?クマ?」

 大きな目をキラキラと輝かせた、末樹より数センチ高いくらいの背丈の短髪の男子生徒が二人の前で止まった。

 榎下玖馬えのもとくうま。末樹と紺の一学年下の後輩で、陸上部のエースだ。 同じ部活にいたわけではないが、一度委員会で一緒になった時から、何故か玖馬は二人を慕っていて、二人からはクマと呼ばれている。

「末樹先輩、紺先輩、もう帰りっすか?」

「うん。丁度帰るところだよ」

「ちょ、ちょ、ちょちょっと待って欲しいっす!」

 末樹の返事に、玖馬は慌てたように足をばたつかせた。

「今日部活休みなんで!俺も一緒に帰りたいっ!です!」

「はは、慌てなくてもいいから、ほら、荷物取ってきなよ」

 焦る玖馬に、末樹は優しく笑いかけた。

「わ!ありがとうございます!あ、あの、お二人は先に行って、あ、でも、待っててください!」

 玖馬はそう言い残すと、ばたばたと駆けて行った。

「どっちだよ…」

「廊下は走るなって!」

 呆れる紺を横目に、末樹は玖馬の背中に向かって叫んだ。

「糸村、そういえばさっき何か言いかけてたよね?」

 玖馬の背中を見送った末樹は、紺に向き合った。

「いや、いいんだ。何でもないよ」

 紺が若干面を食らったような顔をしたので、末樹は不思議に思いながらも、それ以上は追及しなかった。


 「先輩たちって、もう志望校とかは決まってるんですか?」

 三人となった帰り路で、玖馬は純粋な瞳で聞いた。

「俺はまだ決めかねてるよ。大体希望はあるけど…」

 紺が言葉を濁しながら答えた。

「あれ?前決まってなかったっけ?」

「夏休み終わって、ちょっと揺らぎ始めたんだよ」

 末樹が紺の顔を覗き込むと、紺はため息を吐いた。

「末樹先輩は?」

「俺は…決まってはいるけど」

「そうなんすか?」

「うん」

「先輩は推薦でも余裕で良い大学に行けるって噂ですけど、推薦使うんすか?」

「いやー…折角だから、挑戦して受験しようかなと思ってる」

「挑戦?」

「学校の推薦枠だと、志望校限られるだろ。最初はそのつもりだったけど、なんか物足りなくなってきちゃって」

「俺はあのラインナップなら満足っすけどね」

 玖馬が無邪気に笑った。

「ま、頑張るよ」

 末樹はまだまだ少年のような玖馬を見て頬を緩めた。

「あ、糸村、本屋だよ」

「ああ、悪いな」

 紺は駅前にある本屋に二人を連れて入っていった。

「俺買ってくるから、二人は好きにしてて」

 紺はそそくさと本屋の奥に消えていった。残された二人は、ひとまず入り口付近の特設コーナーを見ることにした。

「あ、先輩見て。最近この俳優よく見ますよね」

 玖馬はすぐ目の前にあったエンタメ雑誌を手に取った。その雑誌は、最近出演したドラマをきっかけに大ブレイクした若手俳優の特集を組んでいた。

「先輩ドラマとか見ます?」

 玖馬はぱらぱらと雑誌のページをめくった。

「あんまり見ないかな。ちょっと疎くて、まずいかなとも思う」

「まずいことはないんじゃないですか?」

 玖馬は楽しそうに笑った。

「先輩のそういうところ、俺は好きですよ」

「ははは、ありがとう」

 末樹は照れくさそうに笑い返した。

「おっ、占いだ」

 玖馬は雑誌をめくっていた手を止め、目を大きく見開いた。

「クマ、占いとか見るのか?」

「先輩は見ないですよねー。俺は結構見ちゃう方なんで」

 玖馬はそう言うと自分の星座の項目に目を落とした。

「えっとー、魚座は…」

「……」

「あっ!」

 玖馬が大きな声を出した。末樹はそれに驚き、思わず辺りを見回した。

「なんだよ、大きな声出すな」

「すみません。でも、ちょっといいこと書いてあったっす」

「いいこと?」

「はい!ほらここ」

 玖馬は末樹に魚座に書いてある一文を指差して見せた。

「気になる人と距離を縮めるチャンス。あなたの魅力を伝えよう…?」

 末樹は思わずその一文を読み上げた。

「はいっす!」

 玖馬は嬉しそうに返事をした。

「え、何?クマ、好きな人でもいるの?」

「いるっすよ!あ、今は内緒ですけど!」

 玖馬は元気よく答えると、得意げな顔をした。

「そうなんだ。まぁ、クマならアピールは得意でしょ…?」

 末樹が冷静にそう言うと、玖馬は雑誌を片手に持ったまま勢いよく肩を組んできた。

「そう言ってもらえると嬉しいっす!」

「こら、雑誌は戻せ」

 二人がじゃれていると、紺が購入した本を片手に戻ってきた。

「何してるんだよ」

 紺が呆れたように笑うと、玖馬は雑誌を戻して末樹から離れた。

「付き合わせて悪かったな」

「いや、いいよ」

 末樹が紺の言葉に首を横に振ると、紺は申し訳なさそうに笑った。

「興味深い話も聞けたし」

「ちょっと先輩!それは内緒っすよ!」

 末樹が玖馬を見てニヤリと笑うと、玖馬は慌てて末樹に飛びついた。その様子を見て、紺は再び呆れたように笑った。


 帰宅後、末樹は日課の勉強の休憩がてら、お菓子を取りに自室の二階から一階に下りて行った。

 階段を下りた先にはちょうど玄関があり、末樹が廊下に足をつけると同時に玄関が開いた。

「あれ?兄貴?」

「ああ、末樹。ちょっと忘れ物してな」

 家に入ってきたのは、末樹の兄の來樹らいじゅだった。現在大学三年生で、臨床検査技師を目指している。

 最近は学業、バイト、就職に向けた活動で多忙を極めているようで、基本的に自室にこもって勉強をしている末樹とはあまり顔を合わせることはなかった。

「お前はずっと勉強か?」

 來樹は爽やかな笑顔を見せた。その表情の中には、末樹に対する気遣いも見られた。

「うん。兄貴はこれからバイト?」

「そう。あんま無理すんなよ」

 來樹はそう言い残すと、末樹の肩を叩いて階段を駆け上った。末樹はそんな來樹の姿を見ながら、來樹に対して同じことを思っていた。

 お菓子を手に自室に戻った末樹は、机の前に座るとふと今日の玖馬のことを思い出した。

「好きな人か…」

 思わず声がこぼれた。

 玖馬が入学してから間もなく知り合い、弟のように可愛がってきた。その玖馬が誰かに恋をしている。

 末樹は色恋のことに関しては疎かったが、太陽のように明るい少年がそのまま真っ直ぐ青年へ成長したような、人懐っこいあの玖馬がそういう状況にあることが、何だか嬉しかった。

「誰だろうなぁ…」

 末樹はチョコレートを口に放り込むと、頬杖をついて考えこんだ。

 玖馬は友達も多く、学年を問わず女子からも人気が高い。思い当たる人物はいないか考えたが、候補が多すぎて末樹は思わず眉をひそめた。

「あいつ…」

 こんなに人気者だったか?と、改めて末樹は玖馬の人望の厚さに感心した。

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